76.上級、再び①
「ギィィィィィ――ッッッ!!!!」
耳をつんざくような甲高い咆哮が周囲に響き渡る。
死殻が大きく口を開くと、その口元から伸びる無数の触手が蠢き始めた。
触手の先端には濃密な瘴気が集まり、黒紫色の光を帯びながら不気味に脈動する。
まるで獲物を狙う無数の槍のように触手が一斉に伸ばされる。
その先端に集束した瘴気は瞬く間に膨れ上がり、大小様々な瘴気弾へと変貌した。
そして――。
――ドドドドドドドッ!!!!!
轟音とともに無数の瘴気弾が一斉に射出される。
空間を埋め尽くすほどの弾幕だった。
瘴気弾は尾を引くように黒い軌跡を残しながら飛翔し、周囲の空気を震わせる。
セルフィたちと死殻との間にはまだ十分な距離があった。
だが――。
「――速いッ!!」
そう認識した時には、すでに目の前まで迫っていた。
死殻から放たれた瘴気弾は距離を感じさせない異常な速度で空を駆け抜け、一瞬にしてセルフィたちへ襲い掛かる。
「「「――っ!」」」
だが、セルフィたちの反応は速かった。
守護獣たちと息を合わせるように、それぞれが瞬時に回避行動へ移る。
セルフィとアウレインは左へ。
エルナとヴァルガ、ヴォルグは右へ。
そしてルシウスとアルファは大きく上空へ舞い上がった。
直後、彼らがいた空間を瘴気弾の群れが通過する。
――ドドドドドッ!!
着弾した地面が爆ぜ、黒い瘴気が周囲へ吹き荒れた。
しかし、セルフィたちは止まらない。
迫り来る瘴気弾を次々と躱しながら、そのまま死殻との距離を詰めていく。
≪この距離じゃ逃げ切れない! どうにかして倒すよ!≫
セルフィが念話を飛ばす。
死殻の巨体が生み出す歩幅と広範囲を覆う遠距離攻撃。
今さら背を向けたところで追いつかれるだけだ。
≪時間をかけると他の個体まで集まってくる! できるだけ速攻だ!≫
≪ははっ、相変わらず無茶を言うね!≫
三方向へ散開したことで互いの距離は開いていたが、心視石による念話は問題なく届いていた。
セルフィの言葉にエルナが思わず苦笑する。
だが、次の瞬間には意識を切り替えるように真剣な表情になると、死殻を見据える。
「それじゃあ――一番槍は私がもらおうかな!」
エルナが叫ぶ。
その言葉を聞くより早く、ヴァルガは主の意図を察していた。
「ガァッ!」
力強く地面を蹴り、その速度をさらに引き上げる。
相対速度が増したことで、飛来する瘴気弾は先ほどまでとは比較にならない速さで迫ってきた。
だが、ヴァルガは怯まない。
鋭く身を捻り、時に大地を蹴って軌道を変えながら、右へ左へと駆け抜ける。
瘴気弾が地面を穿ち、爆発が巻き起こる。
それでも止まることなく、一直線に死殻との距離を詰めていった。
「ギィィッ!!」
死殻が咆哮を上げる。
迫る獲物を攻撃するため、甲殻に覆われた細長い脚を高く持ち上げると、巨大な杭を打ち込むかのように振り下ろす。
「はぁッ!!」
だが、その瞬間。
エルナはヴァルガの背から跳躍した。
それまでの疾走の勢いを余すことなく空中へ乗せ、一気に死殻へ肉薄する。
迫り来る死殻の脚と迎え撃つエルナの双剣。
両者の距離がゼロになり――
――ガキィィィィィンッッッ!!!!
凄まじい金属音が響き渡った。
硬質な甲殻と双剣がぶつかり合い、衝撃波となって周囲へ広がる。
エルナの身体が空中で大きく揺れ、死殻の脚もまた弾かれる。
そして――。
――バキンッッ!!
「ギィィィッッ!!?」
次の瞬間、死殻の脚部を覆う甲殻に一本の亀裂が走る。
本来、死殻の肉体を覆う甲殻は極めて強固だ。
並の武器では傷一つ付けることすら難しく、その堅牢さこそが死殻を上級不死族たらしめる所以でもあった。
だが、あの死闘から数か月。
エルナは幾度となく鍛錬を重ね、実戦を積み重ねてきた。
さらに双剣も上位素材へと更新されたことで、前回よりも容易に死殻の甲殻を打ち破ることに成功する。
「ギィィィィ――ッッ!!!」
「――っ!」
だが、死殻も黙って傷を受ける相手ではなかった。
着地したエルナが視線を上げると、死殻は弾かれた脚を大きく振り上げていた。
その先端には濃密な瘴気が渦を巻きながら収束している。
黒紫色の瘴気は圧縮されるごとに密度を増し、周囲の空気を歪ませるほどの力を宿していた。
それを見た瞬間、エルナの表情が強張る。
収束させた瘴気を地面へ叩きつけ、その衝撃波によって周囲一帯を吹き飛ばす広域攻撃。
数か月前の戦いでは、優勢に見えていた戦況を一瞬で覆し、セルフィたちを全滅寸前まで追い込んだ悪夢。
それが再び振り下ろされ――
「光球!」
――ることはなかった。
セルフィが放った三本の矢が風を切る。
矢は正確に死殻の頭部へと命中すると、込められていた光魔法が一斉に発動した。
――ドドドオォォンッ!!
「ギィィッ!?」
眩い閃光が炸裂する。
頭部を覆う甲殻は全身の中でも特に強固であり、この程度の攻撃で傷を負うことはない。
だが、傷を与える必要はなかった。
爆発的に放たれた光が視界を焼き、死殻の意識を一瞬だけ奪う。
振り下ろしかけていた脚が止まった。
「風球!」
すかさずルシウスが動く。
アルファの背に騎乗したまま急降下し、死殻が掲げていた脚へ肉薄する。
そして至近距離から風球を叩き込んだ。
――ゴォォォォォッ!!
圧縮されていた暴風が解放される。
脚の先端で収束していた瘴気が激しく乱され、渦を巻いていた力が四散する。
「ギィィ――」
「はぁぁぁッ!!」
セルフィとルシウスによって攻撃を阻まれた死殻が態勢を立て直そうとした、その瞬間。
反撃に移るよりも早く、エルナが動く。
空中に展開されたヴォルグの水球へ足を掛けると、それを足場にするように跳躍。
まるで空を駆けるような軌道で一気に死殻へ肉薄した。
巨体ゆえに死角となる懐へ潜り込む。
狙うのは頭部の下。
甲殻に覆われた胸部だった。
「閃刃ッ!!」
双剣が振り抜かれる。
その刃を覆っていた魔力が一気に解き放たれ、斬撃の軌跡に沿って伸長する。
圧縮された魔力の斬撃が空間を切り裂きながら死殻へ襲い掛かった。
――バキィィィンッッッ!!!!
「ギィィィィ――ッッ!!」
激しい破砕音が響き渡る。
胸部を覆っていた甲殻に深い亀裂が走り、その一部が砕け散ったが、不可視の刃は勢いを失うことなく、さらに奥深くへと食い込む。
死殻の胸部に、十文字の深い裂傷が刻まれた。
「よしっ――ッ!?」
確かな手応えを感じ、エルナの口元に笑みが浮かぶ。
だが、その笑みは次の瞬間には凍り付いた。
「ギィィィッッ!!」
死殻が咆哮を上げる。
胸部を斬り裂かれながらも、反撃とばかりに別の脚を振り上げていたのだ。
狙いは――空中にいるエルナ。
攻撃直後で体勢は崩れ、足場もない。
回避するにはあまりにも不利な状況だった。
「――っ!」
エルナは即座に双剣を構えると、全身に魔力を巡らせ、身体能力を限界まで引き上げる。
その直後――死殻の脚が振り下ろされた。
――ドゴオオォォォンッッッ!!!
轟音が大地を揺るがす。
地面が砕け、衝撃によって巻き上げられた土煙が周囲を覆い隠す。
その巨体ゆえの質量による威力は圧倒的だった。
たとえ身体強化魔法によって肉体を強化していたとしても、まともに受ければ無事では済まない。
だが――
「――間に合ったッ!!」
死殻の脚が地面へ叩きつけられる寸前。
セルフィを乗せたアウレインが疾風のように駆け抜けていたのだ。
エルナの身体を抱え込むように受け止めると、そのまま大きく跳躍。
振り下ろされた脚の軌道から離脱することに成功していた。
「エルナ、怪我はない!?」
「大丈夫……ありがとう、セルフィ。助かったよ」
セルフィの腕の中で体勢を立て直しながら、エルナは安堵の息を吐いた。
死の一撃を寸前で回避できたことで、全身を覆っていた緊張がわずかに緩む。
だが、すぐに意識を切り替えると、エルナは死殻へ視線を向けた。
胸部には先ほど刻んだ大きな裂傷が残っている。
甲殻は砕け、その下の肉体にも確かな損傷を与えていた。
それでも――死殻はまるで意に介した様子もなかった。
巨体を揺らしながら咆哮を上げ、その眼はなお獲物を捉えている。
「あの程度じゃ、まだ致命傷には程遠いか……。でも、前よりずっと斬りやすい」
エルナが小さく呟く。
だが、その口元には悲観ではなく、むしろ好戦的な笑みが浮かんでいた。
その様子を見て、セルフィも苦笑する。
上級個体との遭遇戦。
その戦いは、セルフィたちの成長を示すかのように、彼らの優勢から幕を開けていた。




