114.船、入港する
翌朝、ガエン達は朝食を取ると甲板に出た。
朝の海は穏やかで、波は陽の光を受けてきらきらと輝いている。潮風が心地よく吹き抜け、帆を大きく膨らませていた。
船員達は忙しく動き回り、港へ入るための準備を始めている。
ガエンは手すりに肘をつき、静かに水平線を眺めた。
「もうすぐだな。」
その言葉にダグラスも海の先へ目を向ける。
「ああ……見えてきたぞ。」
ダグラスが指差した先。
最初は霞のようにしか見えなかった影が、船が進むにつれて徐々に輪郭を現していく。
やがて巨大な城壁と無数の建物、空へ向かって伸びる塔、そして林立するクレーンや帆柱が姿を見せた。
「あれが……。」
ラーシャが思わず息を呑む。
「海洋都市国家アトラマリス……。」
水平線を埋め尽くすほど広大な港。
大小様々な船が何百隻と停泊し、世界各地の国旗を掲げた商船や豪華客船、軍艦まで行き交っている。
港の奥には石造りの街並みが広がり、そのさらに奥には巨大な時計塔や円形闘技場のような建物、商業ギルドの本部と思われる壮麗な建築物がそびえていた。
海沿いには巨大な倉庫群が立ち並び、荷物を運ぶ荷車や魔道具で動く荷役機械が絶え間なく動いている。
「噂以上だね。」
マイトが目を輝かせる。
「人も船も桁違いだ。」
「魔族領最大の貿易都市っていうのは伊達じゃねぇな。」
ガエンも思わず感心したように笑う。
「これだけ金が動いてるなら、スポンサー候補も山ほどいそうだ。」
ダグラスが静かに頷く。
「商業ギルド、工業ギルド、豪商、そして裏社会……。どこも一筋縄ではいかなそうだがな。」
「だから面白いんじゃねぇか。」
ガエンは不敵な笑みを浮かべる。
「全部回って、全部に話を持ちかける。それが俺達のやり方だ。」
四人が港を見つめていると、船長が大きな声を張り上げた。
「間もなくアトラマリス港に入港する! 乗客の皆さんは荷物をまとめて下船の準備を!」
その声に船内が一気に慌ただしくなる。
旅人達は荷物を抱え、商人達は積み荷を確認し、船員達は港への接岸作業に備えて持ち場へ散っていく。
ガエン達も互いに顔を見合わせ、小さく頷いた。
いよいよ、商業と欲望が渦巻く海洋都市国家アトラマリスでの新たな戦いが始まろうとしていた。
船は速度を落としながら巨大な港へと近づいていく。
左右には何本もの桟橋が伸び、荷揚げを待つ商船や豪華客船、漁船が隙間なく並んでいた。港中に威勢のいい掛け声が響き、荷車を引く者、積み荷を確認する商人、客引きをする宿屋の店員など、多くの人々が忙しなく行き交っている。
やがて船はゆっくりと岸壁へ横付けされた。
「帆をたため!」
船長の号令が飛ぶと、船員達は手際よく帆を畳み、ロープを張って船体を固定する。
続いて大きな錨が海へと下ろされ、重々しい音とともに船は完全に停船した。
「アトラマリス港に到着だ! 忘れ物のないよう順番に下船してくれ!」
船員の案内で乗客達は次々とタラップへ向かう。
商人は積み荷を確認しながら急ぎ足で降り、冒険者達は新天地への期待を胸に港へ足を踏み出していく。
ガエン達も荷物を背負い、タラップを降りた。
港へ降り立つと、潮の香りに混じって香辛料や焼き魚、酒場から漂う料理の匂いが鼻をくすぐる。耳に飛び込んでくるのは様々な国の言葉。まさに世界中の人々が集まる交易都市だった。
「すごい活気だね。」
マイトが辺りを見回す。
「人の数だけでもバルファードとは比べものにならねぇ。」
ガエンも周囲を見渡しながら頷く。
その時だった。
少し離れた場所で見覚えのある男達の姿が目に入る。
昨日、船上でラーシャに絡んできたあのガラの悪い連中だ。
「……あの人たち。」
ラーシャが小さく呟く。
男達は港へ出迎えに来ていたらしい、一人の痩せた男と話し込んでいた。
黒い外套を羽織り、派手さはないものの上質な服を着ているその男は、周囲を油断なく見回しながら男達へ何か指示を出している。
「あれは仲介人か。」
ダグラスが静かに目を細める。
「用心棒を探してるって話だったな。」
ガエンは腕を組み、少しだけ様子を眺める。
仲介人らしき男は紙束を取り出して男達に見せると、何か条件を説明しているようだった。男達は何度も頷き、真剣な表情で話を聞いている。
「どうするの?」
マイトが尋ねる。
ガエンは首を横に振った。
「今は関係ねぇ。あいつらが何をしようが、俺達の目的はスポンサー探しだ。」
「面倒事に首を突っ込むのは、必要になってからで十分だな。」
ダグラスも同意するように頷く。
「まずは拠点の確保だ。」
ラーシャも港の先に広がる街並みへ目を向ける。
「これだけ大きな街なら宿もたくさんありそうですね。」
「よし。」
ガエンは笑みを浮かべる。
「まずは宿を確保して荷物を置く。それからアトラマリスを歩いて情報収集だ。」
四人は昨日の男達を横目に見ながら、その場を後にする。
港から続く大通りには、宿屋や酒場、商店がずらりと並び、客引きの声が絶え間なく飛び交っていた。
商業と欲望、そして莫大な富が集まる海洋都市国家アトラマリス。
ガエン達は、この国での拠点となる宿を探すため、活気あふれる街の中心へと歩き出した。
港を離れ、大通りをしばらく歩くと、ガエンは近くで荷車を押していた中年の男性に声をかけた。
「悪い、この街で長く泊まれる宿を探してるんだが、どこかいいところは知らねぇか?」
男は荷車を止めると、気さくに笑って頷く。
「長期滞在なら、自分で探すより宿案内所に行った方が早いぞ。空室状況も全部把握してるからな。」
「宿案内所か。」
「この先の噴水広場を右に曲がればすぐだ。青い看板が目印だよ。」
「助かる。」
ガエンが礼を言うと、四人は教えられた方向へ向かった。
しばらく歩くと、大きな噴水を中心とした広場へ出る。
その一角には、青い屋根と「宿案内所」と書かれた看板を掲げた建物が建っていた。
「アオラオイにもあったね。」
マイトが呟く。
「ああ。交易都市はこういう仕組みが整ってるんだろうな。」
ガエンはそう言いながら扉を開ける。
中は明るく清潔で、壁一面には宿の一覧や料金表、空室情報が掲示されていた。
受付では制服を着た女性職員が笑顔で迎える。
「ようこそ宿案内所へ。本日はどのような宿をお探しでしょうか?」
ガエンは迷うことなく答えた。
「四人で長期滞在する予定だ。できれば四人部屋があって、仕事の拠点にできる宿がいい。」
「承知いたしました。」
職員は慣れた手つきで魔道具の端末を操作し、各宿から送られてくる空室情報を確認していく。
「少々お待ちください……。」
しばらくすると職員は一枚の地図を取り出し、いくつかの宿に印を付けた。
「現在、ご希望に合う宿はこちらになります。」
一軒目は港に近く利便性は高いが、商人の出入りが多く騒がしい宿。
二軒目は商業ギルド本部にも近く、設備は良いものの宿泊費はやや高め。
そして三軒目は中心街から少し離れた場所にある落ち着いた宿で、長期滞在者向けの四人部屋が空いており、食事付きの料金も比較的手頃だった。
ガエン達は顔を見合わせる。
「スポンサー探しで毎日歩き回ることになるし、静かな方が休めそうだね。」
マイトが言う。
「騒がしい宿では情報も漏れやすい。」
ダグラスも静かに付け加える。
ラーシャも頷いた。
「私も三軒目がいいと思います。」
全員の意見が一致し、ガエンは受付へ向き直る。
「じゃあ、その宿を頼む。」
「かしこまりました。」
職員は宿へ連絡を入れ、予約票を作成すると地図とともに手渡した。
「こちらの紹介状を宿へお渡しください。部屋はすでに確保しております。」
「助かる。」
礼を言って案内所を後にした四人は、地図を片手に石畳の道を進んでいく。
港の喧騒を抜けるにつれ、周囲は落ち着いた雰囲気へと変わっていく。
商人向けの商館や長期滞在者用の店舗が並び、人通りは多いものの騒がしさはない。
「ここなら拠点にするには悪くなさそうだな。」
ガエンが周囲を見渡しながら言う。
「まずは荷物を置いて一息つこう。」
ダグラスが短く答える。
「それから街を回って情報収集ですね。」
ラーシャも期待に胸を膨らませる。
「商業ギルドから回る?」
マイトが尋ねると、ガエンは笑みを浮かべた。
「いや、まずは街を歩いて空気を知る。どこの勢力がどれだけ力を持ってるのか、自分の目で確かめてから動く。」
四人は紹介された宿を目指し、石畳の通りをゆっくりと歩いていった。
紹介状に書かれた住所を頼りに歩いていくと、やがて落ち着いた雰囲気の二階建ての宿が見えてきた。
木造を基調としながらも白い漆喰で美しく仕上げられた建物で、玄関先には色とりどりの花が植えられている。看板には《四葉亭》と彫られており、長年この街で営業してきたことが一目で分かる風格があった。
「ここみたいだな。」
ガエンが扉を開けると、小さな鈴が澄んだ音を鳴らす。
「いらっしゃいませ。」
奥から現れたのは、ふわりとした金色の尻尾を揺らす狐の獣人の女性だった。年は三十代ほどに見え、穏やかな笑みを浮かべている。
「宿案内所から紹介を受けております。」
ラーシャが紹介状を差し出すと、女将は目を通してにっこりと微笑んだ。
「四名様ですね。お待ちしておりました。」
女将は四人を二階へ案内する。
廊下はよく磨かれており、窓からは海風が心地よく吹き込んでいた。
案内された部屋は広々とした四人部屋で、それぞれの寝台と机、荷物棚が備え付けられている。窓からはアトラマリスの街並みと遠くに広がる港が見渡せた。
「長期滞在には十分だな。」
ダグラスが部屋を見渡しながら呟く。
「広いね!」
マイトも嬉しそうに笑う。
ラーシャは窓を開け、港から吹く潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。
「気持ちいい……。」
女将は四人の様子を見ながら、柔らかな口調で尋ねた。
「失礼ですが、皆さんはどちらから来られたのですか?」
ガエンは荷物を降ろしながら振り返る。
「王都マグノリアからだ。」
「まあ、ずいぶん遠くから。」
女将が少し驚いた表情を浮かべる。
ガエンは肩をすくめて笑った。
「ある意味仕事で世界中を回ってる最中なんだ。」
「そうでしたか。」
女将は納得したように頷く。
「この街には様々な国から商人や旅人が集まりますが、長く滞在される方は皆さん何かしら目的を持っておられます。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。」
「ありがとう。」
ガエンが礼を言うと、女将は一礼して部屋を後にした。
四人は荷物を整理し、それぞれ必要最低限の荷物だけを身につける。
ガエンは窓の外に広がる街を見つめ、不敵な笑みを浮かべた。
「さて、拠点は確保できた。」
「次は情報収集だね。」
マイトが拳を軽く握る。
「まずは街を歩いて勢力図を頭に入れる。」
ダグラスが静かに言う。
ラーシャも頷いた。
「市場や商業ギルド、それに酒場なら色々な話が聞けそうですね。」
「焦る必要はねぇ。」
ガエンは立ち上がり、部屋の扉へ向かう。
「まずはこの街を知ることから始めよう。アトラマリスがどんな街で、誰がこの街を動かしているのか、自分の目で見て確かめる。」
四人は部屋を出て宿を後にする。
通りへ出ると、昼下がりのアトラマリスはさらに活気を増していた。
露店では海で獲れたばかりの魚介が威勢よく売られ、香辛料を扱う店からは異国情緒あふれる香りが漂ってくる。魔道具店には最新の魔導機器が並び、武具店には冒険者や傭兵が出入りしていた。
さらに大通りの先では大道芸人が火の玉を操る芸を披露し、その周囲には多くの子どもや旅人たちが歓声を上げている。
「さすが交易都市。」
ガエンは周囲を見回しながら呟く。
「金も物も情報も、人も全部ここに集まってくるってわけか。」
その言葉に三人も静かに頷いた。
こうしてガエン達は、商業と欲望が渦巻く海洋都市国家アトラマリスの街を、自分たちの足でじっくりと歩き始めた。ここで得る情報が、スポンサー獲得への第一歩となることを四人は理解していた。




