141.司祭、怒る
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色鮮やかなステンドグラスから差し込む光が、白い床に七色の模様を描いている。
幼い頃、父に手を引かれて何度も歩いた場所。
その光景は、記憶の中と何も変わっていなかった。
しばらくすると、戻ってきた聖騎士が穏やかに微笑む。
「どうぞ。カーツ司祭がお待ちです。」
「ありがとうございます。」
リシアは一礼し、静かな回廊を歩いていく。
やがて案内された先は、大聖堂の一角にある司祭用の執務室だった。
聖騎士が扉を軽く叩く。
「カーツ司祭、リシア様をお連れしました。」
「……入りなさい。」
聞き慣れた父の声だった。
扉が開く。
机に向かって書類へ目を通していた男が顔を上げた。
厳格そうな顔立ちに司祭服をまとった男、カーツ・ハミルトン。
普段は冷静で厳しい表情を崩さない彼だったが、その視線が娘を捉えた瞬間。
「……リシア。」
その顔が一気に綻ぶ。
「お父さん。」
リシアも柔らかく微笑んだ。
「帰ってきました。」
「よく帰ってきた!」
カーツは思わず立ち上がり、娘の肩に手を置く。
「元気そうで何よりだ……。」
その声には、司祭としてではなく、一人の父親としての温かさが滲んでいた。
「さあ、立ったままでは何だ。座りなさい。」
自ら椅子を引き、娘を座らせる。
向かいに腰を下ろしたカーツは、先ほどまでの厳格な司祭とはまるで別人だった。
「旅はどうだった?」
「とても楽しかったです。」
リシアは嬉しそうに語り始める。
各地で歌を歌ったこと。
多くの人々と出会ったこと。
港町で子どもたちと一緒に歌ったこと。
雪国で歌を披露し、人々が涙を流して喜んでくれたこと。
カーツは終始穏やかな笑みを浮かべながら頷いていた。
「そうか……。」
「歌で誰かを笑顔にできるのは、本当に幸せです。」
「お前は昔からそういう子だったな。」
カーツは目を細める。
「幼い頃から、大聖堂でもよく歌っていた。」
「覚えていてくださったんですね。」
「父親が忘れるものか。」
照れくさそうに笑い合う親子。
その穏やかな空気は、仕事中の執務室とは思えないほど温かかった。
「そうだ、お父さん。」
リシアは思い出したように身を乗り出す。
「実は今回ルミナリアへ来たのも、お仕事があって。」
「ほう?」
「とても嬉しいご依頼をいただいたんです。」
「それは良かった。」
カーツも笑顔で頷く。
「どのような催しなのだ?」
リシアの青い瞳が嬉しそうに輝く。
「魔王様が主催される大運動会で、歌を歌わせていただくことになりました。」
その一言だった。
カーツの笑みが、ぴたりと止まる。
部屋の空気が、一瞬で冷えたように感じられた。
「……何と、言った?」
低く、感情を押し殺した声。
リシアは父の変化に戸惑いながらも答える。
「魔王様主催の大運動会で」
「魔王……だと?」
カーツの表情から父親としての柔らかさは完全に消えていた。
そこにいたのは、魔族を決して許そうとしない司祭、カーツ・ハミルトンだった。
鋭い眼差しが、娘を真っ直ぐ見据える。
「リシア……お前は、魔王の催しに参加するつもりなのか。」
部屋を包んでいた温かな空気は消え去り、重く張り詰めた沈黙だけが流れていた。
張り詰めた空気の中、リシアは父の視線を真っ直ぐ受け止めた。
「……はい。」
その返事に、カーツは目を閉じ、小さく息を吐く。
「そうか……。」
静かな声だった。
だが、その静けさは嵐の前触れに過ぎなかった。
「では聞こう。」
カーツはゆっくりと口を開く。
「スポンサー契約の話をしに来た、あのオーガ達か。」
リシアは首を横に振る。
「オーガ?いえ。」
「違うのか?」
「私が出会ったのは、ドラゴニュートのビルムさんと、ラミアのミリアさん、それからピクシーのナラさんです。」
その三つの種族名が告げられた瞬間だった。
カーツの瞳が鋭く見開かれる。
「……ドラゴニュート、ラミア、ピクシー。」
低く呟いた直後。
ガタンッ!!
椅子が大きな音を立てて倒れた。
「お、お父さん?」
リシアが立ち上がる。
しかしカーツは返事もせず、執務室の扉を勢いよく開いた。
「誰か!!」
廊下に響く怒号。
すぐに待機していた聖騎士が駆け寄る。
「はっ!」
カーツは一切迷わず命令を下した。
「直ちに街中を捜索しろ!」
「ドラゴニュート一名! ラミア一名! ピクシー一名!魔王の手先だ!」
聖騎士達の表情が引き締まる。
「娘をたぶらかし、魔王の催しへ引き込んだ罪で拘束せよ!抵抗するなら実力をもって制圧しろ!」
「はっ!!」
数十人の聖騎士が一斉に走り出した。
甲冑の音が大聖堂中に鳴り響く。
「お父さん!」
リシアは慌てて父の腕を掴む。
「違います!皆さんはそんな人達じゃありません!私は自分の意思で参加したんです!」
しかしカーツは振り返らない。
「リシア。」
その声は冷え切っていた。
「魔族は言葉巧みに人を惑わす。お前は騙されている。」
「違います!」
「ビルムさん達は優しくて……」
「黙りなさい!」
カーツの一喝に、部屋の空気が震えた。
リシアは思わず息を呑む。
「お前は純粋すぎる。だから利用される。彼らは魔王の配下だ。お前を利用し、人間の国へ入り込んだのだ。」
「違う!」
リシアは涙を浮かべながら叫ぶ。
「ビルムさん達は誰も悪いことなんてしていません!私を認めてくれた人達なんです!」
だが、カーツの耳には届かなかった。
「全ては尋問すれば分かる。」
そう言い残し、彼は廊下の先へ歩いていく。
リシアはその背中を見つめるしかなかった。
「お願い……やめて……。」
震える声は、誰にも届かない。
その頃。
宿では、ビルム達がのんびりと昼食を囲んでいた。
「いやぁ、ルミナリアのパンもうまいなぁ。」
ビルムが大きく頬張る。
「このスープ、蛇的には百二十点。」
ミリアが意味の分からない採点を始める。
「パンの中身をくり抜いて部屋にしたい!」
ナラはパンを見つめて目を輝かせていた。
そんな穏やかな空気を切り裂くように、
ドンッ!!
宿の扉が勢いよく開かれた。
「聖騎士団だ!」
「全員動くな!」
十数人の聖騎士が一気に雪崩れ込む。
宿の客達が悲鳴を上げて逃げ惑う。
「え?」
ビルムがパンを咥えたまま固まる。
「ドラゴニュートのビルム!」
「ラミアのミリア!」
「ピクシーのナラ!」
「貴様らを魔王の手先、およびリシア殿誘拐容疑で拘束する!」
「……は?」
ビルムは間の抜けた声を漏らした。
「いやいや、何言うてんねん?」
「誘拐?」
ミリアも首を傾げる。
「むしろ歌姫さん、自分から付いてきたで。」
ナラも慌てて羽をばたつかせる。
「え!? え!? 何のお話!?」
しかし聖騎士達は聞く耳を持たない。
「武器を捨てろ!」
「抵抗すれば反逆罪を追加する!」
「ちょ、ちょっと待って!」
ビルムが両手を上げる。
「話くらい聞いてくれや!」
「手を後ろに!」
ガチャリ、と冷たい手枷がビルムの腕にはめられる。
続いてミリア、そしてナラにも手枷が掛けられた。
宿の主人や客達は、突然の出来事に呆然とその光景を見守ることしかできない。
何が起きているのか分からないまま、ビルム達三人は聖騎士達に囲まれ、牢獄へと連行されていく。
石畳を打つ甲冑の音が、聖都ルミナリアの大通りに響き渡っていた。
「道を開けろ!」
「聖騎士団が通るぞ!」
人々は何事かと左右へ避け、ざわめきが広がっていく。
「一体何があったんだ?」
「魔王の手先が捕まったらしいぞ……。」
「まさか、こんな聖都に?」
不安と好奇心が入り混じった視線が、一斉に一団へと注がれていた。
その頃。
ルミナリアの宿では、ガエン達四人が重苦しい空気の中で昼食を囲んでいた。
「うーん……。」
ガエンは腕を組み、大きくため息をつく。
「エルダーツ様は話を聞いてくれるんだけどなぁ……。」
向かいに座るダグラスも肩をすくめた。
「だが、あの司祭の反発は想像以上だ。」
ラーシャも困ったように俯く。
「スポンサー契約まで、あと一歩だと思っていたんですけど……。」
マイトは苦笑いを浮かべる。
「勇者だった頃も、交渉って戦うより難しかったからなぁ。」
四人は苦笑するしかない。
最後のスポンサー候補。
しかも、ここを逃せば運動会の規模にも大きく影響する。
だからこそ焦りも大きかった。
その時だった。
外から慌ただしい声が聞こえてくる。
「おい!」
「何かあったぞ!」
「聖騎士団だ!」
窓の外を見ると、大勢の人々が同じ方向へ集まっている。
ガエンは立ち上がった。
「……騒がしいな。」
「見に行くか。」
ダグラスも静かに立ち上がる。
四人は宿を出て、人混みの中へ向かった。
通りへ出ると、沿道には黒山の人だかりができていた。
「事件か?」
ガエンが背伸びして前を見る。
そして次の瞬間だった。
「……え?」
思わず声が漏れる。
聖騎士達に囲まれ、手枷を掛けられて歩かされている三人組。
ドラゴニュート、ラミア、ピクシー。
「ビルムさん!?ミリアさん!?ナラさん!?」
ラーシャが思わず叫ぶ。
マイトも目を見開いた。
「何であいつらが!?」
ガエンは信じられないという表情で目を凝らす。
「間違いない……ビルム達だ。」
ダグラスも静かに頷く。
「確かに本人達だ。」
一方、連行されるビルムは困り果てた顔で周囲を見回していた。
「せやから何回も言うてるやろ!俺ら何も悪いことしとらんて!」
ミリアも半ば呆れたように言う。
「私の話よりも意味がわからない。」
「尋問しても同じ答えしか出ぇへんよ。」
ナラも必死だった。
「だから誘拐なんてしてないってばー!」
しかし聖騎士達は無言のまま歩き続ける。
ガチャガチャと鎧の音だけが響いていた。
ガエンは眉をひそめる。
「誘拐……?何の話だ?」
マイトも首を傾げる。
「意味が分からない。ビルムが誰かを誘拐するような奴には見えないけど……。」
ダグラスは周囲の聖騎士達を観察する。
「尋常ではない警戒だ。まるで重大犯罪者でも扱うようだな。」
ラーシャは胸元を押さえ、不安そうに呟く。
「何があったんでしょう……。」
四人には知る由もなかった。
歌姫リシアと出会ったことも。
そのリシアが司祭カーツの娘であることも。
そして、そのリシアの一言がきっかけで、今この騒動が起きていることも。
何一つ知らない。
だからこそ目の前の光景は、あまりにも唐突だった。
ガエンは拳を握り締める。
「……放ってはおけないな。事情は分からない。でも、あいつらが理由もなく人をさらうような連中じゃないことだけは俺には分かる。」
マイトも真剣な表情で頷いた。
「まずは話を聞かないと。このまま牢に入れられたら面倒なことになる。」
ダグラスは静かに周囲を見渡す。
「軽率に動けば、我々まで拘束される可能性が高い。まずは何が起きたのか情報を集めるべきだ。」
ガエンは連行されていくビルム達の背中を見つめながら、小さく息を吐いた。
「……まさかルミナリアで、こんなことになるとはな。」
四人は、人混みの中に消えていくビルム達を見送りながら、この不可解な事件の裏に何があるのかを探るため、静かに動き始めた。




