83.希望
セルフィたちの危機を救ったラフィリア=ユグドラシルは、最上級不死族たちを警戒しながら、静かに振り返った。
張り詰めた戦場の空気のなか、その横顔がセルフィたちの視界に映る。
長い耳。
風に揺れる翠の髪。
そして、どこか見覚えのある端正な面差し。
「蒼い瞳……まさか、ルフェイル様の妹君?」
王族の証にセルフィは目を見開いた。
先ほどまで感じていた既視感の正体を理解したからだ。
正面から見たその顔立ちは、英雄ルフェイルの面影を色濃く残している。
ラフィリア=ユグドラシル。
エルフ王の娘にして、ルフェイルの妹。
セルフィはようやく目の前の人物の正体を確信した。
しかし、驚いていたのはセルフィだけではなかった。
ラフィリアもまた、セルフィたちへ視線を向けたまま目を見開いていた。
「まさか、本当にフィリナ族が生きて……?」
信じ難いものを見るかのように、その言葉が漏れる。
ラフィリアにとって、それは予想だにしていなかった事実だった。
八十年前の悲劇から姿を消したフィリナ族。
エルフ族は彼らを守り切ることができず、英雄であった兄ルフェイルでさえ命を落とした。
あの英雄を知る者ほど、フィリナ族の生存を想像することは難しい。
だからこそ、目の前に立つセルフィたちの存在は、ラフィリアにとって驚愕そのものだった。
束の間、互いに言葉を失う。
八十年という歳月を隔てて向かい合うフィリナ族とエルフ族。
そうして互いの存在に驚いていると――。
「姫様ッ!?」
ラフィリアに追いつくようにして、数名のエルフたちが駆けつけてきた。
全員が深緑の装束に身を包み、その動きは驚くほど静かだった。荒れ果てた戦場を駆け抜けてきたにもかかわらず、足音はほとんど響かず、その練度の高さが伝わってくる。
彼らはラフィリアの周囲へ素早く展開すると、最上級不死族と死殻たちを警戒しながら武器を構えた。
「いくら救助のためとはいえ、最上級不死族の骸象の前に出ないで――ッ!?」
先頭にいたエレンが言葉を止める。
ラフィリアの侍女である彼女もまた装束に身を包み、主人を追ってここまで駆けつけていた。
他の者たちを置いて単独で飛び出したラフィリアへ苦言を呈しようとしていたのだが、その視線がセルフィたちへ向いた瞬間、表情が凍りついた。
いや、エレンだけではない。
その場に集まったエルフたち全員が同じ反応を示していた。
彼らの視線は一様にセルフィたちの額へ向けられている。
そこに埋め込まれた宝石――フィリナ族の証である心視石に。
「フィリナ族ッ!?」
「ばかな、本物かッ!?」
「額の心視石……間違いない」
驚愕の声が次々と上がる。
八十年前に滅んだとされる種族が、今まさに目の前に立っているのだ。
無理もない反応だった。
しかし、その中の一人が別の存在へ視線を向ける。
「この魔物たちは……額に宝石があるが、心視石……なのか?」
その言葉に、他のエルフたちも守護獣へ目を向けた。
アウレイン、ヴァルガ、ヴォルグ、アルファ。
セルフィたちの傍らに立つ彼らの額にもまた、フィリナ族と同じように宝石が輝いている。
新たな困惑が広がるなか、突然の再会に驚いていたのはセルフィたちも同じだった。
だが、彼らはもともとエルフ族を訪ねるために遠征してきた身である。
予想外の状況ではあったものの、衝撃からは徐々に立ち直りつつあった。
「エルフ族……まさか、ここで会えるなんてね」
「ああ。恐らく不死領域内の不死族を間引いていたのだろう。……とんでもない幸運だな」
エルナとルシウスが短く言葉を交わす。
その様子を見ていたラフィリアは、ようやく状況を整理しようと口を開いた。
「お前たちは、一体――」
問いかけようとした、その瞬間だった。
「ブオォォォォ――ッッ!!!」
『――ッ!!』
大気を震わせる重低音の咆哮が戦場に響き渡る。
最上級不死族が巨大な体躯を揺らしながら放った咆哮は腹の底まで響き、その場の空気を震わせる。
全員の意識が一瞬で引き戻された。
再会の余韻も、疑問も、驚きも消し飛ぶ。
エルフたちもセルフィたちも即座に意識を切り替え、それぞれ武器を構え直す。
「「「ギィィィィ――――ッッッ!!!!」」」
死殻たちも呼応するように咆哮を上げる。
次の瞬間、三体の巨躯が同時に地面を蹴ると、一直線に距離を詰めてくる。
「くっ、今は問答している暇はありません!! 彼らを保護して里へ帰還します!!」
『はっ!!』
ラフィリアは即座に決断を下した。
――フィリナ族がなぜ生きているのか。
――なぜ不死領域にいたのか。
――額の心視石を持つ魔物たちは何者なのか。
聞くべきことは山ほどあったが、それらはすべて後回しだった。
王族の号令に、エルフたちは一斉に応じた。
迫り来る死殻たちを迎え撃つため、エルフたちは素早く戦闘準備を整えていく。
「彼らの魔法が発動したら、全力でこの場から離れます! 三人の戦士に抱えさせますから、あなたたちも準備を!」
「いえ、今の僕たちは上級不死族が相手でも戦えます。撤退は自力で行えますので、戦士の皆さんは戦闘に集中してください!」
セルフィはそう言うと、少し離れた場所を指さした。
そこには先ほどの戦闘で倒した死殻の死骸が横たわっている。
巨大な身体は地面に崩れ落ち、黒い体表には激戦の痕跡が刻まれていた。
ラフィリアは目を見開く。
フィリナ族の生存という衝撃に意識を奪われていたため、近くに転がる死殻の亡骸に気付いていなかったのだ。
だが、その姿を確認したことで、セルフィの言葉が虚勢や冗談ではないことを理解する――と同時に思わず驚愕の声が漏れる。
「――フィリナ族が上級不死族を!?」
上級不死族は精鋭の戦士でも容易には討伐できない強敵だ。
それをフィリナ族が倒したという事実は、ラフィリアの知る常識から大きく逸脱していた。
「……っああ、もう話はあとです!!」
ラフィリアは頭を振る。
本当に驚きは尽きないが、今はそれに構っている場合ではなかった。
目の前には最上級不死族と複数の死殻がいる。
少しでも判断を誤れば全滅しかねない状況だった。
ラフィリアは強引に意識を切り替える。
その間にも、エルフの戦士たちには、莫大な魔力が収束していく。
やがて、三人の魔導士たちの頭上に、巨大な火球が浮かび上がった。
ひとつひとつが並の魔物を容易く吹き飛ばせそうな規模を持ち、圧縮された炎が激しく揺らめいている。
「姫様ッ、いつでも可能です!」
「構いません。撃ちなさい!!」
ラフィリアが号令を下した瞬間、待機していたエルフたちの魔法が一斉に発動した。
三人の戦士が頭上に浮かべていた巨大な火球を、迫り来る死殻たちへ向けて解き放つ。
三つの火球は唸りを上げながら夜空を駆け、一直線に標的へと飛翔した。
それと同時に、別の戦士たちが地面へ手を突くと、魔力が足元に広がり、大地が激しく震えた。
次の瞬間、セルフィたちと死殻たちの間に巨大な岩壁がせり上がる。
分厚く、高く、まるで砦の城壁のような防壁だった。
そして――
――ドォォォォォォォンッッッッ!!!!!
凄まじい轟音が響き渡った。
壁の向こう側で三つの火球が同時に炸裂したのだ。
爆炎が夜空を赤く染め上げ、衝撃波が周囲の大地を砕いていく。
轟音は大地を震わせ、壁越しにも凄まじい圧力となって押し寄せてきた。
だが、エルフたちが築いた岩壁は揺るがない。
炎も破片も一切通さず、後方にいる者たちを完全に守り切っていた。
「走りなさいッ!!」
ラフィリアの声が響く。
その合図と同時に、その場にいた全員が一斉に駆け出した。
身体強化を施したエルフたちは風のような速度で森の中を疾走する。
セルフィたちもすぐに動いた。
それぞれの守護獣へ飛び乗り、その背に身を預けながらエルフたちに続いて走り出す。
その光景を目にしたラフィリアは、一瞬だけ視線を向けた。
額に心視石を宿した魔物たち。
そして、それらに騎乗して当たり前のように行動するフィリナ族。
新たな疑問が次々と増えていくことに、思わず頭を抱えたラフィリアだった。




