17.ラミア、雪うさぎになる
王都フィルドリアを出発したダグラス、ビルム、ミリア。
クリアフォル行きの大型馬車は街道を北へ進んでいた。
馬車の荷台部分。
乗客はそこそこいるが、ダグラス達は一角を占領している。
ダグラスは腕を組んで目を閉じていた。
ビルムは干し肉を齧っている。
ミリアは窓の外を眺めていた。
しばらく平和だった。
本当に平和だった。
しかし。
「知ってる?」
ミリアが突然言った。
ダグラスは嫌な予感がした。
「何をだ。」
「雪って実は空が剥がれ落ちてるらしいわ。」
「違う。」
即答だった。
「えっ。」
「えっじゃねぇ。」
ビルムも頷く。
「なんやねんその説。」
「でも考えてみて。」
ミリアは真顔だった。
「空って青いじゃない。」
「せやな。」
「雪は白いじゃない。」
「せやな。」
「つまり色が抜けて落ちてるのよ。」
「なんでや。」
ビルムが頭を抱えた。
「色素が。」
「空に色素はない。」
「あるわ。」
「ない。」
「あるわ。」
ダグラスが呆れた。
ミリアは不満そうに頬を膨らませる。
「夢がないわね。」
「夢で世界の理屈を語るな。」
「じゃあ空が剥がれてる可能性は?」
「ない。」
「〇・一%くらい。」
「ない。」
「〇・〇一%。」
「ない。」
「〇・〇〇一%。」
「ない。」
「頑固ね。」
「お前がだ。」
ビルムが笑いを堪えていた。
その時、馬車が少し揺れた。
ミリアは窓の外を見て言った。
「あ。」
「どうした。」
「牛。」
街道脇に牛がいた。
ただそれだけだった。
しかしミリアは真剣だった。
「見て。」
「見とる。」
「牛。」
「せやから見とる。」
「かわいい。」
「まあかわいいな。」
「私も牛になろうかしら。」
ダグラスがゆっくり目を開いた。
「何故だ。」
「牛はかわいいから。」
「お前はラミアだろ。」
「ラミア牛。」
「新種作るな。」
ビルムが吹き出した。
「どんな生き物やねん。」
「下半身が牛。」
「ほぼミノタウロスやん。」
「上半身は蛇。」
「怖っ。」
「鳴き声はメェ。」
「羊混ざっとる!」
馬車の乗客の一人が思わず吹き出した。
ミリアは満足そうだった。
そしてまた数分後。
「そういえば。」
ミリアが言う。
「ダグラスって寝るの?」
「寝る。」
「死神なのに?」
「死神だから何だ。」
「棺桶で寝てそう。」
「寝ない。」
「逆さまにぶら下がってそう。」
「それは吸血鬼だ。」
「じゃあ土に埋まってる?」
「埋まらん。」
「残念。」
「何がだ。」
ビルムがニヤニヤしている。
「せやけどワイもちょっと気になるわ。」
「何がだ。」
「ダグラスの私生活。」
「気にするな。」
「朝起きたら鏡に向かって死神っぽい顔の練習してそう。」
「しない。」
「今日は三割増しで不吉な顔や。」
「しない。」
「鎌の手入れしながら『ククク…』とか。」
「しない。」
「絶対しとる。」
「しない!」
珍しくダグラスが少し強めに否定した。
ミリアが言う。
「つまり。」
「なんだ。」
「本当は可愛い動物が好き。」
「飛躍が凄いな。」
「図星ね。」
「違う。」
「じゃあ牛見る?」
「見ない。」
「見たいんだ。」
「見ない。」
「かわいいもんね。」
「見ない。」
「牛。」
「押すな。」
ビルムはついに腹を抱えて笑い始めた。
「アカン……ダグラスいじりおもろすぎるやろ……。」
ダグラスは深いため息を吐く。
なぜ自分はこの二人と旅をしているのか本気で考え始めた。
その時だった。
ミリアが窓の外を見て目を輝かせる。
「あっ。」
「今度は何だ。」
「牛。」
「またか。」
「違う。」
「違うんかい。」
「馬だった。」
ダグラスは額を押さえた。
ビルムは笑い過ぎて椅子から落ちた。
馬車の中にはしばらく笑い声が響いていた。
笑いがようやく収まった頃、ビルムは目尻の涙を拭いた。
「アカン……腹痛い……。」
「馬を牛と見間違えるなんて。」
ミリアは腕を組む。
「違うわ。」
「何がや。」
「牛になる未来を感じたの。」
「意味分からん。」
「未来牛よ。」
「未来牛てなんやねん。」
ダグラスが目を閉じたまま呟く。
「関わるな。」
「無理や。」
ビルムは即答した。
「話しかけられたら返してまう。」
「返すからこうなる。」
「せやけどな。」
ビルムはミリアを見る。
「ミリア、お前たまに未来見えるんか?」
「見えるわ。」
「ほんまか。」
「三分後くらいまでなら。」
「普通に予測や。」
「違うわ。」
「何が見えるん?」
ミリアは窓の外を見た。
「あと少ししたら。」
「おう。」
「ビルムが喋る。」
「今喋っとるわ!」
「当たった。」
「今のは誰でも分かるやろ!」
乗客がまた吹き出した。
ミリアは得意げだった。
「どう?」
「占い師失格や。」
「じゃあ次。」
「まだやるんか。」
「あと少ししたらダグラスがため息を吐く。」
ダグラスは無言だった。
数秒後。
ふう。
ため息。
「ほら。」
「吐いとる!」
「当たった。」
「それはおまえのせいだ!」
ダグラスが珍しく反論した。
ビルムが笑う。
「ほんまや。」
「原因を作った側が予言者を名乗るな。」
「つまり私は未来を作れる。」
「ただの犯人や。」
「なるほど。」
ミリアは頷く。
「私は世界の創造主だったのね。」
「規模デカすぎるわ。」
「創造主ミリア。」
「やめろ。」
「世界を作った記念に牛を増やそう。」
「牛から離れろ。」
「二倍。」
「やめろ。」
「十倍。」
「酪農家が困るわ!」
「百倍。」
「今度は国が困る!」
ミリアは不思議そうな顔をした。
「牛が多いと幸せじゃない?」
「限度があるねん。」
「じゃあ羊。」
「方向転換するな。」
「千倍。」
「増えとる!」
ダグラスはもう反応する気力がなかった。
その時。
ミリアがふとビルムを見た。
「そういえば。」
「なんや?」
「ビルムってドラゴンよね。」
「ドラゴニュートな。」
「卵から生まれたの?」
「生まれたで。」
「目玉焼きになりかけたことある?」
「あるわけないやろ。」
「惜しかったわね。」
「何が惜しいねん。」
「朝食が。」
「ワイを朝飯にするな!」
「でも美味しそう。」
「ドラゴン食うな!」
「照り焼き?」
「料理方法まで決めるな!」
「塩焼き?」
「やめろ!」
「串焼き?」
「どんだけ焼きたいねん!」
ビルムのツッコミがあまりにも綺麗に決まった。
馬車の乗客達から拍手が起きた。
パチパチパチ。
「え?」
ビルムが固まる。
乗客の一人が笑いながら言った。
「兄ちゃん上手いな!」
「息ぴったりだな!」
「旅芸人か?」
「今の面白かったぞ!」
ビルムは目をぱちくりさせた。
ミリアも首を傾げる。
「私達、旅芸人だったの?」
「違うわ!」
「じゃあ漫才師?」
「違うわ!」
「ほら。」
ミリアが乗客達を指差す。
「お客さん笑ってる。」
「ほんまや。」
「つまり。」
「つまり?」
「私がボケで。」
「せやな。」
「ビルムがツッコミ。」
「せやな。」
「漫才ね。」
「せやな……って認めてもうた!」
その瞬間。
馬車の中が大爆笑になった。
ミリアは満足そうに頷く。
「今日もいい仕事をしたわ。」
「なんもしてへん!」
「次の街で公演しましょう。」
「せぇへん!」
「演目は牛と死神。」
「誰が見るねん!」
「主演ダグラス。」
「断る。」
ダグラスは即答した。
しかし乗客達は。
「見たい!」
「絶対面白い!」
「死神役似合いそう!」
「それは本人や!」
ビルムが即座にツッコむ。
再び馬車は笑いに包まれた。
そしてダグラスは思った。
(こいつら、もう完全に漫才コンビだな……。)
だが口には出さなかった。
言ったら本人達が本当に始めそうだったからだ。
その日の夕方、馬車は街道沿いの宿場町へ到着した。
北へ向かう旅人や商人がよく利用する町らしく、石畳の通りには宿屋や食堂、雑貨屋が並んでいる。
夕暮れの灯りが少しずつともり始め、人々の話し声があちこちから聞こえてきた。
「今日はここで一泊だ。」
ダグラスが馬車を降りながら言う。
「やっと足伸ばせるわ。」
ビルムが大きく背伸びした。
「早く宿を追いかけないと!」
ミリアが元気よく言った。
「いや宿は逃げへんからな。」
「でも急がないと宿が野生化するかもしれない。」
「宿は野生化せぇへん。」
「本当に?」
「本当に。」
「夜になると足が生えて歩くかも。」
「どんな宿や。」
ダグラスはもう聞いていなかった。
宿を取り、一息ついた後。
三人は夕食まで少し時間があったため町を散歩することになった。
ダグラスは先頭を歩く。
その後ろをビルムとミリア。
そして案の定始まる。
「ねえビルム。」
「なんや。」
「宿場町ってなんで宿場町って言うの?」
「宿がある町やからや。」
「じゃあ。」
ミリアは腕を組む。
「猫が多かったら猫場町?」
「ならへん。」
「犬が多かったら犬場町?」
「ならへん。」
「牛が多かったら。」
「ならん。」
「牛場町。」
「お前ほんま牛好きやな。」
「でも響き良くない?」
「良くない。」
「牛場町へようこそ。」
「絶対牧場やん。」
ミリアは真面目な顔で頷く。
「名物は牛。」
「予想通りや。」
「牛丼。」
「まあええ。」
「牛串。」
「せやな。」
「牛パン。」
「なんやそれ。」
「牛の形したパン。」
「普通にありそうやな。」
「牛温泉。」
「牛が入るんか?」
「牛しか入れない。」
「誰が来るねん。」
「牛。」
「客層限定しすぎや!」
通りを歩いていた旅人が吹き出した。
ミリアは満足そうだった。
その時。
露店の前を通りかかると焼き串のいい匂いが漂ってきた。
ビルムが足を止めた。
「おお。」
「止まったわね。」
「ええ匂いや。」
「獲物を見つけたドラゴンの顔してる。」
「そこまでちゃうわ。」
「見て。」
ミリアが指差した。
「串焼き。」
「見えとる。」
「美味しそう。」
「せやな。」
「ビルム。」
「なんや。」
「串焼きが食べたい顔してる。」
「まあ食べたい。」
「私には分かる。」
「何がや。」
「ドラゴン語。」
「そんなもん喋っとらん。」
「今。」
「おう。」
『あの串焼き食べたいなぁ』
「言うてない。」
「聞こえた。」
「幻聴や。」
「すごいわね。」
「何がや。」
「お腹の声が関西弁だった。」
ビルムは肩を震わせた。
「アカン。」
「どうしたの?」
「お腹の声まで関西弁はちょっとおもろい。」
「でしょ。」
「自分で言うな。」
二人がそんなことを話していると。
少し先の広場に大道芸人がいた。
火のついた棒を投げて観客を沸かせている。
「おおー。」
ミリアが目を輝かせる。
「すごいわね。」
「器用やなぁ。」
「私もできるかしら。」
「やめとけ。」
「じゃあ。」
ミリアはその場で両手を広げた。
「今から大道芸人になる。」
「なるな。」
「芸を見せるわ。」
「嫌な予感しかしない。」
ミリアは堂々と言った。
「一発芸。」
「もう始まっとる。」
「蛇。」
「お前や。」
「以上。」
「終わり!?」
近くにいた子供が笑った。
ミリアは得意げだった。
「受けた。」
「受けたけど芸ちゃう。」
「じゃあ次。」
「まだあるんか。」
「牛。」
「それ芸なん?」
「牛の真似。」
「やってみ。」
ミリアは真顔になった。
数秒の沈黙。
そして。
「モー。」
「普通や!」
周囲から笑い声。
ミリアは胸を張る。
「完璧。」
「どこがや。」
「魂を込めた。」
「牛の魂やな。」
「そう。」
「認めるんかい。」
そこへ先を歩いていたダグラスが戻ってきた。
「お前達。」
「なんや?」
「何してる。」
「公演よ。」
「してへん。」
ビルムが突っ込む。
「大盛況だったわ。」
「客三人くらいだろ。」
「数字より心よ。」
「急に良いこと言うな。」
ミリアはふっと遠くを見る。
「芸術とは。」
「おう。」
「牛。」
「台無しや!」
ビルムのツッコミが広場に響く。
周囲の人々がまた笑った。
そしてダグラスは額を押さえた。
「なあ。」
「なんや?」
「ミリア。」
「なに?」
「お前一日に何回牛と言うんだ。」
ミリアは少し考えた。
「分からない。」
「せやろな。」
「でも。」
「でも?」
「今日はまだ少ない方よ。」
ダグラスとビルムは同時に固まった。
「少ない?」
「少ない。」
「今ので?」
「本気を出したらこんなものじゃないわ。」
ビルムが真顔になった。
「ダグラス。」
「なんだ。」
「クリアフォル着くまでに何回牛って言うか賭けへん?」
「やめろ。」
「一万回くらいちゃうか?」
「そこまで言わん。」
「甘いわね。」
ミリアが静かに笑う。
「私を見くびったわね。」
「対抗すな!」
宿場町の夕暮れ。
旅人達の笑い声の中。
ダグラスは空を見上げて思った。
(クリアフォルに着く頃には、こいつら本当に旅芸人として有名になっているかもしれん……)
その夜、宿場町の酒場や食堂は旅人達で賑わっていた。
ダグラス達も夕食を済ませ、宿の一階でのんびりしていた。
「明日も朝早い。」
ダグラスが湯飲みを置く。
「せやな。」
ビルムも頷く。
「牛。」
ミリアが言った。
「なんで今言うた。」
「寝る前の挨拶。」
「そんな文化ない。」
その時だった。
バンッ!
宿の扉が勢いよく開いた。
飛び込んできたのは血相を変えた男だった。
「た、大変だ!」
一気に店内が静まる。
「どうした!?」
宿の主人が立ち上がる。
男は息を切らしながら叫んだ。
「町の外だ!街道の近くに牙狼が出た!」
ざわっ、と空気が変わった。
「牙狼だと?」
「またか……。」
「最近増えてるって話だったが……。」
旅人達の顔が曇る。
牙狼、大型の狼型魔物である。
普通の狼より一回り以上大きく、群れで行動する厄介な魔物だった。
初心者では危険。護衛経験の浅い冒険者なら命を落とすこともある。
宿の主人が慌てる。
「門を閉めろ!」
「見張りを増やせ!」
その時。
ダグラスが立ち上がった。
「場所は。」
男が振り返る。
「東の街道だ!」
「分かった。」
ビルムも席を立つ。
「ほな行くか。」
ミリアも続いた。
「夜のお散歩ね。」
「散歩ちゃう。」
三人はそのまま外へ出た。
残された旅人達は顔を見合わせる。
「大丈夫なのか?」
「三人だけで?」
「無茶だろ。」
誰もがそう思った。
だが彼らは知らない。
この三人がどれほど規格外なのかを。
東の街道。
月明かりが地面を照らしている。
遠くから唸り声が聞こえた。
グルルルルル……
十数頭。牙狼の群れだった。
赤い目を光らせながら街道を塞いでいる。
「おるな。」
ビルムが剣を抜く。
「いるわね。」
ミリアも杖を構える。
ダグラスは静かに巨大な鎌を取り出した。
月光を受けて黒刃が輝く。
その瞬間。
牙狼達が一斉に飛び掛かった。
「グアアアアア!」
先頭の一頭。
その首を。
ザンッ!
ダグラスの鎌が一振りで斬り飛ばした。
巨体が地面に転がる。
さらに。
二頭。
三頭。
四頭。
黒い影のような速度で鎌が閃く。
気付けば牙狼が次々と倒れていた。
「はっ!」
ビルムも前へ出る。
剣が青い軌跡を描く。
ズバッ!
飛び掛かった牙狼が真っ二つになる。
もう一頭。
さらにもう一頭。
まるで薪を割るような勢いだった。
「おらぁ!」
斬る。
斬る。
斬る。
牙狼達が近づく前に倒れていく。
そして最後尾では、ミリアがのんびりと杖を向けた。
「燃えなさい。」
小さな火球が生まれる。
次の瞬間。
ドゴォォォン!!
巨大な爆炎で牙狼の群れの中央が吹き飛んだ。
「……。」
「……。」
残った牙狼達が固まる。
ミリアは首を傾げた。
「まだほしい?」
牙狼達は本能で悟った。
勝てない。
完全に相手を間違えた。
そして全力で逃げた。
「逃げたわ。」
ミリアが言う。
「賢明やな。」
ビルムが頷く。
ダグラスは鎌をしまった。
「終わりだ。」
戦闘時間は五分も掛かっていなかった。
少し後。
様子を見に来た宿場町の人々と護衛達は呆然としていた。
街道には牙狼の死体が転がっている。
しかも、ほぼ一方的。
「え……?」
「終わったのか?」
「もう?」
誰かが震える声を出した。
ビルムが剣を肩に担ぐ。
「終わったで。」
「終わったわ。」
ミリアも頷く。
町の人々は三人を見る。
そしてようやく理解した。
昼間、漫才みたいな会話をしていた変な三人組。
旅芸人みたいに見えていた三人組。
だが実際は、とんでもない実力者だった。
「あんた達……強かったんだな……。」
旅人の一人が呟く。
ダグラスは首を傾げる。
「普通だ。」
「普通ちゃう。」
ビルムが即座に突っ込んだ。
「そう?」
ミリアも不思議そうな顔をする。
「普通よね。」
「お前も普通ちゃう。」
町の人々は苦笑した。
強い。間違いなく強い。
だがそれ以上に。
この三人は妙に面白かった。
「助かった!」
「ありがとう!」
「おかげで安心して眠れる!」
感謝の声が飛ぶ。
ミリアが胸を張る。
「困った時は任せなさい。」
「おお。」
「牛の加護があるから。」
「ないないないない!」
ビルムのツッコミが夜空に響いた。
緊張から解放された人々の間に笑い声が広がる。
その様子を見ながらダグラスは小さく息を吐いた。
どうやら明日からは、ただの変な旅人三人組ではなく。
腕の立つ実力者三人組として見られることになりそうだった。
翌朝。
宿場町は朝日と共に目を覚ましていた。
パンを焼く香り。
荷馬車の車輪の音。
旅人達の話し声。
昨夜の牙狼騒ぎが嘘のような平和な朝だった。
ダグラス達も早朝から出発の準備を済ませていた。
「荷物よし。」
ダグラスが確認する。
「武器よし。」
ビルムも頷く。
「牛よし。」
ミリアが言った。
「何を確認しとるんや。」
「心の牛。」
「確認できるんかそれ。」
「いつでも確認できるわ。」
「便利そうで全然便利ちゃうな。」
そんなやり取りをしていると、宿の主人が近付いてきた。
「本当に助かったよ。」
主人は深々と頭を下げた。
「昨夜の牙狼、あのまま放っておいたら被害が出てた。」
「気にするな。」
ダグラスは短く答える。
「せやせや。」
ビルムも笑う。
「牛の導きよ。」
「違う。」
即座に否定した。
宿の主人は苦笑しながら銀貨の入った小袋を差し出した。
「これは町のみんなからだ。」
「いらん。」
ダグラスが即答する。
「え?」
主人が固まる。
「困ってたから倒しただけだ。」
「でも……。」
「受け取ったら依頼になる。」
ダグラスは肩をすくめた。
「昨日は散歩だ。」
「散歩ちゃうかったやろ。」
ビルムが突っ込む。
結局、三人は謝礼を受け取らず、そのまま馬車乗り場へ向かった。
すると。
「おーい!」
「こっちだ!」
昨夜の旅人達が集まっていた。
「気を付けてな!」
「またどこかで会おう!」
「牛のお姉ちゃんも元気でな!」
ミリアが嬉しそうに手を振る。
「ええ。」
「牛の人として認識されとる。」
「人気者ね。」
「方向性がおかしい。」
ビルムが頭を抱えた。
やがて大型馬車が準備を終える。
御者が声を張り上げた。
「クリアフォル行き、出発するぞ!」
旅人達が次々と乗り込む。
ダグラス達も荷台へ上がった。
昨夜の戦いを見た乗客達は自然と席を空ける。
「あ、どうぞ。」
「ここ広いですよ。」
「助かる。」
ダグラスが座る。
以前とは違う。
昨日までは少し警戒されていた変な三人組。
今は頼れる実力者として見られていた。
もっとも。
「なあミリア。」
「なに?」
「牛ってなんやねん。」
「牛は牛よ。」
「説明になっとらん。」
「深い意味があるわ。」
「絶対ない。」
その会話を聞いていた乗客達から笑いが起きた。
評価は上がったが、変な人達という印象は変わらないらしい。
馬車がゆっくりと動き出す。
ガタゴトと揺れながら宿場町を離れていく。
窓の外では町の人々が手を振っていた。
ダグラス達も軽く手を振り返す。
そして半日ほど進んだ頃。
周囲の景色が少しずつ変わり始めた。
緑豊かな平原は減り風が冷たくなる。
遠くの地平線には白く霞む山脈が見えていた。
乗客の一人が呟く。
「あれが北方氷雪山脈だ。」
「もう見えるんか。」
ビルムが身を乗り出す。
確かに。
遥か遠くだが、巨大な白い山々が空へ突き刺さるように連なっていた。
そしてその向こうには魔族領最大の氷雪都市、クリアフォルが存在する。
「おおー。」
ミリアも目を輝かせる。
「白いわね。」
「雪やからな。」
「巨大なかき氷に見える。」
「見えへん。」
「牛乳をかけたい。」
「食う前提やめろ。」
ダグラスは山脈を眺めながら目を細めた。
目的地は確実に近付いている。
だが同時に空気が変わってきていた。
北へ行くほど冷たく鋭く。そしてどこか張り詰めている。
まだ旅は順調。
しかし、クリアフォルへ続く街道はこれから本格的な北方地帯へ入っていくのだった。
馬車はその後も順調に北へ進んだ。
一時間。
二時間。
進むほどに風は冷たくなっていく。
「寒っ。」
ビルムが肩をすくめた。
「まだ本番ちゃうんやろ?」
御者が苦笑する。
「ああ。これは前菜だな。」
「前菜でこれなん。」
「クリアフォル近くはもっと冷えるぞ。」
「嫌な情報ありがとう。」
旅人達からも苦笑が漏れた。
そして昼過ぎ。
街道沿いに建てられた大きな休憩施設へ馬車が到着する。
北方へ向かう旅人のための施設らしく、建物は石造りで頑丈だった。
中には暖炉まである。
御者が声を張り上げる。
「ここで一時間休憩だ! 北へ行く者は防寒装備に着替えておけよ!」
旅人達がぞろぞろと降りていく。
ダグラスも立ち上がった。
「着替えるか。」
「せやな。」
「私も冬毛になるわ。」
「ラミアやろお前。」
三人は荷物を持って施設へ向かった。
しばらくして、まず現れたのはダグラスだった。
黒い厚手のコート。
首元には灰色の毛皮。
相変わらず死神みたいな格好だが、防寒性能は高そうである。
旅人達は頷く。
「似合うな。」
「強そう。」
「いつも通りだな。」
次に現れたのはビルム。
厚手の革製防寒着。
ドラゴニュート用に尻尾部分が加工されている。
「おお。」
「ちゃんとしてる。」
「普通に冒険者って感じだ。」
ビルムは胸を張った。
「これが大人の装備や。」
「誰に言ってるんだ。」
ダグラスが呆れる。
そして最後にミリアが出てきた。
その瞬間、休憩施設が静まり返った。
「……。」
「……。」
「……。」
ミリアの格好は。
白い毛皮付きコート、ふわふわのマフラー、耳当て付きの丸い帽子、さらに袖口や裾には雪の結晶を模した刺繍。
そして何より。全体的に異様に可愛かった。
まるで雪国のお嬢様である。
数秒の沈黙の後、
ざわっ。
休憩施設中がざわついた。
「えっ。」
「可愛くない?」
「めちゃくちゃ可愛くない?」
「なんだあれ。」
「反則だろ。」
「雪の妖精みたい。」
旅人達がひそひそ話し始める。
ビルムが目を丸くした。
「なんやその装備!?」
ミリアはくるりと回る。
ふわりとコートが広がった。
「可愛いでしょ。」
「可愛さ全振りやないか!」
「防寒性能も高いわ。」
「そういう問題ちゃうねん!」
周囲から賛同の声が上がる。
「確かに。」
「問題そこじゃない。」
「なんでそんな可愛いんだ。」
ミリアは得意げだった。
「店員さんが勧めてくれたの。」
「絶対売りたかっただけやろ。」
「似合うから買ったわ。」
「似合っとるのが腹立つ。」
ダグラスも思わず黙っていた。
ミリアが近付いてくる。
「どう?」
「……暖かそうだな。」
「それだけ?」
「十分だ。」
「照れてる。」
「照れてない。」
旅人達から笑い声が上がる。
その時、近くにいた子供が母親の袖を引っ張った。
「あのお姉ちゃん可愛い。」
「そうねぇ。」
「雪うさぎみたい。」
ミリアはぱっと顔を輝かせた。
「聞いた?」
「聞いたで。」
「雪うさぎですって。」
「良かったな。」
「今日から雪うさぎのミリアよ。」
「牛はどこ行ったんや。」
「牛うさぎ。」
「混ぜるな危険。」
再び大爆笑。
しかし騒ぎはそれだけでは終わらなかった。
出発時間になり馬車へ戻ると。
乗客達の視線が妙にミリアへ集まる。
「可愛いな。」
「ほんとにな。」
「さっきから見てしまう。」
「分かる。」
ミリアは満更でもない顔だった。
「人気者ね。」
「方向性がおかしい。」
ビルムが頭を抱える。
ダグラスは窓の外を見る。
その向こうでは白い山脈がさらに大きくなっていた。
冷たい風が吹く。
雪の匂いが混じり始めている。
クリアフォルまではもう遠くない。
だが馬車の中では。
「ダグラス。」
「なんだ。」
「私、雪うさぎになったわ。」
「そうか。」
「牛を卒業したわ。」
「さっきまで牛だった。」
「進化よ。」
「退化してる気がする。」
馬車の中にまた笑い声が広がった。
北方の寒さは厳しくなっていく。
それでも三人の旅路は、相変わらず賑やかだった。




