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静寂の城〜魔王は世界征服をしたい〜  作者: 赤井六舷
人間領聖王国、ルミナリア

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139.司祭、話をする 後編

重苦しい沈黙が会議室を支配していた。

誰もすぐには言葉を発せない。

カーツの決意はあまりにも固く、ガエンの誠実な言葉も、その壁を崩すには至らなかった。

ガエンはしばらく目を閉じ、小さく息を吐く。


「……一つだけ、訂正させてください。」


「何です。」


カーツは冷たい視線を向けた。

ガエンはゆっくりと顔を上げる。


「俺は先ほど、自分は農家の出だと言いました。」


「ええ。」


「ですが、正確には違います。」


その一言に、カーツが僅かに眉を動かした。


「違う?」


ガエンは静かに頷く。


「俺を農家として育ててくれたのは、人間の農家です。」


「……。」


「俺は、生まれた時から農家だったわけではありません。」


ガエンは遠くを見るような目になる。


「まだ幼かった頃、森に捨てられていたそうです。」


その場の空気がわずかに揺れる。


「……捨てられていた?」


「ええ。」


ガエンは苦笑した。


「俺はその頃の記憶はありません。ただ、育ての父さんと母さんから聞きました。」


静かに、自分の胸へ手を当てる。


「森で泣いていた小さなオーガを見つけた人間の夫婦がいました。」


カーツは何も言わない。


「その二人は、そのオーガを恐れませんでした。」


ガエンの声は穏やかだった。


「オーガだから殺そうとも、追い払おうともせず、『この子も腹を空かせているだけだ』と言って抱き上げたそうです。」


会議室にいる司祭達の表情が変わっていく。


「そして、そのまま家へ連れて帰り……。」


ガエンは少しだけ照れ臭そうに笑う。


「息子として育ててくれました。」


その瞬間。


「……なに?」


カーツの口から、思わずそんな言葉が漏れた。

今まで一度も崩れなかった表情が、ほんの僅かだけ揺らぐ。

オーガを人間が息子として育てた。

その事実は、彼の知る歴史のどこにも存在しなかった。


「馬鹿な……。」


思わず漏れた呟き。

ガエンは静かに続ける。


「父さんは畑仕事を教えてくれました。母さんは料理を教えてくれました。悪いことをすれば叱られ、頑張れば褒められました。」


少し笑う。


「畑を荒らして、鍬で追い回されたこともあります。」


会議室の何人かが思わず苦笑する。

その光景はあまりにも普通の親子だった。


「俺は人間の村で育ちました。」


ガエンは真っ直ぐカーツを見る。


「だから、人間を憎めと言われてもできません。」


「……。」


「俺には父さんと母さんがいます。村のみんながいます。一緒に笑って、一緒に働いて、一緒に収穫を喜んだ人達がいます。」


その言葉には飾りがなかった。

だからこそ重かった。


「もちろん、俺がオーガだと知って恐れた人もいました。嫌われたこともあります。石を投げられたこともあります。」


ラーシャが息を呑む。

マイトもダグラスも黙ってガエンを見つめていた。


「それでも父さんは言いました。」


ガエンは優しく微笑む。


「『お前は俺達の息子だ。それだけで十分だ』と。」


静寂。

誰も口を開けない。

その言葉は、どんな理屈よりも重かった。

カーツはガエンを見つめたまま動かない。

その瞳には、ほんの一瞬だけ迷いが宿る。

そして、上座に座るエルダーツもまた、静かにガエンを見つめていた。


「……。」


普段は微笑みを崩さない最高司祭の瞳が、わずかに揺れる。

それは驚きだったのか。

それとも、胸の奥に眠っていた何かを思い出したのか。

誰にも分からない。

ただ一つ確かなのは、この場にいる誰もが、ガエンというオーガの歩んできた人生は、自分たちが思い描いていたものとはまるで違っていたという事実を、否応なく突きつけられていた。

重い沈黙がなおも会議室を包み込む。

誰も、その静寂を壊そうとはしなかった。

やがてカーツが、ゆっくりと口を開く。


「……確かに。」


その声は先ほどまでより幾分落ち着いていた。


「あなたが人間に育てられ、人間を家族として愛していることは理解しました。」


ガエンは黙って頷く。


「ですが。」


その一言で、空気が再び張り詰める。


「だからといって、それで魔王が信用できるという話にはなりません。」


会議室の司祭達も息を潜める。

カーツはガエンを真っ直ぐ見据えた。


「あなたという一人のオーガが善人だった。それは認めましょう。」


その言葉は、彼にとって大きな譲歩だった。


「しかし、それは魔王という存在まで信用できる理由にはならない。」


静かながらも揺るがぬ声。


「百年前、多くの人間が魔族に命を奪われました。その頂点に立っていたのが魔王です。」


拳を静かに握る。


「歴代魔王がどうであれ、今代の魔王がどうであれ……私は簡単に『信用しましょう』とは言えません。」


誰も反論しない。

それは憎しみだけではない。

彼なりに、人々を守ろうとする責任感から出た言葉だと、この場の誰もが理解していた。

ガエンは少しだけ目を伏せると、小さく頷いた。


「ええ。」


その返事に、カーツが僅かに眉を動かす。


「俺も、信用しろとは言いません。」


「……。」


「信用っていうのは、人から命令されてするものじゃない。」


ガエンは農夫らしい穏やかな口調で続ける。


「畑だって同じです。」


司祭達が耳を傾ける。


「種をまいた日に、『絶対に実る』なんて誰にも分かりません。」


静かに手を開く。


「水をやって、雑草を抜いて、毎日様子を見て……それでも駄目な年はあります。」


カーツは黙って聞いている。


「だからといって、種をまく前から『どうせ実らない』と決めつけたら、畑は何も返してくれません。」


ガエンは真っ直ぐカーツを見た。


「俺が言いたいのは、それだけです。」


少しだけ笑う。


「信用しろとは言いません。」


その笑みは穏やかだった。


「でも……考える余地くらいは、あるんじゃないでしょうか。」


「……。」


「今代の魔王がどんな人なのか。本当に百年前と同じなのか。」


静かに言葉を重ねる。


「それを見極める前から答えを決めてしまうのは、少しもったいない気がするんです。」


再び沈黙が訪れる。

しかし先ほどまでとは違う。

その沈黙は、互いの言葉を噛み締めるための静けさだった。

しばらくして上座に座るエルダーツが、静かに立ち上がる。

その動きだけで、会議室中の視線が集まった。


「……今日は、ここまでにしましょう。」


穏やかな声が響く。

誰も異論を唱えない。

エルダーツはゆっくりとカーツへ視線を向けた。


「カーツ。」


「……はい。」


「あなたの危惧も、責任感も理解しています。」


カーツは静かに頭を下げる。


「ですが、人は時に、自分が信じてきたものとは違う現実を前にした時こそ、一度立ち止まらねばなりません。」


エルダーツの眼差しは厳しくも優しかった。


「ガエン殿の話は、あなたが知る歴史だけでは語れない現実でした。」


カーツは唇を結ぶ。


「もう一度、冷静になって考えてみなさい。」


静かな口調だった。

だが、その言葉には最高司祭としての重みがあった。


「私も今日すぐに答えを出すつもりはありません。」


エルダーツは会議室全体を見渡す。


「だから皆も、それぞれの立場や感情だけでなく、この国の未来、人々の未来という視点から、もう一度考えてください。」


司祭達は一人、また一人と静かに頷いた。

カーツもすぐには返事をしなかった。

やがて小さく息を吐き、


「……承知しました。」


そう答える。

その表情から迷いが消えたわけではない。

だが、頑なに閉ざされていた心には、ごくわずかな隙間が生まれていた。

その小さな変化を見届けながら、エルダーツは静かに会議の終わりを告げた。


「本日の話し合いは、これにて終了とします。」


会議室に鐘の音が遠く響き渡り、それぞれが胸に様々な思いを抱えたまま、静かに席を立ち始めた。

重厚な扉が静かに閉まり、ガエン達と司祭達の足音も次第に遠ざかっていく。

やがて会議室には、最高司祭エルダーツただ一人だけが残された。


静寂。


広い会議室に響くのは、窓から差し込む風がカーテンを揺らす微かな音だけだった。

エルダーツは椅子に深く腰掛けたまま、小さく息を吐く。


「……さて、どうしたものか。」


その声音には疲労ではなく、深い思索が滲んでいた。

ガエンの言葉。

カーツの言葉。

どちらも間違いではない。

百年前の戦争を知る者として、人々の不安を軽視することはできない。

だが同時に、ガエンという一人のオーガが歩んできた人生もまた、紛れもない真実だった。


「人間に育てられたオーガ……。」


エルダーツは静かに目を閉じる。

その胸の奥に、遠い昔の記憶が僅かによぎった。


「……まさか。」


思わず漏れたその一言。

だが、それ以上は何も言わなかった。

ゆっくりと首を振る。


「いや……まだ確証はない。」


誰に聞かせるでもない独り言。

そしてエルダーツは窓の外に広がる聖王国ルミナリアの街並みを静かに見つめた。


「もし、あの子供が本当に……。」


その言葉は最後まで紡がれることなく、静かな風に溶けていった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


その頃。

ルミナリアの宿屋では、ガエン達が部屋へ戻ってきていた。

扉を閉めると、張り詰めていた空気がようやく解ける。


「はぁ……。」


ラーシャが大きく息を吐き、そのまま椅子へ腰を下ろした。


「さすがに緊張しました……。」


「俺もだよ。」


マイトが苦笑する。


「勇者として魔王を庇うような話をする日が来るなんて、昔の俺なら想像もできなかったよね。」


ダグラスも壁にもたれながら腕を組む。


「今日はさすがに骨が折れたな。」


するとガエンが頭を掻きながら笑った。


「はは……やっぱり、そう簡単にスポンサー契約ってわけにはいかないな。」


その言葉に、部屋の空気が少しだけ和らぐ。


「私は昨日の雰囲気なら、今日には契約できるものだと思っていました。」


ラーシャが少し残念そうに肩を落とす。

マイトも頷いた。


「俺もそう思ってたよ。最高司祭様も好意的だったしね。」


「だが、あのカーツという司祭の言葉も理解はできる。」


ダグラスは静かに言った。


「百年前の戦争を知識として教えられ続ければ、ああ考えるのも無理はない。」


ガエンも真剣な表情で頷く。


「ああ。俺も責める気にはなれない。」


少しだけ笑う。


「畑だって、長年荒れ地だった場所を耕そうとすれば時間がかかるしな。」


「また畑ですか。」


ラーシャがくすりと笑う。


「だって分かりやすいだろ?」


ガエンも笑い返した。


「土は一日じゃ変わらない。でも、毎日耕して、水をやっていれば少しずつ柔らかくなる。」


その言葉に三人は自然と頷く。


「今回も同じだと思う。」


ガエンは窓の外を見つめる。


「今日ですぐ答えが出なかったからって、駄目になったわけじゃない。」


マイトが腕を組みながら笑う。


「確かに。あの最高司祭様、すぐ断るつもりなら、あんな終わらせ方はしなかった。」


「ええ。」


ラーシャも頷く。


「まだ考えてくださるということですもの。」


ダグラスは静かに口元を緩めた。


「なら、俺達にできることは待つことだけだ。」


「そうだな。」


ガエンは大きく伸びをした。


「焦っても仕方ない。今日はゆっくり休もう。」


そう言って笑うガエンにつられ、仲間達も穏やかな笑みを浮かべる。

聖王国ルミナリア。

スポンサー集め最後の国。

その答えは、まだ誰にも分からない。

だが、今日交わされた言葉は確かに、人と魔族を隔てる百年の壁へ、小さな一本の鍬を打ち込んでいた。

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