138.司祭、話をする 前編
ガエン達はエルダーツに呼び出され再び大聖堂へ向かっていた。
宿を出る前、マイトは少し嬉しそうに笑っていた。
「昨日の感じなら、ほとんど決まりみたいなものだと思うけどな。」
「まあ、悪い反応ではなかったな。」
ガエンも頷く。
「スポンサー探しも、これで最後の国だ。ここまで来て断られたら、さすがにきついからな。」
ラーシャは街並みを眺めながら微笑む。
「聖王国ルミナリアなら、魔王様の考えも理解してくれると思っています。」
ダグラスだけはいつもの無表情だった。
「……油断はするな。」
「相変わらず慎重だな、ダグラス。」
「命が懸かった話だ。」
短いやり取りをしながら、大聖堂へ到着する。
しかし門を抜けた瞬間ガエン達は違和感を覚えた。
昨日とは空気が違う。
聖騎士達は礼儀正しく迎えてくれる。
だが、その表情にはどこか緊張があった。
「……?」
マイトが小さく呟く。
「昨日とは雰囲気が違うね。」
ガエンも頷いた。
「何かあったか……?」
案内されて会議室へ向かう。
重厚な扉が開く。
その先には、昨日と同じように司祭達が並んでいた。
だが昨日のような穏やかな笑顔はない。
中央にはエルダーツ。
そして、その隣にはカーツ・ハミルトンが座っていた。
ガエン達は一瞬、足を止める。
「……これは。」
マイトが小声で言う。
「思っていたのと違うね。」
ガエンは表情を引き締める。
「気を抜くな。」
四人は前へ進み、礼をする。
「お呼びいただきありがとうございます。」
エルダーツは静かに頷いた。
「来てくれてありがとうございます。」
その声はいつも通り穏やかだった。
しかし。
「ですが……先にお伝えしなければならないことがあります。」
ガエン達は顔を上げる。
エルダーツはゆっくり話し始めた。
「昨日、皆さんのお話を聞いた後、司祭達で議論を行いました。」
「はい。」
「多くの者は、大運動会の理念に賛同しています。」
その言葉に、ガエン達の表情が少し緩む。
だが。
「しかし……反対意見も出ました。」
その瞬間、空気が変わる。
「……反対。」
ラーシャが小さく呟く。
エルダーツは頷いた。
「理由は、魔王様が主催者であること。そして、人間と魔族が手を取り合うことへの不安です。」
ガエンの笑顔が消える。
ダグラスも目を細める。
マイトは静かに視線を落とした。
「……そういうことか。」
エルダーツは続ける。
「特に、このカーツは強い疑問を持っています。」
全員の視線がカーツへ向く。
カーツは立ち上がった。
「ガエン殿。」
「はい。」
「あなたにいくつか質問があります。」
声は冷静だった。
しかし、そこには強い警戒が込められていた。
「まず聞きます。」
カーツはガエンを見る。
「なぜ魔王は、人間との交流などというものを望むのですか?」
ガエンは少し考えてから答える。
「魔王様は、魔族と人間がいつまでも争い続けることを望んでいません。」
「それだけですか?」
「……。」
「魔王という立場なら、人間を支配することもできたはずだ。」
カーツの声が強くなる。
「それをせず、なぜ今になって友好を求める?」
ガエンは真っ直ぐ答える。
「魔王様自身が、過去の戦争を終わらせたいと思ったからです。」
「過去の戦争。」
カーツはその言葉を繰り返す。
「多くの人間が死んだ戦争です。」
「……はい。」
「その責任を、魔族はどう考えているのですか?」
重い質問。
ガエンはすぐには答えなかった。
やがて。
「忘れてはいけないと思っています。」
カーツの眉が動く。
「忘れない?」
「はい。」
ガエンは続ける。
「戦争で失われた命は、人間だけではありません。魔族にも多くの犠牲者がいました。」
「……。」
「だからこそ、同じことを繰り返したくない。」
カーツは黙って聞いていた。
しかし。
「綺麗な言葉ですね。」
その一言で空気が張り詰める。
「ですが、それで失われた命が戻りますか?」
「……。」
「家族を奪われた者に、未来のためだから許せと言えるのですか?」
ガエンは答えに詰まる。
カーツの言葉は厳しい。
だが、間違っているとも言えなかった。
そこへマイトが口を開く。
「カーツさん。」
「何ですか、勇者殿。」
「俺は先代勇者のことを聞いて知っています。」
マイトは静かに続ける。
「確かに、先代勇者は魔王を倒すために戦った。」
「……。」
「でも、俺が受け継いだのは剣だけじゃない。」
マイトは拳を握る。
「人々を守る意思です。」
「守る?」
カーツが問い返す。
「ならば聞きます。」
一歩前へ出る。
「もし次の魔王が、再び人間を襲ったら?」
「……。」
「もし今回の友好が、魔族にとって力を蓄えるための時間稼ぎだったら?」
マイトは黙る。
カーツはさらに続けた。
「勇者殿は、その時も魔王を信じると言えますか?」
沈黙。
マイトはしばらく考えた。
そして。
「……言えます。」
カーツの目が鋭くなる。
「なぜです?」
「信じるっていうのは、疑わないことじゃないからです。」
マイトは答えた。
「間違えた時に止める覚悟を持つことです。」
その言葉に、カーツは少しだけ目を見開く。
だが。
「しかし、あなたは魔族と共に歩いている。」
「はい。」
「ならば、あなた自身が間違っている可能性は?」
部屋が静まり返る。
マイトはすぐには答えなかった。
その横でガエンが口を開く。
「俺達は、魔王様を盲目的に信じているわけじゃありません。」
カーツを見る。
「疑うことも必要だと思っています。」
「……。」
「だからこそ、こうして各国を回っている。」
ガエンは続ける。
「多くの人間に、この話を聞いてもらうために。」
しかしカーツは首を横に振った。
「それでも。」
低い声。
「あなた達は、魔王を信じている。」
「はい。」
「ならば聞きます。」
カーツは資料を手に取る。
「もし、この大運動会で人間側に犠牲者が出た場合。」
一枚の紙を置く。
「あなた達は、その責任を取れるのですか?」
ガエン達の表情が変わる。
「魔王を信じた結果、人間が傷ついた時。」
カーツは静かに言う。
「その時、あなた達は何と言うのですか。」
誰もすぐには答えられなかった。
会議室に沈黙が落ちる。
エルダーツはその様子を静かに見ていた。
これはただの反対意見ではない。
過去を背負った者の問いだった。
そしてガエン達は初めて理解する。
この国で越えなければならない壁は契約書でも金銭でも権力でもない。
人間が抱える、百年分の恐怖なのだと。
カーツは沈黙するガエン達を見つめていた。
その視線には、相手を追い詰めようとする冷たさだけではない。
長い年月をかけて積み重ねてきた疑念と、決して譲れない信念があった。
「……答えられませんか。」
「……。」
ガエンはゆっくり息を吐く。
「簡単に答えられることではありません。」
「そうでしょうね。」
カーツは淡々と言う。
「人の命を背負う覚悟など、口ではいくらでも言える。」
その言葉に、ガエンは黙って聞いていた。
「ですが、現実は違う。」
カーツは机の上に置かれた資料を指で叩く。
「戦争を経験した者達は、そんな綺麗な言葉では救われなかった。」
「……。」
「明日には戻ると思っていた家族が帰ってこない。守ると言った者が目の前で倒れる。魔族に奪われたものは、魔族との握手で消えるものではない。」
声が少しずつ強くなっていく。
ガエンはその言葉を聞きながら、静かに口を開いた。
「カーツ殿。」
「何ですか。」
「私は農家の出です。」
突然の言葉に、カーツの眉が僅かに動く。
「農家?」
「はい。」
ガエンは自分の手を見る。
「土を耕して、種をまいて、作物を育てる仕事をしていました。」
「……それが今の話と何の関係が?」
カーツの声には苛立ちが混じる。
しかしガエンは続けた。
「畑は、一度荒れてしまうとすぐには元に戻りません。」
「……。」
「長い時間をかけて土を整えて、水を与えて、また種を植える。以前と同じ畑になるまで、何年もかかることがあります。」
ガエンはカーツを見る。
「人間と魔族の関係も、同じだと思っています。」
「……。」
「百年続いた憎しみは、一日で消えるものではない。だからこそ、少しずつ変えていく必要がある。」
カーツはしばらく黙っていた。
そして。
「例え話ですか。」
「……。」
「畑と人の命を同じにするのですか?」
ガエンの表情が僅かに曇る。
「そういう意味ではありません。」
「ですが、あなたは今、未来のために過去を土に埋めろと言っているように聞こえる。」
「違います。」
ガエンは首を振る。
「過去を忘れるなと言っているんです。」
「ならば、魔族を許せるのですか?」
「許す……?」
「そうでしょう。」
カーツの声が鋭くなる。
「魔族と共に歩むということは、過去を許したということではないのですか?」
ガエンは少し間を置いた。
「許すことと、繰り返さないことは違います。」
その言葉に、カーツの目が細くなる。
「……。」
「憎しみを持ち続ければ、同じ悲劇がまた生まれる。だから、止める方法を探しているだけです。」
しかし。
「理想論ですね。」
カーツは即座に切り捨てた。
「農業なら、失敗した種を捨てればいい。ですが、人の命はやり直せない。」
ガエンは黙る。
「あなたは優しい。」
カーツは言う。
「しかし、その優しさで傷つく者が出る可能性を考えているのですか?」
その瞬間。
「……少し、言い過ぎです。」
小さな声が響いた。
全員がそちらを見る。
ラーシャだった。
普段なら、人と争うことを避ける彼女が。
いつもなら、ガエンの後ろで静かに頷いている彼女が。
珍しく眉を寄せていた。
「ラーシャ……?」
ガエンが驚いたように見る。
ラーシャは少し震えながらも、カーツを見る。
「ガエンさんは……過去を軽く考えてなんていません。」
「……。」
「誰よりも、戦争で傷ついた人達のことを考えています。」
ラーシャの声は決して大きくない。
だが、はっきりしていた。
「魔族だから、人間だからじゃなくて……目の前にいる人を見ようとしているんです。」
「……。」
「それを……簡単に理想論だと言わないでください。」
会議室が静まり返る。
ガエンも、ダグラスも、マイトも驚いていた。
いつもなら争いを避けるラーシャが、ここまで強い言葉を使うことはなかったからだ。
カーツはそんなラーシャを見て。
「……。」
そして。
「ふっ。」
小さく鼻で笑った。
「なるほど。」
ラーシャの表情が強張る。
「魔族でありながら、人間を庇う者もいるということですか。」
「……何を言っているんですか。」
「いや。」
カーツはラーシャを見る。
「あなたのような存在がいるからこそ、危険なのだと思っただけです。」
空気が凍る。
「危険……?」
マイトが低い声で呟く。
カーツは立ち上がった。
「魔族と仲良くする人間。魔族を理解しようとする人間。魔族を信じようとする人間。」
一つずつ言葉を重ねる。
「それは一見、素晴らしい行いに見える。ですが。」
カーツの目が鋭く光る。
「その優しさが、人間を滅ぼす可能性もある。」
「……!」
ラーシャが言葉を失う。
「歴史を忘れた者は、また同じ過ちを繰り返す。」
カーツはガエン達全員を見る。
「百年前、魔族を信じた者達がいた。共存できると言った者達がいた。そして、その結果何が起きた?」
重い沈黙。
「人間の街は焼かれ、多くの命が失われた。」
カーツの声は震えていた。
怒りなのか、悲しみなのか。
「私は……二度と同じことを繰り返させない。」
エルダーツは静かに目を伏せる。
カーツの言葉の奥にあるものを理解していた。
彼は単純に魔族を憎んでいるのではない。
過去の悲劇を知りすぎたからこそ、未来を恐れている。
しかし、その恐れが今度は新たな壁になろうとしていた。
ガエンはゆっくり立ち上がる。
「カーツ殿。」
「……。」
「あなたの恐れは理解できます。」
「理解?」
カーツが睨む。
「本当に?」
「はい。」
ガエンは真っ直ぐ答える。
「私も農家だった頃、初めて畑を任された時は怖かった。失敗すれば家族を困らせる。天候が崩れれば努力が無駄になる。だから慎重になった。」
一呼吸置く。
「ですが、怖いからと言って種をまかなければ、何も育ちません。」
カーツの表情が僅かに変わる。
「……。」
「私達は、種をまこうとしているだけです。」
しかしカーツは静かに首を振った。
「違います。」
「あなた達がまこうとしている種が、毒だったら?」
「……。」
「それを証明できますか?」
再び沈黙が落ちる。
そしてカーツは告げる。
「私は認めません。魔族との共存など。人間が再び傷つく可能性がある限り。」
会議室の空気は、さらに重く沈んでいった。




