140.歌姫、帰省する
翌日の昼過ぎ、聖王国ルミナリアへと続く街道を、一台の乗合馬車がゆっくりと進んでいた。
車輪が石畳を心地よく鳴らし、初夏の風が草原を渡っていく。
「もうすぐ見えてくるよー!」
窓から身を乗り出すように外を眺めていたピクシーのナラが、羽をぱたぱたと動かしながら声を弾ませた。
「落ちるで、ナラ。」
隣に座るドラゴニュートのビルムが苦笑する。
「馬車から落ちてルミナリア着く前に人生終わったら、ライブどころやあらへんで。」
「えへへー、大丈夫!」
ナラは全く気にした様子もなく笑う。
向かいの席では、ラミアのミリアが窓の外をぼんやり眺めながら、いつもの調子で呟いた。
「空は魚を食べるけど、雨は靴を履かない。」
「……何言うてんねん。」
ビルムが即座に突っ込む。
「雨が靴履いてたら逆に怖いわ。」
「でも雲は知ってる。」
「何をや!」
「忘れた。」
「忘れたんかい!」
ナラは腹を抱えて笑い始めた。
「ビルムのツッコミ、おもしろーい!」
額を押さえながらため息をつくビルムだった。
そんな三人を見て、小さく笑う女性が一人。
透き通るような銀色の髪。
澄んだ青い瞳。
法衣のような白い旅装束、隠しきれない気品を纏う歌姫リシアだった。
「皆さん、本当に賑やかですね。」
柔らかな笑みに、ビルムも照れくさそうに笑う。
「いやぁ、お恥ずかしいわ。こいつら放っといたら一生こんなんですわ。」
「それが楽しいんです。」
リシアは優しく答える。
「旅というのは、一人より皆で笑っている方が素敵ですから。」
その言葉にナラが大きく頷く。
「リシア、いいこと言うー!」
ミリアも真顔で続ける。
「笑顔はパンより丸い。」
「……まあ、丸いかもしれへんな。」
もはや考えることをやめたビルムだった。
やがて馬車の御者が前を指差す。
「見えてきましたよ! 聖王国ルミナリアです!」
一同が窓の外へ目を向ける。
遠くの丘の向こう。
白亜の城壁が陽光を受けて輝いていた。
街の中心には、天へ届くかのような巨大な大聖堂。
無数の尖塔が青空へ向かって伸び、その姿はまるで女神ステラへの祈りそのものだった。
「わぁ……。」
ナラが目を丸くする。
「きれーい!」
ビルムも思わず感嘆の息を漏らす。
「噂には聞いとったけど……ほんまにでかい街やな。」
ミリアは真剣な顔で呟く。
「白い街は歌を忘れない。」
「今回は意味分かる気がするわ。」
ビルムが珍しく頷いた。
リシアはその街並みを静かに見つめる。
「……帰ってきた。」
誰にも聞こえないほど小さな声。
故郷ルミナリア。
歌姫として旅立って以来、久しぶりに踏む故郷の地だった。
懐かしさと、少しの緊張。
様々な感情が胸の中で静かに交わる。
馬車はやがて大きな門へと近づき、門番による簡単な確認を終えると、ゆっくりと聖都の中へ入っていった。
石畳の広い通りには巡礼者や商人、修道士たちが行き交い、露店からは焼きたてのパンや香草の香りが漂ってくる。
鐘楼からは澄み切った鐘の音が街中へ響き渡った。
「さて。」
ビルムは立ち上がり、大きく伸びをする。
「まずは宿を取って、それからライブに出てもろう芸人さんや音楽家、それに芸術家探しや!」
「おーっ!」
ナラが元気よく拳を上げる。
「まずは面白そうな人を探す!」
「面白い人は風の裏側にいる。」
ミリアが真顔で言う。
「どこやねん、その風の裏側!」
街へ響くビルムのツッコミに、リシアは思わず声を上げて笑った。
その笑顔を乗せるように、聖都ルミナリアの鐘は、穏やかな午後の空へと澄み渡っていた。
鐘の音が静かに街へ響く中、一行は大通りの分かれ道で足を止めた。
リシアはどこか懐かしそうに周囲を見回し、小さく息をつく。
「皆さん。」
三人が振り向く。
「私は久しぶりに実家へ行ってまいります。」
その言葉にナラが目を輝かせた。
「リシアのおうちー?」
「はい。この街を出てから長いので、家族も驚くと思います。」
優しい笑顔を浮かべるリシア。
ビルムはにかっと笑って親指を立てた。
「そらそうや。せっかく故郷帰ってきたんやし、まず家族に顔見せたらええ。」
「ありがとうございます。」
リシアは軽く頭を下げる。
ミリアは真顔のまま口を開いた。
「家は帰るために歩いてる。」
「歩いてるんは人間や。」
ビルムがすかさず突っ込む。
「でも言いたいことは分からんでもないな。」
ナラも笑顔で大きく手を振った。
「またあとでねー!」
「はい。また後ほど。」
リシアも手を振り返し、石畳の道をゆっくりと歩き始める。
見慣れた街並み。
幼い頃によく遊んだ噴水。
季節ごとに花が咲く広場。
鐘楼の音色。
懐かしい景色を一つひとつ胸に刻むように歩きながら、自然と足は実家へ向かっていた。
その後ろ姿を見送ると、ビルムは両手を腰に当てる。
「ほな、俺らも行こか。」
「まずは宿!」
ナラが元気よく跳ねる。
「宿は眠るために建っている。」
「それは合ってる。」
珍しくミリアの言葉に頷くビルムだった。
三人は宿屋街へ向かい、大通りに面した落ち着いた雰囲気の宿へ入った。
受付の女性に人数を伝え、一部屋を借りる。
荷物を部屋へ置き、一息ついたビルムは窓を開けた。
眼下には多くの人々が行き交う賑やかな通り。
遠くには白亜の大聖堂が堂々とそびえている。
「ええ街やなぁ。」
思わずそんな言葉が漏れた。
荷物を置き終えると、三人は再び宿を出る。
「さぁて、本番や。」
ビルムは肩を鳴らす。
「運動会のライブに出てくれる芸人、音楽家、芸術家……できるだけたくさん見つけるで!」
「おー!」
ナラが元気いっぱいに拳を突き上げる。
「風の裏側にも行く?」
ミリアが首をかしげる。
「行かへん。」
即答だった。
「まずは人が集まる広場や、市場、それに劇場や。」
「なるほどー!」
「大道芸人もおるかもしれへんし、吟遊詩人や画家もおるやろ。片っ端から声かけるで!」
三人は活気あふれる聖都の中心街へと歩き出す。
大道芸人が火の玉を操り、楽団が陽気な演奏を奏で、絵描きたちが街角でキャンバスを広げる、芸術と信仰が共存するルミナリア。
ビルムたちは期待に胸を膨らませながら、運動会をさらに盛り上げてくれる仲間との新たな出会いを求め、賑わう街の中へと消えていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方その頃、リシアは懐かしい石畳の道をゆっくりと歩いていた。
幼い頃から何度も駆け回った坂道。
季節ごとに花が咲く小さな花壇。
窓辺に飾られた白い花。
街並みは少しずつ変わっていたが、それでも故郷の空気は昔と何も変わっていなかった。
「懐かしい……。」
自然と頬が緩む。
やがて大聖堂のほど近くに建つ、一軒の小さな家が見えてきた。
白い漆喰の壁に木製の扉。
庭には母が大切に育てていた色とりどりの花々が咲いている。
「ただいま……。」
小さく呟きながら、リシアは扉をゆっくりと開いた。
「ただいま帰りました。」
家の中から、ぱたぱたと足音が響く。
「……え?」
顔を出したのは、優しい面立ちの女性だった。
リシアの姿を見た瞬間、その瞳が大きく見開かれる。
「リシア……?」
「お母さん。」
次の瞬間、女性は涙ぐみながら娘を抱き締めていた。
「リシアぁ……! 本当にリシアなのね!」
「はい。ただいま帰りました。」
リシアも優しく抱き返す。
「もう……何年ぶりになるのかしら……。」
「ごめんなさい。旅ばかりで、なかなか帰れなくて。」
「いいのよ。」
母は首を横に振る。
「あなたが元気なら、それだけで十分なんだから。」
しばらく親子は何も言わず、再会の温もりを確かめ合っていた。
やがて母は笑顔を浮かべる。
「さあ、中へ入りなさい。お茶を淹れるわ。」
「ありがとうございます。」
居間は昔のままだった。
木の机。
壁に飾られた女神ステラの絵。
幼い頃にリシアが歌の練習をしていた古い竪琴も、大切に飾られている。
「本当に変わっていませんね。」
「お父さんがね、『帰ってきた時に懐かしいと思える家でありたい』って、ずっとこのままにしているの。」
その言葉に、リシアは胸が温かくなった。
温かいお茶を飲みながら旅の話をする。
各地で歌を歌ったこと。
たくさんの仲間と出会ったこと。
母は何度も嬉しそうに頷きながら耳を傾けていた。
ひとしきり話し終えると、リシアが辺りを見回す。
「あれ……お父さんは?」
母は少し笑って答える。
「今日は大聖堂でお仕事よ。」
「やっぱり。」
「ちょうど今頃なら、まだいるはず。」
母は優しく微笑んだ。
「せっかく帰ってきたんだもの。お父さんにも会いに行ってあげなさい。きっと仕事中だけど、あなたの顔を見たら喜ぶわ。」
リシアも嬉しそうに頷く。
「はい。行ってきます。」
立ち上がると母に軽く頭を下げ、再び家を後にした。
そして数分後。
街の中心にそびえ立つ、大聖堂へとやって来る。
白亜の壁は陽光を浴びて神々しく輝き、巡礼者たちが静かに祈りを捧げながら出入りしている。
正門には、白銀の鎧に身を包んだ二人の聖騎士が槍を手に立っていた。
リシアはゆっくりと近付き、丁寧に一礼する。
「失礼いたします。」
その澄んだ声に、聖騎士たちが視線を向ける。
「私はリシア・ハミルトンです。」
穏やかな笑みを浮かべながら続けた。
「父に会いに参りました。お取り次ぎをお願いできますでしょうか。」




