135.議論、白熱する
大聖堂の会議室。
ガエン達が退室すると、重厚な扉が静かに閉まり、その音が広間に響いた。
しばしの静寂。
やがてエルダーツが穏やかに口を開く。
「それでは、皆さん。率直なご意見をお願いします。」
その言葉を合図に、司祭達は次々と意見を述べ始めた。
「私は賛成です。」
「ええ。あのガエン殿の言葉に偽りは感じませんでした。」
「魔王陛下が本当に友好を望んでいるのであれば、これほど良い機会はないでしょう。」
「ステラ様の教えにも、人を分け隔てなく愛せとあります。」
穏やかな空気の中、賛成の声が次々と重なっていく。
「スポンサーとして支援する価値は十分にあると思います。」
「勇者殿が同行していることも信頼できる材料でしょう。」
「国民の中には反対する者もいるでしょうが、我々が正しく導けば理解は得られるはずです。」
会議は、このまま賛成でまとまるかに思えた。
その時だった。
「……お待ちください。」
低く鋭い声が広間に響く。
一人の司祭が静かに立ち上がった。
年齢は四十代半ば。
短く切り揃えた灰色の髪。
鋭い眼光は、まるで相手の本心を見抜こうとしているようだった。
司祭達が彼を見る。
「カーツ司祭……。」
彼の名はカーツ・ハミルトン。
ルミナリアでも敬虔な司祭として知られる人物だった。
しかし同時に、誰よりも強い人間至上主義者でもある。
カーツはゆっくりと周囲を見渡した。
「皆様は、本気であの魔族達を信用するおつもりですか。」
空気が変わる。
先ほどまで穏やかだった会議室に緊張が走る。
一人の司祭が穏やかに答える。
「信用というより、可能性を見ようという話です。」
「可能性?」
カーツは鼻で小さく笑った。
「百年前の大戦をご存じないのですか。」
その声には怒りが滲んでいた。
「先代魔王が率いた魔族軍によって、どれだけの人々が命を落としたと思っているのです。」
彼は拳を握る。
「私の祖父は、その戦争を生き延びた人間でした。」
静かな声だった。
しかし、その奥には深い感情が込められている。
「幼い頃から私は聞かされました。」
焼け落ちた村。
魔族に殺された友人。
家族を失い、それでも生き延びた人々。
「書物にも数え切れないほど目を通しました。」
カーツは強い眼差しで言う。
「魔族は人を殺し、奪い、恐怖を振りまいた存在です。」
誰も口を挟まない。
「確かに。」
カーツは一度息をつく。
「現魔王になってから百年近く、大きな戦争は起きていません。」
その点だけは認めるように頷く。
「ですが、それだけで信用しろと言うのですか。」
彼は首を横に振る。
「戦争をしていないことと、信用できることは別です。」
会議室は静まり返る。
カーツはさらに言葉を続けた。
「今回の運動会も、本当に交流が目的でしょうか。」
その視線は扉の方へ向けられる。
「各国の情報収集。各国の戦力調査。あるいは人々の警戒心を解くための策略。そうではないと、誰が断言できます。」
数人の司祭が困ったような表情を浮かべた。
「カーツ司祭、それは考え過ぎでは……。」
「考え過ぎ?」
カーツは相手を見る。
「平和とは、疑うことをやめることではありません。」
その言葉には信念があった。
「疑い、備えるからこそ守れる平和もあるのです。」
そして今度は、マイトのことを思い返すように目を細めた。
「それに、勇者。」
その一言で何人かの司祭が表情を変える。
「人類を守る象徴である勇者が、魔族と肩を並べて歩く。」
カーツは苦々しく呟く。
「……理解できません。勇者とは、人々を魔族から守る存在だったはずです。」
彼は静かに首を振る。
「それが今では、魔王の側近と笑い合い、同じ目的のために行動している。」
その瞳には失望が浮かんでいた。
「勇者マイト・アークライト。彼ほどの人物が、魔族に利用されているのだとしたら実に愚かなことです。」
一瞬、会議室の空気が凍りつく。
誰もすぐには言葉を返せなかった。
だが、その沈黙を破ったのはエルダーツだった。
最高司祭は終始変わらぬ穏やかな表情で、静かにカーツへ視線を向ける。
「カーツ司祭。」
「はい。」
「あなたが過去の悲劇を忘れてはならないと考える気持ちは理解できます。」
エルダーツはゆっくりと言葉を選ぶ。
「百年前の戦争は、決して風化させてはならない歴史です。」
カーツは静かに頷く。
しかしエルダーツは続けた。
「ですが同時に、我々は過去だけを見て未来を閉ざしてはならないとも考えています。」
カーツの眉がわずかに動く。
「今ここにいる私達が裁くべきなのは、百年前の魔王ではありません。」
エルダーツの瞳は真っ直ぐだった。
「今を生きる者達です。」
その一言に、会議室は再び静まり返る。
だがエルダーツの言葉を受けても、カーツは一歩も引かなかった。
「だからこそ、私は反対なのです。」
静かな声だった。
だが、その一言には揺るぎない決意が込められていた。
「今を生きる魔族を裁けと言っているのではありません。」
カーツはゆっくりと周囲を見渡す。
「私は、人間という種族を守る立場として判断しているのです。」
一人の若い司祭が口を開く。
「しかし、現魔王は百年もの間、人間へ侵略をしていません。」
「だから何です。」
即座に返された言葉に、その司祭は息を呑む。
「百年侵略しなかった。それは事実でしょう。」
カーツは淡々と言う。
「ですが、それは『侵略しない』という証明ではなく、『まだ侵略していない』という事実に過ぎません。」
数人の司祭が顔をしかめた。
「それは極論です。」
「極論でしょうか。」
カーツは少しも表情を変えない。
「国家とは最悪を想定して備えるものです。」
別の司祭が静かに反論する。
「では、未来永劫、魔族とは手を取り合えないということになります。」
「構いません。」
即答だった。
「必要なのは平和ではなく、安全です。」
その言葉に、会議室の空気がさらに張り詰める。
賛成派の司祭の一人が立ち上がった。
「私は違う考えです。」
初老の司祭は穏やかな表情で言う。
「ステラ様は、憎しみを受け継ぐのではなく、断ち切る勇気を持てと説かれています。」
「理想論です。」
カーツは短く返す。
「理想だけでは民は守れません。」
「ですが、憎しみだけでも未来は築けません。」
「未来より、まず命です。」
二人の視線がぶつかる。
今まで穏やかだった会議は、少しずつ熱を帯び始めていた。
さらに別の司祭も口を開く。
「私はスポンサー契約には賛成です。もし彼らが本当に交流を望んでいるなら、我々が最初に手を差し伸べることにも意味があります。」
「甘い。」
カーツは首を振る。
「向こうは魔族です。」
その一言に、賛成派の司祭が眉をひそめる。
「カーツ司祭、その言い方は……」
「事実です。」
言葉を遮るように続けた。
「人と魔族は違う。」
彼は胸に手を当てる。
「私は、人間を第一に考えます。」
そこから先は口にしなかった。
だが、その場にいた者の何人かは察していた。
カーツの胸中では、魔族だけではない。
魔族と積極的に手を結ぼうとする人間もまた、人類を危険にさらす存在なのではないか。
そんな考えを抱いていることを。
しかし、それを公言すれば、この場はさらに混乱する。
だからこそ彼は、その本心だけは胸の内へ押し込めていた。
一方、反対派の司祭達は、カーツの言葉に勇気づけられたように次々と声を上げ始める。
「私も慎重であるべきだと思います。」
「国民感情を考えれば、賛同は簡単ではありません。」
「百年前の戦争で家族を失った者は、今も多く生きています。」
「スポンサーになれば、信徒達から批判を受ける可能性もあります。」
「聖王国が魔王を支援したと受け取られれば、教会の権威にも関わるでしょう。」
それまで沈黙していた司祭達まで次々と意見を述べ始める。
賛成派も黙ってはいない。
「だからこそ、我々が模範を示すべきです。」
「恐れだけで判断するのは、信仰の教えに反します。」
「勇者マイト殿が同行している事実も無視できません。」
「現魔王の百年という実績も評価すべきでしょう。」
会議室のあちこちで議論が交わされ、穏やかだった空気は完全に消え去っていた。
「それでは遅い!」
「だからこそ今なのです!」
「信頼には時間が必要です!」
「時間を与えた結果が戦争ならどうするのです!」
互いの声が重なり始める。
賛成派と反対派。
それぞれが信念を持っているからこそ、一歩も譲らない。
静かな会議室は、いつしか聖職者達の激しい議論の場へと変わっていた。
その様子を見つめながら、エルダーツは腕を組み、静かに目を閉じる。
簡単に結論が出る話ではない。
最高司祭として、そのことを誰よりも理解していた。
エルダーツはゆっくりと目を開いた。
白熱する議論はなおも続いている。
「カーツ司祭、それでは未来永劫、互いに憎しみ合うだけです。」
「それで人命が守られるなら、私は構いません。」
「その考えでは、永遠に平和は訪れません!」
「平和とは結果です。目的ではありません。」
別の司祭も身を乗り出す。
「しかし、現魔王は百年間、一度も侵略をしていないのです!」
「百年という年月は評価すべきでしょう!」
反対派も負けじと声を上げる。
「百年平和だったからといって、百一年目も平和とは限らない!」
「スポンサー契約は国民に大きな誤解を与えます!」
「慎重になるべきです!」
会議室には次々と意見が飛び交う。
「交流が新たな時代を築くのです!」
「交流こそ最大の油断になります!」
「信じることも勇気です!」
「疑うことも責任です!」
誰一人として悪意で話しているわけではない。
人々を守りたい。
教会を守りたい。
平和を守りたい。
その願いは同じだった。
だからこそ、それぞれの信念がぶつかり合い、議論は終わりが見えなくなっていく。
やがてエルダーツは静かに立ち上がった。
その姿を見た司祭達は少しずつ口を閉じていく。
完全な静寂が戻るまで、エルダーツは何も言わなかった。
全員の視線が集まったことを確認すると、穏やかな口調で語り始める。
「皆さん。」
その一言だけで、熱を帯びていた空気が少し和らいだ。
「本日の議論は、ここまでといたしましょう。」
司祭達は互いに顔を見合わせる。
「ですが、最高司祭様……」
一人が言いかけると、エルダーツは小さく微笑んだ。
「結論を急ぐべき問題ではありません。」
静かな声だったが、その場の誰もが耳を傾けていた。
「皆さんのご意見は、どちらも教会と民を思うが故のものです。」
賛成派へも、反対派へも分け隔てなく視線を向ける。
「だからこそ、一度冷静になる時間が必要です。」
エルダーツはゆっくりと続けた。
「感情が高ぶったままでは、見えるものも見えなくなります。」
誰も反論しない。
「今夜はそれぞれ、ご自身の考えをもう一度見つめ直してください。」
そして、静かに締めくくる。
「明日、改めて議論を行いましょう。」
その言葉に、司祭達は静かに頷いた。
「……承知しました。」
「明日までに、私も考えを整理いたします。」
賛成派も反対派も、それ以上は言葉を重ねなかった。
カーツもまた椅子を引き、ゆっくりと立ち上がる。
「最高司祭様。」
「何でしょう。」
「私は明日も、この考えを変えるつもりはありません。」
真っ直ぐな視線でそう告げる。
エルダーツは穏やかに微笑んだ。
「それで構いません。」
意外な返答に、カーツはわずかに目を細める。
「大切なのは、誰かに合わせることではありません。」
エルダーツは静かに言う。
「互いの意見を最後まで聞き、その上で最善を探すことです。」
カーツは数秒沈黙した後、小さく頭を下げた。
「……失礼いたします。」
そう言って会議室を後にする。
他の司祭達も次々と席を立ち、それぞれ複雑な表情を浮かべながら部屋を出ていった。
やがて広い会議室には、エルダーツだけが残る。
夕日がステンドグラスを通して差し込み、色とりどりの光が静かな室内を照らしていた。
エルダーツは窓の外へ視線を向け、小さく息をつく。
「ようやく、この時がきたのか……。」
その表情には、なんともいえない雰囲気が現れていた。
そして彼は、明日の議論が聖王国ルミナリアの未来を左右するものになることを、誰よりも深く理解していた。




