152.オーガ、知る
カーツはガエン達の前まで歩くと、深く頭を下げた。
「ガエン殿、ダグラス殿、ラーシャ殿……そして皆様。本当に申し訳ありませんでした。」
その頭は、床につくほど深かった。
「私は偏見に囚われ、多くの人を傷つけました。皆様を罪人として扱い、この国の民にも誤った教えを説いてきた……。」
ガエンは静かに首を振る。
「謝る相手は俺達だけじゃない。」
「……はい。」
カーツは顔を上げ、真っ直ぐ頷いた。
「私はこの国の民へ真実を伝えます。魔族への憎しみを煽ってきたのは私達だったと……そして皆様が、この国を救ってくださった英雄だということを。」
ダグラスが静かに言う。
「簡単な道ではないぞ。」
「分かっています。」
カーツの瞳には迷いがなかった。
「それでも逃げません。今度こそ、自分の信じるべき正義を貫きます。」
ガエンはようやく小さく笑う。
「なら行ってこい。」
「はい。」
カーツはもう一度深く頭を下げると、瓦礫を踏み越え、大聖堂の外へ駆け出していった。
街中に残る魔族への誤解を解くために。
自らが広めてしまった憎しみを、自らの言葉で終わらせるために。
その背中を、誰も止めなかった。
そして。
大広間に残されたマイトは、ゆっくりとエルダーツへ向き直る。
血に濡れた祭壇。
崩れた柱。
その中心で、白い法衣の男だけが荒い息を繰り返していた。
マイトは首を傾げる。
「いやぁ、驚いた。」
のんびりとした声だった。
「エルダーツさん、ヴァンパイアだったのかぁ。」
その一言に、エルダーツの顔が歪む。
「黙れ……。」
マイトは相変わらず気の抜けた笑みを浮かべたまま、エルダーツの正面まで歩いていく。
「いやぁ、教会の偉い人がまさか吸血鬼なんてね。ひい婆ちゃんが聞いたらびっくりするだろうなぁ。」
「黙れと言っているッ!」
エルダーツの理性が完全に切れた。
「勇者ぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
両手を突き出す。
「《ブラッドランス》!!」
無数の血の槍が空中に現れ、一斉にマイトへ降り注ぐ。
轟音。
血の槍は一直線に勇者を飲み込んだ。
だが。
ガガガガガガガンッ!!
金属同士がぶつかるような音だけが響く。
血の槍は一本残らず砕け散り、赤い粒子となって消えていく。
その中心にいたマイトは。
「おっと。」
服についた埃を軽く払っていた。
「危ない危ない。」
かすり傷一つない。
エルダーツの瞳が大きく見開かれる。
「な……なぜだ……!」
再び魔法陣を展開する。
「《ブラッドバースト》!」
真紅の爆発がマイトを包み込む。
爆炎が大広間を揺らし、衝撃で瓦礫が吹き飛ぶ。
煙が晴れる。
だがそこには。
「うーん。」
顎に手を当て、何か考え込むマイトの姿があった。
「やっぱりヴァンパイアの魔法って派手だね。」
「ば……馬鹿な……。」
エルダーツの声は震えていた。
「あれほどの魔法を……無傷……だと……?」
マイトは困ったように笑う。
「効かないんだよね。」
「あり得ない!」
エルダーツは半狂乱になって叫ぶ。
「私の魔法は竜すら屠る! 人間など跡形もなく消し飛ぶはずだ!」
マイトは頭をぽりぽりと掻いた。
「うーん。」
そして、いつもの調子で答える。
「でも俺、勇者だから。」
その一言だけだった。
あまりにもあっけらかんとしたその返事に、エルダーツは言葉を失う。
ガエンは思わず苦笑する。
「……説明になってねぇ。」
ビルムも額に手を当てる。
「勇者いうんは、みんなあない適当なんかい……。」
ナラはけらけらと笑い、ミリアは不思議そうに首を傾げた。
「勇者は勇者。」
それだけ言うと、小さく頷く。
マイトは一歩、また一歩とエルダーツへ近づく。
「さて。」
その笑顔だけは、最後まで変わらなかった。
「そろそろ終わりにしようか、エルダーツさん。」
マイトが一歩踏み出す。
その瞬間だった。
エルダーツは突然、狂ったように笑い始めた。
「くくく……はは……あはははははははッ!!」
肩を震わせ、口元から血を流しながらも笑い続ける。
「終わり? 終わりですって?」
その目は完全に正気を失っていた。
「なら最後に、面白い話をして差し上げましょう。」
ゆっくりと、その視線がガエンへ向く。
「オーガよ。」
ガエンは無言で見返した。
「貴様は、自分の親が何者だったか知っていますか?」
ダグラスが静かに鎌を握り直した。
エルダーツは嬉しそうに口角を吊り上げる。
「貴様の父と母は……私と同じ、先代魔王直属の幹部でした。」
その場の空気が凍りつく。
「先代魔王が姿をくらましたあの日、あの愚かな二人は言ったのです。」
エルダーツは当時を思い出すように目を閉じる。
「『争いの時代は終わった。これからは静かに暮らしたい』と。魔族と人間が争わぬ未来など夢物語だというのに。」
嘲笑が漏れる。
「だから私は探しました。」
ゆっくりと笑みを深くする。
「世界中を。何年もかけて。そして、見つけました。」
エルダーツの声には、一片の罪悪感もなかった。
「そして二人とも殺しました。」
ビルムは歯を食いしばり、ナラから笑顔が消えた。
ミリアの金色の瞳が冷たく細まる。
エルダーツは楽しそうに続ける。
「ですがねぇ……母親は最後まで赤子を抱いて抵抗したのですよ。必死でした。自分は傷だらけになっても、その子だけは守ろうとしていました。」
その様子を思い返し、まるで芝居でも語るように笑う。
「逃げる母親を追い詰め、私は止めを刺しました。ですが……その腕の中にいたはずの赤子だけが、消えていた。どこへ逃がしたのか。誰が連れ去ったのか。結局、見つけることはできませんでした。」
エルダーツは舌なめずりする。
「その赤子こそ。」
細い指がガエンを指した。
「貴様です。」
静寂。
誰も声を出せなかった。
ガエンはただ黙って立っている。
エルダーツは狂気に満ちた笑みを浮かべる。
「どうです?自分の両親を殺した相手を目の前にした気分は!憎いでしょう!怒り狂うでしょう!さあ、復讐してみせなさい!それこそ魔族でしょう!」
狂ったように笑い続けるエルダーツ。
だがガエンは静かに鼻で息を吐いただけだった。
「……だからどうした?」
その一言に、エルダーツの笑いが止まる。
「何……?」
ガエンは一歩前へ出る。
その表情に怒りはなかった。
「俺は親の顔も知らねぇ。育ててくれたのは、人間の父さんと母さんだ。」
静かな声だった。
「俺が今ここにいるのは、あの二人が愛情を持って育ててくれたからだ。」
ガエンはエルダーツを真っ直ぐ見据える。
「生みの親が誰だったかは大事だ。でもな。」
拳を静かに握る。
「俺を人として育ててくれた人達の方が、俺にとっては何倍も大切なんだ。」
その瞳には、一切の揺らぎがなかった。
「お前が俺の親を殺した?許せることじゃねぇ。だが、それで俺がお前の思い通りに怒り狂うと思ったなら……」
ガエンは小さく笑った。
「見当違いもいいところだ。」
ガエンはゆっくりと拳を握り締めた。
その拳には、怒りだけではなかった。
悲しみ。
悔しさ。
そして、これまで支えてくれた人達への感謝。
全ての感情が込められていた。
「俺が許せねぇのは……」
ガエンは低い声で呟く。
「親を殺したことじゃねぇ。」
エルダーツは少し意外そうに目を細める。
「……何?」
ガエンは歩き出した。
一歩、また一歩。
傷だらけの身体を引きずりながら、ゆっくりと。
「テメェが人の命を奪ったことでもねぇ。」
拳を握る音が、大広間に響く。
「もちろん、それも許せねぇ。だがな……」
ガエンの目が鋭くなる。
「一番許せねぇのは……」
エルダーツの笑みが少しずつ消えていく。
「テメェが……」
ガエンは目の前まで迫る。
「自分のくだらねぇ楽しみのために、人の人生や命を弄んだことだ。」
「……」
「魔族と人間の争い?」
ガエンは吐き捨てるように言う。
「そんなもんじゃねぇ。」
拳を引く。
「テメェはただ、自分が面白いと思ったから人を壊しただけだ。」
エルダーツの瞳が揺れる。
「くだらねぇ理由で……」
ガエンの拳に力がこもる。
「俺の父さんと母さんの人生を奪った。」
一瞬。
大広間の空気が止まった。
「俺を拾ってくれた人達の人生も。俺の仲間達の未来も。カーツの人生も。この国の人達の心も。」
ガエンは拳を振り抜く。
「全部、テメェの遊び道具にしやがった!!」
ドォォォォンッ!!
拳がエルダーツの顔面を捉えた。
「ぐっ……!?」
エルダーツの身体が宙に浮く。
まるで砲弾のように吹き飛び、大広間の壁へ一直線に叩き込まれる。
ズガァァァァン!!
壁が大きくひび割れる。
瓦礫が崩れ落ちる中、エルダーツの身体がゆっくりと床へ滑り落ちた。
「……が……っ」
白かった法衣は赤く染まり、口元から血が流れる。
エルダーツは震える手で顔を押さえた。
「……私が……」
声が震える。
「私が……こんな……」
今まで自分を絶対的な存在だと思っていた男の顔に、初めて恐怖が浮かぶ。
ガエンは拳を下ろす。
「……何だ?」
静かな声。
「お前、今初めて殴られた奴みたいな顔してるぞ。」
エルダーツは壁にもたれながら睨みつける。
「貴様……」
血を吐きながら笑おうとする。
「この私を……ただの拳で……」
だが。
その笑みは続かなかった。
ガエンの後ろには、ダグラスが立っている。
大鎌を構えた死神。
そしてマイトは。
いつものように、のんびりした顔で立っていた。
「エルダーツさん。」
マイトが言う。
「あんた、勘違いしてるよ。」
「……何を……」
「ガエンは復讐するために戦ってるんじゃない。」
マイトは笑う。
「大切なものを守るために戦ってるんだ。」
ガエンは黙ったままエルダーツを見る。
「俺はな。」
拳を見つめる。
「親の仇だから殴ったんじゃねぇ。」
「……」
「人の大切なものを踏みにじって、それを笑っていたお前が許せなかっただけだ。」
エルダーツの顔から、完全に余裕が消える。
「……理解できない。」
小さく呟く。
「なぜだ……なぜ憎しみに染まらない……。」
ガエンは少しだけ目を細めた。
「簡単だ。俺には……」
後ろを見る。
そこには仲間達がいた。
「俺を支えてくれる奴らがいるからな。」
その言葉に、マイトは小さく笑う。
ダグラスは静かに目を閉じる。
ビルムは腕を組み、ミリアはいつもの不思議そうな顔で頷いた。
ナラは元気よく手を上げる。
「ガエンはガエンだから!」
その一言に、ガエンは少しだけ笑った。
そして。
ゆっくりとエルダーツへ向き直る。
「終わりだ、エルダーツ。お前が作った憎しみの時代は……ここで終わらせる。」




