122.剣聖、笑う
シスターが淹れてくれた温かい香草茶から、ほのかな湯気が立ち上る。
孤児院の応接室。
年季の入った木のテーブルを挟み、ガエン達とスレイドが向かい合って座っていた。
「しかし驚いたな。」
ガエンは湯飲みを持ちながら苦笑する。
「魔王城には勇者が居候してるし、スラム街の孤児院には剣聖が居候してるとは。」
「どっちも常識外れですね。」
ラーシャも肩をすくめる。
ダグラスは腕を組みながら笑った。
「世間の連中が聞いたら腰抜かす。」
マイトは頭を抱えた。
「師匠……なんでこんな所にいるんですか。あと、なんで酒臭いんですか。」
スレイドはガハハと豪快に笑う。
「細かいことは気にすんな!」
ガエンはニヤリと笑ってマイトを見る。
「しかし、お前ちゃんと敬語なんだな。」
「当たり前じゃん! 師匠だぞ!」
「へぇ。意外。」
ラーシャまで面白そうに頷く。
「普段とは全然違いますね。」
「ラーシャ!」
皆が笑い出す。
スレイドは満足そうに茶を一口飲んだ。
「で、師匠。」
マイトが真面目な表情になる。
「本当に何をしてるんですか。こんなスラム街で。」
スレイドは椅子にもたれ、大きく息を吐いた。
「いやな。お前を鍛えてた頃は酒もギャンブルも全部我慢してたんだ。」
「え?」
「弟子の前でだらしねぇ姿は見せられねぇからな。」
マイトは目を丸くする。
「そうだったんですか……。」
「当たり前だ。」
スレイドは鼻を鳴らした。
「朝から晩まで剣、剣、剣。酒は禁止。賭け事も禁止。毎日真面目に師匠やってたんだぞ。」
ガエンは吹き出す。
「苦行じゃねぇか。」
「そうなんだよ!」
スレイドは勢いよく頷いた。
「で、お前が旅立ってから、俺も久々に世界中を旅して回った。だがよ。」
その表情が少しだけうんざりしたものになる。
「どこへ行っても。『剣聖様!』『握手してください!』『弟子にしてください!』『ぜひ試合を!』」
スレイドは次々と真似をしながら肩を落とす。
「飯屋に入れば剣聖様。宿に泊まれば剣聖様。酒場に行けば剣聖様。隠れて飲もうとしても剣聖様。全然落ち着けねぇ。」
ガエン達は思わず苦笑した。
「有名人も大変だな。」
「そうだろ?そんな時に流れ着いたのが、このアトラマリスのスラム街だった。」
スレイドはニヤリと笑う。
「ここじゃ誰も肩書きなんざ気にしねぇ。剣聖?だから何だ、って世界だ。喧嘩が強けりゃ認められる。酒を飲めば一緒に飲む。賭場に行けば歓迎される。誰も俺を持ち上げねぇ。最高だった。」
「なるほど。」
ガエンは納得したように頷く。
「だから居着いたのか。」
「ああ。」
スレイドは楽しそうに笑う。
「酒は好きなだけ飲める。ギャンブルも好きなだけできる。喧嘩を売られりゃ返り討ち。退屈しねぇ。しかもこの孤児院の連中が飯まで食わせてくれる。」
シスターは苦笑しながら口を挟む。
「子供達の剣術指導に、薪割り、お買い物の荷物持ち、屋根の修理まで。何だかんだで、とても助かっています。」
スレイドは照れ隠しのように頭をかいた。
「ま、飯を食わせてもらう以上、それくらいはな。」
マイトはそんな師匠を見て、思わず笑みを浮かべる。
「師匠らしいですね。自由気ままで。でも……子供達の面倒を見てるなんて、やっぱり師匠は変わってません。」
スレイドは照れくさそうに鼻を鳴らした。
「うるせぇ。ガキは放っとけねぇだけだ。」
その何気ない一言に、シスターも子供達もどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
シスターは懐かしむように微笑み、静かに湯飲みを置いた。
「実は、この孤児院も一度、閉めなければならないかもしれない時期があったんです。」
その言葉に、ガエン達の表情が引き締まる。
「寄付も減り、食料も底をつきかけて……子供達を他の孤児院へ預けるしかないかと、本気で考えていました。」
ラーシャが小さく息を呑んだ。
「そんなことが……。」
シスターはゆっくりと頷く。
「その時でした。スーさんが突然、大きな袋を抱えてやって来たんです。」
「袋?」
ダグラスが聞き返す。
「ええ。中には金貨がぎっしり入っていました。」
ガエン達は思わず目を見開く。
「そんな大金を?」
「『子供は腹いっぱい食わせろ。足りなくなったらまた来る』と、それだけ言って帰ってしまわれて……。」
シスターは優しく笑った。
「おかげで孤児院は立て直すことができました。今こうして子供達が笑って暮らせているのも、スーさんのおかげなんです。」
部屋に静かな空気が流れる。
ガエンは腕を組み、感心したように呟いた。
「スラム街のボスって聞いてたから、もっと荒っぽい奴かと思ってたが……。」
「根は相当なお人好しですね。」
ラーシャも自然と微笑んだ。
マイトは誇らしそうに師匠を見る。
「師匠……。」
だが当のスレイドは照れる様子もなく、香草茶を一口すすって豪快に笑った。
「ガハハハ! あんなもん大した額じゃねぇよ。」
「でも、あれほどの寄付を何度も……。」
シスターが言うと、スレイドは手をひらひらと振る。
「金はよ、ちょっと仕事をすれば、持ってる奴らは喜んで出してくれるからな。」
あまりにもあっさりした口ぶりに、一同は首をかしげた。
「……仕事?」
ガエンが嫌な予感を覚えながら尋ねる。
スレイドは悪戯っぽく口角を上げた。
「おう。金持ちの用心棒だの、海賊退治だの、そんな仕事を適当に受けてるだけだ。」
スレイドは肩をすくめ、まるで畑仕事でも語るような気軽さで言った。
「腕一本ありゃ、飯には困らねぇからな。向こうも命が惜しけりゃ金は惜しまねぇ。」
ガエンはその言葉を聞き、ふと昨日まで集めていた情報を思い返す。
(金持ちの用心棒……海賊退治……。)
頭の中で、点と点が一本の線で繋がる。
歓楽街のカジノ。
海賊を一人で壊滅させたという、レオナルド商会の最強の用心棒。
そして、オリバ・アルバレスが黒服に向かって言っていた言葉。
『まだヤツに対抗出来そうな奴は見つからないのか?』
(まさか……。)
ガエンの眉がぴくりと動く。
(オリバ・アルバレスの言っていた”ヤツ”って……。)
ゆっくりとスレイドへ視線を向けた。
(剣聖スレイドのことか?)
もしそうなら全て辻褄が合う。
海賊を壊滅させたという用心棒。
豪商同士の対立。
対抗できる者を探している理由。
ガエンは確かめるように口を開いた。
「一つ聞いていいか。」
「ん?」
「その用心棒ってのは……レオナルド商会の用心棒か?」
スレイドは一瞬きょとんとした後、あっさり頷いた。
「おう、そうだぞ。」
あまりにも軽い返事だった。
だが、その一言でガエンの推測は確信へと変わる。
「やっぱりか……。」
「ガエンさん?」
ラーシャが不思議そうに首を傾げる。
ガエンは腕を組み、小さく息を吐いた。
「昨日、アルバレス商会の長が”ヤツに対抗出来る者を探せ”って部下に命じていただろ。」
「……!」
ダグラスとラーシャの表情が変わる。
「つまり、その”ヤツ”ってのは……。」
ガエンは苦笑しながら、目の前で香草茶をすすっている男を親指で指した。
「十中八九、この人だ。」
マイトはスレイドを見てぽかんとする。
対するスレイドは「ん?」と首をかしげるだけだった。
「何の話だ?」
「アンタ、自分が豪商達の勢力争いの中心人物になってるって、自覚ないのか?」
そう聞かれたスレイドは数秒考え込み――。
「……知らんな。」
あっけらかんと言い切った。
ガエン達は思わず全員ずっこけそうになった。
「知らないって……。」
「俺ぁ頼まれた仕事をして、終わったら酒飲んで、たまに孤児院に顔出してるだけだからな。商人同士が何考えてるかなんざ興味ねぇ。」
そう言って豪快に笑うスレイドに、ガエンは額を押さえた。
「なるほど……本人だけが何も知らないってわけか。」
スレイドは香草茶を飲み干すと、湯飲みをテーブルに置いた。
「ところで。」
その瞳がガエン達へ向く。
「今度はお前らだ。俺の話ばっかりだったな。」
ニヤリと笑う。
「お前らは何をしてるんだ?」
ガエンは苦笑しながら頷いた。
「話すと長くなるぞ。」
「時間ならある。」
スレイドは椅子にもたれ、腕を組む。
「聞かせてみろ。」
ガエンは一度言葉を整理するように息をつき、静かに話し始めた。
「発端は魔王だ。」
「ほう。」
「ある日突然、『運動会をやる』と言い出した。」
その一言に、スレイドは数秒固まる。
「……は?」
マイトが苦笑する。
「師匠、その反応になりますよね。」
「魔王が?」
「ああ。」
ガエンは頷いた。
「人間も魔族も関係なく集まって、競い合って、交流できる祭りを開きたいってな。」
スレイドは頭をかきながら笑う。
「変わった魔王だな。」
「俺達も最初はそう思った。」
ガエンも苦笑した。
「だが、本気だった。」
ラーシャが話を引き継ぐ。
「魔王様は戦争ではなく、交流によって人と魔族の距離を縮めたいと考えておられます。」
「だから世界中の国を回って、参加国を募っているんです。」
マイトも頷く。
「俺も勇者として協力してます。」
「勇者が魔王の祭りを手伝ってるってのも大概だな。」
スレイドは腹を抱えて笑った。
「ガハハハハ!」
ダグラスは肩をすくめる。
「最初は俺もそう思った。」
「で?」
スレイドは笑いを収める。
「それとスポンサーって話は?」
ガエンは少し真面目な顔になった。
「運動会を開くには、とんでもない金がかかる。」
「競技場の建設。」
ラーシャが指を折る。
「宿泊施設、食料、賞品、警備、人員、輸送費……。」
「規模が規模だからな。」
ダグラスが続ける。
「魔王城だけじゃ到底賄えねぇ。」
ガエンは頷いた。
「だから各国を回って、協賛してくれる国や商会を探してる。」
「スポンサー集めってわけか。」
「そういうことだ。」
スレイドは感心したように鼻を鳴らす。
「面白ぇこと考えるじゃねぇか。」
ガエンは苦笑した。
「今までフィルドリア、サイヴァーン、クリアフォル、バルファードでは何とか協力を取り付けられた。」
「順調じゃねぇか。」
「……そこまではな。」
ガエンは視線を少し落とした。
「今いるアトラマリスで行き詰まった。」
「商業都市だから金持ちは山ほどいる。」
ダグラスが言う。
「だが、それぞれの商会同士が牽制し合っていて、一筋縄じゃいかない。」
ラーシャも続ける。
「レオナルド商会、ヴァイス商会、アルバレス商会……そして商業ギルドに工業ギルド、どこも一癖も二癖もあります。」
ガエンは肩をすくめた。
「門前払いを食らうわ、豪商同士の対立には巻き込まれるわで、思うように話が進まない。」
「それで情報を集めてたら、黒い外套の仲介人の存在や、スラム街のスーさんの噂に辿り着いたんです。」
マイトが付け加える。
「そして、そのスーさんがまさかの師匠だったってわけです。」
「なるほどな。」
スレイドはニヤリと笑った。
「全部繋がったってわけだ。」
ガエンは静かに頷く。
「ああ。まさかスポンサー探しをしていたら、剣聖に行き着くとは思わなかった。」
「人生、何があるかわからねぇもんだ。」
スレイドは豪快に笑いながら立ち上がった。
「さて、んじゃ行くか。」
ガエン達が首を傾げると、スレイドはニヤッと笑った。
「スポンサーの話、するんだろ?」




