149.魔法、放たれる
エルダーツの身体から放たれる魔力。
それは先ほどまでのものとは、まるで別物だった。
大広間全体を押し潰すような圧力。
立っているだけで身体が軋む。
それでもガエンは拳を握った。
「……まだ動けるな。」
隣でダグラスが大鎌を構え直す。
「当然だ。」
赤い瞳がエルダーツを睨む。
「死神が、死を恐れると思うか?」
エルダーツは二人を見下ろしながら笑う。
「強がりですね。」
すると。
エルダーツの足元から、無数の血の槍が生える。
「ですが……。」
ズズズズッ!!
「現実を理解してもらいましょう。」
次の瞬間、血の槍が一斉に二人へ襲いかかる。
「来るぞ!」
ダグラスが叫ぶ。
ガエンは拳を振り抜く。
「邪魔だぁ!!」
ドゴォォン!!
拳圧だけで数本の槍を砕く。
しかし砕けた血の槍は霧状になり、再び形を作る。
「……また再生しやがる。」
ガエンが眉をひそめる。
エルダーツは笑う。
「私の魔力そのものですからね。壊しても無意味。削っても無意味。」
血の槍がさらに増える。
「あなた達が疲れ果てるまで、私は何度でも作り直せる。」
その時ガエンの背後から声が響いた。
「ガエンさん!」
ラーシャだった。
避難を終えたはずの彼女が、大聖堂の入口に立っている。
カーツがラーシャを追いかけて来ていた。
「ラーシャ殿!危険です!」
しかしラーシャは首を振る。
「……あの二人だけに戦わせるわけにはいかない。」
彼女は両手を前に出す。
「ガエンさん!ダグラスさん!」
淡い光が二人を包む。
「防御魔法を重ねます!」
エルダーツの血の槍が迫る。
ラーシャは魔力を集中させた。
「《聖樹の護壁》!」
ドォォォン!!
巨大な魔力障壁が展開される。
血の槍が激突する。
バキバキバキ……!!
ラーシャの障壁に亀裂が走る。
しかし耐えた。
エルダーツが目を細める。
「……ほう。」
初めて彼の表情が変わった。
「私の攻撃を……止めましたか。」
ラーシャは息を切らしながらも睨み返す。
「魔法は……。」
腕が震える。
「誰かを傷つけるためだけにあるんじゃない。守るためにあるんです。」
エルダーツはしばらく沈黙した。
そして。
「……なるほど。」
小さく呟く。
「あなたが……彼らを支えていた存在ですか。」
ラーシャの目が鋭くなる。
「あなたは間違っています。人間も魔族も。誰かを憎むために生きているわけじゃない。」
その言葉にエルダーツの笑みが少し消えた。
「……綺麗事ですね。ですが。」
黒い魔力が集まる。
「私は百年かけて、人間達の心に植え付けてきた。恐怖を。憎悪を。疑念を。」
エルダーツはラーシャを見る。
「それを、たった一言で消せると?」
ラーシャは答える。
「消せません。」
意外な返答に。
エルダーツが僅かに目を開く。
「……ほう?」
ラーシャは続ける。
「憎しみは簡単には消えない。でも。」
ガエンを見る。
ダグラスを見る。
カーツを見る。
「変わることはできます。誰かが、その一歩を踏み出せば。」
その瞬間。
カーツの胸に、言葉が突き刺さった。
かつて自分が信じていたもの。
魔族は敵。人間だけが正しい。
そう思い込んでいた。
だが今、目の前にいる魔族達は。
自分を守っている。
カーツは震える拳を握った。
「……私は。」
小さな声が漏れる。
「私は……何を見ていたんだ。」
エルダーツはそんなカーツを見る。
「まだ理解できませんか。あなたが信じていた正義など……」
その瞬間ガエンの拳が地面を砕いた。
「黙れ。」
エルダーツが振り返る。
ガエンはゆっくり立ち上がる。
傷だらけの身体。流れる血。
それでも目だけは折れていない。
「人の心を利用して。」
拳を握る。
「憎しみを育てて。」
一歩踏み出す。
「それで世界を変えたつもりか。」
さらに一歩。
「お前が作ったのは未来じゃねぇ。」
ガエンの拳に再び魔力が集まる。
「ただの……くだらねぇ過去だ。」
エルダーツの表情から笑みが消える。
「……不愉快ですね。」
黒い魔力が渦巻く。
「ならば。」
大聖堂全体が震える。
「その希望ごと、消し去りましょう。」
エルダーツの背後に、巨大な血色の魔法陣が浮かび上がる。
巨大な血色の魔法陣から、禍々しい魔力が唸りを上げる。
ゴゴゴゴゴ……!!
空間そのものが悲鳴を上げるように震え、大聖堂の柱にまで亀裂が走った。
ラーシャは息を呑む。
「……なんて魔力。」
額から汗が伝う。
だが、それでも両手を下ろさない。
「絶対に……通さない!」
エルダーツが右手をゆっくりと前へ突き出した。
「《血界崩滅》」
ドォォォォォン!!
巨大な紅黒い奔流が一直線に放たれる。
まるで世界を削り取るような破壊の奔流。
「ラーシャ!!」
ガエンの叫びと同時に、ラーシャは全身の魔力を絞り出した。
「《聖樹の護壁・極》!!」
眩い翠の光が大広間いっぱいに広がる。
轟音。そして激突。
ドゴォォォォォン!!
凄まじい衝撃で床石がめくれ上がり、砕けた石片が暴風のように舞う。
障壁は軋み、悲鳴を上げるように震えた。
バキッ。
一本、また一本と亀裂が走る。
「くっ……!」
ラーシャは歯を食いしばる。
腕が震え、膝が床につきそうになる。
「負け……ません!」
魔力をさらに注ぎ込む。
障壁は砕けそうになりながらも、あと一歩のところで踏みとどまる。
エルダーツはその様子を見て、苛立たしげに眉をひそめた。
「……ちっ。」
初めて、はっきりとした舌打ちが大広間に響く。
「ここまで耐えるとは……。」
その隙を、ガエンは見逃さなかった。
「カーツさん!」
カーツが振り向く。
「今です!」
ガエンはエルダーツを睨みつけたまま叫ぶ。
「マイト達を牢獄から出して来てください! ここは俺達が時間を稼ぎます!」
カーツは一瞬迷う。
「しかし……!」
「早く!」
ラーシャも苦しそうに声を張る。
「勇者様達が必要です!」
ダグラスが大鎌を構え直し、不敵に笑った。
「行け。ここは俺達が死んでも止める。」
その言葉に、カーツは力強く頷いた。
「……必ず連れて来ます!」
踵を返し、大広間を飛び出そうとしたその瞬間。
エルダーツの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「……やはり。」
その笑みは、あまりにも邪悪だった。
「そう来ますか。」
カーツの背筋に悪寒が走る。
エルダーツは彼を見ることもなく、ゆっくりと左手を牢獄のある方向へ向けた。
「私が、その程度のことを読めないとでも?」
ゴォォォォ……。
黒と深紅の魔力が左手へ集束していく。
ラーシャの表情が凍りついた。
「ま、まさか……!」
ガエンも気づく。
「やめろ!」
エルダーツは愉悦に満ちた笑みを浮かべた。
「勇者も、囚われの魔族も。」
指先が牢獄へ向けられる。
「まとめて消えなさい。」
巨大な黒紅の魔法陣が、大聖堂の壁を突き抜けるように牢獄へ照準を合わせた。
「《終焉崩壊》」
次の瞬間。
轟音とともに、破壊の光が一直線に牢獄へ向かって放たれた。
「しまっ……!」
ラーシャは反射的に両手を突き出した。
翠の魔法陣が幾重にも展開される。
「《聖樹の護壁・連結》!」
だがエルダーツの放った《終焉崩壊》は、あまりにも速かった。
轟ッ!!
紅黒い奔流は大広間の壁を紙のように貫く。
石壁が爆ぜ、巨大な穴が開く。
「止まってぇぇぇぇぇ!!」
ラーシャは絶叫し、魔力を解き放つ。
だが、あと一歩。
ほんの一瞬。
その僅かな遅れが、致命的だった。
破壊の奔流は一直線に牢獄へ到達する。
次の瞬間。
ズガァァァァァァァァン!!
天地を揺るがすような爆発。
大地が跳ね上がり、巨大な火柱が夜空へ突き抜ける。
牢獄があった場所は、爆炎と黒煙に飲み込まれた。
衝撃波が大聖堂まで押し寄せ、砕けた瓦礫が雨のように降り注ぐ。
ゴゴゴゴゴ……。
誰も、言葉を発せなかった。
ラーシャの瞳から、光が消える。
「……あ……。」
震える唇。
「そんな……。」
力なく膝をつく。
「嘘……。」
手を伸ばす。
届くはずもない牢獄へ。
「いや……。」
涙が、一滴。
そして次々と床へ落ちていく。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
張り裂けるような悲鳴。
ラーシャはその場に崩れ落ち、両手を床についたまま号泣した。
「私が……もっと早ければ……!」
涙が止まらない。
「私が……守れなかった……!」
肩を震わせ、嗚咽を漏らす。
その姿を見たガエンは、拳を握ったまま動けなかった。
「……。」
目の前で起きた現実を、脳が理解できない。
そして牢にいた者達。
あの爆発の中で、生きているはずが……
「くそ……。」
震える声が漏れる。
隣ではダグラスも、大鎌を下ろしていた。
赤い瞳が、ただ黒煙を見つめている。
「……馬鹿な。」
普段ならどんな状況でも冷静な死神が、初めて呆然としていた。
静寂。
重苦しい沈黙だけが流れる。
その中で。
カーツは両手で頭を抱え、その場にへたり込んだ。
「私の……せいだ……。」
震えが止まらない。
「私が……牢に閉じ込めたから……!」
呼吸が乱れる。
「こんな……こんなことに……。」
恐怖と絶望が全身を支配していく。
「神よ……。」
その声は、もはや祈りではなかった。
壊れそうな人間の悲鳴だった。
そしてその光景を見渡したエルダーツは静かに肩を震わせた。
「……ふっ。」
笑いを堪えきれないように。
「ふふ……。」
やがて、その笑いは大きくなる。
「ははははは……!」
高らかな笑い声が、大広間中に響き渡った。
「素晴らしい!」
両腕を広げ、恍惚とした表情で叫ぶ。
「これです!」
瞳を妖しく輝かせる。
「絶望!後悔!悲嘆!人はこうでなくては!」
狂気に満ちた笑みを浮かべながら、涙に濡れるラーシャを見下ろす。
「あなたは守ると言いましたね。」
口元が歪む。
「ですが結果はどうです?」
牢獄から立ち上る黒煙を指差した。
「誰一人守れなかった。」
さらにガエンへ視線を向ける。
「勇者を呼ぼうとした判断が、多くの命を奪った。」
そしてカーツへ。
「あなたは自らの手で彼らを牢へ送り込み、その死を招いた。」
最後にダグラスを見て、愉快そうに笑う。
「死神でありながら、一人も死から救えないとは……実に滑稽ですね。」
エルダーツは再び哄笑した。
「ははははははははっ!!」
その笑い声だけが、大聖堂に響き渡っていた。




