111.市場、いい匂いがする
ガエン達は宿の立ち並ぶ区画に来ていた。
交易が盛んなだけあって宿が多い。
石造りの大きな宿から、船乗りや商人向けの手頃な宿まで、通りの両側には数え切れないほどの看板が並んでいる。
「思った以上に多いな……
ガエンが辺りを見回しながら呟く。
「これだけあると逆にどこへ泊まればいいかわからんな。」
ダグラスも苦笑した。
ラーシャは看板を見比べながら首を傾げる。
「一軒ずつ見て回るのは時間がかかりそうですね。」
その時、マイトが通りの角を指差した。
「あっ! あそこ見て!」
四人が視線を向けると、『宿案内所』と書かれた看板が掲げられた建物が目に入る。
「宿案内所か。ちょうどいい。」
ガエン達は案内所へと入っていった。
中には地図や宿の一覧表が並べられ、受付には制服姿の係員が座っていた。
「いらっしゃいませ。本日はお泊まりでしょうか?」
「ああ。四人で泊まれる宿を探してる。」
係員は笑顔で頷く。
「ありがとうございます。ご希望はございますか? 高級宿、商人向け、食事自慢、港の近くなど、ご案内できます。」
ガエンは少し考えた後、答えた。
「できれば四人部屋がいい。同じ部屋の方が何かと都合がいいからな。」
「かしこまりました。四人部屋ですね。少々お待ちください。」
係員は机の上に置かれた魔道具へ手をかざした。
淡い光が広がり、アオラオイ中の宿の空室情報が次々と表示されていく。
「本日は観光客も多いので混み合っていますね……」
係員は情報を確認しながら手際よく絞り込んでいく。
「ありました。こちらの『潮風亭』でしたら四人部屋が一室空いております。市場や港にも近く、旅人や冒険者から評判の良い宿です。」
「値段は?」
「一泊朝夕食付きで、お一人銀貨一枚になります。」
ガエンは三人を見る。
「どうだ?」
「問題ない。」
ダグラスが頷く。
「私も賛成です。」
ラーシャも笑顔を見せる。
「ご飯がおいしいなら決まり!」
マイトは嬉しそうに拳を握った。
「では、その宿で頼む。」
ガエンが答えると、係員は予約票を書き上げ、四人に手渡した。
「ありがとうございます。こちらを宿でお見せください。部屋は確保しております。」
「助かる。」
ガエン達は礼を言って案内所を後にした。
予約票を片手に港町の賑やかな通りを歩き、潮風が吹き抜ける石畳の道を進んでいく。
やがて、木製の大きな看板に『潮風亭』と書かれた、落ち着いた雰囲気の宿が見えてきた。
「ここが今日の宿か。」
ガエンは看板を見上げると、仲間達と共に宿の扉を開けた。
宿の扉を開けると、潮風と木の香りが混ざった落ち着いた空気が広がっていた。
「いらっしゃいませ!」
明るい声と共に、動きやすそうなシャツにエプロンを身に着けた従業員が笑顔で出迎える。商人や冒険者の利用が多い宿らしく、無駄のない身軽な服装だ。
「ご予約のお客様でしょうか?」
「ああ。案内所から紹介してもらった。」
ガエンが予約票を差し出すと、従業員は目を通して頷いた。
「はい、四名様ですね。四人部屋をご用意しております。こちらへどうぞ。」
従業員に案内され、四人は階段を上がって二階へ向かう。
部屋は広々としており、四つの寝台が整然と並び、荷物を置く棚や丸テーブルまで備え付けられていた。窓を開けると港から吹く心地よい潮風が部屋へ流れ込み、遠くには船の汽笛が聞こえてくる。
「なかなかいい部屋だな。」
ダグラスが荷物を降ろしながら頷く。
「掃除も行き届いていますね。」
ラーシャは部屋を見回しながら微笑んだ。
「今日はぐっすり眠れそう!」
マイトは嬉しそうに寝台へ飛び込もうとしたが、
「壊すなよ。」
ガエンに一言だけ釘を刺され、「はーい」と苦笑しながら荷物を置いた。
一通り荷物を整理すると、ガエンが仲間達へ向き直る。
「まだ日も高い。市場を見て回ろう。その後で港へ行って、アトラマリス行きの船について調べる。」
「賛成だ。」
「楽しみです。」
「海の幸も食べたい!」
四人は部屋を出て再び賑やかな通りへ繰り出した。
市場は昼を迎えてさらに活気づいていた。
朝に水揚げされたばかりの魚介が所狭しと並び、威勢のいい掛け声が響き渡る。
「さあ新鮮なマグロだよ!」
「焼きたての浜焼きはいかが!」
魚だけでなく、各地から運ばれてきた果物や香辛料、色鮮やかな布地、珍しい魔道具まで並び、多くの旅人や商人で賑わっている。
「さすが貿易都市だ。」
ガエンは感心したように辺りを見回した。
「人も物も、他の街とは比べ物にならんな。」
ダグラスも市場の規模に目を細める。
ラーシャは珍しい貝殻細工に興味津々で足を止め、マイトは屋台から漂う香ばしい匂いに何度も振り返っていた。
市場をひと通り見て回ると、ガエンが港の方角を指差す。
「次は港だ。船の予定を確認しておこう。」
四人は潮風を感じながら石畳の道を歩き、大きな港へと向かう。
無数の帆船や商船が停泊し、荷役作業を行う船員達の掛け声が飛び交っていた。
その一角には『船舶案内所』と書かれた建物があり、行き先ごとの出航予定が大きな掲示板に貼り出されている。
ガエン達は案内所へ入り、受付にいた職員へ声をかけた。
「アトラマリス行きの船について聞きたいんだが。」
職員は慣れた様子で頷き、出航予定表を広げる。
「海洋都市国家アトラマリス行きですね。本日はすでに出航しておりますが、明日の朝一番に定期船が出ます。天候が良ければ、およそ二日で到着します。」
「予約はできるか?」
「もちろんです。乗船券もこちらで発行できますよ。」
ガエン達は顔を見合わせ、明日の出航に合わせて船を予約することにした。
「では、大人四名様ですね。」
職員は名簿へ手際よく記入すると、机の上の魔道具に触れる。淡い光が走り、四枚の乗船券がゆっくりと浮かび上がった。
「こちらが乗船券になります。明日の日の出から乗船開始ですので、少し余裕を持ってお越しください。」
ガエンは銀貨を支払い、四枚の乗船券を受け取る。
「ありがとう。」
「ご利用ありがとうございます。どうぞ良い船旅を。」
四人は礼を言い、案内所を後にしようと踵を返した。
「あ、少々お待ちください。」
職員が思い出したように声をかける。
ガエンが振り返ると、職員は少しだけ声を潜めた。
「これは港で働く者同士の噂話程度なんですが……最近、少し気になることがありまして。」
「気になること?」
ダグラスが尋ねる。
「ええ。ここ最近、どうもガラの悪い連中がアトラマリス行きの船を利用することが増えているんです。」
「海賊か?」
ガエンが短く聞く。
職員は首を横に振った。
「そこまではわかりません。ただ、武器を隠しもせず持ち歩く者や、見るからに荒くれ者といった連中が、何組もアトラマリスへ向かっているんですよ。」
「何か事件でも起きているのか?」
ラーシャが少し心配そうに尋ねる。
「今のところ大きな事件は聞いておりません。ですから、あくまで噂話です。交易都市ですから、荒っぽい商人や傭兵が集まることも珍しくありませんし。」
「なるほどな。」
ガエンは軽く頷くだけだった。
「まあ、人が集まる街ならそういう連中もいるだろ。」
その口調には特に警戒する様子はない。
ダグラスも肩をすくめる。
「大都市には付き物だな。」
「そうですね。」
ラーシャもひとまず納得したように頷く。
一方のマイトは、
「面白い人がいたら、仲良くなれるかな?」
と、どこかずれたことを言い、ガエンに苦笑された。
「まずは様子を見てからにしろ。」
「はーい。」
職員は四人のやり取りに思わず笑みを浮かべた。
「余計な話でしたら申し訳ありません。お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
「知らせてくれて助かった。」
ガエンは軽く手を上げると、そのまま案内所を後にする。
港には相変わらず船員たちの威勢のいい掛け声が響き、荷物を積み込む音が絶え間なく聞こえていた。
「さて、用事は済んだな。」
ガエンが乗船券を懐へしまう。
「宿へ戻るか。明日は朝が早い。」
「そうだな。」
「夕食も楽しみですね。」
「今日はいっぱい歩いたから、お腹ぺこぺこ!」
四人は夕暮れに染まり始めた港を後にし、潮風を受けながら宿『潮風亭』への道をゆっくりと歩き始めた。噂のことは頭の片隅に留める程度で、誰も深く気にすることはなく、穏やかな港町の空気の中へと戻っていった。
夕暮れの港町は昼間とはまた違う賑わいを見せていた。
屋台からは焼き魚や貝を焼く香ばしい匂いが漂い、酒場からは陽気な笑い声と音楽が聞こえてくる。灯りが一つ、また一つと灯り始め、石畳の道を暖かな橙色に照らしていた。
「夜も活気がある街だな。」
ガエンが辺りを見回しながら呟く。
「貿易都市だからな。船の出入りは朝から晩まで続くらしい。」
ダグラスも港の方へ視線を向ける。
四人はそのまま宿へ戻ると、一階の食堂へ向かった。
「お帰りなさいませ。夕食のご用意ができています。」
従業員に案内され、窓際の席へ腰を下ろす。
ほどなくして料理が次々と運ばれてきた。
焼きたての白身魚に、香草で味付けされたエビや貝の蒸し料理、新鮮な野菜のサラダ、魚介がたっぷり入ったスープ。そして焼きたてのパンと、港町名物だという香辛料を利かせた炊き込みご飯が並ぶ。
「おお、うまそうだ。」
ガエンが思わず声を漏らす。
「どれも新鮮ですね。」
ラーシャも嬉しそうに目を輝かせた。
「いただきます!」
マイトは元気よく手を合わせると、勢いよく食べ始める。
「相変わらず食べるのが早いな。」
ダグラスが苦笑すると、
「だっておいしいんだもん!」
マイトは満面の笑みで答えた。
四人は旅の疲れを癒やすように料理を味わいながら、明日の予定を確認する。
「日の出から乗船開始だったな。」
ガエンが乗船券を確認する。
「ああ。朝食を済ませたら、そのまま港へ向かえば十分間に合う。」
ダグラスが頷いた。
「二日間の船旅になりますね。」
「海って久しぶりだから楽しみ!」
ラーシャとマイトも期待に胸を膨らませる。
ゆったりとした時間の中で夕食を終えると、四人は食堂を後にした。
「じゃあ、風呂に入って寝るか。」
宿の大浴場では、旅人達が一日の疲れを流していた。
広い湯船からは湯気が立ち上り、木造りの浴場には心地よい静けさが漂う。
「ふぅ……生き返るな。」
ガエンが肩まで湯に浸かり、大きく息を吐く。
「今日はよく歩いたからな。」
ダグラスも珍しく表情を緩めた。
一方、女湯では、
「お湯が気持ちいいですね。」
ラーシャが微笑む。
「明日は船ですし、今日はぐっすり寝られそう!」
マイトは湯船の中で伸びをして満足そうに笑った。
旅の疲れをしっかりと洗い流した四人は、それぞれ部屋へ戻る。
窓の外では港の灯りが静かに揺れ、遠くから波の音と船の汽笛が微かに聞こえていた。
「明日は朝が早い。もう休もう。」
ガエンの一言に三人も頷く。
「おやすみ。」
「おやすみなさい。」
「また明日!」
それぞれ寝台へ横になると、心地よい潮風が部屋を吹き抜ける。
一日の疲れもあって、四人はほどなく深い眠りへと落ちていった。
こうしてアオラオイでの一日は静かに幕を閉じ、翌朝はいよいよ海洋都市国家アトラマリスへ向かう船旅が始まろうとしていた。




