112.ダークエルフ、絡まれる
翌朝、ガエン達は朝食を取ると準備をして港に向かった。
アトラマリス行きの船は乗船が始まっていて、既に何人もの人達が船に乗り込んでいる。
港には荷車を押す商人や、大きな荷物を抱えた旅人、故郷へ帰る家族連れなど、さまざまな人々が行き交っていた。停泊している大型帆船の周囲では船員達が忙しく声を掛け合い、最後の積み荷を運び込んでいる。
「いよいよ出発ですね。」
ラーシャが穏やかに海を眺めながら呟く。
「うん。海洋都市国家アトラマリス。楽しみだね。」
マイトは朝から上機嫌で船を見上げていた。
ダグラスは静かに周囲を見渡しながら、
「乗船手続きを済ませる。」
と短く言った。
四人は列に並び、順番が来ると乗船券を職員へ差し出した。
「確認しました。どうぞお気をつけて。」
職員は笑顔で乗船券を返し、四人を船へ案内する。
木製のタラップを渡り船内へ足を踏み入れると、広い甲板には既に多くの乗客が集まっていた。
ガエンは何気なく周囲へ視線を向ける。
そこには昨日、港の職員から聞いた噂を裏付けるように、腕や首に刺青を入れた男達や、武器を隠そうともせず腰に下げた荒くれ者達が何組も乗り込んでいた。
「あの人達……。」
ラーシャが少しだけ表情を曇らせる。
「昨日の話の連中かもしれないね。」
マイトも興味深そうに眺めていた。
ダグラスは男達の動きを一瞥すると、小さく呟く。
「戦い慣れているな。傭兵か、それとも賞金稼ぎか……。」
しかしガエンは特に気にした様子もなく肩をすくめた。
「港町なら、あれくらいの連中は珍しくもねぇさ。俺達に絡んでこなけりゃどうでもいい。」
そう言うと、ガエンはさっさと船内へ歩き出す。
「客室に荷物を置こうぜ。出港までまだ少し時間はある。」
「そうですね。」
「ああ。」
「うん。」
四人は騒がしい甲板を後にし、船内の通路を進んで、自分達に割り当てられた客室へと向かった。
四人は客室へ入ると、それぞれ荷物をベッドの脇へ置いた。
部屋は四人部屋で、木の香りが漂う落ち着いた造りになっている。小さな丸窓からは青い海が見え、ゆっくりと波が揺れていた。
「悪くない部屋だな。」
ダグラスが短く呟く。
「これなら快適に過ごせそうですね。」
ラーシャもほっとしたように微笑んだ。
「よーし! 出港まで甲板に行こう!」
マイトは待ちきれない様子で扉へ向かう。
「落ちるなよ。」
ガエンが苦笑しながら声を掛けると、四人は再び客室を出て甲板へ戻った。
甲板では乗客達がそれぞれ思い思いの時間を過ごしている。
家族連れは港へ手を振り、商人達は荷物の確認をし、船員達は最後の綱を外す準備を進めていた。
やがて、
ボォォォォォォォッ!!
船全体を震わせるような大きな汽笛が鳴り響く。
「出港だ!」
誰かがそう叫ぶと、船員達が一斉に綱を外し、大きな帆が風を受けて膨らんだ。
ゆっくりと船は岸壁を離れ、港が少しずつ遠ざかっていく。
海鳥が甲板の上を飛び交い、朝日に照らされた海面がきらきらと輝いていた。
「おお……。」
マイトは身を乗り出すように海を見つめる。
「広いですね……。」
ラーシャも穏やかな表情で水平線を眺めた。
ガエンは船べりにもたれ掛かり、潮風を受けながら静かな海を見渡す。
「やっぱ海はいいな。」
その時だった。
少し離れた場所から、不穏な笑い声が聞こえてくる。
「よう、姉ちゃん。」
「一人で景色なんか見てても退屈だろ?」
「俺達と酒でも飲まねぇか?」
声を掛けていたのは、乗船前にも見掛けた刺青姿の男達だった。
三人組の男達はラーシャを囲むように立ち、行く手を塞いでいる。
「申し訳ありませんが、お断りします。」
ラーシャは穏やかな口調で答え、一歩横へ避けようとする。
しかし男の一人が腕を伸ばぎ、その進路を遮った。
「まあまあ、そんな冷たいこと言うなよ。」
「せっかくの船旅なんだ。楽しもうぜ?」
「ダークエルフなんて珍しいしな。」
男達は下品な笑みを浮かべながら距離を詰める。
ラーシャの表情は変わらない。
だが、その紫色の瞳にはわずかに怯えた光が宿っていた。
「もう一度言います。道を開けてください。」
「嫌だって言ったら?」
男が肩を掴もうと手を伸ばした、その瞬間、
「おい。」
低く落ち着いた声が男達の背後から響いた。
三人が振り向く。
そこには、ゆっくりと歩み寄ってくるガエンの姿があった。
腕を組み、男達を真っ直ぐ見据えながら、一歩、また一歩と距離を詰めていく。
その表情には笑みこそ浮かんでいたが、その目だけはまったく笑っていなかった。
ガエンが男達の前まで来ると、三人はラーシャから視線を外し、今度はガエンを睨みつけた。
「何だ、お前。」
刺青の男が肩を鳴らしながら一歩前へ出る。
「関係ねぇなら引っ込んでろ。」
別の男も腰に差した短剣へ手を添え、威嚇するように笑う。
ガエンはため息混じりに頭を掻いた。
「船の上で騒ぎは起こしたくねぇんだ。」
そう言ってラーシャの前へ立つ。
「悪いが、その子から離れてくれ。」
「はっ!」
男達は声を上げて笑った。
「俺達に命令してんのか?」
「力づくでどかしてやるよ!」
三人のうち二人が同時にガエンへ飛び掛かろうと足を踏み出す。
その瞬間。
ヒュンッ!
冷たい風が吹き抜けたような錯覚と共に、一振りの巨大な黒い大鎌が男の喉元でぴたりと止まった。
刃先は皮膚に触れるか触れないかという距離。
男の額から一筋の汗が流れ落ちる。
「…………。」
いつの間に現れたのか。
そこには黒い外套をまとったダグラスが立っていた。
感情の読めない瞳で男を見据えながら、低い声で告げる。
「これ以上動けば、止められん。」
静かな一言だった。
しかし、その言葉には絶対の重みがあった。
「な……っ。」
喉元に刃を突きつけられた男は顔色を失い、身体を硬直させる。
一方、その隣では、
「やっほー。」
場違いなほど明るい声が響いた。
「え?」
もう一人の男が目を見開く。
ほんの一瞬前まで数メートル離れていたはずのマイトが、いつの間にか目の前に立っていた。
満面の笑みを浮かべたまま、小首を傾げている。
「ねぇねぇ。」
にこにこと笑いながら言う。
「女の子を困らせるのって、楽しいの?」
「い……いつ来た!?」
男は思わず後ずさる。
だがマイトは一歩踏み出すだけで、その距離を再びゼロにした。
「俺さ。」
笑顔は変わらない。
しかし、その瞳だけは一切笑っていなかった。
「ガエンやラーシャを困らせる人、あんまり好きじゃないんだ。」
その一言に、男は背筋へ氷を流し込まれたような悪寒を覚える。
三人目の男だけが状況を理解できず、慌てて腰の剣へ手を伸ばそうとした。
その瞬間、ガエンがゆっくりと拳を握る。
ゴキッ。
骨が鳴る音が甲板に響いた。
「まだやるか?」
穏やかな口調。
だが、その圧倒的な威圧感に、三人の男達は誰一人として動くことができなかった。
周囲の乗客達もいつの間にか足を止め、その光景を固唾を呑んで見守っていた。
船上に流れる空気は、一瞬にして凍り付いていた。
ガエンは男達を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……はぁ。」
そのため息には呆れが混じっていた。
「ダグラス、マイト。」
短く名を呼ぶと、二人はすぐに意図を理解する。
ダグラスは無言で大鎌を引き、すっと後ろへ下がる。
「命拾いしたな。」
それだけ言い残すと、再びガエンの後方へ戻った。
マイトも笑顔のまま一歩引く。
「ガエンがそう言うなら。」
男達はようやく張り詰めていた空気から解放され、大きく息を吐いた。
だが、誰一人としてその場から動こうとはしない。
ガエンは腕を組み、三人を見回す。
「俺は暴れたいわけじゃねぇんだ。」
その言葉に、男達は何度も頷いた。
「あ……ああ。」
「分かってる……。」
「もう手は出さねぇ。」
先ほどまでの威勢は完全に消え失せ、三人とも冷や汗を流している。
ガエンはラーシャが無事であることを確認すると、男達へ視線を戻した。
「一つ聞く。」
男達はごくりと唾を飲み込む。
「お前らはアトラマリスに何をしに行くんだ?」
質問は穏やかだった。
しかし、その場の誰もが嘘は通じないと感じていた。
三人は顔を見合わせ、小さく頷く。
やがて一人が観念したように口を開いた。
「……仕事だ。」
「仕事?」
「ああ。」
男は肩を落としたまま続ける。
「最近、アトラマリスじゃ用心棒を探してる奴がいるって話でな。」
「護衛が大量に必要らしい。」
別の男も話を継ぐ。
「報酬もかなりいいって噂だ。だから俺達みたいな傭兵崩れや荒くれ者が、あっちに流れてる。」
三人目の男も苦笑しながら肩をすくめる。
「別に海賊になるつもりじゃねぇ。ただ、稼げる仕事があるって聞いただけだ。」
ガエンは腕を組んだまま考え込む。
「用心棒を大量に、か……。」
ラーシャも首を傾げる。
「何か大きな催しでもあるのでしょうか……。」
「それとも、誰かが何かを警戒してるとか?」
マイトは相変わらず興味津々な様子で男達を見る。
男達は首を横に振った。
「詳しいことは知らねぇ。」
「依頼主の名前も聞いてねぇ。」
「港に着けば仲介人がいるって、それだけだ。」
ダグラスが静かに口を開く。
「仲介人が港で人を集める……組織的だな。」
ガエンは男達を見据えた後、小さく息を吐いた。
「まあいい。」
男達の肩がびくりと震える。
「さっきも言ったが、俺は暴れたいわけじゃねぇ。」
ガエンは親指でラーシャを示した。
「ただ、仲間に手を出されるのは見過ごせねぇ。それだけだ。」
三人は深々と頭を下げた。
「……悪かった。」
「もう二度と絡まねぇ。」
「本当にすまなかった。」
ガエンは軽く手を振る。
「分かったなら行け。」
男達は何度も頭を下げると、足早にその場を離れていった。
その様子を見ていた乗客達も安堵したように息をつき、止まっていた時間が動き出すように、それぞれ元の場所へ戻っていく。
マイトは男達の背中を見送りながら笑った。
「ちゃんと謝ってくれてよかったね。」
「お前が笑顔で詰め寄ったのも十分怖かったと思うがな。」
ガエンが苦笑すると、マイトは首を傾げた。
「え?俺?普通に話してただけだよ?」
その言葉に、ガエンとラーシャは顔を見合わせ、ダグラスだけが静かに目を閉じた。
「……自覚がないのが一番厄介だ。」
ダグラスの小さな呟きに、ガエンは思わず吹き出した。




