132.聖騎士、戦う
翌朝、まだ朝靄の残る港町シクロは、昼間の賑わいとは違う静かな空気に包まれていた。
カモメの鳴き声と波の音が心地よく響き、港では早くも漁師達が船を出す準備を始めている。
ガエン達四人は旅支度を整え、大きな荷物を背負って一階の食堂へ降りた。
簡単な朝食を済ませると、宿の主人ギードが見送りに出てくる。
「おはようございます。いよいよご出発ですね。」
「ああ。昨日はいろいろ教えてくれて助かった。」
ガエンが手を差し出すと、ギードはにこやかに握手を交わした。
「皆様なら無事にルミナリアへ着けるでしょう。街道はよく整備されていますが、途中の休憩所で水分補給だけは忘れずに。」
「分かった。」
ラーシャも優雅に頭を下げる。
「お世話になりました。とても快適な宿でした。」
「ありがとうございます。またシクロへ来られた際は、ぜひお立ち寄りください。」
マイトは笑顔で手を振る。
「料理もおいしかったよ。」
ダグラスも静かに一礼する。
「世話になった。」
四人は最後にギードへ礼を告げると、「白い灯火亭」を後にした。
朝日に照らされた街道の入口には、すでに多くの巡礼者達が集まっていた。
白い法衣をまとった者、旅装束の商人、家族連れ、各地から集まった冒険者。
誰もが穏やかな表情で、聖王国ルミナリアへの道を歩き始めている。
「思った以上の人数だな。」
ガエンが周囲を見回す。
「これだけ人が歩いていれば安心感もあるね。」
マイトが周囲の巡礼者達へ笑顔を向けると、何人かも軽く会釈を返してくれた。
四人もその流れに加わり、ゆっくりと街道を歩き始める。
シクロを離れるにつれ、海風は次第に草原を渡る爽やかな風へと変わっていった。
街道は白い石で丁寧に舗装され、道幅も広い。
両脇には等間隔で木々が植えられ、木陰が旅人達を強い日差しから守っている。
さらに一定の距離ごとに石造りの休憩所が設けられ、井戸や長椅子まで備え付けられていた。
「これは驚いたな。」
ガエンは足元の道を見ながら感心する。
「ここまで整備された街道は、そうそう見ないぞ。」
ラーシャも周囲を見渡した。
「石畳にもほとんど傷みがありませんね。定期的に補修しているのでしょう。」
ダグラスは道端に立つ石碑へ目を向ける。
そこには次の休憩所までの距離や、ルミナリアまでの残りの道程が丁寧に刻まれていた。
「旅人への配慮が徹底されている。」
「巡礼が国にとってどれほど大切か分かるね。」
マイトは感心したように頷いた。
街道では時折、巡回中の聖騎士達ともすれ違う。
純白の鎧に身を包み、槍や剣を携えた彼らは旅人へ穏やかに挨拶を交わしながら警備を続けていた。
盗賊や魔物への備えも万全なのだろう。
そのため巡礼者達の表情には不安よりも安心が浮かんでいる。
「これなら子ども連れでも安心して歩けるな。」
ガエンがそう言うと、近くを歩いていた老夫婦が微笑みながら頷いた。
「光の女神様のお導きと、聖騎士様方のおかげですよ。」
老人の言葉に、一行も自然と笑みを浮かべる。
慌ただしく馬車で駆け抜ける旅とは違い、鳥のさえずりや草花の香りを感じながら歩く時間は実に穏やかだった。
急ぐ必要のない今だからこそ味わえる、贅沢な旅路。
ガエン達は多くの巡礼者達とともに、快適に整備された巡礼街道を一歩一歩進みながら、聖王国ルミナリアへの道を歩き続けるのだった。
しばらく歩き続けると、街道の先に白い旗が風にはためいているのが見えた。
旗には金色の太陽と翼を模した紋章、光の女神協会の象徴が描かれている。
その下では数名の聖騎士達が街道を見守りながら、巡礼者一人ひとりへ穏やかに声をかけていた。
「巡礼証をお持ちの方はこちらへ。お困りのことがあればお気軽にお申し付けください。」
威圧するような様子はまったくなく、旅人達も安心した表情で列に並んでいる。
「検問……というより案内所みたいだな。」
ガエンがそう呟くと、一人の若い聖騎士がこちらへ歩み寄ってきた。
純白の鎧は朝日に照らされて輝き、その立ち居振る舞いは実に落ち着いている。
「おはようございます、旅の皆様。」
聖騎士は右手を胸に当て、丁寧に一礼した。
「私は巡礼街道第三警備隊所属のアルフレッドと申します。失礼ですが、皆様もルミナリアへ向かわれるご予定でしょうか。」
ガエンも軽く頭を下げる。
「ああ。俺達は魔族領から来た旅人だ。ルミナリアには用事があって向かっている。」
その言葉を聞いても、アルフレッドの表情は少しも変わらない。
「左様でございましたか。遠路はるばるようこそお越しくださいました。」
むしろ歓迎するような柔らかな笑みを浮かべる。
「魔族領から……ということは、港町シクロを経由して来られたのですね。」
「そうだ。」
ラーシャが答える。
「運動会開催の件で各国を回っておりまして、その一環でルミナリアを訪ねる予定です。」
「なるほど。」
アルフレッドは納得したように頷いた。
「近頃は各国との交流も以前より盛んになっております。ルミナリアも旅人の皆様を歓迎しておりますので、どうぞご安心ください。」
マイトが少し驚いたように尋ねる。
「身元を細かく調べたりしないの?」
「もちろん、不審な点があれば確認はいたします。」
アルフレッドは穏やかに答える。
「ですが、皆様は巡礼者の方々と同じように落ち着いて旅をされておりますし、受け答えも誠実です。何より、この街道では旅人に安心して通っていただくことも我々の務めです。」
ダグラスが静かに頷く。
「理にかなっている。」
「ありがとうございます。」
アルフレッドは小さく微笑み、腰の革袋から一枚の地図を取り出した。
「こちらは巡礼街道と休憩所の案内図です。井戸や宿場、診療所の位置も記されております。」
「助かる。」
ガエンが受け取ると、アルフレッドは地図を指差しながら説明を続けた。
「ルミナリアまで歩かれるのであれば、この先の『白樺の休憩所』がおすすめです。昼頃には炊き出しもございますし、井戸の水も冷たく保たれております。」
「炊き出しか。」
マイトの目が少し輝く。
「旅人なら誰でも利用できるの?」
「ええ。」
アルフレッドは笑顔で答えた。
「巡礼者はもちろん、商人や冒険者、国外からのお客様も自由にご利用いただけます。困ったことがございましたら、休憩所にも常駐の聖騎士や司祭がおりますので、お気軽にお声がけください。」
ガエンは感心したように息を漏らした。
「街道だけじゃなく、人の対応まで行き届いているとはな。」
「光の女神様のお教えは、人々を導き、支えることですから。」
アルフレッドは自然な口調でそう答えると、再び一礼した。
「皆様の旅が実りあるものとなりますよう、お祈りしております。どうぞお気をつけて。」
「ありがとう。」
ガエン達も礼を返し、再び街道を歩き始める。
その背中を見送りながらアルフレッドは次の巡礼者へ穏やかに挨拶を向け、街道には変わらぬ和やかな空気が流れ続けていた。
「国柄っていうのは、こういうところにも表れるんだな。」
ガエンが手にした地図を見ながら呟く。
「うん。ルミナリアが信仰の国って呼ばれる理由が少し分かった気がする。」
マイトも頷き、一行は巡礼者達と肩を並べながら、白く美しい街道をルミナリアへ向かって歩み続けるのだった。
太陽が西へ傾き始める頃、街道は黄金色の夕日に照らされていた。
巡礼者達も少しずつ歩みを緩め、それぞれ今夜の宿を目指している。
やがて街道の先に、白い石壁に囲まれた小さな宿屋町が姿を現した。
巡礼街道の中継地として栄える町で、十数軒の宿屋や食堂、鍛冶屋、雑貨店が整然と並んでいる。
「着いたみたいだな。」
ガエンが町を見渡す。
「思っていたより立派な宿場町ですね。」
ラーシャも感心したように頷く。
町の入口には数名の聖騎士が立ち、到着した旅人達へ笑顔で声をかけていた。
「ようこそ、お疲れ様でした。本日の宿泊でしたら、まだ空きのある宿をご案内できます。」
旅人達は礼を言いながら、それぞれ宿へ向かっていく。
「ここも随分と親切なんだね。」
マイトが驚いたように呟く。
「巡礼者が多い以上、宿の案内も仕事の一つなのでしょう。」
ダグラスが静かに答えた。
四人も紹介された宿へ向かい、一泊することを伝える。
部屋は清潔で広く、荷物を置く棚や旅装を干す場所まで用意されていた。
「これならゆっくり休めそうだ。」
ガエンは荷物を降ろし、大きく肩を回す。
夕食は宿の食堂で温かなシチューと焼きたてのパン、それに香草を使った肉料理が振る舞われた。
「歩いた後の飯は格別だな。」
ガエンが満足そうに笑うと、マイトも頬を緩める。
「毎日こんな旅なら楽しいかも。」
ラーシャは上品に微笑み、ダグラスも静かに食事を進めた。
その夜。
旅の疲れもあり、一行は早めに部屋へ戻って休んでいた。
静かな宿屋町には虫の声だけが響いている。
しかしその静寂を破るように、
キィンッ!
鋼同士が打ち合う澄んだ音が夜風に乗って聞こえてきた。
「……戦ってる?」
マイトが窓へ近づく。
ガエン達も外を覗くと、宿屋町から少し離れた街道脇で数名の聖騎士達が魔物と交戦しているのが見えた。
相手は夜行性のウルフ型魔物が五体。
暗闇に赤い瞳を光らせ、低い唸り声を上げながら聖騎士達へ飛びかかる。
「数は向こうが上だ。」
ガエンが腕を組む。
だが、聖騎士達に焦る様子はなかった。
「前衛、受けます!」
盾を構えた一人が正面から突進を受け止める。
ガァンッ!
重い衝撃音が響く。
その直後だった。
「左、合わせます!」
別の聖騎士が横へ回り込み、一体の脚を正確に斬り払う。
体勢を崩した魔物へ、後方から槍を構えた騎士が迷いなく突きを放った。
一撃。
無駄のない動きで魔物は倒れる。
さらに別の二体が同時に飛びかかるが、
「交代!」
短い合図だけで前衛が半歩下がり、新たな騎士が前へ出る。
盾で一体の牙を逸らし、その隙に仲間の剣が首元を薙ぐ。
残る一体も背後へ回り込もうとした瞬間、
「後方!」
声だけで反応した最後尾の騎士が振り返りざまに剣を抜き放ち、鮮やかな一閃で迎え撃った。
ほんの数分。
五体いた魔物はすべて討ち倒され、聖騎士達の鎧には大きな傷一つ付いていなかった。
戦いが終わると、彼らはまず武器を収める。
「負傷者は?」
「異常ありません。」
「周辺警戒を続けます。」
誰一人として勝利を誇ることなく、淡々と持ち場へ戻っていく。
「見事だな……。」
ガエンは感心したように息を吐いた。
「あれだけ連携が取れていれば、数で押されても崩れない。」
ダグラスも珍しく評価するように頷く。
「一人ひとりの技量も高い。だが、それ以上に互いを信頼して動いている。」
ラーシャは窓の外を見つめながら微笑んだ。
「誰も無理をせず、自分の役割を徹底していますね。訓練の積み重ねがよく分かります。」
「しかも終わった後も全然浮かれてない。」
マイトは感心しきりだった。
「旅人を安心させるのも仕事って言ってたけど、ああいう姿を見れば本当に安心できるね。」
ガエンは静かに腕を組む。
「なるほどな……。」
「街道が安全なのは、立派な道を造ったからだけじゃない。こういう連中が昼も夜も見えないところで守ってくれているからか。」
四人はしばらく夜の街道を見つめていた。
巡礼者達が安心して眠りにつける裏では、聖騎士達が絶えず剣を取り、人知れず街道を守り続けている。
その献身を目の当たりにしたガエン達は、ルミナリアが人々から厚く信頼される理由を、また一つ実感するのだった。




