106.最終日、始まる
ガエン達による訓練の最終日、訓練所。
第一から第四までの部隊が整然と並び、その前にはガエン、ダグラス、ラーシャ、マイトの四人が静かに立っていた。
観覧席の最上段では、軍師王レムルスが腕を組み、その光景をじっと見つめている。
兵士達の立ち姿。視線。呼吸。空気。
一ヶ月前とは、何もかもが違っていた。
以前は緊張や不安が表に出ていた兵士達の表情は、今では落ち着きと自信に満ちている。
無駄に動く者は一人もいない。
全員が自然体でありながら、いつでも動き出せる構えを保っていた。
レムルスは思わず小さく頷く。
「……なるほど。」
隣に控えていた将軍が首を傾げる。
「陛下、何かお分かりになりましたか?」
レムルスは兵士達から目を離さず答えた。
「一ヶ月前とは別人だ。」
「え?」
「立っているだけで分かる。重心が安定し、周囲への警戒も自然にできている。肩の力が抜けているにもかかわらず隙がない。」
さらに視線を第一部隊へ向ける。
「第一部隊は体幹が完成している。畑仕事で鍛えた成果だろう。」
次に第二部隊。
「視線が広い。一点だけを見ていない。複数の敵を想定した目の使い方が身についている。」
そして第三部隊。
「魔力の流れが安定している……以前とは比較にならん。」
最後に第四部隊を見る。
兵士達は崖登りや山での訓練を経験したためか、足腰がどっしりと安定していた。
「そして第四部隊……あれはもはや山岳部隊のようだ。」
レムルスは小さく笑う。
「まだ戦ってもいないのに、一ヶ月の成果が見て取れるとはな。」
将軍達も改めて兵士達を見渡し、驚きを隠せなかった。
「確かに……以前とは雰囲気そのものが違います。」
「これほど短期間で人は変わるものなのか……。」
レムルスは静かに息を吐いた。
「だから私は見に来たのだ。魔王軍幹部と勇者が教えれば、どこまで兵士が成長するのかをな。」
その時、ガエンが一歩前へ出る。
堂々と兵士達を見渡し、大きく口を開いた。
「よし。」
その一言だけで、全兵士の意識がさらに引き締まる。
ガエンは満足そうに頷いた。
「この一ヶ月、本当によくやった。苦しかっただろう。逃げ出したくなった日もあったはずだ。それでも、お前達は誰一人脱落せず、最後まで食らいついてきた。」
兵士達は真っ直ぐガエンを見つめる。
ガエンはニヤリと笑った。
「なら、ここからは言葉はいらない。お前達が積み重ねてきたものを、この国の王に見せてやれ。」
ダグラスも口元を緩める。
「視線、判断、動き……全部見せろ。手加減はいらない。」
ラーシャは優しく微笑む。
「みなさんなら大丈夫です。積み重ねてきた努力を、そのまま形にしてください。」
マイトは満面の笑みで拳を突き上げた。
「楽しもうね! 全力でいこう!」
四人の言葉を受け、兵士達は一斉に声を張り上げた。
「「「「はい!!」」」」
訓練場いっぱいに響き渡るその声は、一ヶ月前とは比べものにならないほど力強く、自信に満ちていた。
ガエンはさらに口元を吊り上げる。
「……よし。」
大きく息を吸い込み、拳を握る。
「じゃあ……かかって来い!!」
その瞬間だった。
「第一部隊、前へ!」
隊長の号令が飛ぶ。
兵士達は迷いなく動き出した。
最前列には大盾を構えた盾部隊。
その後方には槍兵。
さらに左右へは剣士達が展開し、瞬く間に一つの戦闘陣形が完成する。
その動きには無駄が一切ない。
誰かが指示を待つこともなく、それぞれが自分の役割を理解して配置についていた。
観覧席から見ていたレムルスが目を細める。
「速い……。」
将軍達も驚きを隠せない。
「号令から数秒で陣形が完成した……。」
「以前なら慌ててぶつかり合っていたというのに。」
一方、その様子を見たラーシャとマイトは軽く頷き合う。
「予定通りですね。」
「うん、いい動き。」
二人は前へ出ることなく、数歩だけ後方へ下がる。
ラーシャは静かに両手を前へ。
「それでは……。」
淡い光が指先へ集まり始める。
炎、水、風、土。
四色の魔力が渦を巻き、互いに干渉し合いながら一つの巨大な魔法陣を形成していく。
さらに雷の魔力まで加わり、複数属性が絶妙な均衡を保ちながら組み上げられていく。
普通なら暴走しかねない魔力だったが、ラーシャは呼吸をするような自然さで制御していた。
その光景に第三部隊の兵士達は目を見開く。
「先生の多属性魔法……!」
「やっぱり何度見ても綺麗だ……。」
しかし見惚れている暇はない。
ガエンが地面を踏み込んだ。
ドンッ!!
訓練場の土が爆ぜる。
「行くぞ!」
巨体とは思えない速度で一直線に突撃する。
同時に、ダグラスは影のような速さで右側へ回り込んだ。
「左右から来るぞ!」
兵士達の隊長が即座に叫ぶ。
「盾部隊! 前進!」
ガシャンッ!!
大盾が一斉に並び、一枚の巨大な壁となる。
ガエンの拳が容赦なく振り下ろされた。
ゴォンッ!!
轟音が響く。
兵士達の足が土へめり込むほどの衝撃。
しかし誰一人として吹き飛ばされない。
後列の兵士達が盾へ肩を当て、全員で衝撃を受け止めていた。
「耐えろ!!」
「押し返すな! 受け流せ!」
ガエンは目を見開き、豪快に笑った。
「ははっ! そうだ、それでいい!」
その直後。
ダグラスが死角から鋭く踏み込む。
木剣が盾の隙間を正確に狙って突き込まれる。
だが、その瞬間だった。
「左三枚、開け!」
第二部隊が即座に反応。
中央の盾がわずかに角度を変え、左右の盾が連動して隙間を塞ぐ。
カンッ!!
ダグラスの木剣は盾へ弾かれ、その勢いを殺された。
ダグラスはすぐさま後方へ跳び退き、小さく笑う。
「いい判断だ。」
兵士達は誰一人焦らない。
視線は広く、前だけでなく左右、後方まで自然に把握している。
ガエンとダグラスは互いに視線を交わす。
「思った以上だな。」
「ああ……一ヶ月前とは別人だ。」
そして後方では、ラーシャの多属性魔法陣が完成へと近づき、マイトはいつでも飛び出せるよう楽しそうな笑みを浮かべながら兵士達の動きを見守っていた。
後方、第三部隊の兵士達が一斉に魔法陣を展開する。
「魔力同期、開始!」
「全員、合わせろ!」
ラーシャから教わった通り、互いの魔力をぶつけ合うのではなく、呼吸を合わせるように重ねていく。
淡い緑の光。青い光。黄金色の光。
それぞれ異なる属性の魔力が、乱れることなく一つの流れとなって隊全体へ広がっていく。
「補助魔法、展開!」
光が前衛へ降り注いだ。
盾部隊の身体が淡く輝き、防御力が増していく。
続いて槍部隊には身体能力強化。
剣部隊には俊敏性と反応速度の強化。
兵士達は自分達が強化されたことを確認すると、誰一人声を上げることなく、それぞれの役割へ意識を集中させた。
その様子を見たラーシャは、小さく微笑む。
「ええ、その調子です。」
前線ではガエンが豪快に笑いながら拳を振るう。
「まだまだ行くぞ!」
ドォン!!
再び大盾へ強烈な一撃が叩き込まれる。
凄まじい衝撃が盾を震わせるが、補助魔法を受けた盾部隊は足を踏ん張り、衝撃を全身で受け止める。
「崩れるな!」
「体幹を意識しろ!」
「後列、支えろ!」
一人で耐えるのではない。全員で支える。
ガエンの攻撃を受け止めながらも、陣形は微動だにしなかった。
その隙を逃さず、槍部隊が前へ出る。
「突け!」
数本の木槍が、一斉にガエンへ向かって突き出される。
ガエンは身体を捻って避けながら笑う。
「いい連携だ!」
同時に左右から剣部隊が回り込む。
「今だ!」
木剣が次々と振るわれる。
しかしダグラスは静かに足を運ぶだけで、その全てを紙一重でかわしていく。
「悪くない。」
木剣を軽く払う。
カンッ!
一人の剣士が体勢を崩しかける。
だが、その瞬間。
「右、援護!」
別の兵士がすぐに割って入り、隙を埋める。
誰か一人が崩れても、すぐに別の誰かが支える。
一ヶ月かけて叩き込まれた連携が、自然に形となっていた。
そして、ラーシャが静かに目を閉じる。
「それでは……こちらも。」
巨大な多属性魔法陣が眩く輝いた。
「《多属性複合魔法》。」
無数の炎弾。鋭い風刃。水の槍。土の礫。
それらが絶妙な軌道で前衛へと降り注ぐ。
観覧席から見ていた将軍達が思わず立ち上がる。
「直撃する!」
しかし兵士達は慌てない。
隊長の号令が響く。
「盾部隊!」
全員が一斉に大盾を掲げた。
第三部隊の補助魔法が盾へと重なり、淡い光の膜が形成される。
直後。
ドドドドドドドッ!!
多属性魔法が盾へ激突した。
炎が弾け、風が唸り、水飛沫が舞い、土煙が立ち上る。
訓練場全体が轟音に包まれる。
だが煙が晴れると、そこには一歩も退いていない盾部隊の姿があった。
全員が歯を食いしばりながらも、その場を守り切っている。
ラーシャは優しく拍手を送る。
「素晴らしいです。補助魔法との連携も完璧ですね。」
ガエンは腕を組み、満足そうに何度も頷いた。
「ここまで受け切るとはな。」
ダグラスも静かに口元を緩める。
「防御だけじゃない。判断も速い。」
そして少し離れた場所では、マイトがその一部始終を眺めながら、少年のような笑顔を浮かべていた。
「えへへ……。」
嬉しそうに肩を揺らしながら笑う。
「みんな、本当に強くなったね。」
観覧席。
軍師王レムルスは、ただ黙って戦場を見つめていた。
その手は、知らぬ間に肘掛けを強く握り締めている。
「…………。」
先ほどまで冷静に戦況を分析していた軍師王の表情から、余裕は消えていた。
震えていた。
恐怖ではない。
純粋な驚愕による震えだった。
兵士達の成長も確かに凄まじい。
だが、それ以上にレムルスの目を奪っていたのは……
「……これほどか。」
思わず漏れた呟きに、隣の将軍が振り向く。
「陛下?」
レムルスはゆっくりと首を振った。
「私は兵士達の成長を見るつもりで来た。」
視線は一度も訓練場から離れない。
「だが、今見せつけられているのは……魔王軍幹部達そのものの恐ろしさだ。」
将軍達は息を呑んだ。
レムルスは静かに続ける。
「ガエン。」
前線で盾部隊へ容赦なく拳を叩き込む鬼族の男を見る。
「あれだけの怪力を振るいながら、誰一人致命傷を負わせていない。」
「力を加減しているのですか……?」
「いや。」
レムルスは即座に否定した。
「加減などという単純な話ではない。あれほどの力を、狙った威力で寸分違わず制御しているのだ。」
ガエンは地面を砕くほどの一撃を放ちながらも、兵士達の訓練になる絶妙な強さで攻撃を続けている。
「化け物じみた筋力だけではない……あれは、化け物じみた制御力だ。」
次に視線はダグラスへ移る。
兵士達に囲まれながら、一度も捕まらない。
最小限の動きだけで攻撃をかわし、必要な時だけ木剣を振るう。
「死神ダグラス……。」
レムルスは静かに息を吐く。
「攻撃することよりも、兵士達へ考えさせることを優先している。」
わざと隙を作り、わざと誘い、兵士達がどう判断するかを見ている。
「戦いながら教えているのか……。」
将軍の一人が青ざめる。
「戦闘そのものが授業になっている……。」
さらに後方。
ラーシャの巨大な多属性魔法陣が、今なお美しく回転していた。
「そして、ラーシャ。」
レムルスの瞳がわずかに震える。
「五属性を同時に制御し、しかも兵士達を巻き込まない。」
炎は炎だけを焼き。
風は狙った場所だけを裂き。
水は決して味方へ流れず。
土は必要な場所だけを砕く。
その全てが、計算され尽くしていた。
「魔法というより……芸術だ。」
誰も反論できなかった。
最後にレムルスの視線は、笑顔で戦場を眺める勇者マイトへ向く。
「そして、一番恐ろしいのは……。」
将軍達も自然とマイトを見る。
彼だけは、まだ何もしていない。
それなのに。
「戦場全体を見ている。」
レムルスは静かに呟く。
「誰が崩れそうか。誰が成長したか。どこへ入れば戦況が変わるか……全て理解した上で、まだ動いていない。」
「つまり……。」
「本気を出す必要すらないということだ。」
その一言に、観覧席の空気が凍りつく。
レムルスは拳を握り締めた。
微かに震える指先を見つめ、自嘲するように笑う。
「私は軍師として、多くの強者を見てきた。」
竜騎士。大魔導士。英雄。歴戦の将軍達。
数え切れないほどの猛者を知っている。
だが……
「この四人は、そのどれとも違う。」
圧倒的な力。
圧倒的な技術。
そして、その全てを人に教えられるだけの器。
レムルスは改めて実感する。
(これが……魔王軍最高幹部。そして勇者。この者達が本気で戦場へ立てば、一国の軍勢など……。)
そこまで考え、レムルスはゆっくりと目を閉じた。
そして静かに笑う。
「……なるほど。」
再び目を開き、力強く訓練場を見据える。
「魔王と勇者が共に平和を望む世界だからこそ、この世界は均衡を保っていられるのだな。」
その言葉には、畏敬の念が込められていた。




