131.巡礼者、歩く
アトラマリスを出航して三日、ガエン達はもうすぐ港町シクロに到着する予定だ。
穏やかな海を進み続けた大型帆船は、朝日に照らされながらゆっくりと進路を変える。
やがて日が高くなってきた頃、船員が前方を指差し、大きな声を上げた。
「見えたぞー! 港町シクロだ!」
水平線の先に、白い港町が姿を現す。
白い石造りの建物が並び、港には大小様々な船が停泊している。港のさらに向こうには、青空へ向かっていく一本の白い街道が続いていた。
その道は、聖王国ルミナリアへと続く巡礼街道だ。
ガエンは腕を組みながら景色を眺める。
「ようやく着いたか。」
ラーシャは港を見つめる。
「思っていた以上に人が多いですね。」
ダグラスが静かに頷く。
「ルミナリアへ向かう旅人や巡礼者の中継地だからな。」
マイトは懐かしそうに目を細めた。
「昔、ルミナリアへ行った時もここを通ったよ。ここはいつも賑やかなんだ。」
やがて船はゆっくりと接岸し、太い綱が岸へ渡される。
「到着だ! 忘れ物するなよー!」
船員の声を合図に乗客達が次々と船を降り始める。
ガエン達も荷物を背負い、桟橋へ足を踏み入れた。
港には魚市場の威勢のいい声が響き、露店からは焼き魚やパンの香ばしい香りが漂ってくる。
その一方で、目につくのは他国とは少し違う光景だった。
白を基調としたローブや法衣を身にまとった人々が数多く歩いている。
胸元には黄金の太陽を模した紋章。
光の女神ステラの象徴だ。
司祭や修道女と思われる者だけでなく、一般の巡礼者らしき男女も同じ紋章を身につけており、祈りの言葉を交わしながら街を歩いている。
「あれがルミナリアの人達か。」
ガエンが呟くと、マイトが頷いた。
「シクロはルミナリアの玄関口だからね。巡礼者や神官、それに商人も多く集まる。ここから先は、ルミナリアの文化が色濃くなるよ。」
ラーシャは周囲を見回し、小さく肩をすくめる。
「魔族の姿も少しいますけど……視線はあまり友好的じゃなさそうですね。」
実際、角や尻尾を持つ魔族の旅人が歩いているものの、すれ違う巡礼者の中には驚いたような顔を向ける者や、小さく距離を取る者もいた。
露骨な敵意ではない。
しかし、長年積み重ねられた価値観の違いは簡単には消えないようだった。
ダグラスは周囲を観察しながら静かに言う。
「ここはまだ国境の外だ。本国へ入れば、さらに教会の影響は強くなるだろう。」
ガエンは大きく息を吐く。
「まずは情報収集だな。宿を確保して、それからルミナリアへ向かう準備をしよう。」
その時、広場の方から澄んだ鐘の音が街中へ響き渡った。
ゴーン……ゴーン……。
人々は自然と足を止め、胸に手を当てて静かに祈りを捧げ始める。
ガエン達は、その光景を見つめながら、これから足を踏み入れる宗教国家の空気を肌で感じていた。
鐘の音が鳴り止むと、人々は何事もなかったかのように再び歩き始めた。
ガエン達も広場を後にし、石畳の通りを歩いて宿を探す。
港町だけあって宿屋は多く、巡礼者向けの質素な宿から商人向けの立派な宿まで様々だった。
「今日は長旅で疲れてるし、まずは休める場所を確保しよう。」
ガエンの言葉に全員が頷く。
しばらく歩くと、二階建ての木と白い石造りでできた宿が目に入った。
入口には木製の看板が掛けられており、
『旅籠 白い灯火亭』
と書かれている。
「ここでいいんじゃないか。」
ガエンが扉を開けると、カラン、と鈴が鳴った。
店内は清潔で、木の温もりを感じる落ち着いた雰囲気だった。
食堂も併設されており、巡礼者や商人らしい客が昼食を楽しんでいる。
「いらっしゃいませ。」
奥から現れたのは、小柄な魔族の男性だった。
灰色の短い角が額から生え、耳は少し尖っている。
年齢は五十代ほどだろうか。
白いエプロンを身につけ、穏やかな笑みを浮かべていた。
「宿泊をご希望ですかな?」
「ああ。四人で一泊頼みたい。」
ガエンが答えると、店主は帳簿を開いて確認する。
「ちょうど空いております。二人部屋を二つでよろしいですかな?」
「それで頼む。」
手続きを終えると、店主は鍵を二つ差し出した。
「二階の三号室と四号室です。荷物を置かれましたら、ごゆっくりどうぞ。」
ガエン達は部屋へ荷物を運び、一息ついてから再び一階へ降りてきた。
店主はカウンターで帳簿を整理していたが、四人を見ると柔らかく笑う。
「何かご用でしょうか?」
ガエンは椅子に腰掛ける。
「この辺りの話を聞きたくてな。俺達は初めてシクロへ来たんだ。」
「なるほど、旅の情報ですか。」
店主は頷き、湯気の立つ香草茶を人数分用意してくれた。
「私はギードと申します。この宿を三十年ほど営んでおります。」
「三十年か。」
ガエンが感心すると、ギードは照れくさそうに笑う。
「ええ。魔族だから珍しがられることもありますが、この街は港町ですからね。色々な国の人が行き交います。おかげさまで長く商売を続けられています。」
ラーシャが周囲を見回しながら尋ねる。
「でも、巡礼者の方々は魔族にあまり慣れていないようでした。」
ギードは少し苦笑した。
「悪意がある人ばかりではありません。ただ、ルミナリアの奥から来た巡礼者ほど魔族を見る機会が少ないのです。驚いたり、距離を取ったりする人もおりますな。」
ダグラスが静かに尋ねる。
「ルミナリアへ入るには、何か気を付けることはあるか?」
ギードの表情が少し真面目になる。
「あります。向こうでは光の女神教会の影響力が非常に強い。法律よりも教会の教えが重んじられる場面も少なくありません。特に司祭や修道士への礼節は欠かさない方がいいでしょう。」
マイトは腕を組んで頷いた。
「昔と変わってないみたいだね。」
「ええ。それと、明日の朝には巡礼街道を通る馬車が何台か出発します。徒歩でも行けますが、馬車に乗れば半日ほどは楽ができますよ。」
「それは助かる情報だ。」
ガエンは礼を言う。
するとギードは声を少し潜めた。
「もう一つだけ、旅人への忠告があります。」
四人は自然と顔を見合わせる。
「ルミナリアでは、教会の内部事情に首を突っ込まないことです。どんな国にも表と裏があります。余計な詮索をして、面倒事に巻き込まれた旅人を私は何人も見てきました。」
店内の空気が少しだけ張り詰める。
ガエンは真剣な表情で頷いた。
「覚えておこう。貴重な話をありがとう。」
ギードは再び穏やかな笑みを浮かべる。
「旅人が無事に帰ってくることが、この宿の一番の願いですから。」
窓の外では、白い法衣をまとった巡礼者の一団が、祈りの歌を口ずさみながらルミナリアへ続く街道へと歩いていく。
ガエンは窓の外へ視線を向けた。
そこには大きな荷物を背負った商人や、家族連れ、杖をついた老人の姿もあった。
皆、それぞれの目的を胸に、ルミナリアを目指している。
「……ずいぶん歩いて行く人が多いんだな。」
ガエンが感心したように呟くと、ギードは頷いた。
「ええ。信仰の証として徒歩で巡礼する方も多いですし、街道沿いには休憩所や小さな宿場もありますから、安全に旅ができるのですよ。」
しばらくその光景を眺めていたガエンは、小さく笑みを浮かべた。
「せっかくだ。明日は俺達も歩いて行くか。」
その一言に、マイトが嬉しそうに頷く。
「いいね。景色も楽しめるし、久しぶりに街道を歩くのも悪くない。」
ラーシャも窓の外へ目を向けながら微笑んだ。
「私も賛成です。馬車では見落としてしまうような景色や、人との出会いもあるかもしれません。」
ダグラスも静かに腕を組む。
「急ぐ旅でもない。街道の様子を自分の目で確かめておくのも意味があるだろう。」
「よし、決まりだな。」
四人は顔を見合わせ、それぞれ頷いた。
ギードも安心したように笑う。
「徒歩でしたら朝の涼しいうちに出発されるのがおすすめです。昼になると日差しが強くなりますから。」
「ありがとう。参考にさせてもらう。」
ガエン達はギードに礼を言うと宿を後にした。
昼下がりのシクロは相変わらず活気に満ちていた。
港では漁師達がその日に獲れた魚を威勢よく売りさばき、露店では焼きたてのパンや串焼き、果物を並べる商人達が客を呼び込んでいる。
四人はのんびりと港を歩き、土産物屋を覗いたり、巡礼者向けの道具を扱う店を見て回った。
店先には光の女神ステラの紋章が刻まれた木彫りのお守りや、小さな祈りの書、巡礼用の水筒や丈夫な革靴などが並んでいる。
「巡礼だけで、これだけ商売になるんだな。」
ガエンが感心すると、マイトが笑う。
「ルミナリアへ向かう人は一年中いるからね。この街が栄える理由もよく分かるよ。」
その後も四人は市場を見て回り、港から見える白い街道を眺めながら明日の旅路について話し合った。
やがて夕暮れになると、空は茜色に染まり、港に停泊する船の帆が赤く照らされる。
鐘の音が再び街に響き、人々は静かに一日の終わりの祈りを捧げていた。
「そろそろ戻るか。」
ガエンの言葉に全員が頷き、四人は「白い灯火亭」へ戻る。
宿の食堂で温かい夕食を囲みながら明日の予定を確認すると、それぞれ部屋へ戻った。
窓の外では、港の灯りが静かな海に揺れている。
明日はいよいよ巡礼街道を歩き、宗教国家ルミナリアへ向かう。
期待とわずかな緊張を胸に抱きながら、ガエン達は長旅の疲れを癒やすように深い眠りへと落ちていった。




