117.カジノ、不穏な空気が漂う
夕暮れが近づく頃。
ガエン達は歓楽街へ向かう前に、港近くの酒場へ足を運んでいた。
昼間とは違い、店内には仕事を終えた船乗りや商人、用心棒達が酒を飲み交わし、大きな笑い声が響いている。
四人は奥の席に腰を下ろし、軽く酒と料理を注文した。
「さて……まずは情報収集だな。」
ガエンは店員の虎の獣人に銀貨を一枚渡しながら尋ねる。
「豪商って連中は、普段どんな所に出入りしてる?」
店員は銀貨を懐へしまうと、小さく笑った。
「金持ちは表じゃ目立たねぇよ。昼間は商会で仕事、夜になると歓楽街だ。」
「やっぱりか。」
「高級酒場、高級娼館、それから……一番集まるのはカジノだな。」
ダグラスが腕を組む。
「勝負事が好きなのか?」
「金持ちは金を増やすのも、減らすのも娯楽だからな。でかい商談も酒場じゃなく、カジノの個室で決まる事もある。」
マイトが興味深そうに身を乗り出した。
「個室?」
「ああ。大口の客だけが入れる特別室だ。そこには豪商や貴族、それに裏社会の顔役まで出入りしてる。」
ラーシャが静かに尋ねる。
「その部屋に入るにはどうすればいいのですか?」
店員は肩をすくめる。
「紹介か、大金を動かせるって信用されるか、そのどっちかだな。」
ガエンは頷きながら酒を一口飲む。
「他に気を付ける事は?」
店員は少し声を落とした。
「歓楽街には黒服がいる。」
「黒服?」
「カジノや高級店を守ってる連中だ。表向きは警備員だが、実際は裏社会の用心棒だ。」
「揉め事を起こした奴は?」
「外へ連れていかれる。二度と見ない奴もいる。」
店内の空気が少しだけ重くなる。
店員は続けた。
「あと、あいつらは勘が鋭い。客じゃない奴を見つけるのが仕事だからな。」
ガエンは苦笑した。
「なるほど。つまり長居しすぎるなって事か。」
「いや。」
店員は首を横に振る。
「長居は構わねぇ。“何を見ているか”が問題なんだ。」
その言葉を聞いた四人は顔を見合わせた。
「ありがとう。」
ガエンは礼を言い、酒代を払うと店を後にした。
やがて太陽が水平線へ沈み、港町アトラマリスは昼とはまるで別の顔を見せ始める。
歓楽街には色鮮やかな魔導灯が灯り、赤や青、紫の光が石畳を照らしていた。
音楽が流れ、美しい踊り子達が客引きをし、高級な馬車が次々と店の前へ止まる。
「昼間より人が多いな。」
マイトが辺りを見回す。
「これだけ人がいれば目立たないですね。」
ラーシャも静かに頷く。
ガエンは歓楽街の中心にある巨大な建物を見上げた。
「……あれか。」
豪華な装飾が施された大理石造りの建物。
入口には金色の看板。
その下では黒い燕尾服を着た男達が客を丁寧に迎えていた。
アトラマリス最大級のカジノ。
四人は自然な足取りで中へ入る。
扉を抜けた瞬間、世界が変わった。
無数のシャンデリア。煌びやかな装飾。大量のチップが積まれたテーブル。ルーレットが回る音。カードを切る音。勝者の歓声。敗者のため息。
豪商らしき太った男達。高価なドレスを身に纏った婦人。腕の立ちそうな護衛。
そして、その全てを静かに見守る黒服達。
ガエン達は酒を注文し、カジノの一角で客を装いながら周囲を観察し始めた。
「あの男、指輪だけで家が建ちそうだな。」
マイトが小声で呟く。
「あっちは商人ぽいね。」
ラーシャは視線だけを動かす。
「黒服の人達、強そうですね。」
ダグラスも入口付近を見ていた。
「黒服は全部で十数人……いや、見えているだけでだ。」
ガエンは軽くグラスを揺らしながら店内全体を眺める。
(確かに豪商はいる……だが誰がスポンサーになりそうかまでは分からんな。)
その時だった。
一人の黒服が歩みを止める。
視線は一瞬だけガエン達へ向けられた。
そして何事もなかったかのように歩き去る。
しかし、その直後。
別の黒服が柱の近くへ移動する。さらに反対側にももう一人。
いつの間にか三人の黒服が、それぞれ自然な位置取りでガエン達を囲むように配置されていた。
「……囲まれ始めたな。」
ダグラスが小さく呟く。
「まだ声は掛けてこないな。」
ラーシャも冷静に周囲を確認する。
「でも完全に見られてますね。」
マイトは笑顔を崩さないまま、小声で言う。
「俺達、そんなに怪しく見えたかな?」
ガエンはグラスを置き、口元だけで笑った。
「いや……あいつらの仕事が優秀なんだ。」
その瞬間、一人の黒服が静かな足取りで四人のテーブルへと近づいてきた。黒服の表情は穏やかだったが、その鋭い眼差しはガエン達の一挙手一投足を見逃すまいとしていた。店内の喧騒とは裏腹に、四人の周囲だけが張り詰めた空気に包まれていく。
黒服は四人のテーブルの前で足を止めると、丁寧な笑みを浮かべて軽く一礼した。
「失礼いたします、お客様。」
低く落ち着いた声だった。
「当カジノは初めてのお客様でしょうか?」
ガエンは特に動じる様子もなく、グラスを軽く持ち上げて笑う。
「ああ、そうだ。」
黒服の視線がわずかに細くなる。
「何かご不便でもございましたか?」
「いや。」
ガエンは肩をすくめた。
「アトラマリスのカジノは初めてだからな。どんな雰囲気なのか見てただけだ。」
その言葉を聞いた黒服は、一瞬だけ沈黙した。
「そうでしたか。」
笑顔は崩さない。
しかし、その目だけは相変わらず鋭かった。
黒服はガエンを見つめたあと、ゆっくりと視線を横へ移す。
最初にマイト。無邪気そうな笑顔を浮かべ、酒を飲んでいる青年。
次にラーシャ。静かにグラスを傾けるダークエルフだったが、その所作には一般人にはない洗練があった。
そして最後にダグラス。無表情で酒を飲んでいるだけなのに、どこか近寄り難い空気を纏っている。
黒服は四人を順番に見回しながら、何かを測るように無言で観察した。
(旅人……か?護衛にしては妙だ。四人とも隙がない。だが敵意も感じない。)
ほんの数秒。
それだけの時間だったが、ガエン達には互いを値踏みされていることがはっきりと分かった。
やがて黒服は小さく頷く。
「ごゆっくりお楽しみください。当カジノでは、お客様が快適にお過ごしいただけるよう努めております。」
「ありがとう。」
ガエンが自然に答えると、黒服は一礼し、静かな足取りでその場を離れていった。
「……行ったね。」
マイトが小声で呟く。
「でも安心はしてないみたいです。」
ラーシャは視線を動かさず答えた。
ダグラスも入口付近を見ながら小さく頷く。
「いや、むしろ警戒は強まった。」
実際、先ほどまで柱の陰にいた黒服の一人が、別の黒服とすれ違いざまに何かを耳打ちしている。
その情報を受けた男は、何気ない仕草で店内を巡回しながらも、ときおりガエン達へ視線を向けていた。
ガエンは苦笑しながらグラスを揺らす。
「客としては合格だが、信用はされてないってところか。」
「当然でしょう。」
ラーシャが静かに答える。
「豪商や裏社会の関係者が集まる場所です。見慣れない顔がいれば調べるのは普通です。」
「むしろ、あれだけで済んでるなら優秀な警備だよね。」
マイトの言葉にダグラスも同意した。
「下手な組織なら、いきなり外へ連れ出して尋問している。」
ガエンは店内をゆっくりと見回した。
黒服達は相変わらず自然に立っているだけだ。
だが、その配置には無駄がない。
入口、二階へ続く階段、貴賓室へ向かう通路、換金所、重要な場所には必ず黒服が立ち、客の流れを把握している。
「……なるほど。」
ガエンは小さく呟いた。
「このカジノ、本当に裏社会の玄関口なんだな。」
その時だった。
二階へ続く大階段の上から、ひときわ豪華な身なりをした初老の男が数人の護衛を従えて姿を現す。
店内の黒服達が一斉にさりげなく姿勢を正す。
ざわついていた空気が、一瞬だけ静まり返った。
「あの反応……。」
ダグラスが目を細める。
「ただの金持ちじゃないな。」
ガエンも静かに視線を向ける。
「いよいよ、本命のお出ましか。」
初老の男は五十代半ばほど。
白髪交じりの髪を後ろへ撫でつけ、漆黒の上等な礼服に深緑のマントを羽織っている。
派手な装飾は少ない。
だが、その一つひとつが一級品であることは一目で分かった。
歩くだけで周囲の空気が変わる。
誰もが道を空け、黒服達は深く頭を下げる。
「あれは……。」
ラーシャは細く息を吐いた。
昼間、豪商について情報を集めた時に聞いた特徴と一致する。
しかし、確証を得るため、ラーシャは誰にも気づかれないよう、ごく僅かに魔力を巡らせた。
風属性の補助魔法。
聴覚だけを強化する、小さな魔力操作。
魔力の波は周囲へ漏れないよう極限まで抑えられ、本人ですら集中しなければ分からないほど繊細だった。
店内の喧騒がゆっくりと遠のき、代わりに離れた場所の声が鮮明に耳へ届き始める。
(……聞こえる。)
初老の男が階段を降りる。
近くまで来た黒服が、誰にも聞こえないほど小さな声で頭を下げた。
「オリバ様。」
その一言で、ラーシャは確信した。
(やはり……。)
アルバレス商会の長、オリバ・アルバレス。
魔道具や希少品を扱い、アトラマリスでも指折りの豪商。
昼間に酒場で聞いた噂では、表では大商人として名を馳せる一方、裏では誰とも容易には手を組まない人物だという。
オリバは歩みを止めることなく、隣に寄った黒服へ小声で問いかけた。
「……まだ、ヤツに対抗出来そうなやつは見つからないのか?」
黒服は周囲へ視線を走らせ、誰にも聞かれないよう声を潜める。
「申し訳ありません。まだです。」
オリバは僅かに眉をひそめた。
「そうか。」
短く答えると、さらに低い声で続ける。
「なるべく早く見つけろ。」
「承知しました。」
黒服は深々と頭を下げた。
それ以上の会話はない。
オリバは表情を変えることなく歩き出し、左右を固める護衛達とともに出口へ向かう。
黒服達は次々と頭を下げ、誰一人として声を掛ける者はいない。
やがて重厚な扉が静かに開かれ、オリバは夜の街へ姿を消した。
扉が閉まると、店内は再び賑わいを取り戻す。
だがラーシャの耳には、先ほどの一言だけが強く残っていた。
(“ヤツ”……。誰か一人を警戒している。しかも、“対抗出来そうなやつ”を探しているということは、商売敵というより、一個人として手に負えない相手……。)
ラーシャは魔法を解除すると、何事もなかったようにグラスを口元へ運んだ。
その小さな変化に気付いたのは、隣に座るガエンだけだった。
「何か聞こえたか?」
ラーシャはグラスを置き、声を潜める。
「ええ。」
ガエン達だけに聞こえる声で、今聞いた内容を簡潔に伝えた。
「今の男はアルバレス商会の長、オリバ・アルバレスでした。そして黒服に『まだヤツに対抗出来そうなやつは見つからないのか?』と尋ねていました。黒服は『まだです』と答え、オリバは『なるべく早く見つけろ』と言って出ていきました。」
マイトが目を丸くする。
「対抗する相手……?」
ダグラスは腕を組み、静かに考え込む。
「豪商がわざわざ人探しを命じるほどの存在か。」
ガエンはゆっくりと口角を上げた。
「面白くなってきたな。」
その一言とともに、四人は互いに視線を交わす。
アトラマリスの裏で動く、まだ見ぬ”ヤツ”。
スポンサー探しのはずだった旅は、思いもよらぬ大きな渦へと巻き込まれようとしていた。




