142.歌姫、泣く
ビルム達が牢へと連行されてから、およそ一時間後。
聖都ルミナリアの中心にそびえる大聖堂では、重苦しい空気が流れていた。
最高司祭エルダーツの執務室。
分厚い木製の扉が勢いよく開く。
「エルダーツ様!」
荒々しい足取りで部屋へ入ってきたのは、司祭カーツ・ハミルトンだった。
その顔には怒りと焦りが浮かんでいる。
「報告します。」
エルダーツは書類から目を上げ、静かに頷く。
「聞きましょう。」
カーツは拳を握り締めた。
「先ほど、魔王軍所属のドラゴニュート、ラミア、ピクシーの三名を拘束しました。」
「……。」
「奴らは私の娘、リシアを連れ回し、魔王軍へ引き込もうとしていました。」
カーツの声には確信が満ちている。
「娘は完全に騙されています。自分から付いていったなどと申しておりますが、それこそ奴らに洗脳された証拠。」
彼は机を叩かんばかりの勢いで言葉を続けた。
「やはり魔王軍など信用できません!スポンサー契約など論外です!奴らは人の心を利用し、聖王国へ入り込もうとしているのです!」
部屋は静まり返った。
司祭達も誰一人として口を開かない。
エルダーツはしばらく沈黙を保った後、小さく息をつく。
「……そうですか。」
返ってきたのは、それだけだった。
「……。」
カーツは思わず眉をひそめる。
「それだけ……ですか?」
エルダーツは表情を変えない。
「現時点では、それ以上申し上げることはありません。」
「ですが!」
「拘束したのでしょう。」
「……はい。」
「ならば、尋問の結果を待ちましょう。」
それだけ言うと、エルダーツは再び机の書類へ視線を戻した。
カーツは納得できない様子だったが、それ以上は何も言えず、唇を噛み締める。
(なぜだ……これだけの証拠がありながら……なぜエルダーツ様は、まだ魔族を信じようとするのか……。)
拳を強く握ったまま、彼は部屋を後にした。
その頃。
ガエン達四人は事情を聞くため、大聖堂へと足を運んでいた。
巨大な白亜の門。
その前へ立つと、いつものように中へ入ろうとする。
しかし、
「止まれ。」
門番の聖騎士二人が槍を交差させた。
ガエンは立ち止まる。
「どうした?」
聖騎士は冷たい視線を向ける。
「司祭カーツ様の命令だ。」
「魔王軍関係者の立ち入りを禁ずる。」
マイトが目を丸くした。
「昨日までは普通に通してくれたじゃないか。」
「命令が変わった。」
「理由を聞いても?」
ダグラスが静かに尋ねる。
「答える義務はない。」
短く返される。
ラーシャは不安そうにガエンを見る。
「ガエンさん……。」
ガエンは無理に押し通るつもりはなかった。
「分かった。なら最高司祭エルダーツ様に取り次いでもらえないか。」
「それも断る。」
「……。」
空気が一気に張り詰める。
その時だった。
奥の石畳から、法衣を翻しながら一人の男が歩いてくる。
カーツ・ハミルトン。
彼は門の前で足を止めると、ガエン達を見下ろした。
「来たか。」
ガエンは静かに頭を下げる。
「カーツ司祭殿。ビルム達が拘束されたと聞きました。事情を……」
「事情だと?」
カーツは言葉を遮る。
その目には嫌悪の色が浮かんでいた。
「まだ白を切るつもりか。ドラゴニュート達は私の娘リシアを誑かし、聖都へ入り込み、人々を欺いた。これでもまだ魔族は善人だと言うのか!」
広場にいた人々が足を止める。
「魔王軍だ……。」
「あいつらが仲間か。」
ひそひそと囁き声が広がっていく。
ガエンは真っ直ぐカーツを見つめた。
「まず話を聞いてください。ビルム達はそんなことをする連中ではありません。」
「証拠は?」
カーツは鋭く問い返す。
「あなたは彼らを知っています。だから信じている。私は魔族を知っています。だから信用しない。」
静まり返る門前。
カーツはガエン達一人ひとりを見回し、力強く言い放った。
「やはり魔族は悪だ。姿形が違うからではない。これまで何百年もの歴史が、それを証明している。人は何度も魔族に裏切られ、多くの命を奪われてきた。私は司祭として、その歴史を忘れるつもりはない。」
ガエンは拳を握る。
だが怒りではなく、悲しみを押し殺すような表情だった。
「……それでも。」
静かに、一歩前へ出る。
「俺は諦めません。ビルム達の無実も。そして、人間と魔族が分かり合える可能性も。」
門前の空気はさらに重く沈んでいった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
大聖堂から少し離れた静かな路地裏。
宿へ戻るために歩いていたガエン達は、道端に座り込む一人の女性の姿を見つけた。
白い法衣を着た若い女性。
その肩は小刻みに震え、顔を伏せたまま涙を流している。
「……誰か困っているみたいですね。」
ラーシャが心配そうに呟く。
ガエンは足を止めると、ゆっくり女性へ近づいた。
「大丈夫か?」
声をかけられた女性は驚いたように顔を上げる。
「あ……。」
涙で赤くなった瞳が、ガエン達を見る。
一瞬、怯えた表情を浮かべた。
だが。
「……魔族の方……?」
その言葉に、ガエンは少しだけ苦笑する。
「そうだ。だが、今はそれより君が泣いている理由が気になる。」
女性は唇を噛む。
「……ごめんなさい。」
「謝る必要はない。」
ダグラスも静かに続ける。
「話したくないなら無理に聞くつもりはない。ただ、困っているなら力になれるかもしれない。」
その言葉に、女性は少し迷った後、ゆっくり口を開いた。
「……私の名前は、リシアです。」
「リシア……?」
その名前に、四人の表情が変わる。
「もしかして……」
マイトが驚いた声を漏らす。
リシアは頷いた。
「はい。カーツ・ハミルトンの娘です。」
「……。」
一瞬、沈黙が流れる。
ガエンは驚きながらも、すぐにしゃがみ込み、目線を合わせた。
「君が……カーツ司祭の娘か。」
「はい……。」
リシアは俯く。
「父は……昔から魔族を嫌っていました。」
小さな声だった。
「でも……私は父を嫌いではありません。厳しい人ですけど……私のことを大切にしてくれているのは分かっています。」
彼女は手を握り締める。
「だから……久しぶりにルミナリアへ帰ってきた時、父に喜んでほしかったんです。」
ガエン達は黙って聞いていた。
「旅の途中で、ビルムさん達に出会いました。」
リシアの表情が少しだけ柔らかくなる。
「最初は驚きました。ドラゴニュートに、ラミアに、ピクシー……。でも、三人ともすごく優しくて……」
「ビルム達らしいな。」
ガエンが小さく呟く。
リシアは涙を拭いながら頷いた。
「魔王様が開く大運動会で、たくさんの人に楽しんでもらうための催しを考えているって聞きました。」
「歌ってくれへんかって誘われたんでしょ?」
マイトが尋ねると、リシアは少し笑った。
「はい。最初は迷いました。でも……嬉しかったんです。」
「嬉しかった?」
マイトが聞き返す。
「はい。」
リシアは胸元に手を当てる。
「私の歌を必要としてくれる人がいる。人間とか魔族とか関係なく、ただ一人の歌い手として見てくれたことが……。」
その言葉に、ガエンは静かに目を伏せる。
「だから、喜んで引き受けました。」
しかしリシアの表情が曇る。
「そして……今日、久しぶりに家へ帰って……父にその話をしたんです。」
「……。」
「魔王軍の人達と一緒に、大運動会というものに参加することになったって。」
彼女の声が震える。
「父なら……少しは興味を持ってくれると思っていました。」
「……。」
「私が楽しそうに話せば、きっと笑ってくれると思ったんです。」
リシアは涙をこぼす。
「でも……。」
拳を握る。
「父は……」
『魔王軍の手先か』
『聖騎士を呼べ』
そう言った。
「……。」
「ビルムさん達が悪い人じゃないって、何度も説明しました。」
リシアは首を横に振る。
「でも父は聞いてくれませんでした。私が騙されているって……。魔族に利用されているって……。」
静かな路地に、彼女の嗚咽だけが響く。
ガエンはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくり立ち上がる。
「……そうか。」
その声には怒りよりも、やるせなさが滲んでいた。
「リシア。」
「はい……。」
「君は悪くない。」
リシアが顔を上げる。
「ビルム達も、君を利用したわけじゃない。」
「……。」
「俺はあいつらを知っている。あいつらは損得で誰かを誘うような奴らじゃない。」
ダグラスも頷く。
「むしろ、騒がしくて迷惑なくらい真っ直ぐな連中だ。」
「ダグラスさん、それ褒めてます?」
ラーシャが少しだけ笑う。
「褒めている。」
珍しく即答したことで、少しだけ空気が和らぐ。
しかしガエンの表情はすぐに真剣へ戻った。
「問題は……ビルム達をどう助けるかだ。」
マイトが拳を握る。
「絶対に助けよう。」
「当然だ。」
ガエンは大聖堂の方角を見る。
その先には、まだカーツとの対立が待っている。
「ただ……カーツ司祭とも、もう一度話さなきゃならない。」
リシアは不安そうに尋ねる。
「父と……ですか?」
ガエンは頷く。
「ああ。分かり合える可能性があるなら、俺は諦めたくない。」
その言葉を聞いたリシアは、再び涙を流した。




