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静寂の城〜魔王は世界征服をしたい〜  作者: 赤井六舷
人間領聖王国、ルミナリア

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136.思惑、すれ違う

その夜、聖都ルミナリアの一角にある司祭用の住居。

質素ながらも整えられた一室に、カーツ・ハミルトンは静かに帰宅した。

法衣を椅子へ掛け、燭台に火を灯す。

揺れる炎が部屋を淡く照らす中、カーツは本棚の一番奥へ手を伸ばした。

ゆっくりと取り出したのは、一冊の古びた分厚い本。

何度も読み返されたため革の表紙は擦り切れ、角は丸くなり、ページの端は黄ばんでいる。

幼い頃から、何度も、何度も読んできた本だった。

カーツは机へ腰を下ろすと、その本を静かに開く。

ページには挿絵と共に、百年前の戦争の記録が克明に綴られていた。


人間と魔族の大戦。


幾つもの国が焼かれ、街が滅び、多くの命が失われた歴史。

そして最後の章。

そこには、先代魔王と先代勇者の最終決戦が記されている。


『先代勇者は己の命と引き換えに、先代魔王を討ち果たした。』


『魔王は滅びた。しかし勇者もまた、その戦いの中で力尽きた。』


『世界は大きな犠牲の末に平和を得たのである。』


カーツはその一文を静かに指でなぞる。

幼い頃、このページを読んだ時のことを思い出していた。

戦争で家族を失った老人の話。

魔族に故郷を焼かれたという兵士の証言。

教会で幾度となく聞いた悲劇。

そのすべてが、彼の中で一つの答えとなっていた。


魔族は悪である。


だからこそ、人間を守らなければならない。

その信念だけは、一度も揺らいだことがない。

だが今日、その信念を揺るがす存在が現れた。


ガエン、ダグラス、ラーシャ。

そして、勇者マイト。


カーツの表情が険しくなる。

机の上に置かれた手に、自然と力が入った。


「……勇者。」


低く呟く。

百年前、命を懸けて世界を救った勇者。

その称号は、人々の希望の象徴だった。


なのに現代の勇者は、魔王と肩を並べて歩き、笑い、共に平和を語っている。

それがカーツには到底受け入れられなかった。

本から視線を離し、昼間に見たマイトの穏やかな笑顔を思い浮かべる。

あの目に偽りは感じなかった。

だが、それでも。

カーツは拳を強く握り締める。


「……先代勇者が命を懸けて倒した魔王。その意思を継ぐはずの勇者が……。」


怒りとも失望ともつかない感情が胸の奥から込み上げる。

そして、低く、重い声で呟いた。


「勇者も……悪になった。」


部屋には、その言葉だけが静かに響いた。

燭台の炎がゆらりと揺れる。

カーツは再び歴史書へ目を落とす。

その瞳には迷いはない。


「明日も、私は反対する。」


「たとえ誰に理解されなくとも……。」


そう呟き、本を静かに閉じた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


場所は変わり、聖王国ルミナリアの宿屋町。

夕暮れを迎えた宿の食堂は、巡礼者や旅人達の談笑で賑わっていた。

香ばしい肉料理の匂いと焼きたてのパンの香りが漂い、暖かな空気が流れている。

その一角では、ガエン達も夕食を囲んでいた。

テーブルにはローストチキンや野菜の煮込み、焼き魚、スープが並び、長旅の疲れを癒やすように皆が箸を進めている。


「いやぁ、思った以上に順調だったね。」


マイトが笑顔でパンをちぎりながら言った。


「ああ。」


ダグラスも珍しく穏やかな表情で頷く。


「門番の対応も丁寧だった、最高司祭も話を最後まで聞いてくれた。あの反応なら悪い結果にはならない気がする。」


ラーシャもワインの入ったグラスを軽く揺らしながら微笑んだ。


「司祭の皆さんも真剣に聞いてくれていました。質問も前向きなものが多かったし、好印象だったと思います。」


ガエンも頷き、スープを一口飲む。


「スポンサー集め最後の国としては、これ以上ない手応えだったな。」


これまでフィルドリア、サイヴァーン、クリアフォル、バルファード、そしてアトラマリス。


各国を巡り、多くの人々と出会い、何度も説明を重ねてきた。

簡単だった国など一つもない。

だからこそ、ルミナリアで感じた穏やかな空気はありがたかった。


「宗教国家だから一番難しいかと思ってたんだけどな。」


マイトが苦笑する。


「魔王主催って聞いた瞬間、追い返される覚悟までしてた。」


「俺も同じだ。」


ガエンは肩をすくめる。


「だが、偏見なく話を聞いてくれた。それだけでも十分ありがたい。」


ダグラスが短く言う。


「最高司祭も、すぐに否定はしなかった。」


「ああ。」


ガエンは頷いた。


「『司祭達と話し合って決める』と言ってくれた。独断ではなく、皆の意見を尊重する姿勢だ。」


ラーシャが微笑む。


「むしろ誠実な方ですね。」


「明日はきっと良い返事が聞けるよ。」


マイトはそう言って笑い、ジョッキを持ち上げた。


「最後のスポンサー契約に乾杯!」


「乾杯。」


四人は軽く杯を合わせる。

木製のジョッキが心地よい音を立てた。

もちろん彼らは知らない。


そ大聖堂では司祭達の議論がまとまらず、一人の司祭カーツ・ハミルトンが強く反対を続けていることを。

そして今もなお、彼が百年前の戦争の記録を読み返し、自らの信念をさらに固くしていることを。

ガエン達にとって今日の手応えは、成功を確信できるほどのものだった。

だからこそ誰一人、明日の返答が波乱を含むものになるとは思ってもいなかった。

宿の窓の外では、聖王国ルミナリアの夜空に無数の星が瞬いている。

期待に胸を膨らませるガエン達と、反対の決意を固めるカーツ。


同じ夜を過ごしながら、その思いは正反対の方向へと向かっていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


そして、深夜。

聖王国ルミナリアは静寂に包まれていた。

昼間は巡礼者や商人、聖職者達で溢れていた大通りも、今は人影もなく、街灯の淡い光だけが石畳を照らしている。

聖王国の象徴とも言える巨大な大聖堂。

その最上部、高くそびえる尖塔の頂。

そこに、一つの黒い影が立っていた。

風が吹き抜け、影の黒い外套が静かにはためく。

眼下には、眠りについた聖王国ルミナリアの街並み。

白い建物が月明かりを受け、まるで光の海のように広がっている。

その光景を見下ろしながら、影は口元をわずかに歪めた。


「……随分と面白いことになってきましたね。」


低く、穏やかな声。

その声には、夜の静けさとは不釣り合いな愉悦が滲んでいた。

影の視線の先には、大聖堂の一角。

そこには先ほどまで司祭達が議論を続けていた場所がある。


「勇者が魔王と共に歩く……そして、それを受け入れようとする者達と、拒絶する者達。」


影は小さく笑う。


「人間というものは……いつの時代も変わりませんね。」


百年前。

魔族と人間が争った時代。

互いに正義を掲げ、互いを悪と呼び、数え切れない命が失われた。


そして今、戦争が終わり平和になった世界でさえ、人々の心にはまだ過去の傷が残っている。

影は楽しそうに呟く。


「たった一人の迷いが……大きな亀裂になることもある。」


その言葉と共に、視線が大聖堂の内部へ向く。

そこには、強い信念を抱く一人の司祭がいる。


カーツ・ハミルトン。


魔族を憎み、人間を守ることこそ正義だと信じる男。

影は彼の名を知っているかのように、静かに笑った。


「純粋な正義ほど……扱いやすいものはありません。」


風がさらに強く吹く。

だが、黒い影は微動だにしない。


「さて……勇者と魔王の平和への願いが、本物なのか。それとも……。」


一瞬、月明かりに照らされた影の目が怪しく光る。


「人間達自身が、それを壊すのか。」


影は空を見上げる。

星々は変わらず輝いている。

まるで、この先に起こる出来事を静かに見守っているかのようだった。


「楽しませてもらいましょう。」


その瞬間。

黒い影の周囲に、薄い闇の霧が広がる。

風に溶けるように身体が徐々に消えていく。

最後に残ったのは、不気味な笑みだけだった。


「……ガエン。あなた達がどこまで楽しませてくれるのか……見届けさせてもらいますよ……」


次の瞬間。

闇の霧は完全に消え去った。

大聖堂の頂上には、もう誰もいない。

残されたのは、静かな夜風と、月明かりだけ。

聖王国ルミナリアは何も知らず、眠り続けていた。


明日。

魔王主催の大運動会を巡る議論が、新たな波紋を広げることも。

そして、その裏で誰かが静かに糸を引き始めていることも。

まだ、誰も知らなかった。

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