121.孤児院、再会する
ガエン達はスラム街のボス、スーさんの情報を得るため街の細い路地を一つ、また一つと歩いていく。
崩れかけた建物。
壁にもたれ眠る者。
昼間から酒瓶を抱えた男。
どこからともなく向けられる、値踏みするような視線。
スラム街全体が、よそ者を歓迎していなかった。
「スーさんという人を探しているんだが、知っているか?」
ガエンは道端で煙草を吸っていた男に声をかける。
男はガエンの顔を見るなり鼻で笑った。
「知らねぇな。」
そう言うと、さっさと背を向けて歩いていく。
別の場所では、洗濯物を干していた老婆に尋ねる。
「スーさん? そんな名前、この街には百人いるよ。」
そう言ってケラケラと笑い、まともに取り合おうともしない。
さらに別の男は、
「知ってるぜ。あっちだ。」
と適当な方向を指差した。
言われた通りに向かうと行き止まり。
完全にからかわれていた。
「……誰も本当のことを話さないですね。」
ラーシャがため息をつく。
「最初に言われた通りだな。」
ダグラスも腕を組む。
『ここの住人の言葉は信じるな。』
入口で狼の獣人の老人が忠告してくれた言葉は、まさにその通りだった。
「情報を隠してるのか、それとも遊ばれてるのか。」
ガエンは周囲を見回す。
「両方だろうね。」
マイトが苦笑する。
それでも四人は諦めず、酒場の前や路地裏、露店の並ぶ一角などを歩き回ったが、返ってくる答えは嘘か沈黙ばかりだった。
そんな時だった。
「兄ちゃん達。」
どこからともなく軽い声が聞こえる。
四人が振り向くと、木箱の上に一人の猿の獣人が腰掛けていた。
細身の体に、色褪せたベスト。
長い尻尾を器用に揺らしながら、ニヤニヤと笑っている。
年齢は三十代ほど。
目だけが妙に鋭く、周囲を常に観察しているようだった。
「さっきから見てたけど、ずいぶん熱心にスーさんを探してるじゃねぇか。」
ガエンは静かに男を見る。
「……誰だ?」
猿の獣人は帽子を軽く持ち上げ、一礼した。
「へへっ。俺かい?このスラムじゃちょっと名の知れた情報屋さ。知りたいことがあるなら、俺に聞くのが一番早いぜ。」
そう言うと、猿の獣人は意味深な笑みを浮かべ、細い指を二本立てて軽く振った。
「もちろん情報ってのは、タダじゃないけどな。」
猿の獣人は胸に手を当て、大げさに頭を下げた。
「俺の名前はナグル。情報を売って食ってるしがない情報屋さ。」
そう名乗ると、ナグルは細い目をさらに細め、ガエンを見つめる。
「で? 兄ちゃん達は何でそんなにスーさんを探してるんだ?」
その問いに、ガエンはすぐには答えなかった。
(……探りか。それとも本当に興味があるだけか。)
スラム街で自分から近づいてくる者を、簡単に信用する気にはなれない。
ガエンは訝しげな目でナグルを見据える。
「それを聞いてどうする?」
「いやいや、情報屋ってのは依頼人の事情も少しは知っときたいもんでね。危ない橋を渡ることもあるし、相手がどんな目的なのかくらいは聞いておかないと。」
ナグルは肩をすくめて笑う。
「安心しなって。言いたくなきゃ無理には聞かねぇ。」
しばらく沈黙が流れた。
やがてガエンは小さく息を吐く。
「……俺達はある人物を探している。その人物について知っているかもしれないのがスーさんだ。」
「その人物ってのは?」
「黒い外套を着た仲介人だ。」
その言葉を聞いたナグルの眉が一瞬だけ動く。
だが、すぐにいつもの薄笑いへ戻った。
「へぇ……なるほどねぇ。」
ラーシャはそのわずかな表情の変化を見逃さなかったが、何も口にはしない。
ナグルはニヤニヤしながら右手を差し出した。
「事情はわかった。じゃあ、約束通り。」
「……約束?」
「情報料だよ、兄ちゃん。」
指先をこすり合わせる仕草をしながら、ニタリと笑う。
「この街じゃ情報にも飯代がいるんだ。」
ガエンは少しだけ眉をひそめた。
「……やっぱりか。」
「嫌なら無理には売らねぇよ?」
ナグルは肩をすくめる。
「その代わり、また何時間も歩き回ることになるだろうけどな。」
ガエンは小さくため息をつくと、腰の革袋から硬貨を数枚取り出した。
「……仕方ない。」
チャリン、とナグルの手のひらに硬貨が落ちる。
ナグルは手際よく枚数を確認すると、満足そうに頷いた。
「毎度あり。」
そして周囲を一度見回し、誰も聞いていないことを確かめると声を潜める。
「スーさんなら、この街の西にある孤児院の近くだ。」
「孤児院?」
ダグラスが聞き返す。
「ああ。ボロい建物だが、子ども達が集まって暮らしてる場所さ。」
ナグルは尻尾をゆらゆらと揺らしながら続ける。
「スーさんは決まった住処を持たねぇ。酒を飲んじゃその辺で寝るような人だからな。でも最近は、その孤児院の近くで寝てることが多い。」
「どうして孤児院の近くなんだ?」
マイトが尋ねる。
ナグルは肩をすくめる。
「さぁな。本人に聞いてくれ。酒好きで博打好きの酔っ払いだが、妙にあそこへ行くことが多いんだよ。」
ガエンはナグルの目を真っ直ぐ見た。
「その情報、嘘じゃないだろうな。」
ナグルは胸に手を当て、大げさに笑う。
「情報屋が嘘ばっか売ってたら、明日には誰も金を払ってくれなくなるさ。」
その笑顔は胡散臭かったが、不思議と先ほどまで出会った住人達とは違い、妙な確信があった。
ガエンは仲間達へ視線を向ける。
「……行こう。まずはその孤児院だ。」
三人は静かに頷く。
四人はナグルに背を向け、スラム街の西へ向かって歩き始めた。
その背中を見送りながら、ナグルは口元を吊り上げ、小さく呟く。
「さて……スーさん、面白い連中がお前さんを訪ねてきたぜ。」
ナグルに教えられた通り、四人はスラム街の西へ向かった。
荒れ果てた路地を抜けると、少しだけ空気が変わる。
崩れた石壁の向こうに、小さな庭が見えた。
古びた木造の建物。
屋根はところどころ修繕の跡があり、壁も色褪せている。
しかし、その庭だけは不思議と温かかった。
子供達の笑い声が響いている。
「ここが……孤児院か。」
ガエンは建物を見上げる。
入口の木製看板には、かすれた文字で『聖母の家』と書かれていた。
「スーさんらしき人はいませんね。」
ラーシャが辺りを見回す。
庭先には子供達が遊び回っているが、酒瓶を抱えた酔っ払いらしき男の姿はない。
ダグラスは腕を組みながら周囲を確認する。
「建物の裏かもしれん。」
四人は孤児院の周囲をゆっくり歩いてみた。
裏庭。
井戸の脇。
物置の陰。
それらしい人物はいない。
さらに少し離れた空き地や路地まで探してみるが、やはり見つからなかった。
「外にはいないみたいですね。」
ラーシャが言う。
「中の人に聞いてみるしかないか。」
ガエンが頷く。
「よし、行こう。」
四人は孤児院の扉を軽くノックした。
コン、コン。
「入るぞ。」
返事はなかったが、扉は少しだけ開いていた。
ガエンが静かに扉を押す。
ギィ……
年季の入った蝶番が小さく鳴いた。
中へ入ると、優しいパンの香りが鼻をくすぐる。
広間では十数人の子供達が元気いっぱいに走り回っていた。
「こらこら、走ると転びますよ。」
穏やかな声で微笑んでいるのは、一人のシスターだった。
三十代ほどの女性で、質素な修道服を身にまとい、子供達を母親のような優しい眼差しで見守っている。
そのすぐ近くでは、一人の壮年の男が子供達と本気になって遊んでいた。
「ほらほら! 捕まえてみろ!」
「待てー!」
子供達が笑いながら男を追いかける。
男は四十代後半ほど。
日に焼けた肌。
短く刈り込まれた灰色混じりの髪。
質素な服装ではあるが、その立ち姿には隙がない。
子供達に囲まれ笑っているにもかかわらず、一目見ただけで歴戦の戦士だとわかるような、不思議な威圧感をまとっていた。
ガエンもダグラスも、その男から漂う只者ではない気配に思わず目を細める。
その時だった。
いつもなら真っ先に冗談を言うマイトが、ぴたりと足を止めた。
「……え。」
その顔から笑みが消える。
目が大きく見開かれ、肩が震え始める。
「どうした?」
ガエンが声をかけても、返事はない。
マイトは信じられないものを見るような目で、その壮年の男を見つめ続けていた。
「ま、まさか……。」
喉が震える。
「そんな……なんでこんな所に……。」
男もふと視線を上げる。
そして入口に立つマイトを見た瞬間、少しだけ目を丸くした。
「……おん?」
その一瞬で、マイトの感情が堰を切ったように溢れ出す。
「し……。」
声が裏返る。
「し、し……!」
子供達もシスターも何事かと振り向く。
マイトは涙目になりながら、大きく息を吸い込んだ。
「し、し、師匠ーーーッ!!!!!」
孤児院中に響き渡るほどの大声だった。
マイトの絶叫に、広間の空気が凍りついた。
子供達は目を丸くし、シスターも驚いたようにマイトと壮年の男を見比べる。
「えっ、おじちゃんのお弟子さん?」
「師匠ってことは、おじちゃん強いの?」
子供達が口々に騒ぎ始める。
ガエン達もまた、思わず息を呑んだ。
「……師匠?」
ダグラスが低く呟く。
ラーシャは壮年の男を見つめ、静かに目を細めた。
(あの気配……やっぱり普通の人じゃありませんでしたか。)
一方、壮年の男は一瞬きょとんとした顔をした後、
「おぉ?」
と目を細め、豪快に笑った。
「ガハハハハッ! なんだ、誰かと思えば馬鹿弟子じゃねぇか!」
そう言って子供達の輪を抜け、マイトの前まで歩いてくる。
マイトは信じられないという表情のまま固まっていた。
「し、師匠……本当に師匠なんですか……?」
「なんだその間抜け面は。」
男はニヤリと笑い、マイトの頭を拳で軽く小突いた。
ゴツン。
「いってぇ!」
「その痛がり方まで昔と変わってねぇな。」
豪快に笑う男を見て、マイトはようやく現実だと理解したらしい。
「本当に……本当に師匠だ……!」
ガエンは静かに腕を組み、その男を見据える。
(この男が……。)
そして、ここへ来るまでに聞いた話が頭の中で一つに繋がる。
スラム街のボス。酒好き。博打好き。孤児院の近くによくいる。そして皆が親しげに呼ぶ”スーさん”。
(スーさん……スレイド。そういうことか。)
ガエンは小さく息を吐いた。
「なるほど……スラム街の連中が言っていたスーさんというのは、剣聖スレイドのことだったのか。」
ダグラスも納得したように頷く。
「確かに”スレイド”なら”スーさん”になるな。」
ラーシャはくすりと笑う。
「誰も剣聖だとは教えてくれませんでしたね。」
その言葉にスレイドは耳ざとく反応した。
「おいおい、剣聖なんて呼び方はやめろ。肩が凝る。」
そう言って頭を掻きながら笑う。
しかし、その笑顔とは裏腹に、歴戦の猛者だけが持つ圧倒的な存在感は隠しようがなかった。
マイトはまだ呆然としたまま口を開く。
「で、でも師匠……どうしてこんな所にいるんですか!? 王都でもなく、騎士団でもなく、こんなスラム街で……。」
スレイドは豪快に腹を抱えて笑った。
「ガハハハハハッ!」
子供達までつられて笑い出す。
笑い終えると、スレイドはニヤリと口角を上げ、親指で自分の周囲を指した。
「見てわからねぇのか、馬鹿弟子。」
マイトはきょとんとする。
「え?」
「昼間っから子供と遊んで、飯まで食わせてもらってる。」
スレイドは床に置かれた酒瓶をひょいと持ち上げ、肩をすくめた。
「つまり俺は、ここで世話になってる居候ってわけだ。」
そのあまりにも気楽な答えに、マイトは思わず大声を上げた。
「そこじゃありませんよッ!!」
マイトの盛大な突っ込みが孤児院に響き渡った。




