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静寂の城〜魔王は世界征服をしたい〜  作者: 赤井六舷
人間領聖王国、ルミナリア

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150/171

150.ダークエルフ、覚醒する

エルダーツの哄笑が、大広間にいつまでも響き続ける。


「ははははははっ!! 実に美しい! これこそ絶望! これこそ混沌です!」


笑いながら腹を押さえ、涙まで浮かべている。


「その顔ですよ、ダークエルフ。」


ラーシャを見下ろし、愉悦に満ちた笑みを浮かべた。


「その無力感、その後悔……あなたの心は今、この上なく」


言葉が、止まった。


「……?」


ラーシャの周囲に、黒い靄のような魔力がゆっくりと立ち昇り始めたからだ。

最初は細い煙のようだった。

しかし次の瞬間には、それは濃密な闇となり、大気そのものを染め始める。


ゴォォォォォ……


空気が震える。

床石に細かな亀裂が走る。

砕けた瓦礫が、重力を忘れたようにゆっくりと浮かび上がった。

ラーシャは俯いたまま、震える声で呟く。


「……許さない。」


誰に聞かせるでもない。

ただ、心の奥底から漏れ出た声。


「許さない……。」


ぽつり。


「許さない……。」


また一つ。

その呟きに呼応するように、黒い魔力がさらに膨れ上がる。


ゴゴゴゴゴゴ……


大聖堂全体が悲鳴を上げるように軋み始めた。

ステンドグラスが一枚、また一枚と音を立てて砕け散る。


バキィィン!!


吹き込んだ風が、黒い魔力に飲み込まれていく。

ガエンが息を呑んだ。


「……ラーシャ?」


ダグラスの赤い瞳も大きく見開かれる。


「この魔力……。」


カーツは震えながら後ずさる。


「な、何だ……これは……。」


ラーシャはまだ顔を上げない。

ただ、涙を流しながら呟き続ける。


「許さない……。」


「許さない……。」


「絶対に……許さない……。」


その瞬間


ドォォォォォン!!


ラーシャの身体から黒い魔力が爆発するように噴き上がった。

巨大な魔力の柱が天井を貫き、夜空へ突き抜ける。

轟音と共に大聖堂全体が激しく揺れた。

その圧力だけで、エルダーツの放っていた禍々しい魔力が押し返される。


「なっ……!?」


エルダーツの笑みが凍りつく。

彼は慌てて魔力障壁を展開した。

しかし。


ビキ……。


障壁に亀裂が走る。


「馬鹿な……!」


額から汗が流れ落ちた。


「私の魔力を……押し返した……?」


信じられないという表情でラーシャを見る。

黒い魔力はなおも膨れ上がる。

その密度、その質、その禍々しさ。

すべてが、エルダーツ自身を軽々と凌駕していた。


「あり得ない……!」


初めてだった。

あの余裕に満ちたヴァンパイアの声が、明確な焦りを帯びたのは。

そして次の瞬間。

エルダーツの脳裏に、遠い記憶が蘇る。

血に染まった戦場。

天地を覆う黒き魔力。

世界を震わせた、圧倒的な王。


「あ……。」


喉が鳴る。


「まさか……。」


ラーシャから溢れ続ける黒い魔力が、その記憶と重なっていく。


「あの魔力は……。」


足が勝手に後ろへ下がる。

一歩、また一歩。


「そんなはずがない……。」


顔色がみるみる青ざめていく。


「先代……魔王……?」


震えた声が漏れた。


「いや……違う……違うはずだ……!」


そう否定しながらも、身体は本能的に危険を察知していた。

目の前にいるのは、涙を流し続ける一人のダークエルフ。

それなのに、その姿が一瞬だけ。

かつて世界中の誰もが恐れた、先代魔王の幻影と重なって見えた。

エルダーツは無意識のうちに、さらに一歩後ずさった。

エルダーツの喉が、ごくりと鳴る。

自分でも信じられなかった。

ヴァンパイアとなって数百年。

数え切れないほどの強者を殺し、絶望させ、命乞いを聞いてきた。

それでも。


「恐怖……だと……?」


その感情だけは、とうの昔に捨て去ったはずだった。

しかし今。

目の前の少女を見た瞬間、その全身が本能的に叫んでいた。


逃げろ。


血が凍りつくような悪寒が背筋を駆け抜ける。

ラーシャはゆっくりと顔を上げた。

その瞳からは涙が流れ続けている。

それなのに、その紫色の瞳には一切の感情が宿っていなかった。

怒りすら超えた、ただ静かな殺意だけが存在していた。


「…………。」


ラーシャは何も言わない。

ただ一歩。


コツ……。


足を前へ出した。

その瞬間だった。


ドゴォォォォォン!!


足を置いただけで、床石が半径数メートルにわたって砕け散る。


「っ!!」


カーツが悲鳴を上げる。

ガエンも思わず目を見開いた。


「……馬鹿な。」


ラーシャは身体強化の魔法すら使っていない。

ただ歩いただけ。

それだけで大聖堂の床が耐え切れなかった。

ダグラスが思わず呟く。


「これが……暴走。」


ガエンは首を横に振る。


「違う……。」


その声は震えていた。


「今までの暴走じゃない。」


何度も見てきた。

ラーシャの魔力暴走は、理性を失い、暴れ狂うものだった。

だが今回は違う。

理性はある、歩き方も、視線も、呼吸も、すべてが静かだった。

静かだからこそ恐ろしい。

暴れ回る嵐ではない。

すべてを飲み込む、底の見えない深淵だった。

ダグラスも気付く。


「ラーシャ……お前……。」


返事はない。

ラーシャの視線は、ただ一人。

エルダーツだけを捉えていた。

その視線を受けた瞬間。

エルダーツの心臓が激しく跳ねる。


ドクン!!


「ひっ……!」


思わず情けない声が漏れた。

信じられない。

自分が。

自分が悲鳴を上げた。


「あり得ない……。」


震える手で魔法陣を展開する。

だが指先が震え、魔法陣が乱れる。


「落ち着け……私は最強だ……!」


そう自分に言い聞かせる。


「私は不死だ……私はヴァンパイアだ……誰にも負けない……!」


しかし言葉とは裏腹に、足はまた一歩後ろへ下がった。


コツ……。


さらに一歩。


コツ……。


逃げている。

無意識に。

ラーシャから距離を取ろうとしている。

ガエンは息をすることすら忘れていた。


「あのエルダーツが……。」


ダグラスも呆然と呟く。


「恐れている……。」


さっきまで絶対的な強者として君臨していた男。

人の命を虫けらのように笑って踏みにじっていた男。

その男が今、少女一人を前に顔面を蒼白にし、汗を流し、震えていた。

ラーシャはようやく口を開く。

その声は、小さく。

けれど大広間の隅々まで響いた。


「返して。」


エルダーツの肩が大きく震える。


「……な、何を。」


ラーシャは一歩、また一歩と近づく。


「……返して。」


声は変わらず静かだった。


「みんなを。」


黒い魔力がゆらりと揺れる。


「私の……大切な人達を。」


その言葉が終わると同時に。


ズン。


ラーシャから放たれた殺気だけで、エルダーツの膝が砕けるように床へついた。


「がっ……!」


本人ですら何が起きたのか理解できなかった。

攻撃は受けていない。

魔法も飛んできていない。

それなのに、身体が立つことを拒絶した。


本能が。

生物としての本能が。

目の前の存在を、自分では決して勝てない「天敵」だと認識していた。

エルダーツは初めて悟る。

自分は絶望を与える側ではない。

今、この瞬間。

絶望しているのは自分自身だった。

エルダーツは膝をついたまま、荒く息を吐いた。


「ば、馬鹿な……。」


震える瞳でラーシャを見上げる。


「こんなことが……こんなことがあってたまるか……!」


ラーシャは答えない。

ただ静かに、ゆっくりと右腕を持ち上げた。

その動作はあまりにも自然で、力みもない。

まるで目の前の塵を払うような、何気ない仕草だった。


スッ。


細く白い右手が、真っ直ぐエルダーツへ向けられる。

その瞬間。


ゴォォォォォォォォォ……


周囲を漂っていた黒い魔力が、一斉にラーシャの右手へ吸い寄せられ始めた。

渦を巻く。大気が捻じれる。

空間そのものが悲鳴を上げるように歪み始めた。


バチッ……


バチバチッ!!


黒い稲妻が右腕へ絡みつき、魔力の密度が限界を超えてなお増していく。

ラーシャの表情は変わらない。

涙だけが静かに頬を伝い落ちる。

その瞳には怒りも憎しみも映っていない。

ただ。


“消す”


その意思だけが存在していた。


「…………。」


言葉はない。詠唱もない。魔法陣すら展開されない。

それなのに右手の前方には、夜空よりも深い黒色の光球がゆっくりと生まれ始める。

その大きさは拳ほど。

だが、その小さな球体から放たれる圧力だけで、大広間全体が軋んだ。


ミシ……


ミシミシミシ……


天井を支える巨大な柱に亀裂が走る。

壁が砕け床石は砂のように崩れていく。

エルダーツの顔から完全に血の気が失せた。


「や、やめろ……。」


声が裏返る。


「あれは……。」


黒い光球を見た瞬間、身体中の血が凍り付く。

あれは魔法ではない。


災害だ。


存在してはいけない力だ。


「撃つな……!」


思わず叫ぶ。


「撃つなぁぁぁぁぁ!!」


ラーシャは無反応だった。

黒い光球はなおも圧縮され続ける。

その密度は常識を超え。

周囲の光さえ飲み込み始める。


ギギギギギ……


空間が悲鳴を上げる。

黒い球体の周囲には細かな亀裂が無数に生まれ、その向こうには何もない闇が覗いていた。

ダグラスの赤い瞳が大きく見開かれる。


「……空間が。」


かすれた声が漏れる。


「裂けている……。」


彼は死神として数え切れない戦場を見てきた。

伝説級の魔導士とも戦ってきた。

それでも、こんな魔力は見たことがない。


「ラーシャ……。」


その名を呼ぶことしかできなかった。

ガエンも全身から嫌な汗が噴き出していた。

拳を握る。

しかし、その拳が震えている。

目の前で集束している魔力。

それはエルダーツ一人を消し飛ばす程度では済まない。

本能が叫んでいた。

違う。

あれは。


「まずい……!」


ガエンの声が大広間に響く。


「ラーシャ!」


返事はない。

黒い球体はさらに小さく。

さらに濃く。

さらに重く圧縮されていく。

そのたびに、大地そのものが沈み込むような轟音が響いた。


ゴゴゴゴゴゴゴゴ……


大聖堂の外では。

街中の人々が異変に気付き、空を見上げていた。

夜空を覆う黒い魔力。

大地を揺るがす振動。

誰もが言葉を失う。

ガエンは歯を食いしばり、ラーシャへ一歩踏み出す。

そして、その黒い球体を見つめた瞬間。

背筋を氷のような恐怖が駆け抜けた。


「あの魔法を撃てば……。」


喉が震える。


「エルダーツだけじゃない。」


視線の先には、大聖堂。

その向こうには、ルミナリアの街並み。

さらに、その先には何万人もの人々。

ガエンの瞳が絶望に染まる。


「このままじゃ……!」


彼は思わず叫んだ。


「聖王国ルミナリアごと……消えてしまう!!」

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