137.議論、再び白熱する
翌朝。
聖都ルミナリアの大聖堂。
朝日が高くそびえるステンドグラスを照らし、色鮮やかな光が会議室の床へ落ちていた。
しかし、その美しい光景とは裏腹に、室内には重い空気が漂っていた。
中央の長机には、昨日と同じように司祭達が並び、その奥には最高司祭エルダーツ・リストが静かに座っている。
そして、その中にはカーツ・ハミルトンの姿もあった。
司祭達はそれぞれ資料に目を通しながら、昨日の議論の続きを始める準備をしている。
しばらくして、エルダーツがゆっくりと口を開いた。
「では、昨日に引き続き議論を始めましょう。」
穏やかな声。
しかし、その場にいる全員が分かっていた。
この議題は簡単には終わらない。
「魔王主催の大運動会への協力。そしてスポンサーとしての参加について。」
エルダーツは一度、全員を見渡す。
「昨日、多くの意見を聞きました。賛成する者、慎重な判断を求める者。そして……反対する者。」
視線が自然とカーツへ向く。
カーツは表情を変えず、静かに口を開いた。
「私は昨日と同じです。」
低く、はっきりとした声。
「反対します。」
室内に沈黙が落ちる。
何人かの司祭が小さく息を吐いた。
カーツは続ける。
「理由も変わりません。我々が支援しようとしている相手は、魔王です。」
「しかし、現在の魔王は戦争を望んでいません。」
一人の司祭が反論する。
「ガエン殿達の話を聞いた限りでは、魔王は人間との交流を望んでいる。大運動会も、そのための場なのでしょう。」
カーツはその言葉に視線を向けた。
「では、あなたはそれを完全に信じられるのですか?」
「……。」
「魔王が今は平和を望んでいるとしても、それが永遠だという保証はありません。」
カーツの言葉は静かだった。
だが、その一つ一つには強い確信が込められていた。
「百年前、我々の祖先も同じように魔族の力を恐れました。そして実際に、多くの人間が命を奪われた。」
「それは過去の話です。」
別の司祭が言う。
「確かに百年前の戦争は悲劇でした。しかし、今の魔族達は違います。フィルドリアやアトラマリスで、彼らと共に暮らしている人間もいる。」
「それでもです。」
カーツは即座に返した。
「過去の犠牲を忘れてはいけない。」
その言葉に、何人かの司祭が黙り込む。
カーツは机の上に置かれた資料へ目を落とす。
そこにはガエン達が提出した大運動会の概要が書かれていた。
競技内容。
参加予定国。
交流目的。
どれも平和的なものだった。
それでも。
「私は……この催しそのものを疑っているわけではありません。」
カーツは言った。
「問題は、その裏にいる存在です。」
「魔王、ですか。」
「はい。」
カーツは頷く。
「魔族の王が、人間との友好を望む。その言葉を疑うなという方が無理があります。」
「ですが、勇者マイト殿も同行しています。」
司祭の一人が言った。
「彼は先代勇者の意思を継ぐ存在です。その彼が魔王を信用している。」
その瞬間。
カーツの表情がわずかに険しくなる。
「……だからこそ、問題なのです。」
「?」
「勇者とは、本来、人々を守る存在です。」
カーツは拳を握る。
「先代勇者は命を懸けて魔王を倒した。その意思を受け継ぐ者が、魔王と共に歩むなど……。」
「カーツ。」
エルダーツが静かに呼ぶ。
しかし、カーツは止まらなかった。
「私は理解できません。」
「勇者が間違っていると言いたいのですか?」
司祭の問い。
カーツはしばらく沈黙した。
そして。
「……はい。」
その言葉に、部屋の空気が変わった。
「今の勇者は、平和を望んでいるのかもしれません。」
カーツは続ける。
「ですが、その平和のために忘れてはいけないものがある。失われた命です。魔族によって奪われた人々の未来です。我々が彼らを許すことは、犠牲になった者達を裏切ることにならないのですか。」
重い沈黙。
昨日まで賛成寄りだった司祭達も、簡単には言葉を返せなかった。
エルダーツは目を閉じる。
カーツの言葉には、強い憎しみがある。
しかし同時に。
彼が本当に守ろうとしているものも理解していた。
「……カーツ。」
「はい。」
「君は魔族を信用できないのですね。」
カーツは迷わず答える。
「はい。」
「なぜなら、彼らが悪だから。」
その言葉に、エルダーツは静かに問い返す。
「では……今目の前にいる魔族も、全て悪だと言い切れますか?」
カーツの視線が揺れる。
ガエン。
ダグラス。
ラーシャ。
そして、魔族と共に歩く勇者。
一瞬だけ、昨日見た彼らの姿が浮かぶ。
だが。
「……。」
カーツは目を伏せた。
「例外が存在することは認めます。ですが。」
顔を上げる。
「例外を信じた結果、再び悲劇が起きた時……誰が責任を取るのですか。」
その問いに、誰もすぐには答えられなかった。
会議室には重い沈黙が流れる。
エルダーツは窓の外を見る。
聖都の街には、今日も多くの人々が暮らしている。
かつて争った人間と魔族。
今は同じ空の下で生きている。
だが過去の傷が完全に消えたわけではない。
「……議論を続けましょう。」
エルダーツが静かに告げる。
「我々が決めるべきなのは、ただ賛成か反対かではありません。なぜ、この話を受けるのか。そして、もし受けるなら……何を信じ、何を確認するべきなのか。」
司祭達は再び意見を交わし始める。
賛成派は未来を見る。
慎重派は現実を見る。
そしてカーツは、過去を見る。
しばらくの間、議論は続いた。
しかし、昨日とは違っていた。
賛成派の司祭達も、カーツの言葉によって簡単には結論を出せなくなっている。
魔族との共存。
過去の戦争。
そして、未来への可能性。
どれも間違いとは言い切れない。
そんな中、エルダーツは静かにカーツへ視線を向けた。
「カーツ。」
「はい。」
「君の考えは分かりました。」
エルダーツの声は穏やかだった。
「君が魔族を憎んでいるのではなく……恐れていることも。」
カーツは少しだけ眉を動かす。
「……恐れている?」
「そうです。」
エルダーツは頷いた。
「二度と同じ悲劇を繰り返したくない。その思いから、君は過去を見続けている。」
カーツは何も答えなかった。
「ですが……」
エルダーツは続ける。
「ルミナリアにも、魔族は住んでいます。」
その言葉に、何人かの司祭が静かに頷く。
「……。」
カーツは黙ってエルダーツを見る。
「彼らは商売をし、家族を作り、人間達と同じように生活をしています。」
エルダーツの視線は窓の外へ向いた。
「朝になれば教会へ祈りに来る者もいる。子供を学校へ通わせる者もいる。人間と同じように悩み、笑い、生きています。」
「……。」
「彼らもまた、今を生きる者達です。」
静かな言葉。
しかし、その言葉にカーツはゆっくりと首を横に振った。
「最高司祭様。」
「はい。」
「私に戦争の歴史を教えたのは、あなたです。」
その一言で、部屋の空気が変わった。
カーツは真っ直ぐエルダーツを見る。
「幼い頃、私は何も知りませんでした。」
「……。」
「なぜ人間と魔族が争ったのか。なぜ多くの命が失われたのか。」
カーツの声には怒りではなく、悲しみが混じっていた。
「あなたは私に教えてくれた。百年前、魔王軍によって多くの村が焼かれ、多くの人々が命を落としたことを。」
エルダーツは静かに聞いている。
「先代勇者が、多くの仲間を失いながら戦ったことを。」
カーツは拳を握る。
「その歴史を知ったからこそ、私は今ここにいるのです。」
「……。」
「なのに今、同じ魔族と手を取り合えと言われても……簡単には受け入れられません。」
会議室に沈黙が落ちる。
他の司祭達も、カーツの言葉を否定できなかった。
なぜなら。
彼の信念は、ただの偏見ではなかったからだ。
彼は過去の犠牲を忘れたくないだけだった。
しばらく沈黙した後、エルダーツはゆっくりと息を吐く。
「……そうですね。」
「?」
「確かに私は君に歴史を教えました。」
エルダーツは微笑む。
「ですが、私は同時にこうも教えたはずです。」
カーツの視線が向く。
「歴史とは、過去を繰り返さないために学ぶものだと。」
「……。」
「憎しみを次の世代へ渡すためではない。」
その言葉に、カーツは僅かに目を伏せる。
しかし、反論するように口を開こうとした。
だが。
エルダーツは先に続けた。
「カーツ。」
「はい。」
「君が納得できないのなら、無理に賛成しろとは言いません。」
意外な言葉に、カーツが顔を上げる。
「ですが、判断する前に……もう一度、本人達の話を聞くべきではありませんか?」
「……ガエン達を。」
「はい。」
エルダーツは頷いた。
「彼らをもう一度、この場へ呼びましょう。」
司祭達がざわめく。
「直接、彼らに問いましょう。」
エルダーツは全員を見る。
「なぜ魔王が大運動会を開こうとしているのか。なぜ勇者が魔王と共に歩いているのか。そして……なぜ魔族と人間が手を取り合えると信じているのか。」
エルダーツは静かに立ち上がった。
「疑うことも必要です。ですが、知らないまま拒絶することもまた、歴史から何も学んでいないことになります。」
カーツは黙ってエルダーツを見る。
その言葉は、彼が尊敬してきた最高司祭のものだった。
しかし胸の奥にある疑念は、まだ消えていない。
「……分かりました。」
しばらくして、カーツは小さく答えた。
「もう一度、彼らの話を聞きましょう。」
エルダーツは頷く。
「ありがとうございます。」
そして、その日の午後。
大聖堂から一通の使者が宿へ向かう。
ガエン達へ。
再び、最高司祭との面会を求める知らせを届けるために。




