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静寂の城〜魔王は世界征服をしたい〜  作者: 赤井六舷


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18/38

18.ダークエルフ、泣く

ゼル=グラードの移送ついでに運動会のスポンサー獲得のために司法国家サイヴァーンに向かう財務担当オーガのガエン、自由奔放であまり人に気付かれないピクシーのナラ、魔王に近い魔力を持っていながら自己肯定感の低すぎるダークエルフのラーシャ、静寂の城に居候をしている勇者のマイトの四人。

山岳地帯に差し掛かったところで巨大な影を見かけていた。


山岳地帯に入って三日目。

馬車は切り立った崖の間を進んでいた。

道幅は広い。

だが左右は岩壁。

見通しは悪く、どこか圧迫感がある。

御者も少し緊張しているらしく、時折周囲を見回していた。

そんな中。


「……まただ。」


ガエンが空を見上げた。

ナラも釣られて上を見る。


「いた?」


「いや。」


ガエンは眉をひそめる。


「見えない。」


「見えないの?」


「だがいる気がする。」


数日前に見た巨大な影。

雲のようでもあり、生き物のようでもあった謎の存在。

それ以来、ガエンは妙な視線を感じていた。

ラーシャも少し不安そうに周囲を見る。


「気のせいでしょうか……。」


「そうだといいんだがな。」


その時だった。

馬車が急停止する。


「.....!」


ガエンが御者に声をかける。


「どうした!?」


御者が震えながら前方を指差した。

全員がそちらを見る。

そして固まった。

崖の上、そこに何かいた。

巨大だった。あまりにも巨大だった。

岩山の向こうから首だけ出しているのに、それだけで城壁ほどの大きさがある。

黒い鱗。金色の瞳。

ゆっくりと瞬きをする巨大な存在。


御者が震える声を出した。


「りゅ……竜……?」


ガエンも額に汗を流す。

でかい。とにかくでかい。

今まで見たどんな魔物よりも巨大だった。

ナラがぽつりと言う。


「すごい。」


「感想それか。」


「大きい。」


「見れば分かる。」


ラーシャは青ざめていた。


「ど、どうしましょう……。」


「どうもこうもない。」


ガエンは拳を握る。


「最悪戦う。」


「無理ですよぉ!」


「知ってる!」


その時、後ろでのんびりした声がした。


「あ。」


全員が振り向く。

マイトだった。

勇者は竜を見るなり手を振った。


「久しぶりー。」


全員。


「は?」


竜が動きを止めた。

巨大な瞳がマイトを見る。

数秒の沈黙の後、山を震わせるほどの声が響いた。


『おお。』


全員。


「は?」


『温泉掘り勇者ではないか。』


空気が凍った。

ガエンがゆっくり振り向く。


「今なんて言った?」


マイト。


「知り合い。」


「どこで知り合うんだよ!!」


『元気そうだな。』


「うん。」


『今日は何をしているんだ?』


「ちょっとそっちに行く。」


『わかった。』


ガエンは頭を抱えた。

ナラは楽しそうに笑う。


「友達だった。」


「友達の規模がおかしいんだよ。」


ラーシャも混乱していた。


「りゅ、竜王級ですよねあれ……。」


「たぶんな。」


「どうして勇者様の知り合いなんですか……。」


「俺に聞くな。」


その間にもマイトは崖をひょいひょい登り始めていた。

残された一同。

御者は半泣きだった。


「だ、大丈夫なんでしょうか……。」


「だから俺に聞くな。」


ガエンは真顔だった。


「今の状況で一番信用できるのがマイトなのが嫌だ。」


「分かる。」


ナラが頷く。

ラーシャは両手を握りしめて空を見上げた。


「勇者様なら大丈夫です……たぶん……。」


「その『たぶん』が不安なんだよ。」


崖の上。

巨大な竜は身体を丸めて座っていた。

近くで見るとさらに大きい。山そのものが生きているような存在感だった。

マイトは竜の鼻先まで歩いていく。


「久しぶり。」


『うむ。』


金色の瞳が細くなる。


『相変わらず小さいな。』


「そっちは相変わらず大きい。」


『当然だ。』


竜は少しだけ機嫌良さそうに鼻を鳴らした。

マイトはそのまま本題に入る。


「そういえば聞きたいことがある。」


『なんだ。』


「最近、この辺で大きな影が飛んでるって噂がある。」


『それは我だ。』


即答だった。


「やっぱり。」


『見回りをしていた。』


「なんで?」


竜は少し真面目な顔になった。


『人が消えている。』


マイトが首を傾げる。


「冒険者?」


『うむ。』


風が吹く。

竜の瞳が遠くの山々を見つめた。


『最初は遭難かと思った。』


「違った?」


『数が多すぎる。』


マイトの表情も少しだけ真剣になる。


『少し前からだ。山へ入った冒険者が戻らぬ。一人や二人ではない。十人。二十人。記録に残っているだけでも相当数だ。』


「魔物?」


『それなら死体が残る。』


「なるほど。」


『しかし何も残らぬ。』


竜は低く唸った。山が揺れる。


『装備もない。血痕もない。痕跡そのものが消える。』


「変だね。」


『だから調べている。』


竜ほどの存在がわざわざ空を飛び回っていた理由だった。

マイトは腕を組む。


「何か見つけた?」


しばらく沈黙。そして竜はゆっくり口を開いた。


『一つだけ。』


「うん。」


『夜だ。』


「夜。」


『夜になると山の奥から何かが出てくる。』


「何か?」


『分からぬ。』


マイトが珍しく目を丸くした。

竜が分からないと言うのは相当だ。


『姿を見ようとすると消える。気配も薄い。だが確実に存在する。そしてそれが現れた夜に限って人が消える。』


空気が重くなる。

マイトは少し考えた。


「魔物じゃない?」


『魔物とも違う。』


「幽霊?」


『違う。』


「妖精?」


『お前の基準はどうなっている。』


竜が呆れた声を出した。

マイトは真顔だった。


「妖精はいる。」


『それは知っている。』


少し考えてから竜は低く言った。


『我は千年以上生きている。だが似たものを見た記憶がない。』


その言葉にマイトの表情からのんびりした空気が消えた。千年生きた竜ですら知らない。

それは少し面白そうだった。


「見に行こう。」


『そう言うと思った。』


「今夜。」


『ならば我も同行しよう。』


竜は巨大な翼を少し広げる。

山岳地帯全体に影が落ちた。


『正直なところ。』


「うん。」


『久しぶりに嫌な予感がしている。』


その言葉に、マイトは逆に少し嬉しそうな顔になった。


「じゃあ当たりかも。」


『お前は本当に勇者向きの性格をしているな。』


「そう?」


『危険を聞いて喜ぶ者は少ない。』


その頃、崖の下では。

ガエンが腕を組んで待っていた。

ナラは木の実を食べている。

ラーシャは落ち着かない様子で空を見ている。

そして数分後。

崖の上からマイトの声が響いた。


「ガエーン!」


「なんだ!」


「今夜調査!」


「何の!?」


「冒険者失踪事件!」


ガエンの顔が引きつる。嫌な予感しかしない。

さらに続けて。


「竜も来るって!」


数秒の沈黙。


そして。


「増えるなああああああ!!」


山岳地帯にガエンの悲鳴が響き渡った。

ガエンの悲鳴が山岳地帯に響き渡った。


そして数分後。


崖の上から二つの影が降りてくる。

一つはマイト。もう一つは見知らぬ青年だった。

黒髪。金色の瞳。長身で整った顔立ち。黒い外套を羽織っているが、纏う空気だけで普通ではないと分かる。

ガエンは目を細めた。


「誰だ?」


青年は静かに答えた。


「先ほどの竜だ。」


全員。


「え?」


ナラだけは目を輝かせた。


「おおー。」


青年は頷く。


「人の町へ入るにはこの姿の方が都合が良いのでな。」


ラーシャが小さく震える。


「りゅ、竜王級が人化してる……。」


「いや、人化できる時点でだいぶ上だろ。」


ガエンが頭を押さえた。


「なんで最近の俺の周りは規格外しか集まらないんだ……。」


「類友?」


ナラが言った。


「違う。」


即答だった。

その時だった。

ナラが首を傾げる。


「ところで。」


全員が見る。


「なんて呼べばいいの?」


確かにその通りだった。


竜。

では町で困る。


竜王。

もっと困る。


おい。

も失礼だ。


ナラは青年を見上げる。


「名前ある?」


青年は少し考えた。


「ある。」


「あるんだ。」


「ある。」


ガエンが呆れる。


「そりゃあるだろ。」


青年は当たり前のように答えた。


「我の名は――」


その瞬間、地面が揺れた。空気が震える。馬車の馬が怯えて後退した。御者が耳を塞ぐ。

ガエンが顔をしかめた。


「待て待て待て。」


「む?」


「今の絶対ヤバいやつだろ。」


「真名だからな。」


「やっぱり!」


ナラが手を挙げる。


「却下。」


「却下だな。」


ラーシャも頷く。


「却下ですね……。」


竜は不満そうだった。


「なぜだ。」


「人間が発音できる名前じゃなかった。」


ガエンが断言する。実際、誰も聞き取れなかった。

なんとなく山が震えたことだけは分かった。

マイトだけが頷いている。


「うん。」


「分かったのか。」


「たぶん。」


「たぶんかよ。」


再び沈黙。

するとナラが気軽に言った。


「じゃあ適当に呼ぼう。」


ガエンが呆れる。


「適当でいいのか。」


竜が頷く。


「いい。」


ナラは竜を見上げる。


「黒いからクロ。」


ガエン。


「犬じゃねえんだぞ。」


ラーシャ。


「さすがに失礼では……。」


竜。


「別に構わん。」


全員。


「構うんだよ!」


今度はマイトが言う。


「温泉。」


「却下。」


ガエンが即答した。


「なんで?」


「温泉で知り合った。」


「だから何だ。」


「だから温泉。」


「却下。」


「えー。」


マイトは納得していなかった。

ラーシャがおずおずと口を開く。


「あの……竜王様とか……。」


「堅苦しい。」


竜が言う。


「もっと気軽でよい。」


「気軽って言われてもな……。」


ガエンが悩む。

その時。

竜がふと思い出したように言った。


「昔は人間達からこう呼ばれていた。」


「ん?」


「ゼノガル。」


全員が顔を上げる。


「ゼノガル?」


「長い名を略したものだ。」


ナラが笑った。


「じゃあゼノでいいじゃん。」


「うむ、それでいい。」


「覚えやすい。」


「うむ。」


「呼びやすい。」


「うむ。」


竜は満足そうに頷いた。

ガエンも肩をすくめる。


「じゃあゼノで。」


「好きに呼べ。」


こうして。

千年以上生きる伝説級の竜王はナラの一言によって。

驚くほどあっさりと『ゼノ』になった。

そして当の本人も気にしていなかった。

マイトが頷く。


「よろしくゼノ。」


「うむ。」


ナラも手を振る。


「よろしくー。」


「うむ。」


ラーシャも慌てて頭を下げる。


「よ、よろしくお願いします。」


「うむ。」


最後にガエン。


「今夜の調査も来るんだよな。」


「行く。」


「強い?」


竜は少し考えた。


「普通だ。」


ガエンは嫌な予感がした。

マイトも頷く。


「ゼノ基準だから。」


「聞かなきゃよかった。」


するとゼノは山の奥を見た。

金色の瞳がわずかに細くなる。

先ほどまでの穏やかな雰囲気が消える。


「……だが。」


全員の表情が引き締まった。


「今夜現れるものは。」


ゼルは低く呟く。


「おそらく我の『普通』では測れん。」


風が吹く。山々の奥。誰もいないはずの谷底から一瞬だけ何かがこちらを見ていた気がした。

そしてそれは瞬きをする間に消えていた。

全員が無言になった。

谷底を見つめる。だが何もいない。

気配もない。音もない。

ただ夕暮れの風だけが吹いていた。

ガエンが眉をひそめる。


「今の、何だった。」


ゼノはしばらく谷を見つめていたが、やがて視線を外した。


「さあな。」


「さあなって。」


「分からん。」


ラーシャが青ざめる。


「ゼ、ゼノさんでも分からないんですか……。」


「分からん。」


あっさり言った。

それが逆に怖かった。

だがゼノはそれ以上何も言わず、再び歩き始める。


「行くぞ。」


「気にしないのか。」


ガエンが聞くとゼノは肩をすくめた。


「気付いてはいる。」


「いるのかよ。」


「だが向こうも出てこない。」


「まあそうだけど。」


「なら今は放置だ。」


まるで近所の野良猫でも見つけたような口調だった。

ガエンは頭を抱えた。


(竜王の感覚は信用しない方がいいな。)


そんなことを考えながら一行は再び街道を進み始めた。

その後も旅は続いた。

昼を過ぎ午後になり、太陽がゆっくり西へ傾いていく。山岳地帯の影が長く伸び始めた頃だった。

先頭を歩いていたマイトがふと足を止める。


「ん?」


同時だった。

隣を歩いていたゼノも顔を上げる。

金色の瞳が遠くを見る。

ガエンが気付く。


「どうした。」


マイトは山の尾根を見た。


「今。」


ゼノも同じ方向を見ている。


「いたな。」


空気が張り詰めた。

ラーシャが杖を握る。

ナラも羽音を止めた。


「何が?」


マイトは指をさす。

遥か遠く山の岩場、夕日に照らされた場所。

ほんの一瞬だけ黒い影が立っていた。

人影にも見える。獣にも見える。

だが次の瞬間消えた。

そこには何もいない。

ガエンが目を凝らす。


「見えねえ。」


「消えた。」


マイトが言う。ゼノも頷く。


「逃げたな。」


「知り合い?」


ナラが気軽に聞く。

ゼノは首を横に振った。


「知らん。」


「じゃあ敵?」


「分からん。」


「味方?」


「分からん。」


「結局分からないじゃん。」


「分からんものは分からん。」


ゼノは真顔だった。

だがその時マイトが珍しく真剣な顔になる。


「でも。」


全員が見る。

マイトは消えた岩場を見つめていた。


「なんか。」


少し考える。そして首を傾げた。


「見られてる気がする。」


その言葉に。

ガエンの背筋を冷たいものが走った。

なぜならマイトは基本的に危機感がない。

美味しい匂いを追って魔物の巣に入る。

珍しい石を見つけて行方不明になる。

崖から落ちても平然としている。

そんな男だ。

そのマイトが。


「見られてる気がする。」


そう言った。

ゼノも静かに目を細める。


「うむ。」


珍しく同意した。


「かなり前からな。」


ガエン達の表情が固まる。


「かなり前から!?」


「朝からだ。」


「もっと早く言え!」


思わず叫ぶガエン。

だがゼノは不思議そうな顔をした。


「出てこぬからな。」


「だからって!」


「気にならなかった。」


「なるだろ普通!」


ナラは笑っている。

ラーシャは半泣きである。

ラーシャは杖を抱きしめるように握った。


「わ、私もう帰りたいです……。」


「まだ何も起きてないぞ。」


ガエンが言う。


「それが一番怖いんです!」


正論だった。

マイトはそんなやり取りを聞きながら空を見上げる。


「暗くなってきたね。」


全員が空を見る。

いつの間にか山の稜線に太陽が沈みかけていた。

山岳地帯は日が落ちるのが早い。

周囲は急速に薄暗くなり始めている。


「今日はどこかで野営だな。」


ガエンが地図を確認する。


「近くに休憩用の広場があったはずだ。」


「了解。」


マイトが頷く。


「じゃあ行こう。」


そして一行は再び進み始めた。

周囲は徐々に夜の色へ染まっていく。

やがて視界が悪くなり始めた頃、ナラがふわりと前へ飛び出した。


「はいはいー。」


小さな手を前に突き出す。


ぽうっ。


柔らかな白い光が生まれた。

光球は一行の頭上を漂い、周囲を昼間ほどではないが十分見渡せる程度に照らす。


「便利だな。」


ガエンが感心する。


「でしょー?」


ナラは得意げに胸を張った。


「ピクシーだからね!」


「関係あるのかそれ。」


「多分ある!」


「多分かよ。」


いつもの調子だった。

しかし、その時だった。

先頭を歩いていたマイトが足を止める。


「ん?」


光球の明かりが前方の岩壁を照らす。

ゼノも立ち止まった。


「どうした。」


ガエンが尋ねる。

マイトは地面を指差した。


「穴。」


全員が近付く。

そこには山肌の根元にぽっかりと黒い穴が開いていた。直径は三メートルほど。

洞窟にも見える。

だがガエンは眉をひそめた。


「……なんか変だな。」


「うん。」


マイトも頷く。

自然の洞窟なら入口付近に風化した岩や崩れた土がある。

だが目の前の穴は違った。まるで巨大な何かが地面をくり抜いたように綺麗だった。輪郭が妙に整っている。

ゼノが近付き穴の縁を指でなぞった。


「自然ではないな。」


その一言で全員の空気が変わる。

ラーシャが恐る恐る覗き込む。

光球が中を照らした。だが奥は見えない。闇が続いている。


「こ、こんな場所、地図にありましたっけ……。」


「いや。」


ガエンは首を振った。


「載ってない。」


ナラが穴の周囲を飛び回る。


「誰か掘ったとか?」


「山岳地帯の岩盤をか。」


ガエンが言う。


「普通の人間じゃ無理だろ。」


その時ゼノがゆっくり穴の奥へ視線を向けた。

金色の瞳がわずかに細まる。


「……。」


珍しく無言だった。

マイトも覗き込む。

そして。


「あれ?」


首を傾げる。


「どうした。」


ガエンが聞く。

マイトは穴の奥を指差した。


「今。」


全員が見る。

しかし何も見えない。


「何かいたのか?」


「いたような。」


「ような?」


「うん。」


マイトは困った顔になる。


「誰かと目が合った気がした。」


ラーシャの顔色が一気に青くなった。


「や、やめてください!」


その瞬間。


ごうっ。


穴の奥から冷たい風が吹き出した。

全員の髪が揺れる。

ナラの光球もふらりと揺れた。

冷たい風は一瞬だった。

だが、その場にいた全員が妙な感覚を覚えた。

まるで風ではない。

誰かの吐息が穴の奥から流れてきたような。

ラーシャは反射的にガエンの後ろへ隠れる。


「い、嫌です! 絶対嫌なやつです!」


「落ち着け。」


そう言いながらガエンも内心では全く落ち着いていなかった。

ナラもさすがに笑顔を引っ込める。


「うーん……なんか変。」


ゼノは黙ったまま穴を見つめている。

マイトは相変わらず興味津々で一歩前へ出た。


「入ってみる?」


「却下だ!」


ガエンのツッコミが即座に飛んだ。


「夜だぞ! しかも正体不明の穴だぞ!」


「でも気になる。」


「俺だって気になる!」


「じゃあ。」


「入らん!」


「なんで?」


「なんでだと思う!?」


いつものやり取り。

だがその最中だった。


ぱたん。


小さな音が響く。

全員が振り向く。

そこには一人だけ今まで何が起きても全く興味を示さず、本を読み続けていた男がいた。

罪人、死霊使いゼル=グラード。

彼は静かに本を閉じていた。

ガエンが思わず目を見開く。


「……お前、何を?」


反応がない。

ゼルは穴を見ていた。

それも今まで見せたことのないほど真剣な目で。


「興味持つなんて珍しいね。」


ナラが言う。

ゼルはゆっくり歩き出した。

誰も止めない。

というより止めるのを忘れた。

あのゼルが自分から動いたのだ。

本を読んでいる時以外ほとんど何にも興味を示さない男が。


一歩。また一歩、穴へ近付く。

風が吹く。

黒い髪が揺れる。

そして穴の縁まで来たゼルは、しばらく何も言わず奥を見つめた。


数秒の沈黙。


やがて。


「……なるほど。」


初めて興味深そうな声が漏れた。

全員の視線が集まる。

ガエンが聞く。


「何か分かったのか。」


ゼルは答えない。

代わりにしゃがみ込み、穴の縁の岩へ触れた。

指先でなぞる。

そしてほんの僅かに眉が動いた。


「面白いですね。」


ラーシャが震える。


「そ、その面白いは良い意味ですか……?」


「知りません。」


最悪の返答だった。

ガエンが頭を抱える。


「頼むから詳しく言え。」


ゼルはゆっくり立ち上がった。

そして穴の奥へ視線を向けたまま言う。


「この穴。」


全員が息を呑む。


「掘られたものではありません。」


「は?」


ガエンが眉をひそめる。


「じゃあ何だ。」


ゼルは少しだけ考えるように沈黙し。

そして静かに告げた。


「何かが通った跡です。」


その瞬間。

全員の背筋に悪寒が走った。

ガエンが乾いた声を出す。


「……何かって何だ。」


ゼルは答えない。

代わりに穴の奥を見続ける。

まるで遥か先にいる何かを見ているように。

そして本当に僅かにゼル=グラードが笑った。


「さて。」


その声に全員が嫌な予感を覚えた。


「久しぶりに退屈しなさそうですね。」


その直後穴の奥深くから。


カラン。


何か硬いものが転がる音が聞こえた。

まるで。誰かがこちらへ向かって歩き始めたかのように。


カラン。


また音がした。今度は少し近い。

全員が無言になる。

穴の奥。

光の届かない闇の中。

何かがいる。

そう理解した瞬間だった。


ずるり。


闇が動いた。


「――っ!」


ラーシャが息を呑む。

何かが穴の奥から這い出てくる。

だが、それは生き物ではなかった。

少なくとも誰も生き物だとは思えなかった。

黒かった。ただ黒い。輪郭がない。頭も腕も脚もない。

それなのに前へ進んでいる。

まるで空間から切り取られた夜そのものが地面を這っているようだった。

光球の明かりが当たる。

しかし照らせない。

光が黒に触れた瞬間、吸い込まれるように消えていく。

ナラが目を見開いた。


「なにこれ。」


誰も答えられない。

黒い何かは穴からゆっくりと這い出てくる。


ぐにゃり。


形が変わる。液体のように見えた。だが次の瞬間には煙のようになった。そしてまた影のようになる。

どれも違う。

何にも似ていない。

だからこそ不気味だった。


ガエンが拳を握る。


「おいゼル。」


「はい。」


「これ何だ。」


「.......。」


ゼルは無言でそれを見つめる。

そしてぽつりと言った。


「死霊の集合体。」


ゼルの言葉に全員が固まった。


「死霊?」


ガエンが聞き返す。

ゼルは頷いた。


「正確には違いますね。一人や二人ではありません。」


黒い何かを見つめながら続ける。


「大量です。」


その瞬間。


ずるり。


黒い塊の表面が波打った。

そして人の顔が浮かび上がった。


「――ッ!?」


ラーシャが悲鳴を飲み込む。

顔だった。


男。

女。

老人。

若者。


無数。


苦痛に歪んだ顔が黒い表面から次々と現れては沈み、現れては沈む。

まるで溺れているように。


「た、助け――」


声が聞こえた。

誰かの声。

次の瞬間。


「いやだ。」


別の声。


「帰りたい。」

「痛い。」

「暗い。」

「誰か。」


何十人もの声が重なった。

ナラの顔から血の気が引く。


「これ……。」


ゼルが静かに言う。


「行方不明になった冒険者達でしょう。」


ガエンが歯を食いしばる。

最近この山で増えていた失踪事件。

冒険者。

薬草採取者。

行商人。

戻ってこなかった者達。

その全てが今目の前にいる。

死者として。


ずるり。


黒い集合体がさらに前へ出る。

だがゼルは眉をひそめた。


「おかしいですね。」


「何がだ。」


「死霊が自分で動いていない。」


全員が顔を向ける。

ゼルは穴の奥を指差した。


「見てください。」


誰も見えない。

だがゼルだけは見えているらしい。


「糸です。」


「糸?」


「死霊を繋ぐ霊力の糸。」


その声は僅かに低かった。


「全部、奥へ伸びている。」


その言葉にガエンの背筋を冷たい汗が流れた。

つまり目の前の怪物は本体ではない。

操り人形だ。

死者の残骸を無理矢理繋ぎ合わせただけのもの。

では操っている本体はどこにいる。

答えは一つだった。


穴の奥。


さらに深く。

その時だった。

黒い集合体の口が一斉に開いた。

数十人の声が重なる。


『みつけた。』


全員が凍り付く。


『みつけた。』

『みつけた。』

『みつけた。』


声が反響する。

だがその声は冒険者達のものではない。

もっと幼い。もっと歪んだ。

何か別の存在の声だった。

ゼルの目が細くなる。


「……なるほど。」


珍しく本当に興味を示した顔だった。


『みつけた。』

『またきた。』

『こんどはいっぱい。』

『たのしい。』


その瞬間穴の遥か奥。光の届かない闇のさらに向こうで何かが笑った。


ケタケタケタケタ。


子供のような笑い声。

だが聞いた瞬間、本能が理解する。

人間ではない。

絶対に違う。

ナラが震える声を出した。


「ねえ。」


誰も返事をしない。


「今の聞こえたよね。」


ガエンは無言で拳を構える。

ラーシャは杖を握る手が震えていた。

そして、ずっと能天気だったマイトでさえ初めて穴の奥を見て眉をひそめた。


「変だな。」


その一言に全員が振り向く。

マイトは首を傾げている。


「なんであんなに死霊がいるんだろ。」


ゼルが答える。


「餌でしょう。」


「餌?」


「ええ。」


ゼルの金色の瞳が闇を見据える。


「奥にいる何かは、餌を集めている。」


「何のために。」


数秒の沈黙。

そして死霊使いは静かに告げた。


「育つためです。」


空気が凍った。

その直後、穴の奥から。


ズズズズズズズ――――。


巨大な何かが身じろぎする音が響いた。

まるで山そのものが動いたかのような振動だった。

そしてゼルは真顔になった。


「これは少し面倒かもしれませんね。」


ズズズズズズズ――――。


地面が揺れる。

天井から小石がぱらぱらと落ちた。

ガエンは即座に叫ぶ。


「全員下がれ!」


ラーシャとナラが後退する。

だが一人だけ。

ゼルは動かなかった。


「ふむ。」


穴の奥を見つめる。


「興味深い。」


そしてゆっくりと額の布に手を伸ばした。

ガエンの顔が引きつる。


「おい。」


布が外れる。

その下から現れたのは。

紫色の魔眼。

死霊使いゼル=グラードの切り札。

紫の光が闇を照らした。


「支配してあげます。」


静かな声。


瞬間。


穴の前にいた死霊達が一斉に震えた。

無数の顔が苦痛に歪む。


『あ。』

『ああ。』

『あああああ。』


紫の魔力が死霊達へ流れ込む。

普通の死霊ならこれで終わりだった。

ゼルの支配下に入る。

だが――。


バチィィィッ!!


紫色の火花が散った。

ゼルの眉がぴくりと動く。


「ほう。」


死霊達の身体に巻き付いていた見えない糸が一斉に引き締まった。

奥から笑い声が響く。


ケタケタケタケタ。


『だめ。』

『だめ。』

『それぼくの。』

『ぼくのだよ。』


紫の支配と闇の支配。

二つの力が激突する。

洞窟全体が震えた。

だが次の瞬間。

ゼルの魔力が弾き返された。


ドンッ!!


衝撃波。

外套が揺れる。

ゼルが一歩だけ後ろへ下がった。

全員が固まる。

ガエンが目を見開いた。


「お前が押し返された?」


ゼルは魔眼を開いたまま答える。


「ええ。」


少しだけ楽しそうだった。


「珍しいですね。」


黒い集合体が笑う。


『わたさない。』

『ぼくの。』

『みんなぼくの。』

『たべる。』


ガエンの顔色が変わる。


「駄目だ。」


拳を握る。


「これは危険すぎる。」


そしてゼルの肩を掴もうとした。


「おいゼル。下がれ。」


だがその時だった。


カチャリ。


金属音。

全員が振り向く。

マイトだった。剣を抜いている。

いつもの気の抜けた顔ではない。

ただ真っ直ぐ穴の奥を見ていた。


「なるほど。」


ぽつりと言う。


「つまり倒せばいいんだね。」


ガエンが叫ぶ。


「待て!」


遅かった。


ドンッ!!


地面が爆ぜる。

マイトの姿が消えた。

次の瞬間には穴の中だった。


「は!?」


ガエンが叫ぶ。

マイトは躊躇なく奈落へ飛び込んでいた。

黒い集合体が反応する。


『え。』

『きた。』

『きたきたきた。』

『たべる。』


無数の腕が伸びる。

だが。

閃光。

銀色の剣が振るわれた。


ズバァァァァァン!!


無数の腕が真っ二つになる。

悲鳴。

絶叫。

黒い肉塊が吹き飛ぶ。

その中心を突っ切りながらマイトはさらに落下していく。


「馬鹿かあいつは!!」


ガエンが本気で叫んだ。

その横でもう一人。

静かに前へ出る者がいた。

ゼノ。

金色の瞳が闇を見つめる。

そして小さく息を吐く。


ブォォォォォッ――――。


空気が震えた。

竜の闘気。

黄金の魔力が全身を包み込み黒髪が揺れる。

瞳が竜のように細くなる。

周囲の岩肌が軋み始めた。

ナラが呆然と呟く。


「また行くの?」


ゼノは短く答えた。


「あいつ一人だと面倒だ。」


次の瞬間。


ドゴォォォォン!!


地面を蹴る。

竜そのもののような速度。

黄金の軌跡を残しながらゼノも穴へ飛び込んだ。

闇の中へ一直線に。

ガエンは額を押さえた。


「待て。」


誰も止まらない。


「待てと言ってるだろうが!」


怒号が響く。

しかし既に二人の姿は闇の奥へ消えていた。

そしてその遥か下。

深淵の底から。


ケタケタケタケタケタ――――。


今度はさっきまでとは違う。

歓喜に満ちた笑い声が響いた。

歓喜に満ちた笑い声。

まるで待ち望んでいた餌が飛び込んできたかのような声だった。

ガエンは拳を握り締める。


「くそったれ……。」


ゼルが穴の奥を見る。


「ふむ、死霊の扱いで負けるのは癪ですね。」


そう言うとまるで散歩にでも行くかのように穴に入っていく。


「くそ!お前もかよ!」


ガエンは叫びながら拳を構える。

目の前には死霊の集合体。

状況は最悪だった。

そしてその最悪はさらに加速する。


ずるり。

ずるり。


黒い集合体が動く。

今度はマイト達ではない。

残された三人へ向かって。


『おなかすいた。』

『おなかすいた。』

『おなかすいた。』


無数の顔が笑う。

ナラが青ざめた。


「うわああああ嫌だこれ!!」


光球を増やす。

辺りが一気に明るくなる。

だが照らされたことで逆に見えてしまった。

集合体の中に埋まっている無数の顔。

泣いている者。

叫んでいる者。

絶望している者。

冒険者達の最期の表情だった。

ラーシャの顔色がさらに悪くなる。


「ひっ……。」


杖を持つ手が震えた。

死霊達が近付く。

ガエンが前へ出る。


「二人とも下がれ!」


巨大な拳を振り上げる。


ドゴォォォォン!!


正面の死霊を吹き飛ばす。

だが数が多すぎる。

吹き飛んだ死霊の隙間からさらに別の腕が伸びてくる。

ガエンの腕に絡み付いた。


「ちっ!」


振り払う。

だが次々と。

十本。

二十本。

三十本。


死者の腕が伸びる。


『いっしょ。』

『いっしょ。』

『いっしょになろう。』


ガエンの額に汗が浮かぶ。

ラーシャはその光景を見ていた。


そして思考が始まる。


(終わった。)


一秒。


(絶対終わった。)


二秒。


(私なんかじゃ無理。)


三秒。


(また足を引っ張る。)


四秒。


(みんな死ぬ。)


五秒。


(私のせいで。)


どんどん沈む。

どんどん悪い方向へ進む。

ラーシャは昔からそうだった。

考え始めると止まらない。

最悪を想像する。

さらに最悪を想像する。

そしてもっと最悪を想像する。


そして――――。

限界を超えた。


「嫌。」


ぽつり。

誰も聞こえないほど小さな声。


「嫌。」


もう一度。


「嫌。」


三度目。

その瞬間。


ドクン。


辺り全体が脈打った。

ガエンが振り向く。


「ラーシャ?」


ラーシャの髪が浮き上がる。

足元から魔力が噴き出していた。

尋常ではない量。

ナラの目が点になる。


「え。」


ラーシャ自身も理解していなかった。

ただ。頭の中が最悪で埋め尽くされていく。


(死ぬ。)

(みんな死ぬ。)

(世界終わる。)

(山崩れる。)

(空落ちる。)

(海が蒸発する。)

(大陸割れる。)

(私のせいで。)


ネガティブ思考が暴走する。

普通ならただの妄想。

だがラーシャの魔力は違った。

感情に比例して増幅する特殊体質。しかも負の感情ほど出力が跳ね上がる。

ガエンの顔が引きつる。


「おい。」


嫌な予感しかしなかった。

ナラはさらに引きつる。


「まずい。」


ラーシャの周囲に黒紫色の魔力が集まる。

空気が歪む。岩が浮く。

死霊達が初めて動きを止めた。


『あれ。』

『なに。』

『いや。』

『いやだ。』


今度は死霊達が怯えていた。

ラーシャは涙目だった。


「ご、ごめんなさい……。」


魔力が膨れ上がる。


「私がいるから……。」


さらに膨れ上がる。


「私なんかが……。」


ガエンが叫んだ。


「ラーシャ!!考えるのをやめろ!!」


遅かった。

ラーシャは半泣きで叫ぶ。


「全部消えちゃえばいいのにぃぃぃっ!!」


瞬間。


黒紫の奔流が解放された。


ゴォォォォォォォォォォォォォォォッ!!


光ではない。

闇でもない。

圧倒的な魔力そのものが津波のように広がる。

死霊達が触れた瞬間に崩壊した。


『あ。』

『あ。』

『あああああああああああ!!』


断末魔。

無数の魂が浄化される。

黒い集合体が一瞬で飲み込まれる。

逃げる暇すらない。

死霊。

霊力の糸。

呪い。

怨念。

その全てまとめて吹き飛んだ。


ドォォォォォォォォン!!


衝撃波が洞窟を駆け抜ける。


そして静寂が訪れる。

そこには何も残っていなかった。

死霊の集合体は完全消滅していた。


ぽかん。


ガエンが固まる。


ぽかん。


ナラも固まる。

ラーシャだけが涙目で震えている。


「ご、ごめんなさい……。」


ガエンは消えた死霊達のいた場所を見る。

次にラーシャを見る。

もう一度消えた場所を見る。

そして。


「……。」


数秒沈黙した後。

額を押さえた。


「なんでうちのパーティーは極端な奴しかいないんだ……。」


ナラも深く頷いた。


「分かる。」


その時、穴の遥か奥から。

マイトの声が聞こえた。


「おーい!」


全員が振り向く。


「なんか今すごいの来たけど何したのー!?」


ガエンは天を仰いだ。

そして心の底から思った。

下も上も問題児しかいない、と。

ガエンは大きくため息を吐いた。


「後で説教だ。」


「ひぅっ。」


ラーシャが肩を震わせる。


「いや違う。怒ってるわけじゃない。加減を覚えろって意味だ。」


「は、はい……。」


ナラが横から言う。


「でもラーシャ、今のでこの山の呪い半分くらい吹き飛ばした気がする。」


「やめて。怖い。」


本人が一番怯えていた。

ガエンはため息をついてから穴の奥を見る。


「ま、行くしかないか。」


ガエンとラーシャとナラは穴の奥へと向かって行った。

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