146.勇者、衝撃の真実を話す
ルミナリアの監獄の奥深く、特別牢。
マイトはそこに入れられている。
冷たい石壁に背を預け、鉄格子の向こうを静かに見つめていた。
牢内は静寂に包まれていたが、その静寂を破るように重々しい足音が響く。
カツン……カツン……。
やがて一人の男が姿を現した。
司祭、カーツ・ハミルトン。
鉄格子の前まで来ると、腕を組み、軽蔑の眼差しでマイトを見下ろす。
「勇者ともあろう者が、このような場所にいるとは……情けないものですね。」
マイトは薄く笑った。
「こんにちは、カーツさん。」
「挨拶など不要です。」
カーツは冷たく言い放つ。
「あなたは勇者です。人類の希望であり、魔を討つ存在。その勇者が魔族を救おうとして捕らえられるなど……前代未聞です。」
マイトは肩をすくめる。
「偏見は争いを生むだけだよ。」
「……。」
「種族だけで善悪を決めつけるから、人は争い続けるんだ。」
カーツは鼻で笑った。
「魔族は悪です。それは歴史が証明しています。」
「歴史?」
「そうです。」
カーツは胸を張る。
「先代勇者アイラ様は命を懸けて魔王軍と戦われました。その崇高な意思を継ぐべき勇者が、魔族と手を取り合うなど……。」
その言葉を聞いた瞬間。
マイトの表情から笑みが消えた。
静かだった瞳に、怒りの色が宿る。
「……何も知らない癖に。」
「?」
「ひい婆ちゃんを語るな。」
牢の空気が一変する。
カーツは眉をひそめた。
「何ですと?」
マイトは鉄格子の前まで歩み寄る。
「アイラ・アークライト。」
その名を口にする声には、いつもの軽さは一切なかった。
「あの人は君達が思っているような人じゃない。」
「侮辱するつもりですか!」
「違う。」
マイトは真っ直ぐカーツを見る。
「俺は、ひい婆ちゃんの血を引く人間だ。」
その一言に、カーツは息を呑む。
「子供の頃から何度も聞かされた。家に残る日記も、手紙も、旅の記録も全部読んだ。」
マイトは拳を握る。
「君達より、俺の方がずっと知ってる。」
「馬鹿な……。」
「ひい婆ちゃんは確かに魔王と戦った。でも、それは『魔族だから』じゃない。」
マイトの声は静かだった。
しかし、その静けさがかえって重く響く。
「悪だから戦ったんだ。」
「……。」
「逆に言えば、善良な魔族まで憎めなんて、一度も言ってない。」
カーツは首を横に振る。
「そんなはずはありません! アイラ様は人類を救った英雄です!」
「だから?」
マイトは即座に返す。
「英雄だから、魔族を皆殺しにしろって言った証拠でもあるの?」
「それは……。」
「あるなら見せて。」
カーツは言葉に詰まる。
マイトは続ける。
「ひい婆ちゃんの日記には何度も書いてある。」
少し目を伏せ、まるでその文字を思い出すように呟いた。
「『憎しみは新たな憎しみを生む。私が剣を振るうのは種族ではなく、人々を苦しめる悪へ向けてだ』って。」
カーツの瞳が揺れる。
「嘘です……。」
「嘘じゃない。」
「そんな記録、教会には……。」
「残ってないんだろ。」
マイトは苦笑する。
「都合の悪い部分は、歴史から消えることがあるからね。」
カーツは拳を震わせる。
「黙れ……。」
「君達は『勇者アイラ』を信仰してる。」
マイトは静かに言った。
「でも俺は、『アイラおばあちゃん』を知ってる。」
「…………。」
「優しくて、お節介で、泣き虫で、最後まで争いを嫌ってた人だ。」
マイトは真っ直ぐカーツを見据える。
「だから俺は、その意思を継ぐ。人と魔族が笑って暮らせる世界。それが、ひい婆ちゃんの本当の願いだった。」
カーツは何も言い返せない。
信じてきた歴史と、勇者の末裔が語る真実。
二つが激しくぶつかり合い、彼の心を大きく揺さぶっていた。
カーツはしばらく黙っていた。
しかし、やがてゆっくりと顔を上げる。
「……それでも。」
低い声だった。
「それでも、魔族は悪です。」
マイトの眉がわずかに動く。
「カーツさん……。」
「あなたが何を言おうと、魔族が人間を傷つけてきた事実は変わらない。」
カーツは鉄格子を睨む。
「過去の戦争で多くの人間が命を落とした。家族を奪われた者もいる。魔族の中に善人がいる? そんなことは分かっています。」
一瞬、マイトは意外そうな顔をする。
カーツは続けた。
「ですが、一部の例外を見て、魔族全体を信用するなど……あまりにも危険だ。」
「……。」
「あなたは優しすぎるのです、マイト殿。」
カーツは悲しそうに目を細める。
「先代勇者アイラ様のような偉大な方ならともかく、あなたが過ちを犯しているとは……。」
その言葉を聞いた瞬間。
マイトは小さく息を吐いた。
「……やっぱり。」
「何です?」
「カーツさんは、何も知らない。」
「!」
マイトは静かに鉄格子へ手を添える。
「これは勇者の家系にしか伝わっていない話なんだ。」
「……?」
「教会にも、大陸の歴史書にも残されていない。」
カーツの表情が険しくなる。
「一体、何を……。」
マイトはゆっくり語り始めた。
「先代魔王との最後の戦い。勇者アイラは魔王城へ乗り込み、先代魔王と一騎打ちをした。」
カーツは当然のように頷く。
「そうです。アイラ様は魔王を討ち、人類を救った。」
「違う。」
マイトの一言が響く。
「戦いの途中で、二人は気づいたんだ。」
「……何に?」
「同じだったんだよ。」
マイトは目を伏せる。
「アイラは人間を守りたかった。」
「……。」
「先代魔王も、魔族を守りたかった。」
カーツの目が揺れる。
「二人とも、自分の種族が生き残るために戦っていただけだった。」
「そんな……。」
「敵だったから分からなかった。」
マイトは静かに続ける。
「剣を交えて、言葉を交わして、初めて分かったんだ。相手は怪物なんかじゃない。ただ、大切なものを守ろうとしている一人の存在だったって。」
カーツは黙り込む。
「そして二人は……戦いを止めた。」
「……。」
「魔族と人間の争いを終わらせるために、裏で協力したんだ。」
マイトは少しだけ笑う。
「ひい婆ちゃんの日記に書いてあった。『倒すべき敵がいなくなった時、本当の戦いが始まる』って。」
「……。」
「憎しみを終わらせる戦いだ。」
牢の中に静寂が落ちる。
そしてマイトは、さらに続けた。
「その後……二人は一緒に旅をした。」
カーツの顔が僅かに引きつる。
「まさか……。」
「うん。」
マイトは頷く。
「いつしか二人は、互いを大切に思うようになった。」
「……ありえない。」
「ありえるんだよ。」
マイトは真っ直ぐ言う。
「勇者と魔王が愛し合うなんて、当時の人間には受け入れられなかっただろうね。」
カーツの手が震える。
「では……。」
「そう。」
マイトは告げる。
「二人の間には子供が生まれた。」
「……。」
「その子供の血は、今日まで続いている。」
カーツの顔から血の気が引いていく。
「まさか……。」
マイトは静かに名前を口にした。
「現魔王バラム。」
「……!」
カーツの目が大きく見開かれる。
「そんな……馬鹿な……。」
「本当だよ。」
マイトは言い切る。
「今の魔王バラムは、先代勇者アイラ・アークライトと先代魔王の血を引く存在なんだ。」
「……。」
「つまり。」
マイトはカーツを見る。
「魔王と勇者の血は、最初から繋がっていたんだ。」
カーツは後ずさる。
「そんな話……聞いたことが……。」
「だから言ったでしょ。」
マイトは悲しそうに笑う。
「勇者の家系にしか伝わっていない話だって。」
「……。」
「教会が信じてきた『勇者と魔王の物語』は、半分だけの物語なんだよ。」
カーツは震える声で呟く。
「では……アイラ様は……。」
「魔族を滅ぼそうとした英雄じゃない。」
マイトは静かに答える。
「人間も魔族も救おうとした人だ。」
その言葉が、特別牢の冷たい石壁に響いた。
カーツは何も言えなかった。
自分が何十年も信じてきたもの。
守ってきた教え。
それらが、根底から揺らいでいた。
「……私は……。」
カーツは拳を握りしめる。
「私は……何を……。」
その呟きは、誰にも届かないほど小さかった。
マイトはそんなカーツの姿を見つめながら、静かに言葉を続けた。
「でもね、カーツさん。」
「……。」
「この話を、世界中に公表したら……たぶん大きな混乱が起きる。」
カーツはゆっくり顔を上げる。
「混乱……?」
「そう。」
マイトは頷いた。
「何百年も信じられてきた歴史が変わるんだ。人間の中には、魔族への憎しみを支えに生きてきた人もいる。魔族側にも、人間を許せない人はいる。」
「……。」
「いきなり『本当は勇者と魔王は分かり合っていました』なんて言われても、全員がすぐ受け入れられるわけじゃない。」
マイトは鉄格子越しにカーツを見る。
「きっと、また争いの種になる。」
カーツは唇を噛んだ。
「では……なぜ私に話したのです。」
震える声だった。
「私が……信じられないと分かっていたはずなのに。」
マイトは少しだけ笑う。
「カーツさんが、ひい婆ちゃんのことを大切に思っているのが分かったから。」
「……。」
「間違った形だったとしても、あなたは勇者アイラを尊敬していた。」
マイトは優しく続ける。
「だから、本当の彼女を知ってほしかった。」
カーツは目を伏せる。
「私は……。」
拳を握る。
「私はずっと……魔族を憎むことこそ、アイラ様の意思を継ぐことだと……。」
「違うよ。」
マイトは首を横に振る。
「ひい婆ちゃんが望んでいたのは、憎しみを受け継ぐことじゃない。」
「……。」
「未来を信じることだよ。」
その言葉に、カーツの肩が僅かに震えた。
「人間も魔族も、いつか分かり合えるって。」
「……そんな未来が、本当に……。」
「すぐには無理だと思う。」
マイトは苦笑する。
「俺だって、簡単だとは思ってない。」
「なら……。」
「でも。」
マイトは遮るように言った。
「誰かが最初の一歩を踏み出さなきゃ、何も変わらない。」
カーツは黙ってマイトを見る。
「ひい婆ちゃんと先代魔王がそうしたように。」
「……。」
「俺は、その続きをやりたいんだ。」
静かな声だった。
「だから俺は魔族と手を取る。」
「……。」
「それが、勇者アイラ・アークライトの本当の意思だから。」
長い沈黙が流れる。
やがてカーツは、ゆっくりと背を向けた。
「……私は……。」
一歩踏み出す。
「何も知らなかった。」
もう一歩。
「アイラ様の名を口にしながら……。」
拳を震わせる。
「私は、あの方の願いとは真逆のことをしていたのかもしれません。」
マイトは何も言わなかった。
ただ、静かにその背中を見つめていた。
カーツは牢獄の出口へ向かう。
いつもなら堂々と歩くはずの男の足取りは、今は頼りなく揺れていた。
カツン……。
カツン……。
「カーツさん。」
呼び止められ、カーツは足を止める。
「……何です。」
「答えを急がなくていいよ。」
マイトは微笑む。
「長い間信じてきたものを変えるのは、簡単じゃないから。」
「……。」
「でも、考えてほしい。」
「何を……。」
マイトは静かに告げた。
「本当にひい婆ちゃんが望んだ未来は何だったのか。」
カーツはしばらく動かなかった。
そして小さく呟く。
「……勇者とは……。」
「……。」
「人を導く者ではなく……未来を繋ぐ者、だったのでしょうか。」
マイトは優しく笑った。
「きっと、そうだよ。」
カーツは答えなかった。
ただ、ゆっくりと歩き出す。
扉が開く。
差し込む光の中へ、カーツの姿が消えていく。
しかし、その背中からは今までのような確固たる信念も、魔族への憎しみも感じられなかった。
残っていたのは。
自分が信じてきたものと向き合う、一人の男の迷いだけだった。
重い扉が閉まる。
マイトは一人になった牢の中で、小さく呟いた。
「……ひい婆ちゃん。」
冷たい石壁を見上げる。
「ちゃんと伝わるといいね。」
その声は静かな牢獄の中に、消えていった。




