116.交渉、始まらない
翌朝、ガエン達は朝食を済ませると身支度を整え、宿を出た。
アトラマリスの港は朝から熱気に満ちている。
荷馬車が石畳を走り、商人達の威勢のいい声が四方から飛び交う。
「まずは商業ギルドだな。」
ガエンを先頭に、ダグラス、マイト、ラーシャの四人は大通りを歩いていく。
やがて巨大な石造りの建物が見えてきた。
入口には大きく『商業ギルド・アトラマリス本部』の看板が掲げられ、次々と商人達が出入りしている。
「すごい人だね……。」
マイトが思わず声を漏らす。
建物の中へ入ると、その賑わいはさらに増した。
受付には長蛇の列ができ、各地の商人達が契約書や帳簿を抱えて順番を待っている。
「荷が届かねぇぞ!」
「この契約書に判を!」
「市場価格が変わった! 急いでくれ!」
あちこちで声が飛び交い、職員達は慌ただしく書類を運び、走るように廊下を行き来していた。
「さすが交易都市の商業ギルドだな。」
ラーシャが辺りを見回しながら呟く。
「忙しそうだけど……行くだけ行こう。」
ガエンは受付の列へ並び、自分の番を待った。
しばらくして順番が来る。
受付には茶色の髪を後ろで束ねた女性職員が座っていた。
「お待たせしました。本日はどのようなご用件でしょうか?」
営業用の笑顔を浮かべ、丁寧に頭を下げる。
ガエンも穏やかに口を開いた。
「ギルド長に会いたい。」
「承知しました。ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「運動会のスポンサーについて話がある。」
その一言だった。
女性職員の笑顔が、すっと消える。
先ほどまでの愛想の良さは影を潜め、どこか面倒臭そうな表情へ変わった。
「……スポンサー、ですか。」
「そうだ。」
職員は軽くため息をつくと、事務的な口調で答えた。
「申し訳ありませんが、ギルド長は大変多忙です。」
「だから会わせられないってことか?」
「はい。それにスポンサーのようなお話でしたら、事前の紹介状や商会からの推薦が必要になります。」
ガエンは首を傾げる。
「紹介状はない。」
「でしたら、お取り次ぎはできません。」
きっぱりと言い切られた。
マイトが苦笑する。
「結構厳しいんだね……。」
職員はさらに続ける。
「毎日のように投資話や共同事業の売り込みが来ますので、飛び込みでの面会は一切受け付けておりません。」
「一度話だけでも聞いてくれれば……」
ガエンが言いかけると、職員はその言葉を遮るように頭を下げた。
「申し訳ございません。お引き取りください。後ろのお客様がつかえておりますので。」
すでに次の商人へ視線を向けている。
完全に話は終わったという態度だった。
「……だそうだ。」
ガエンは肩をすくめながら受付を離れる。
建物の外へ出ると、マイトが苦笑交じりに笑った。
「まさか入口で終わるとは思わなかったよ。」
「相手からすれば、俺達はどこの誰とも分からねぇ旅人だからな。」
ガエンは特に気にした様子もなく答える。
ダグラスが腕を組み、静かに口を開いた。
「むしろ当然の対応だ。商業ギルドほどの組織なら、飛び込みの話をいちいちギルド長まで通していては仕事にならん。」
ラーシャも頷く。
「信用第一の世界ですから。紹介状も実績もない相手を簡単に通さないのですね。」
ガエンは商業ギルドの大きな建物を見上げ、小さく笑った。
「まぁ、一発目で断られるのは想定内だ。」
「じゃあ次?」
マイトが尋ねると、ガエンは迷いなく答えた。
「ああ。まだ工業ギルドも豪商もいる。最初から全部回るって決めてたんだ。」
四人は気持ちを切り替えると、人混みで賑わう大通りを歩き出し、次の目的地、工業ギルドへ向かっていった。
商業区を後にした四人は、港とは反対側へと歩いていく。
石畳の道を進むにつれ、潮風の匂いは薄れ、代わりに鉄と炭の焦げる匂いが鼻をついた。
「雰囲気が全然違うね。」
マイトが周囲を見回す。
そこは鍛冶町だった。
道の両側には鍛冶屋や金属加工店がずらりと並び、至る所から金槌を打つ音が響いてくる。
カン! カン! カン!
赤く熱せられた鉄を打つ職人達。
鎧や剣を運ぶ荷車。
煙突から立ち上る黒煙。
商業区とは違い、汗と炎が支配する職人達の街だった。
「いかにも工業ギルドの縄張りって感じだな。」
ガエンが周囲を眺めながら歩く。
やがて、一際大きな煉瓦造りの建物が見えてきた。
入口には大きな鉄製の看板。
『工業ギルド・アトラマリス本部』
建物の前には武器職人、防具職人、大工、船大工、細工師など、多くの職人達が出入りしている。
「ここも人が多いですね。」
ラーシャが感心したように呟く。
中へ入ると、商業ギルドとはまた違った熱気が広がっていた。
受付前には職人達の列。
「鉄材が足りねぇ!」
「注文品が完成したぞ!」
「炉の使用許可を更新してくれ!」
職員達は書類を抱えて走り回り、工房との連絡役が絶えず出入りしている。
「忙しさは同じみたいだね……。」
マイトが苦笑する。
「とりあえず行くだけ行く。」
ガエンは受付へ向かい、自分の順番を待った。
やがて番が回ってくる。
受付には筋肉質な中年の男性職員が座っていた。
「お待たせしました。ご用件は?」
事務的ながら愛想のある声だった。
ガエンは商業ギルドと同じように答える。
「ギルド長に会いたい。」
「ご用件は?」
「運動会のスポンサーについて話がある。」
その瞬間だった。
男性職員の表情が目に見えて曇る。
「あぁ……スポンサーですか。」
面倒そうに頭を掻くと、小さく息を吐いた。
「申し訳ないですが、ギルド長はお会いできません。」
「紹介状が必要か?」
ガエンが先回りして聞く。
「その通りです。」
職員は淡々と頷いた。
「紹介状、加盟工房からの推薦、もしくは取引実績のある商会の保証が必要になります。」
「どれもない。」
「でしたら、お取り次ぎはできません。」
きっぱりと言い切られる。
「話だけでも聞いてもらえれば価値はあると思うんだが。」
ガエンは食い下がる。
しかし職員は首を横に振った。
「毎日のように新しい技術だの投資話だの共同開発だのと持ち込まれます。飛び込みの面会を認めてしまえば仕事になりません。」
そして商業ギルドの職員と同じように、丁寧ではあるが冷たい口調で締めくくった。
「申し訳ありません。後ろのお客様がお待ちですので、お引き取りください。」
すでに視線は次の職人へ向いていた。
完全な門前払いだった。
ガエンは苦笑しながら受付を離れる。
建物の外へ出ると、マイトが頭を掻いた。
「商業ギルドと全く同じ結果だったね。」
「ああ。予想通りだ。」
ガエンは肩を回しながら笑う。
ダグラスは静かに言う。
「むしろこちらの方が警戒は強い。工業ギルドは技術や利権を扱う組織だ。得体の知れぬ者をギルド長に会わせる理由がない。」
ラーシャも納得したように頷いた。
「信用が何より重要という点では、商業ギルドと変わりませんね。」
ガエンは工業ギルドの巨大な建物を見上げる。
「二連敗か。」
そう呟いた後、口元に笑みを浮かべた。
「でも、まだ終わりじゃねぇ。」
「次はいよいよ豪商?」
マイトが尋ねる。
「ああ。ギルドが駄目なら、今度は個人に直接当たる。」
ガエンは迷いなく歩き出した。
四人は鍛冶町を後にし、アトラマリスでも指折りの豪商が屋敷を構える富裕街へと向かっていった。
四人は鍛冶町を抜け、石畳の広い大通りを歩いて富裕街へ入った。
そこは今まで歩いてきた街並みとは別世界だった。
白い石造りの豪邸が立ち並び、色鮮やかな花壇や噴水が手入れされている。
高級そうな馬車が静かに行き交い、立派な礼服を着た執事や使用人達が忙しく出入りしていた。
「ここまで来ると、本当に金持ちの街だね……。」
マイトが思わず感嘆の声を漏らす。
「あの商業区とは空気まで違うな。」
ガエンは周囲を見渡しながら歩く。
「最初は海運王、レオナルド商会ですね。」
ラーシャが地図を確認すると、一際大きな屋敷を指差した。
巨大な鉄門の先には三階建ての白亜の屋敷。
庭には港町らしく帆船を模した噴水が設けられ、門柱には金色の文字で『レオナルド商会』と刻まれている。
入口には屈強な門番が二人立っていた。
ガエンは門の前まで歩み寄る。
「商会長に会いたい。」
門番の一人が無表情のまま尋ねる。
「お約束は?」
「ない。」
「紹介状は?」
「ない。」
「商談相手として登録は?」
「それもない。」
門番は淡々と首を横に振った。
「申し訳ありませんが、お引き取りください。」
「スポンサーの話なんだが。」
ガエンが続ける。
「商会長は飛び込みの面会は受け付けておりません。」
「一言だけでも……」
「できません。」
それ以上の会話はなかった。
門番は槍を持ち直し、通路を塞ぐように一歩前へ出る。
追い払うというより、それ以上近づけないという意思表示だった。
「……駄目か。」
ガエンはあっさり引き下がる。
「予想通りだね。」
マイトが苦笑した。
「次へ行こう。」
四人はその場を離れ、今度は宝石と香辛料で名を馳せるヴァイス商会へ向かった。
富裕街の中心に建つヴァイス商会は、どこか異国情緒を感じさせる屋敷だった。
色鮮やかなステンドグラス。
庭には南国の植物が植えられ、香辛料の香りが風に乗って漂ってくる。
「随分と派手ですね。」
ラーシャが感心する。
門の前には同じように門番が立っていた。
「商会長に会わせてほしい。」
ガエンが用件を伝える。
「お約束はございますか?」
「ない。」
「紹介状は?」
「ない。」
門番は営業用の笑みすら浮かべず答えた。
「申し訳ありません。本日はどなた様も飛び込みでの面会は受け付けておりません。」
「運動会のスポンサーについての話なんだが。」
「そのようなお話は秘書を通して事前予約をお願いいたします。」
「予約したいと言っても?」
「紹介者が必要になります。」
きっぱりと言われる。
「……なるほど。」
ガエンは苦笑しながら肩を竦めた。
「ここも駄目だ。」
ダグラスが静かに言う。
「当然だろう。」
最後の望みをかけ、四人はアルバレス商会へ向かった。
魔道具や希少品を扱うことで知られる商会だけあって、屋敷は他とは雰囲気が違う。
壁には魔法陣が刻まれ、入口には魔石の灯りが昼間でも淡く輝いている。
「なんだか近寄り難いですね……。」
ラーシャが思わず呟く。
門番の視線も鋭かった。
ガエンは同じように名乗り、商会長との面会を求める。
しかし返ってきた言葉は、やはり同じだった。
「申し訳ありません。予約のない面会は一切お断りしております。」
「スポンサーの話でもか?」
「はい。」
「一分でも?」
「お断りしております。」
短く、それだけだった。
ガエンはしばらく門を見つめていたが、やがて小さく笑った。
「全敗だな。」
四人は屋敷を離れ、近くの公園にあるベンチへ腰を下ろした。
「まさか全部同じとは思わなかったよ。」
マイトが空を見上げる。
「ギルドも豪商も、信用のない相手は入口にも立たせてもらえないということですね。」
ラーシャが静かに分析する。
ダグラスも腕を組んだまま頷いた。
「この街では金が集まる。それだけ詐欺師や山師も多いのだろう。門前払いは自衛でもある。」
ガエンは腕を組み、しばらく考え込んでいた。
やがて立ち上がる。
「昼間は無理だ。」
「え?」
マイトが顔を上げる。
「昼はみんな仕事中だ。門番も決まり通りに動くしかねぇ。」
ガエンは富裕街の先に見える歓楽街へ視線を向けた。
「でも夜になれば話は変わる。」
「夜ですか?」
ラーシャが首を傾げる。
「ああ。この街の金持ちや豪商は、仕事が終われば酒場や高級料理店、あるいはカジノに顔を出すはずだ。」
ガエンは不敵に笑う。
「門番を突破できねぇなら、本人が門の外に出てくるのを待てばいい。」
マイトも笑みを浮かべた。
「なるほど。それなら紹介状も門番も関係ないね。」
「焦っても仕方ねぇ。」
ガエンは宿のある方向へ歩き始める。
「昼間は情報でも集めながら時間を潰す。勝負は夜だ。」
四人は気持ちを切り替えると、夕暮れが訪れるその時を待つため、賑わうアトラマリスの街へと戻っていった。




