118.オーガ、噂を聞く
豪商の一人、オリバの言っていた"ヤツ"とは。
ガエンは考える。
「カジノのオーナーが、わざわざ『対抗できる奴を探せ』なんて命じる相手……」
酒を口に運びながらも、その視線は店内ではなく、先ほどオリバが消えていった出口へ向けられていた。
マイトが小声で尋ねる。
「何か気になるの?」
「ああ。」
ガエンは頷く。
「まず一つ。このカジノは十中八九、オリバ・アルバレスの縄張りだ。」
ラーシャも静かに頷いた。
「黒服達の動きを見てもそうですね。あれだけ統率が取れていますし、オリバが現れた瞬間、全員が道を空けました。普通の客にする対応じゃないです。」
ダグラスは腕を組む。
「つまり、この歓楽街もかなりの範囲をアルバレス商会が牛耳っている可能性が高い。」
「そういうことだ。」
ガエンはテーブルを指先で軽く叩いた。
「そんな男が困ってる相手ってことになる。」
マイトが首を傾げる。
「商売敵じゃないの?」
「それも考えた。」
ガエンはゆっくりと言葉を続ける。
「だが、商売敵なら『潰せ』って話になるはずだ。なのにオリバは『対抗できそうな奴はまだ見つからないのか』と言った。」
ラーシャもその違和感に気付く。
「確かに……。“倒す”じゃなくて”対抗する”でした。つまり、一人の力が突出してる可能性があります。」
ダグラスが低く呟く。
「化け物か。」
ガエンは苦笑する。
「この世界じゃ、それも珍しくない。」
一瞬、四人の間に静寂が流れる。
店内ではルーレットの玉が転がる音と、勝敗に沸く歓声だけが響いていた。
ガエンはさらに思考を巡らせる。
(考えられるのは三つ。一つ目は、圧倒的な実力を持つ冒険者や傭兵。二つ目は、裏社会を荒らしている犯罪者。三つ目は……)
そこまで考え、ガエンは目を細めた。
(この街そのものを揺るがす存在。)
商人は利益を何より優先する。
そんな豪商が、自分の利益よりも先に「対抗できる者」を探している。
それだけで、その”ヤツ”が普通ではないことだけは理解できた。
「どうする?」
ダグラスが尋ねる。
ガエンは少し笑みを浮かべる。
「向こうから近づいてくるのを待つ。」
「え?」
「黒服は俺達を見ていった。あれは品定めだ。もしオリバが人材を探しているなら、俺達のことは必ず報告される。」
ラーシャも納得したように頷く。
「焦って動くより、向こうに興味を持たせた方が安全て事ですね。」
「そういうことだ。」
ガエンはグラスを持ち上げ、静かに酒を飲み干した。
「今は情報が少なすぎる。だが、この街の裏で何かが動いているのは間違いない。そして、その中心にいるのがオリバ・アルバレスと……“ヤツ”だ。」
その時だった。
店の奥に立っていた一人の黒服が、再び四人へ視線を向ける。
今度は警戒ではない。
まるで何かを確かめるような視線を送り、黒服は無言で奥の扉の向こうへと姿を消した。
ガエンはその様子を見逃さず、小さく口角を上げる。
「……どうやら、魚が食いつき始めたみたいだな。」
その直後だった。
「イカサマだ!!」
店内に怒号が響き渡り、ルーレットを囲んでいた客達が一斉に振り返る。
「ふざけるな! 三回連続で同じような負け方なんてあるか!」
酒瓶を片手にした中年の男がテーブルを叩き、ディーラーへ詰め寄っていた。
「金を返せ! こんなカジノ信用できるか!」
周囲の客は距離を取り始める。
ざわざわと空気が乱れ、演奏していた楽団も思わず手を止めた。
すぐに数人の黒服が男を囲む。
「お客様、どうかお静かに。」
「こちらで確認いたしますので……」
しかし男は黒服の手を振り払い、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「確認だぁ!? どうせグルなんだろ!」
黒服達の表情は変わらない。
「他のお客様のご迷惑になります。どうか別室へ……」
「うるせぇ!!」
男はさらに大声を張り上げた。
「お前らもそのうち、あの海賊みたいにレオナルドの用心棒にやられちまえばいいんだ!!」
その一言で店内の空気が凍り付いた。
先ほどまで賑わっていた客達が、一斉に口を閉ざす。
酒を飲む手が止まり、カードを配ろうとしていたディーラーの動きまで止まった。
黒服達の顔色がわずかに変わる。
「……!」
リーダー格らしき黒服は素早く周囲を見回すと、小さく舌打ちした。
「連れて行け。」
「はっ。」
二人の黒服が男の両腕を掴む。
「離せ! 本当のことを言っただけだろ!」
男は暴れるが、鍛えられた黒服達はびくともしない。
「やめろ! 俺は見たんだ! 港で……」
最後まで言わせることなく、一人の黒服が男の口を塞ぎ、そのまま店の奥へと引きずっていく。
重い扉が閉まる音が響くと、静まり返っていた店内に再び楽団の演奏が流れ始めた。
まるで何事もなかったかのように。
だが、先ほどの一言は確かにガエン達の耳へ届いていた。
マイトが小声で呟く。
「海賊……?」
ラーシャも眉をひそめる。
「しかも、レオナルドの用心棒にやられたと言っていました。」
ダグラスは腕を組んだまま低く言う。
「レオナルド商会……昼間、門前払いされた海運王の商会だな。」
ガエンは静かに頷いた。
「海運王レオナルドと、魔道具商オリバ・アルバレス。そしてオリバが恐れる”ヤツ”……。」
ガエンは頭の中で点と点を結び始める。
(港で海賊がやられた。それを知る客がいて、黒服はその話を聞かせたくなかった。)
つまり、この件は歓楽街でも口にしてはならない話なのだ。
ラーシャがさらに声を潜める。
「黒服達の慌て方……ただの酔っ払いを黙らせるようには見えませんでした。」
「ああ。」
ガエンは視線を奥の扉へ向ける。
「イカサマ騒ぎなんて建前だ。本当に止めたかったのは、“海賊”と”レオナルドの用心棒”の話だ。」
ダグラスが不敵に笑う。
「面白くなってきたな。」
ガエンも小さく笑みを浮かべた。
「どうやら、この街の裏で起きている出来事は、一つの糸で繋がっているらしい。」
そしてガエンは確信する。
オリバの言う”ヤツ”。
港で海賊を退けたレオナルドの用心棒。
その二つは、決して無関係ではない。
黒服達の視線を感じながらも、ガエンはあえてそれ以上詮索しなかった。
「ここじゃ話しづらいな。」
小さく呟くと、四人は何事もなかったように席を立ち、歓楽街を少し歩いた先にある落ち着いたバーへと入る。
店内は先ほどのカジノとは対照的だった。
薄暗い照明に木製のカウンター。
静かな音楽が流れ、客達は酒を片手に小声で語り合っている。
四人は奥のテーブル席へ腰を下ろし、エールを注文した。
しばらくすると、年配の店主が酒を運んできた。
「観光かい?」
「まあ、そんなところだ。」
ガエンは笑みを浮かべる。
「この街のことを色々知りたくてな。」
店主は少し考えた後、小さく肩をすくめた。
「なら、深入りしない程度にな。」
そう言って店主は周囲を確認し、少しだけ声を落とした。
「さっきの騒ぎ……見てたんだろ?」
ガエン達は無言で頷く。
「海賊だの用心棒だのって話か。」
「知ってるのか?」
店主は苦笑した。
「あくまで噂話だ。」
そう前置きすると、静かに語り始める。
「海運王レオナルドには、一人だけ特別な用心棒がいる。」
「一人だけ?」
ダグラスが聞き返す。
「ああ。普段は滅多に姿を見せないが、とんでもない腕前らしい。」
店主はグラスを磨きながら続ける。
「少し前、レオナルドの船団を狙った海賊がいたそうだ。」
マイトが身を乗り出す。
「それで?」
「普通なら護衛船を出して総力戦になるところだ。」
店主はそこで一度言葉を切った。
「だが、その用心棒がたった一人で海賊船に乗り込み……海賊団を壊滅させたって話だ。」
ラーシャが目を丸くする。
「一人で……?」
「噂だから話半分で聞いてくれよ。」
店主は笑う。
「だが、その事件以来、レオナルドの船を襲う海賊はほとんどいなくなった。」
ダグラスが低く唸る。
「なるほどな。」
マイトは思わず苦笑した。
「そんなの人間じゃないじゃん。」
ガエンは酒を一口飲むと、ちらりとマイトを見る。
「なんだか、お前みたいな奴だな。」
突然話を振られたマイトは目をぱちくりさせる。
「え? 俺?」
「もしお前が船に乗ってて海賊が来たら、一人で突っ込んでいきそうだからな。」
「いやいや、さすがに海の上じゃ戦えないよ!」
「問題はそこじゃない。」
ダグラスが真顔で言う。
「お前なら船ごと沈めそうだ。」
「ひどっ!」
ラーシャは思わず吹き出した。
「確かに否定しきれませんね。」
「ラーシャまで!」
四人の間に久しぶりの笑いが広がる。
店主もつられて笑ったが、すぐに真剣な顔へ戻った。
「ただな……。」
「?」
「レオナルドとアルバレス商会は昔から仲が悪い。」
その言葉に四人の表情が変わる。
「商売敵か?」
ガエンが尋ねる。
店主は首を横に振る。
「商売だけじゃないらしい。昔から何度も港の利権や取引先を巡ってぶつかってきたって話だ。表向きは大人しくしてるが、水面下じゃ互いを出し抜こうとしてる。」
ラーシャが静かに呟く。
「だからカジノでレオナルドの名前が出た瞬間、黒服達が慌てた……。」
「そういうことだ。」
店主は頷いた。
「アルバレス側の人間にとっちゃ、レオナルドの話題は面白くないんだろうさ。」
ガエンはグラスを指先で回しながら考え込む。
(レオナルドとオリバは敵対関係……。そしてレオナルドには、海賊すら壊滅させる用心棒がいる。さらにオリバは”ヤツ”に対抗できる人材を探している。)
頭の中で少しずつ情報が繋がっていく。
だが、まだ決定的な一本の線にはならない。
(もし”ヤツ”がレオナルドの用心棒なら話は早い。だが、オリバほどの男が名前すら出さなかったのは妙だ。)
ガエンは静かに息を吐く。
(まだ何か隠されている。)
その時、店主がぽつりと付け加えた。
「もっとも……。」
四人が顔を上げる。
「昔から仲が悪いってのは有名な話だが、最近は以前にも増して空気が張り詰めてる。」
「何かあったんですか?」
ラーシャが尋ねる。
店主は首を振った。
「そこまでは知らん。ただ、この歓楽街じゃ『余計なことは詮索するな』って空気が前より強くなった。」
ガエンは小さく笑みを浮かべる。
「つまり、その空気を作ってる何かがあるってことか。」
店主は苦笑しながらグラスを拭き続けた。
「この街で長生きしたいなら、知らない方が幸せなこともある。」
その忠告を聞きながらも、ガエン達の胸中では逆に確信が深まっていた。
アトラマリスの裏で動いている大きな渦。
その中心には、豪商オリバ・アルバレスと海運王レオナルド、そして正体不明の”ヤツ”がいる。
運動会のスポンサー探しのはずが、四人は知らぬ間に、この港町最大の火種へと足を踏み入れ始めていた。




