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静寂の城〜魔王は世界征服をしたい〜  作者: 赤井六舷
魔族領海洋都市国家、アトラマリス

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126/171

126.海岸、人智を越える

港とは反対側の広い海岸。

見渡す限り白い砂浜が続き、打ち寄せる波だけが静かに音を立てている。

その広大な海岸の中央で、勇者マイトと剣聖スレイドの師弟は、互いに数十メートルの距離を空けて向かい合っていた。

その様子を少し離れた場所から見守るのは、ガエン、ダグラス、ラーシャ。

さらにレオナルド商会のカイ、ヴァイス商会のサラ、アルバレス商会のオリバを始めとした豪商達。

そして商業ギルド長、工業ギルド長達まで集まっている。


「……まさか本当にやるとは。」


カイが呆れたように呟く。


「剣でやるんじゃないだけマシだと思うべきかしら。」


サラは腕を組みながらため息をつく。

オリバは苦笑いを浮かべた。


「いや……あの二人なら素手でも街一つ消えるぞ。」


ダグラスも神妙な顔で頷く。


「否定できない。」


その時だった。

スレイドが懐をごそごそと探り始める。


「ん?」


取り出したのは……

割り箸だった。

しかも二膳。


「…………。」


全員が固まる。

スレイドは一本を自分で持つと、もう一膳を軽く放り投げた。


「ほらよ。」


ヒュッ。


マイトは苦笑いしながらそれを受け取る。


「またですか……。」


器用に袋を破り、二本に割る。


パキッ。


スレイドも同じように割り箸を割る。


「剣は禁止だ。」


「そうですね。」


「本気でやったら、この国が消える。」


「師匠らしい理由ですね。」


マイトは苦笑を浮かべながら、一本の割り箸を正眼に構えた。

その姿勢は木の棒ではなく、まるで伝説の聖剣でも持っているかのような隙の無さだった。

対するスレイドも、だらしなく立っているように見える。

しかし、その一本の割り箸の先だけは、まるで世界の中心を指しているかのように微動だにしない。

空気が変わる。


ザァァ……


波の音だけが響く。

誰一人として口を開かない。

ガエンは額に汗を浮かべた。


(割り箸だよな……。)


ラーシャも目を丸くする。


(どう見ても割り箸ですよね……。)


商業ギルド長が小声で呟く。


「何も起きない……よな?」


工業ギルド長も頷く。


「さすがに割り箸で……。」


その瞬間。


ズンッ……


空気そのものが沈んだ。

全員の肩に、とてつもない重圧がのしかかる。


「なっ……!」

「息が……!」


豪商達が思わず膝をつく。

砂浜がミシミシと音を立てて沈み始める。

海面までもが、まるで見えない何かに押さえ付けられたように波を失っていた。

ダグラスだけが苦笑する。


「始まったな。」


ガエンは青ざめる。


「まだ構えただけだよな?」


「ああ。」


スレイドはニヤリと笑った。


「腕は鈍ってねぇみたいだな。」


マイトも静かに笑う。


「師匠こそ。」


スレイドは肩を鳴らしながら言った。


「なら……」


割り箸の先をゆっくりとマイトへ向ける。

その笑みは、獲物を見つけた猛獣そのものだった。


「来い。」


その一言と同時に。


ドンッ!!


二人の姿が掻き消えた。

次の瞬間。


カァァァァンッ!!


割り箸同士がぶつかった、ただそれだけの音が響く。

だが、その衝撃だけで周囲の砂浜が巨大な円形に吹き飛び、沖合の海面が真っ二つに割れ、高く水の壁が立ち上がった。

豪商達は目を見開いたまま絶句する。


「……割り箸、だよな?」


誰かの震える呟きに、答えられる者は一人もいなかった。


カァァァァンッ!!


二本の割り箸が交差する。

だが、それは人の目で追える速さではなかった。

一瞬遅れて、


ドゴォォォォンッ!!


轟音が空を揺らし、衝撃波だけが海岸を駆け抜ける。


「うわっ!」


豪商達は砂に足を取られ、思わず踏ん張る。

海面には一直線に巨大な裂け目が走り、左右へ押し退けられた海水が山のように盛り上がる。

その頃にはもう、二人の姿はそこにはなかった。


「どこだ!?」


ガエンが叫ぶ。


「上です!」


ラーシャが空を指差す。

全員が見上げる。

遥か上空、雲より高い場所で二つの影が激しくぶつかり合っていた。


カンッ!!

カカカカカンッ!!

キィィィィン!!


割り箸とは思えない澄んだ音だけが、空から何度も降ってくる。


「……空を走ってる。」


工業ギルド長が呆然と呟く。

その言葉通りだった。

マイトは空中を蹴り、スレイドもまた何もない空を踏み締めている。

まるで空そのものが地面になったかのように。


「意味が分からん……。」


商業ギルド長は頭を抱えた。


「空って……走れるものだったか?」


ダグラスは腕を組んだまま苦笑する。


「少なくとも俺には無理だ。」


次の瞬間。

スレイドが豪快に笑った。


「はははははっ! いいぞマイト!」


「師匠こそ!」


二人は笑いながら、さらに速度を上げる。


ドンッ!!


マイトが一直線に海へ突っ込んだ。


ザバァァァァン!!


豪快な水柱が上がる。


「落ちた!」


誰かが叫ぶ。

しかし、


「違う!」


ガエンが目を見開く。

マイトは沈んでなどいなかった。

海面を疾走していた。


バシャッ!

バシャッ!

バシャッ!


一歩踏み出すたびに水柱が上がり、その速度は大型の魔導船すら置き去りにするほどだった。


「海の上を走ってるぞ!?」


カイが思わず叫ぶ。


「常識が逃げていくわ……。」


サラは額を押さえる。

その背後から。


ドォン!!


スレイドも海へ飛び込む。

いや、飛び込んだように見えて、やはり海面を走っていた。


「逃がすか!」


「来てください!」


二人は海の上を並走しながら割り箸を打ち合う。


カンッ!!


その一撃だけで海が左右へ吹き飛び、一瞬だけ海底が姿を現した。


「海底が見えたぞ!?」


オリバが思わず叫ぶ。


「割り箸で海を割るな!」


ガエンも思わずツッコミを入れる。

しかし、本人達はそんなことなど気にも留めていない。


「まだまだぁ!!」


スレイドが大きく踏み込む。

マイトは笑みを浮かべたまま迎え撃つ。


「はい!」


カァァン!!


その瞬間、二人は再び陸へ。


ズガァァァン!!


巨大な岩場へ飛び込み岩を足場にした。


ドンッ!!


ドンッ!!


ドンッ!!


岩から岩へ飛び移るたびに、何十メートルもある巨岩が粉々に砕け散っていく。


「岩が……。」


ラーシャがぽつりと呟く。


最後の一歩。

スレイドが岩を蹴る。


ドゴォォォン!!


直径二十メートルはある巨岩が爆散した。

破片が空高く舞い上がる。

その瓦礫の雨の中で。


カンッ!!


カンッ!!


カンッ!!


二人は楽しそうに笑いながら割り箸を打ち合わせていた。


「ははははは!」


「ふふっ!」


その表情には殺気はない。

あるのは純粋な歓喜だけ。

久しぶりに全力で腕を競い合える喜び。

師匠と弟子だからこそ分かる、お互いへの信頼。

ガエン達はただ、その光景を見上げることしかできなかった。


「……。」


誰も言葉が出ない。

ダグラスだけが静かに笑う。


「二人とも、本当に楽しそうだな。」


ガエンは乾いた笑みを浮かべる。


「楽しそうなのは分かるが……。」


遠くでまた一つ、巨大な岩山が真っ二つに割れて崩れ落ちる。


ズガァァァァン!!


「楽しみ方が世界規模なんだよ……。」


その一言に、その場にいた全員が無言で深く頷いた。

その後も、師弟の戦いは止まることがなかった。


カァァン!!


カンッ!!


キィィィィン!!


割り箸同士が打ち合わされるたびに、海は割れ、砂浜は抉れ、岩山は粉々に砕け散る。

しかし、当の二人は終始笑顔だった。


「はははははっ!!」


豪快に笑うスレイド。


「まだまだぁ!」


マイトも少年のような笑みを浮かべながら応じる。

空を駆け。海を走り。岩を砕き。また空へ。

もはやどちらが攻め、どちらが受けなのかすら誰にも分からない。

ガエン達は首を左右に振りながら必死に目で追うが、


「……見失った。」


「私もです。」


ラーシャとガエンは同時に諦めた。


「音だけ聞こえるな。」


ダグラスだけは苦笑いを浮かべる。


カンッ!!


ドゴォォォォン!!


少し遅れて、遠くの断崖が縦に裂け、そのまま海へ崩れ落ちた。


ザザァァァン!!


「また地形が変わった……。」


商業ギルド長が遠い目をする。


「修復費を考えたくない。」


工業ギルド長は頭を抱えた。


「誰に請求すればいいんだ……。」

「魔王か?」

「勇者か?」

「剣聖じゃない?」

「いや、もう全員だろ。」


豪商達は現実逃避気味に相談を始める。

その頃、遥か上空。


カンッ!!


「いいぞマイト!」


「師匠こそ!」


再び割り箸がぶつかる。

その衝撃だけで雲が円形に吹き飛び、青空が大きく広がった。

ガエンは思わず空を見上げる。


「天気まで変えたぞ……。」


その直後。


ヒュン。


スレイドが距離を取った。

マイトも自然と動きを止める。

互いに数十メートル離れ、海の上へ静かに降り立った。

波の上。

二人はまるで地面に立つように向かい合う。

ガエン達も固唾を呑んで見守る。


(決着か……?)


(どっちが勝つんだ……。)


豪商達も思わず息を止める。

スレイドは割り箸を肩に担ぎ、しばらく無言だった。

そして。


「……よし。」


ぼそりと呟く。

マイトが構えたまま尋ねる。


「どうしたんです?」


スレイドは懐へ手を入れた。


ごそごそ。


ごそごそ。


何かを探す。

しかし。


「……。」


手が止まる。そしてもう一度探す。


ごそごそ。


ごそごそ。


そして真顔のまま一言。


「やめだ。」


「……え?」


マイトが思わず間の抜けた声を漏らす。

スレイドは真剣な表情で頷いた。


「酒が切れた。」


「…………。」


一瞬、世界が静まり返る。

ガエン達も豪商達も、全員が固まった。


「酒が……切れた?」


ガエンが聞き返す。

スレイドは当たり前のように答える。


「ああ。」


腰に下げていた酒瓶を逆さにする。


コポ……


一滴。ぽちゃん。

それで終わりだった。


「なくなった。」


満足そうに頷く剣聖。


「だから終わりだ。」


「そんな理由!?」


マイトが思わず叫ぶ。


「いや、酒がないと調子が出ねぇ。」


「さっきまで絶好調だったじゃん!」


「酒があったからだ。」


「理屈になってない!」


スレイドは豪快に笑った。


「はっはっはっ! 続きは次に酒を用意してからだ!」


そう言うと、何事もなかったかのように海面を歩き始める。


スタスタスタ……


「師匠!まだ勝負は!」


「腹も減った。」


「聞いて!」


「帰るぞ。」


「終わり!?」


「終わりだ。」


あまりにもあっさりした一言だった。

マイトはしばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて苦笑すると割り箸を懐へしまう。


「……相変わらずですね。」


「まぁな。」


スレイドは振り返りもせず手をひらひら振った。

ようやく重圧が消え、海は静けさを取り戻す。

ガエン達は一斉に大きく息を吐いた。


「終わった……。」

「生きてる……。」

「助かった……。」


豪商達はその場にへたり込み、砂浜へ大の字になる。

しかし視線の先には、真っ二つになった岩山、形の変わった海岸線、そして無数の巨大なクレーター。

オリバが乾いた笑みを浮かべる。


「……結局。」


カイも深くため息をつく。


「割り箸でここまで壊したのか。」


サラは呆れたように肩をすくめた。


「世界最強の二人って、本当に何でもありなのね。」


ガエンは遠ざかる師弟の背中を見送りながら、小さく呟く。


「割り箸による人智を超えた戦いの決着が……酒切れとは。」


その言葉に、その場にいた全員が、力なく頷くしかなかった。

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