134.最高司祭、話を聞く
翌朝、宿屋町は澄み切った朝の空気に包まれていた。
窓から差し込む柔らかな陽光に照らされながら、ガエン達は身支度を整える。
「忘れ物はないな。」
ガエンが荷物を確認すると、ダグラスが短く頷いた。
「ああ。」
ラーシャは服の乱れを整え、マイトは軽く伸びをする。
「いよいよ最高司祭との面会か。」
四人は宿の主人へ礼を告げて宿を出ると、朝の街を歩き始めた。
市場では店を開く準備が始まり、焼きたてのパンの香りが漂う。
巡礼者達は静かに祈りの言葉を口にしながら、大聖堂へ向かって歩いていた。
やがて街の中心にそびえる大聖堂へ到着する。
朝日に照らされた純白の外壁は神々しく輝き、色鮮やかなステンドグラスは宝石のような光を放っていた。
階段を上ると、昨日応対してくれた聖騎士が四人の姿に気付き、穏やかな笑みを浮かべる。
「お待ちしておりました。ガエン様御一行ですね。」
「ああ。本日はよろしく頼む。」
ガエンが礼をすると、聖騎士も胸に手を当てて一礼した。
「最高司祭様へお取り次ぎしております。どうぞこちらへ。」
四人は聖騎士に案内され、大聖堂の中へ足を踏み入れる。
重厚な扉が静かに開かれた瞬間、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
高い天井を支える白い大理石の柱が規則正しく並び、その間から朝日がステンドグラスを透かして七色の光を床へ映し出している。
そして堂内には、美しく澄んだ歌声が響いていた。
祭壇の近くでは、純白の法衣をまとった聖歌隊が整然と並び、光の女神ステラを讃える讃美歌を歌っている。
透き通るようなソプラノと力強いアルト、柔らかな男声が重なり合い、その歌声はまるで大聖堂全体を優しく包み込んでいるかのようだった。
「……綺麗。」
ラーシャは思わず息を漏らす。
マイトも静かに耳を傾ける。
「昔から変わらない歌だ……。」
ガエンは静かに周囲を見回した。
祈りを捧げる巡礼者達は誰一人私語を交わさず、皆穏やかな表情で祭壇へ向かって手を合わせている。
ダグラスも珍しく感心したように呟いた。
「この静けさ……悪くない。」
讃美歌が一節終わる頃、案内役の聖騎士がゆっくりと歩き出す。
「こちらになります。」
四人は中央通路を進み、祭壇のさらに奥へ向かった。
そこには、一般の参拝者が立ち入ることのできない区域へ続く、白い装飾が施された大きな両開きの扉がそびえている。
扉には、光の女神ステラが人々へ祝福を授ける姿が精巧な彫刻で描かれ、黄金の縁飾りが朝日を受けて静かに輝いていた。
聖騎士は扉の前で立ち止まり、四人へ振り返る。
「この先には、司祭様方と最高司祭様がお待ちです。」
ガエン達は自然と表情を引き締める。
「これよりご案内いたしますので、どうぞお入りください。」
そう告げると、聖騎士はゆっくりと両手で大扉を押し開いた。
重厚な扉は低い音を響かせながら左右へ開き、その先には、神聖な空気に満ちた広間と、整然と並ぶ司祭達の姿が四人の目に映った。
広間の左右には純白の法衣に身を包んだ司祭達、さらにその前には金糸で縁取られた法衣をまとった高司祭達が一列に並び、静かにガエン達を見つめていた。
その中央、数段高くなった壇上には、一脚の白銀の椅子が置かれている。
そこに腰掛けていた男を見た瞬間、四人はわずかに目を見開いた。
思っていたよりもずっと若い。
艶のある黒い長髪は肩の辺りまで伸び、整った顔立ちには髭一つなく、綺麗に剃り上げられている。
穏やかな微笑みを浮かべるその姿は威圧感よりも包容力を感じさせ、まるで聖人のような落ち着きをまとっていた。
男はゆっくりと立ち上がる。
「ようこそ、ルミナリア大聖堂へ。」
その声は静かでありながら、不思議と広間全体へよく響いた。
ガエン達は祭壇の前まで進むと、一斉に礼をする。
「お招きいただき感謝する。」
ガエンが頭を下げると、男も穏やかに頷いた。
「私は、光の女神ステラに仕える最高司祭エルダーツ・リストです。」
その名乗りの後、エルダーツは自然と視線をマイトへ向けた。
柔らかな笑みを浮かべたまま、どこか懐かしそうに口を開く。
「……お久しぶりですね、勇者マイト。」
突然名前を呼ばれたマイトは少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに笑みを返した。
「お久しぶりです、最高司祭様。」
「最後にお会いした時は、まだ少年でしたね。立派になられました。」
「ありがとうございます。最高司祭様もお変わりないようで安心しました。」
二人の自然なやり取りを見て、ラーシャが小声でガエンへ囁く。
「知り合いだったのですね。」
「ああ……勇者なら何度か会っていても不思議じゃない。」
ガエンも小さく頷いた。
エルダーツは改めて四人へ向き直る。
「本日はどのようなご用件でしょう。」
ガエンは一歩前へ出る。
「本日は、魔王陛下より託されたお願いがあって参りました。」
そう言うと、魔王城で計画されている大運動会について、一から丁寧に説明し始めた。
魔族だけではなく、人間や亜人、獣人、あらゆる種族が共に競い、笑い合う祭典であること。
勝敗だけではなく、交流と友好を目的としていること。
各国から協賛を募り、すでに複数の国や都市がスポンサーとして参加を決めていること。
そして最後に、聖王国ルミナリアにもぜひ力を貸してほしいということ。
広間は静まり返っていた。
司祭達も高司祭達も口を挟まず、最後まで耳を傾けている。
エルダーツは終始穏やかな笑みを浮かべたまま、一度も話を遮ることはなかった。
ガエンが説明を終えると、静かに一礼する。
「以上です。どうか、ご検討いただきたい。」
少しの沈黙が流れる。
やがてエルダーツは優しく頷いた。
「大変興味深いお話でした。」
その言葉に四人は自然と顔を上げる。
「種族の垣根を越えて笑顔を生み出そうという試みは、光の女神ステラの教えにも通じるものがあります。」
その言葉に司祭達も静かに頷いていた。
しかし、エルダーツはゆっくりと言葉を続ける。
「ですが、この国を代表してお返事をする以上、私一人の判断で決めることはできません。」
「……そうだろうな。」
ガエンも納得したように頷く。
「司祭、高司祭の皆とも十分に話し合い、教団としての結論を出したいと思います。」
エルダーツは穏やかな笑みのまま約束した。
「必ず真剣に協議いたします。そして結論が出ましたら、正式に皆様へお伝えしましょう。」
「ありがとうございます。」
ガエンは深く頭を下げる。
ラーシャもダグラスもマイトも、それぞれ礼をした。
すると、その時だった。
一人の年配の高司祭が静かに一歩前へ進み出る。
「最高司祭様、お許しを。」
エルダーツは穏やかに頷く。
「構いません。」
高司祭はガエン達へ視線を向けると、落ち着いた口調で問いかけた。
「ガエン殿。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか。」
その場の空気がわずかに引き締まり、四人は高司祭の次の言葉を静かに待った。
高司祭はしばらくガエンの姿を見つめた後、静かに口を開いた。
「今回の大運動会……その発案者は魔王陛下だと伺いました。」
「はい。」
ガエンは迷いなく答える。
「魔王陛下が、長く続いた種族間の距離を少しでも縮めたいと考えられ、提案されたものです。」
高司祭は小さく頷く。
「では、もう一つお聞きします。」
その声には疑いというより、確かめるような響きがあった。
「ガエン殿。あなたは魔王陛下の側近として、この計画をどう考えておられるのですか。」
突然の問いに、マイトが少しだけ視線を向ける。
だがガエンは表情を変えなかった。
「……どう、とは?」
「この祭典が本当に平和へ繋がると思っているのか。それとも、魔王陛下の命だから動いているだけなのか。」
広間に静かな緊張が走る。
何人かの司祭達はガエンの返答を待つように視線を向けていた。
魔族であるガエンが、この聖王国で何を語るのか。
ガエンは少しだけ目を伏せる。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「最初は……正直に言えば、私も半信半疑でした。」
その答えに、高司祭達がわずかに目を動かす。
「魔王陛下から話を聞いた時、私は運営面の問題ばかり考えていました。費用、人員、会場、警備……成功させるには何が必要か。そればかりを考えていた。」
ガエンは静かに続ける。
「ですが、各国を回る中で変わりました。」
フィルドリアでの交流。
サイヴァーンでの議論。
クリアフォルで見た魔族達の思い。
バルファードで感じた戦士達の誇り。
アトラマリスで見た製品への情熱。
そして、様々な場所で出会った人々。
「皆、考え方も生き方も違いました。しかし、話をしてみれば……願っていることは同じでした。」
ガエンは広間にいる司祭達を見る。
「家族が笑って暮らせること。明日を安心して迎えられること。そして、自分とは違う誰かを知ること。」
一瞬、広間が静まり返る。
「この運動会が世界を変えるなど、大げさなことは言えません。」
ガエンは首を横に振る。
「ですが、少なくとも一日だけでも、種族の違いを忘れて笑い合う時間を作ることはできると思っています。」
その言葉を聞き、高司祭は黙ったままガエンを見つめる。
やがて、エルダーツが微笑んだ。
「……素晴らしい答えだと思います。」
「最高司祭様。」
高司祭が振り返る。
エルダーツは穏やかな表情で続けた。
「ガエン殿の言葉には、魔王陛下の命令だからというだけではない、ご自身の意思があります。」
そしてマイトへ視線を向ける。
「それは、かつて勇者が旅をしていた時にも見たものと似ています。」
マイトは少し驚いたように目を開いた。
「俺が……ですか?」
「ええ。」
エルダーツは頷く。
「あなたも旅の途中で、何度も人間以外の種族と出会い、手を取り合った。最初から全てを理解していたわけではないでしょう。」
「……そうですね。」
マイトは苦笑する。
「最初は敵だと思っていた相手もいました。」
「ですが、知ることで変わった。」
「はい。」
二人の会話を聞きながら、ガエンは静かに微笑んだ。
すると、先ほど質問をした高司祭が再び口を開く。
「失礼しました、ガエン殿。」
「いえ。」
「確認したかったのです。我々ルミナリアは、長きに渡り魔族と対立してきた歴史があります。」
高司祭はゆっくりと目を閉じる。
「だからこそ、ただ『平和のため』という言葉だけで判断することはできません。」
「……当然です。」
ガエンは頷く。
「過去の歴史を軽く見るつもりはありません。」
その返答に、高司祭は少しだけ表情を和らげた。
「だからこそ、あなた方の話を聞く価値があると思いました。」
エルダーツは椅子へ戻ると、司祭達へ視線を向ける。
「皆さん。」
その一言で、広間にいる全員が姿勢を正す。
「この件について、早急に協議を始めましょう。」
司祭達は一斉に頷いた。
「はい、最高司祭様。」
「承知しました。」
「各部署とも確認を取ります。」
その様子を見て、ガエンは小さく息を吐いた。
少なくとも、門前払いではない。
むしろ、この国は本気で向き合おうとしている。
エルダーツは再び四人へ向き直った。
「ガエン殿。結果が出るまで少し時間をいただくことになります。」
「分かっています。」
「その間、皆様にはルミナリアの街を見ていただきたい。」
意外な提案に、四人は顔を上げる。
「街を……ですか?」
「はい。」
エルダーツは優しく笑う。
「あなた方が何を望んでいるのか、我々も知りたい。そして同じように、あなた方にもこの国を知っていただきたいのです。」
ガエンは少し考えた後、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます。」
こうして、最高司祭との面会は終わった。
しかし四人が大聖堂を後にする時、ガエンはまだ気付いていなかった。
このルミナリアで待ち受けるものが、単なるスポンサー交渉ではないことを。
そして光を掲げる聖王国の奥深くで、静かに動き始めている影の存在を。




