167.世界、招待状を受け取る
人間領王都フィルドリア、レイルド王は厨房で卵を並べて考えていた。
(屋台に出すもの、卵焼きはいい。串に刺せる。だが目玉焼きはどうだ?卵焼き串のように手軽に楽しめる方法は?)
エプロン姿の王は試行錯誤を繰り返したが、まだ答えに辿り着かない。
「……目玉焼きを串に刺すわけにもいかぬしな」
焼いた目玉焼きを皿に乗せ、レイルド王は腕を組む。
「しかし、運動会だ。立ったまま食べられることが重要だ」
卵焼きならば、細長く切って串に刺せばいい。
だが、目玉焼きはどうしても平たい。
「……待てよ」
レイルド王の目が輝いた。
「平たいならば、挟めばいいのではないか?」
王はすぐさまパンを取り出した。
焼いた目玉焼きをパンに乗せ、その上からもう一枚パンを重ねる。
「これならば……!」
手で持って食べられる。
レイルド王は一口かじった。
「うむ!」
思わず頷く。
「これはいける!」
しかし、そこで王は再び考え込んだ。
「だが、ただの目玉焼きパンでは面白みに欠けるな……」
卵焼き、目玉焼き、ゆで卵。
フィルドリアの朝食文化を広めるのであれば、できるだけ多くの人に「朝に卵を食べる」という習慣そのものを知ってもらいたい。
「ならば、種類を増やすか」
レイルド王は紙を取り出し、次々と書き始めた。
『卵焼き串』
『目玉焼きサンド』
『ゆで卵』
『卵かけご飯』
「……いや、卵かけご飯は屋台では少々難しいか」
衛生面を考えて一度保留にする。
それでも、次から次へとアイデアが浮かんでくる。
「卵焼きにチーズを入れるのもいい。野菜を入れてもいい。肉を入れれば食べ応えも出る」
王の表情は、いつしか一国の王とは思えないほど楽しそうになっていた。
その時、厨房に足音が響いた。
「お父様、運動会の招待状が届きました。」
ミル姫だった。
ミルから招待状を受け取ったレイルドは封を開けて中を読んだ。
「おお、ついに始まるのだな。卵祭りの祭典が!」
厨房にレイルドの声が響き渡った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
氷雪都市クリアフォル、女王フロスティアは優雅に座っている。
その瞳は冷たい、見るものを凍らせるほどに。
(最近うさぎドラゴン不足。早く見たい。いつ?いつなの?いつ始まるの?)
だが、心の中は全然冷たくなかった。
その時、元水の妖精の大臣のシャーレが一通の封書を持って来て差し出した。
「女王様。魔王バラムからの招待状です。」
フロスティアは無表情でそれを受け取ると封を開けて中を読んだ。
(来た!やっと来た!待ち焦がれてたわ!いよいよなのね!ついに始まるのね!お笑いの祭典!)
「開催は間もなく。シャーレ、国の皆に通達を。」
シャーレはフロスティアの口元が少しだけ動いたのを見逃さなかった。口元をじっと見つめていた。
「……女王様。」
「何かしら?」
「今、少し笑いましたよね?」
「笑っていないわ。」
即答だった。
「ですが、口元が……」
「気のせいよ。」
「そうですか。」
シャーレはそれ以上追及しなかった。
ただし、長年フロスティアに仕えてきた彼女には分かっていた。
女王様は今、ものすごく楽しみにしている。
フロスティアは再び招待状へ視線を落とす。
(うさぎドラゴン……また会える。きっと今回も面白い姿を見せてくれるはず)
そして、その隣に記された文字を見て、さらに期待が膨らんだ。
(競技に、実況に、出店……! きっと今回も面白いことが起こるわ)
フロスティアは静かに立ち上がる。
「シャーレ。」
「はい。」
「今回の運動会は、国を挙げて参加します。」
「承知しました。」
「そして。」
フロスティアは一瞬だけ目を輝かせた。
「これは間違いなく、お笑いの祭典になるわ。」
「……女王様。」
シャーレが冷静な声を返す。
「運動会です。」
「ええ。」
「お笑いの祭典ではありません。」
「でも、魔王城にはビルムがいるのでしょう?」
「……まあ、確かに。」
シャーレは少し考えた。
「ですが、あくまで運動会です。」
「それにミリアもいるわ。」
「……」
シャーレが黙った。
「さらにマイトが実況をするのでしょう?」
「……」
「そしてバラム様まで実況に参加すると聞いているわ。」
「……否定できませんね。」
シャーレは小さくため息をついた。
「しかし、それでも運動会です。」
「そうね。」
フロスティアは素直に頷いた。
「運動会ね。」
そして、数秒後。
「お笑い要素の多い運動会。」
「そこを付け足す必要はありません。」
シャーレの冷静な突っ込みが、静かな謁見室に響いた。
フロスティアはそんなシャーレを見つめた後、表情を変えずに言った。
「楽しみね。」
「……はい。」
シャーレも苦笑する。
「それだけは、私も同じです。」
こうして氷雪都市クリアフォルでも、運動会への期待が静かに膨らんでいった。
ただしフロスティアだけは、競技よりも別のものを心待ちにしていた。
(早く会いたい……うさぎドラゴン)
その瞳は、誰にも気づかれないほどわずかに輝いていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
司法国家サイヴァーン、国王リターシャもまた招待状を受け取っていた。
「なるほど、もうすぐ始まるのですね。騎士団長。運動会参加予定の囚人及び、騎士達に準備を進めるようお願いします。」
騎士団長は胸に手を当て一礼する。
「承知しました。」
リターシャは招待状に目を通すと、傍らの予定表を開いた。
「運動会の期間中は、ここからここまでの裁判を延期しましょう」
騎士団長が驚いたように目を見開く。
「延期ですか?」
「いずれも急を要する案件ではありません。関係者全員に新しい日程を通知し、警備も強化してください」
「承知しました」
騎士団長が一礼して退室すると、リターシャは再び招待状へ視線を落とした。
「魔王様の運動会が、司法国家の予定まで動かすとは……」
そう呟いた彼女の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「私も、少し楽しみになってきましたね」
その日の夕方、いつもの酒場にいつものオフのリターシャがいた。
長い栗色の髪をまとめ、簡素なシャツに動きやすいズボンというラフな格好。昼間、司法国家の女王として法廷に立つ姿とはまるで違う。
どこにでもいそうな、近所のお姉さん。
「マスター! いつものお願い!」
「はいはい。今日はずいぶん機嫌がいいね。」
「そりゃそうでしょ。運動会だよ、運動会!」
リターシャはカウンター席に腰を下ろし、子どものように笑った。
隣では、鎧を脱いだ騎士団長が静かに酒を飲んでいる。
「騎士団長も飲む?」
「いただきます。」
「じゃあ、こっちにも同じのお願い!」
マスターがグラスを用意する間、騎士団長はリターシャを見た。
普段は誰よりも厳格な女王が、今は酒と運動会の話に目を輝かせる、ただの酒場の常連客だった。
「……陛下は本当に楽しそうですね。」
「そりゃ楽しみだって。魔王城の運動会なんて、そうそう見られないし。」
「私は準備の方が大変ですが。」
「まあまあ。たまには仕事を忘れて楽しもうよ。」
「陛下がそれを言いますか。」
「今日はオフだもん。」
リターシャは酒を一口飲むと、マスターへ身を乗り出した。
「ねえマスター、運動会の話聞いた?」
「ああ。魔族だけじゃなく、人間領や各国からも参加者が来るんだろ?」
「そうそう! うちからも囚人を何人か出すんだけど、妙に張り切っちゃってさ。」
「そりゃいいじゃないか。」
「普段は『刑期を短くしてくれ』とか『飯を増やしてくれ』とか言ってる連中が、『勝つために鍛える!』だよ?」
「ははは!」
マスターが豪快に笑う。
「運動会ってのは、人を変えるねえ。」
「でしょ?」
「しかし、魔王様も面白いことを考えたもんだ。」
「うん。各国が参加するようになるとはね。国同士の交流としても、悪くない催しだと思うよ。」
女王らしい落ち着いた言葉だったが、次の瞬間にはまた身を乗り出した。
「……まあ、私は屋台の方も楽しみだけど!」
「王都フィルドリアからも大勢来るらしいぞ。」
「そうそう。レイルド王が卵料理の屋台を出すんだって。」
「卵料理?」
「卵焼きを串に刺したり、目玉焼きをパンに挟んだりするらしいよ。」
「そりゃ食べてみたいな。」
「私も!」
リターシャの目が輝く。
「運動会で食べ歩きするの、絶対楽しいよね!」
騎士団長が静かに口を挟んだ。
「陛下。運動会は視察が目的では?」
リターシャは背筋を伸ばし、厳粛な表情で答える。
「もちろん視察だよ。各国の参加状況を確認し、交流の様子を見届ける。女王として当然の務めだよ。」
「左様ですか。」
「そのついでに食べるの。」
「ついで、ですか。」
「ついでついで。」
威厳を保っていたのは、ほんの数秒だった。
「それに、競技も楽しそうじゃん。徒競走とか綱引きとか、普段なら見られない組み合わせになるんでしょ?」
「確かに、人間と魔族が一緒に競技をする機会などありませんからな。」
「だから楽しみなんだよ。」
リターシャは少しだけ真面目な表情になった。
「こういうのって、裁判所じゃ絶対にできないんだよね。立場や身分、罪を犯したかどうかも関係なく、一緒に笑ったり競ったりできる場所って、案外少ないからさ。」
「……」
「だから、魔王様には感謝してるよ。」
そう言って、リターシャは再び笑った。
「まあ、私は普通に楽しむけどね!」
「結局そこですか。」
「だってオフなんだから!」
騎士団長は諦めたように酒を口に運んだ。
「しかし、運動会か……」
「うん。うちの酒場でも、当日はその話題で持ちきりになりそうだね。」
「絶対そうなるよ。だって、魔王様の運動会だよ?」
「そりゃ話題になるわな。」
「競技も楽しみだし、屋台も楽しみ。他の国の人と話すのも楽しみ。あと……」
「あと?」
リターシャは声を潜めた。
「魔王城で何が起きるか分からないのも楽しみ!」
「……それは確かに。」
魔王バラム、勇者マイト、実況担当、各国の参加者、そして魔族領の個性豊かな面々。
何かが起こらない方がおかしい。
「……無事に終わるといいのですが。」
「大丈夫だって! 運動会なんだから!」
「その言葉を聞くと、逆に不安になるのですが。」
「細かいことは気にしない!」
「陛下ですからな。」
「何それ!」
酒場に二人の笑い声が響く。
やがてリターシャはグラスを置き、背筋を伸ばした。
「……当日は、皆が無事に楽しめるようにしようね。」
穏やかな声だったが、その言葉には確かな重みがあった。
「承知しております、陛下。」
騎士団長は姿勢を正した。
リターシャは満足そうに頷くと、再び肩の力を抜く。
「よし。じゃあ当日は、卵料理を食べに行こう!」
「陛下……」
「視察だよ、視察!」
「はいはい。」
こうして司法国家サイヴァーンでも、女王リターシャは一人の客として運動会を心待ちにしていた。
その一方で、騎士団長は早くも悟っていた。
今回も、きっと何か起こる。
だが、それもまた少しだけ楽しみになっている自分には、まだ気づかないふりをしていた。




