165.農家、畑を見つける
翌日、魔王城の執務室では朝からガエンが机に向かっていた。
机の上には大量の羊皮紙と封筒が積み上げられている。
その横ではダグラスとマイトが封筒の仕分けを手伝っていた。
「こっちは人間領。こっちは魔族領だな。」
ダグラスが封筒を確認しながら分けていく。
「国ごとに宛先を間違えるなよ。今回は運動会の日程を正式に知らせるんだからな。」
ガエンは一枚の招待状を手に取った。
「開催日は二ヶ月後。そして参加者の受け入れは、その一週間前から開始する。」
「つまり、開催日の一週間前には各国から選手や関係者が来るってことだね。」
マイトが確認する。
「ああ。宿泊場所や食事の準備もあるからな。早めに人数を把握しておきたい。」
ガエンは招待状に目を通す。
そこには開催日時、会場、参加者の受け入れ開始日、そして各国への正式な招待の言葉が記されていた。
「よし。これでいい。」
ガエンが頷く。
「じゃあ、各国に送るぞ。」
「ああ。」
ダグラスが封筒を持ち上げる。
「いよいよだね。」
マイトも笑う。
「ああ。世界中の人達が魔王城に集まるんだ。」
ガエンは大量の招待状を見渡した。
スポンサー集めから始まった計画は、とうとう開催準備の段階へと入った。
ガエンは一枚ずつ封を確認すると、最後の一枚を机に置いた。
「……これで、正式に始まるな。」
三人は顔を見合わせる。
そしてガエンは、各国へ向けた招待状を次々と送り出していった。
招待状をすべて送り終えると、ガエン達は執務室を後にした。
「さて……次は何をするか。」
ガエンは廊下を歩きながら呟いた。
「まだ時間はあるんだし、城の中をもう少し見て回ってみるか?」
ダグラスが頷く。
「そうだな。運動会の準備をするにも、城の構造を把握しておいた方がいい。」
「俺も行く!」
マイトも嬉しそうについてくる。
三人はそのまま城内を歩き始めた。
廊下を進み、客室や食堂、倉庫などを確認していく。
昨日までの改修によって、城は以前とは比べ物にならないほど整えられていた。
「本当に変わったな……。」
ガエンは感心しながら周囲を見渡す。
「昔はもっとこう……殺風景だった気がするんだけどな。」
「魔王城だからな。」
ダグラスが苦笑する。
「普通は殺風景なくらいが正しいんじゃないか?」
「いや、住んでる奴らがいるんだから、快適な方がいいだろ。」
「まあ、それはそうだ。」
そんな話をしながら、三人は城の奥へと進んでいく。
しばらく歩いていると、ガエンがふと足を止めた。
「……ん?」
「どうした?」
ダグラスが振り返る。
ガエンは廊下の先にある窓へ近づいた。
その向こうには、城の敷地内に広がる小さな畑が見える。
「……畑?」
ガエンは目を丸くした。
三人で窓の外を眺める。
そこには整然と区画された畑があり、土はきれいに耕されていた。
「こんなところに畑なんてあったんだ。」
マイトが驚く。
ガエンは窓から見える畑をじっと見つめていた。
そして、何かに気づいたように目を見開く。
「……待て。」
「どうした?」
「この場所……。」
ガエンは急いで廊下を戻ると、畑へ続く扉を見つけた。
扉を開け、外へ出る。
土の匂いが鼻をくすぐった。
ガエンは畑の中へ歩いていく。
そして、中央付近で立ち止まった。
「……やっぱりそうだ。」
「何が?」
マイトが首を傾げる。
ガエンはしゃがみ込み、土を手に取った。
「ここ、俺が昔趣味でやってた畑と同じ場所だ。」
「ほう。」
ダグラスが驚く。
「同じ場所……?」
「この城の敷地内で、俺が暇な時に勝手に畑を作ってたんだよ。」
ガエンは土を指でほぐしながら、懐かしそうに笑った。
「野菜を植えたり、薬草を育てたりしてた。」
「そういえば、そんなことしてたな。」
ダグラスも思い出したように笑う。
「収穫した野菜を食堂に持っていって、料理してもらってたな。」
「ああ。」
ガエンは頷いた。
「……まだ残ってたんだな。」
その顔には、明らかな喜びが浮かんでいた。
壊れかけていた頃の魔王城。
そこに自分が作った小さな畑。
そして今、その場所には再び作物が植えられ、土が大切に手入れされている。
ガエンは畑を見渡した。
「なんか……嬉しいな。」
「ガエン、職業農家だもんね」
マイトが笑う。
「まあな。」
ガエンは立ち上がる。
「俺にとっては、ここもこの城の大事な場所なんだよ。」
ダグラスが畑を見渡す。
「なら、また何か植えてみるか?」
「……それ、いいな。」
ガエンの目が輝いた。
「運動会の準備で忙しくなるけど、空いた時間に少しずつやるか。」
「ガエンなら本気で農業始めそうだね。」
「趣味だからいいんだよ。」
そう言いながらも、ガエンはすでに畑の区画を眺め、どこに何を植えるか考え始めていた。
マイトとダグラスは顔を見合わせる。
「……もう始まってるな。」
「始まってるね。」
二人の言葉など耳に入らない様子で、ガエンは畑を見つめていた。
世界中から人々が集まる大運動会。
その舞台となる魔王城。
そして、その片隅には。
ガエンが昔から大切にしてきた、小さな畑がある。
ガエンは土を一握り掴み、嬉しそうに笑った。
「……また、ここで育てるか。」
その声は、どこか少年のように弾んでいた。
ガエンが畑を一通り見終えると、三人は再び城の中へ戻った。
「さて……次はどこを見る?」
マイトが廊下を見渡す。
「城の上階はだいたい見たな。」
ダグラスが顎に手を当てる。
「なら、地下はどうだ?」
「地下?」
マイトの目が輝く。
「魔王城の地下って、なんか凄そう!」
「まあ、普通に考えれば貯蔵庫とか武器庫くらいはあるだろ。」
ガエンがそう言って、地下へ続く階段を探し始める。
しばらく歩くと、城の奥に地下へ降りる階段を見つけた。
「ここか。」
ガエンが扉を開ける。
ギィィ……。
三人は階段を下りていった。
地下へ進むにつれて、城の空気が少しひんやりとしてくる。
最初に辿り着いたのは、大きな貯蔵庫だった。
中には大量の食料や酒、保存食などが整然と並べられている。
「うわ……。」
マイトが目を丸くする。
「こんなにあるの?」
「運動会で大量の人間が来るからな。食料は多いに越したことはない。」
ガエンが棚を確認する。
「保存状態も問題なし。これなら参加者が増えてもある程度は対応できそうだ。」
「さすが経理担当。」
ダグラスが感心する。
「こういうところを見ると、ガエンが何を考えてるのかよく分かるな。」
「金と食料は大事だからな。」
ガエンは真顔で答えた。
「世界征服するにしても、まず腹が減ってたら何もできない。」
「世界征服の基準が食生活なのか……。」
ダグラスが呆れる。
その後、三人はさらに地下を進んだ。
次に見えてきたのは、頑丈な鉄扉だった。
扉を開けると。
「おお……!」
マイトが思わず声を上げる。
そこは武器庫だった。
壁一面に剣、槍、斧、弓などが並び、棚には盾や鎧、兜などの防具まで整然と収められている。
しかも、その一つ一つが非常に丁寧に整備されていた。
「これは凄いな。」
ガエンが一本の剣を手に取る。
刃は美しく磨かれており、柄にも細かな装飾が施されている。
「ドワーフ達が整備したんだろうな。」
ダグラスが周囲を見渡す。
「あの職人達なら、このくらいはやりそうだ。」
「これ、使っていいのかな?」
マイトが鎧を眺めながら尋ねる。
「勝手に持っていくなよ。」
ガエンが即座に釘を刺す。
「分かってるって!」
マイトは慌てて手を引っ込めた。
「……でも、ちょっと着てみたい。」
「だから勝手に触るな。」
「はーい。」
三人は武器庫を一通り確認すると、さらに奥へ進んだ。
そして最後に辿り着いたのは。
「宝物庫……か。」
ガエンが扉の前に立つ。
分厚い扉には、古びた紋章が刻まれている。
「なんか凄そうだな。」
マイトが期待に満ちた顔をする。
ガエンが扉を開ける。
ギィィ……。
しかし。
「…………。」
三人は中を見て、黙り込んだ。
そこには、広い空間が広がっていた。
だが。
「……何もないな。」
ダグラスが呟く。
床にはいくつか古びた木箱が置かれているだけ。
壁際には空になった棚。
中央には何もない台座。
宝石も、金貨も、伝説の武具もない。
まるで、昔は大量の財宝があったものの、すべて持ち出された後のようだった。
「魔王城の宝物庫っていうから、もっとこう……」
マイトが両手を広げる。
「金銀財宝がドバーッ! ってあると思ってた。」
「残念だったな。」
ガエンが苦笑する。
「今の魔王城に、そんな余裕があると思うか?」
「……ないね。」
マイトは素直に頷いた。
ダグラスは部屋の中を見渡す。
「それにしても、本当に何もないな。」
「昔はあったのかもしれないな。」
ガエンも棚を確認する。
「戦争やら何やらで使ったのか、それとも誰かが持ち出したのか……。」
その時だった。
マイトが部屋の奥へ視線を向ける。
「…………。」
ほんの一瞬。
マイトの表情が変わった。
「どうした?」
ダグラスが尋ねる。
「……いや。」
マイトはすぐに笑顔に戻った。
「何でもないよ。」
「そうか?」
「うん。」
マイトはそれ以上何も言わなかった。
ただ、もう一度だけ部屋の奥を見る。
そこには何もないように見えた。
空になった棚。
古びた壁。
そして、埃の積もった床。
だがマイトには、何かが見えていた。
それが何なのか。
なぜ気づいたのか。
マイトは誰にも言わなかった。
「そろそろ戻ろうか。」
マイトが何事もなかったように言う。
「そうだな。」
ガエンも頷く。
三人は宝物庫を後にした。
扉がゆっくりと閉じる。
ガチャン。
誰もいなくなった地下。
静まり返った宝物庫の中で、古びた空気だけが漂っていた。
そしてマイトは、何かを胸の奥にしまったまま、二人の後を追って階段を上っていった。




