144.勇者、話を聞く
ビルムは鉄格子の前まで歩いてくると、大きくため息をついた。
「いやぁ……来てくれたんは嬉しいけどな。」
頭をかきながら苦笑する。
「勇者が牢屋に忍び込んで来るとは思わへんかったわ。」
「自分でもそう思う。」
マイトも肩をすくめた。
「でも、ビルムたちが誰かを攫うなんて信じられなかったからね。」
その真っ直ぐな言葉に、ビルムは少しだけ照れくさそうに笑う。
「そらそうや。」
するとナラが勢いよく手を挙げた。
「ねえねえ! 最初から話していい?」
「ええけど、お前が説明したら余計ややこしなるやろ。」
「えー!」
頬を膨らませるナラ。
ミリアは壁に寄りかかったまま呟く。
「物語は最初が大事。でも最後から始まる物語もある。」
「今日は最初からで頼む。」
ビルムが即座に突っ込んだ。
そしてマイトへ向き直る。
「ほな話すで。」
鉄格子越しに、ゆっくりと語り始めた。
「俺ら三人はな、魔王様が開く大運動会の合間にやるライブの出演者探しを任されて、芸術の都ハートロックへ向かったんや。」
マイトは静かに頷く。
「ハートロックは芸術家だらけや。音楽家も、役者も、画家も、大道芸人もぎょうさんおってな。」
ビルムは懐かしそうに笑う。
「俺ら、片っ端から声かけたんや。」
「大道芸のお兄さんもいたね!」
ナラが笑顔で言う。
「歌のお姉さんもいた!」
「彫刻家のおっちゃんには断られたけどな。」
ビルムは苦笑する。
「『締め切り前じゃ!』言うて追い返されたわ。」
「締め切りは山より高く、海より深い。」
ミリアが真顔で呟く。
「……それは何となく分かる。」
マイトが思わず苦笑した。
ビルムは続ける。
「せやけど、一番印象に残ったんは……リシアや。」
その名前にマイトは目を細める。
「リシア。」
「ああ。」
ビルムはゆっくり頷いた。
「リシア、広場で歌うとったんや。」
その時の光景を思い出すように目を細める。
「もうな……街中が静まり返るくらい綺麗な歌声やった。」
ナラも大きく頷く。
「みんな立ち止まって聞いてた!」
ミリアも珍しく素直に言う。
「風まで歌を聴いていた。」
ビルムは笑う。
「終わった瞬間、俺ら三人とも顔見合わせてな。」
その時を再現するように三人を見る。
「『この人や!』って同時に思った。」
「それで出演をお願いしたんだ?」
マイトが尋ねる。
「せや。」
ビルムは力強く頷く。
「最初はびっくりしとったけど、運動会の話も、魔王様のこともちゃんと説明した。」
「魔族と人間が一緒に笑えるお祭りだって言ったの。」
ナラが笑顔で補足する。
「そしたらリシア、とても嬉しそうだった。」
「歌で誰かを笑顔にできるなら喜んで歌います、って言うてくれたんや。」
ビルムの表情も自然と和らぐ。
「その場で出演を承諾してくれた。」
マイトの口元にも笑みが浮かんだ。
「それは良かった。」
「ほんで話を聞いたらな。」
ビルムは続ける。
「ちょうど故郷のルミナリアへ帰る予定やったんや。」
「方向も一緒だったから。」
ナラが元気よく言う。
「一緒に旅をしたの!」
「道中も楽しかったで。」
ビルムは懐かしそうに笑う。
「歌を歌ってくれたり、ルミナリアの話をしてくれたりな。」
ミリアがぽつりと呟く。
「旅は道が作るんじゃない。隣を歩く人が作る。」
「……たまにはええこと言うやん。」
ビルムが感心したように頷く。
しかし、その笑顔はすぐに消えた。
「ルミナリアに着いてからは、リシアは実家に帰る言うて別れた。」
「俺らは宿を取って、街で出演者を探そうと思ってた。」
ビルムは悔しそうに拳を握る。
「そしたらや。」
「リシアさんのお父さんが突然、聖騎士を連れて現れて……。」
ナラの表情も曇る。
「魔王軍だって言われて……。」
「娘を攫った悪党だ、と。」
ビルムは自嘲気味に笑う。
「何を言うとるんやと思ったわ。」
マイトの表情が険しくなる。
「つまり……。」
「そう。」
ビルムは静かに頷いた。
「俺らは誰一人攫っとらん。リシアは自分の意思で一緒に来て、自分の意思で歌う約束をして、自分の意思で故郷へ帰った。」
鉄格子を握る手に力が入る。
「全部誤解なんや。」
牢獄の中は静まり返った。
マイトは三人の顔を順番に見つめる。
誰一人、嘘をついているようには見えない。
いや、それ以前に。
こんな状況でも変わらない三人の姿が、何より雄弁に真実を物語っていた。
「……分かった。」
マイトは静かに頷く。
「事情は全部聞いた。」
その瞳には、勇者としての強い決意が宿る。
「この誤解は、俺が必ず解いてみせる。」
その言葉が牢獄に響いた、その時だった。
「その必要はありません。」
低く、冷え切った声が通路の奥から聞こえてきた。
全員が振り向く。
松明の灯りに照らされながら、一人の司祭がゆっくりと歩いてくる。
その後ろには十数名もの聖騎士。
先頭に立っていたのはカーツだった。
カーツは冷たい目でマイトを見据える。
「勇者マイト。」
その声には失望が滲んでいた。
「勇者が牢獄へ忍び込み、魔族を助けようとするとは……。」
わずかに首を横へ振る。
「勇者も地に落ちたものですね。」
その一言に、空気が張り詰めた。
マイトは表情一つ変えず、真っ直ぐカーツを見る。
「助けようとしているわけじゃないよ。」
静かな声だった。
「真実を確かめに来ただけだよ。」
「真実?」
カーツは鼻で笑う。
「魔族の言葉を信じることが真実だと?」
「俺は誰の言葉でも鵜呑みにはしない。」
マイトは一歩も引かなかった。
「だから自分の目で見て、自分の耳で聞いた。」
ビルムたちをちらりと見る。
「少なくとも、この三人が人を攫うようには思えない。」
「甘い。」
カーツは即座に切り捨てた。
「魔族とは人を欺く存在。」
一歩踏み出す。
「あなたほどの勇者ですら惑わされるとは……実に嘆かわしい。」
「偏見だけで人を裁く方が危険じゃない?」
マイトも言い返す。
「証拠もなく捕らえるなんて……」
「証拠ならあります。」
カーツは言葉を遮った。
「娘は魔族と共に帰ってきた。」
「それは本人の意思だって。」
「本人が騙されている可能性もあります。」
互いに一歩も譲らない。
重苦しい沈黙が流れた。
やがてカーツは背後の聖騎士たちへ視線を向ける。
「勇者マイト。」
静かに告げる。
「聖王国ルミナリアの牢獄へ無断侵入し、魔族と接触した罪により、あなたを拘束します。」
聖騎士たちが一斉に剣を抜いた。
カチャリ、と金属音が通路に響く。
ビルムが慌てて鉄格子を掴む。
「お、おい待てや!」
ナラも羽をばたつかせる。
「マイトは悪いことしてないよ!」
ミリアはぽつりと呟く。
「勇者は勇気で縛られ、今度は鎖で縛られる。」
「こんな時まで意味分からんこと言うな!」
ビルムが思わず突っ込んだ。
しかしマイトは小さく息を吐くと、両手をゆっくり上げた。
「抵抗はしない。」
聖騎士たちは慎重に近づき、その両手へ手枷を掛ける。
金属の音が静かに鳴った。
カーツは淡々と言い放つ。
「勇者とはいえ例外ではありません。特別牢へ。」
その命令に、聖騎士たちはマイトを取り囲む。
ビルムは悔しそうに拳を握った。
「俺らのせいで……。」
マイトは振り返り、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「気にしなくていい。」
その瞳には焦りも恐怖もなかった。
「真実は変わらない。」
ナラは今にも泣きそうな顔になる。
「ごめんね……。」
「謝る必要はないって。」
マイトは優しく言った。
「俺は勇者だから。」
静かな、しかし揺るぎない声。
「正しいと思ったことをしただけ。」
その言葉を最後に、聖騎士たちはマイトを連れて通路の奥へ歩き出した。
重い鉄の扉が幾重にも開かれ、そして閉じていく。
やがて通常の牢獄よりもさらに奥深く、危険人物を収容するために造られた特別牢へとマイトは入れられた。
分厚い鉄扉が、鈍い音を響かせて閉まる。
その音は、地下牢全体に重く響き渡った。
分厚い鉄扉が閉じられた音は、まるで地下牢だけではなく、聖王国ルミナリア全体へ響き渡ったかのようだった。
その日のうちに、一つの噂が街を駆け巡る。
「勇者マイトが捕まったらしい。」
「しかも魔族を助けようとしたんだと。」
「牢獄に忍び込んでいたそうだ。」
噂は尾ひれをつけながら、酒場から市場へ、広場から教会へと瞬く間に広がっていく。
「やっぱり魔族は恐ろしい……。」
パン屋の女主人が不安そうに呟く。
「勇者様まで騙してしまうなんて。」
すると近くでパンを買っていた老人が首を横に振った。
「待て。本当にそうなのか?」
「勇者様は今まで何度も国を救ってきたお方だぞ。」
「そんな人が理由もなく魔族を助けるか?」
若い男が腕を組む。
「勇者様が信じたんなら、何か事情があるんじゃないか?」
「何を言う!」
別の男が声を荒らげた。
「魔族は魔族だ! 一人残らず信用できん!」
「だが証拠もないんだろ!」
「司祭カーツ様がおっしゃったことだ!」
「勇者様の方を信じる!」
広場では人々が口論を始め、次第に大きな言い争いへと発展していく。
街の空気は一気に険悪になった。
そして、その影響を真っ先に受けたのは、ルミナリアで静かに暮らしていた魔族たちだった。
市場で働く獣人の青年は、周囲の視線に気付くと商品を片付け始める。
「今日は店を閉めよう……。」
子供を連れたハーピーの母親は、小さな羽を持つ娘を抱き寄せた。
「今日は外へ出ちゃだめよ。」
「どうして?」
「いいから、お母さんのそばにいて。」
ドワーフの鍛冶屋も店の看板を裏返し、扉へ鍵を掛ける。
「嫌な流れになってきやがった……。」
昨日まで普通に挨拶を交わしていた人々が、今日は警戒の目を向けてくる。
「魔族だ。」
「勇者を騙した連中の仲間じゃないか?」
そんな囁きが聞こえるたび、魔族たちは肩を震わせ、家へ身を隠していった。
百年前の戦争を知る者たちは、不吉な記憶を思い出していた。
再び、人間と魔族の間に見えない壁が築かれ始めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方その頃。
宿へ戻っていたガエンたちは、翌日の予定について話し合っていた。
「スポンサー交渉は完全に止まっちまったな。」
ガエンが腕を組んで苦笑する。
ダグラスがため息をつく。
「カーツという司祭が思った以上に厄介だ。」
その時だった。
宿屋の扉が勢いよく開く。
「た、大変です!」
宿の主人が血相を変えて飛び込んでくる。
ガエンたちは一斉に顔を上げた。
「どうした?」
主人は息を切らしながら言った。
「勇者様が……捕まりました!」
「……は?」
ガエンの目が見開かれる。
「牢獄へ忍び込んで、捕まったそうです!」
「牢獄って……。」
ラーシャの表情が一変する。
「まさか。」
ダグラスが静かに目を開いた。
「ビルムたちのところへ行ったか。」
主人は慌てて頷く。
「街中その話でもちきりです!勇者様は魔族を助けようとした!魔族に騙された!そんな噂が広まって……人間同士でも揉め始めています!」
ガエンは思わず額を押さえた。
「マイトの奴……。」
「勇者様らしいですね。」
ラーシャは苦笑したものの、その顔には焦りが浮かんでいる。
「放っておけなかったんでしょう。」
ダグラスは静かに立ち上がる。
「だが、状況は最悪だ。」
「勇者まで拘束されたとなれば、こちらの立場はさらに悪くなる。」
ガエンは拳を強く握り締めた。
「ビルムたちだけじゃない……今度はマイトまで巻き込まれたか。」
部屋の空気が重く沈む。
仲間が四人も囚われた。
しかも街では、人間と魔族の対立まで始まりつつある。
ガエンはゆっくりと顔を上げた。
その瞳には焦りだけではなく、強い決意が宿っていた。
「……急ぐぞ。」
低い声で言う。
「このままじゃ、誤解だけじゃ済まなくなる。」




