70.出発
村の中心部に建てられた、小さな礼拝堂。
派手な装飾こそないものの、丁寧に手入れされたその建物には、どこか神聖で落ち着いた空気が漂っていた。
静寂に包まれた堂内へ、暖かな陽光が差し込む。
淡い光は床や長椅子へ静かに広がり、礼拝堂全体を柔らかく照らしていた。
そんな穏やかな空間の中に、四つの人影がある。
一人は、この礼拝堂を管理している巫女ミレイユ。
そして残る三人は――今回、エルフ領への遠征へ赴くセルフィ達だった。
ミレイユを先頭に、四人は静かに祈りを捧げている。
堂内には誰一人として口を開く者はおらず、聞こえるのは僅かな衣擦れの音と、窓から吹き込む風の気配だけ。
その正面。
礼拝堂の祭壇には、三十七個の小さな袋が丁寧に並べられていた。
袋の中に納められているのは、遺灰。
かつてフィリナ族のために命を懸け、そして命を落としたエルフ達の遺灰である。
「セルフィ」
祈りを終えたミレイユが、静かに立ち上がる。
白い巫女服の裾が僅かに揺れ、彼女はゆっくりとセルフィへ振り返った。
「彼らの遺灰は、出来得る限り清めております」
ミレイユの声音は穏やかだった。
だが、その奥には深い祈りと願いが込められている。
「ですが……彼らが真に安寧を得られるのは、故郷の地だけです」
そこで一度言葉を区切ると、ミレイユはセルフィの目を真っ直ぐ見つめた。
まるで願いを託すように。
「どうか、彼らの魂に安らぎを」
「――はい」
セルフィは静かに頷く。
その返答に迷いはなかった。
ミレイユが言葉へ込めた想いも、祈りも、願いも。
セルフィは全て受け取った上で、真正面から彼女を見返す。
そして、その決意を示すように力強く頷いた。
ついに今日、彼らがエルフ領へと遠征する。
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三十七人分の遺灰を収めた袋を、一つ一つ丁寧にしまい終えると、セルフィ達は静かに礼拝堂を後にする。
外には、村人達が集まっていた。
老若男女を問わず、ほとんど全ての村人が礼拝堂の前へ集まり、静かに立っている。
誰も騒ぐ者はいない。
皆、目を閉じ、胸の前で手を組み、祈りを捧げていた。
それはまるで、遠征へ向かうセルフィ達の無事と、遺灰となったエルフ達の帰郷を願う儀式のようだった。
その列の最前方には、フィリナ族の族長ソレインの姿がある。
ソレインは礼拝堂から現れたセルフィ達へ気付くと、静かに祈りを解き、大股でこちらへ歩み寄ってきた。
「セルフィ! エルナ! ルシウス! ……ついに、この日が来たな!」
その声音には、隠し切れない感慨が滲んでいた。
そして、それぞれの顔をゆっくり眺めた後、ルシウスの方へ向き直る。
「確か、この村へ戻って来るまで、二ヶ月ほど掛かる予定だったな!?」
「ああ。本来なら、ここからエルフ領までは十日ほどで辿り着ける距離だが、今回は不死領域の外縁に沿って移動する必要がある。安全を優先する以上、直線的には進めん。片道で二十日程度は見ている」
「ふむふむ……」
ソレインは真剣な表情で話を聞いていた。
「それに、エルフ領へ到着してからも、すぐ帰還する訳ではない」
ルシウスは静かに続ける。
「八十年前の襲撃について。ルフェイル様や護衛達の最期について。そして守護獣について――説明しなければならないことが山ほどある」
長年断絶していたエルフ領との再接触。
それは単なる“遺灰返還”では終わらない。
失われた八十年分の情報と事実を伝える必要があった。
「……それに、彼らの葬儀も、最後まで見届けるつもりだしな」
「うむ! 本来なら、フィリナ族の族長として俺も同行したいところだがな!……お前達に託そう!」
そう言うと、ソレインは何かを思い出したように「ああ、それと」と声を上げる。
「エルナ!」
「ん?」
呼ばれたエルナが首を傾げる。
するとソレインは懐へ手を入れ、一通の分厚い手紙を取り出した。
かなりの枚数が入っているのか、紙束はずっしりとした厚みがある。
「これは?」
エルナは受け取った手紙の束を見下ろしながら首を傾げる。
見た目以上に重量があり、中には大量の紙が収められていることが分かった。
するとソレインは、先程までの柔らかな雰囲気を引き締め、族長としての顔で口を開く。
「今回、エルフ領へ赴く一行――その責任者は、私の娘であるお前だ!」
堂々とした声が礼拝堂前へ響いた。
周囲にいた村人達も、その言葉を静かに聞き入っている。
「その手紙には、先程ルシウスが話していた内容を含め、この八十年間のことについて細かく記してある」
ソレインは真っ直ぐエルナを見据えた。
「無事にエルフ領へ辿り着き、エルフ王と謁見した際には、それを必ず渡してほしい」
「分かった。必ず、届けるよ」
受け取った手紙を胸元へ抱えるように持ち直しながら、エルナは力強く答える。
その返答にソレインは満足そうに頷くと、今度はゆっくりとセルフィの方へ顔を向けた。
「……いよいよだな!」
改めてそう口にしたのは、この遠征を誰よりも強く望み続けていたのがセルフィだと知っているからだ。
戦う力を持たない種族として生まれながら、それでもセルフィは戦うことをやめなかった。
自分達を守り続けてくれた者達の想いへ報いるために、何度も血を吐き、何度も倒れ、それでも立ち上がってきた。
挫折しそうになったことも、一度や二度ではなかったはずだ。
それでもセルフィは歩みを止めなかったのだ。
成人するより遥か前から狩りへ出て、命懸けで魔物と戦い続けてきた。
狩りに失敗し、仲間の死に涙を流した時も。
自らの無力さに歯を食いしばり、それでも必死に前を向こうとしていた時も。
ソレインは族長として、そんなセルフィの姿をずっと見守ってきた。
誰よりも優しく。
誰よりも不器用で。
だからこそ、誰よりも無茶をする。
そんなセルフィを知っているからこそ、ソレインには今、伝えなければならない言葉があった。
「決して無茶はいかんぞ、セルフィ! 一番大事なのは、お前達自身だ! どれほど大事な使命だろうと、不測の事態に見舞われたなら必ず戻って来い!」
真っ直ぐセルフィを見据えながら、ソレインは続ける。
「生きてさえいれば、何度でも挑戦できるのだからな!」
それは、長く生き、多くを失ってきた者だからこそ口にできる言葉だった。
セルフィはその想いを受け止めるように、しっかりと頷く。
「――うん」
そしてセルフィもまた、エルナやルシウスだけではなく、ソレインをはじめとした村の大人達へ深く感謝していた。
直接支えてくれた者達だけではない。
幼い頃から、自分を見守り、叱り、支え続けてくれた人達がいたからこそ、今の自分がある。
だからこそ――セルフィは、自分の想いを真っ直ぐ口にした。
「エルフ領への遠征は、僕にとってずっと悲願だった」
静かな声だった。
だが、その言葉には長年積み重ねてきた想いが滲んでいる。
「ルフェイル様達の魂を故郷へ還すことだけが……せめてもの恩返しだと思っていたから」
かつての自分には、何も出来なかった。
守られることしか出来ず、助けられることしか出来なかった。
だからこそ、その理想はずっと“手の届かないもの”だったのだ。
「けど――理想は、現実になった」
アウレイン達守護獣の誕生。
旧フィリナ領の奪還。
そして今、自分達は本当にエルフ領への遠征を実現しようとしている。
かつて夢物語だったものが、今は確かに現実として目の前にあった。
「だから、約束する」
セルフィは、ソレイン達を真っ直ぐ見据える。
「必ず、みんなを故郷へ送り届ける。そして――必ず、ここへ帰ってくるよ」
「――ああ!」
ソレインは力強く頷いた。
その返事には、信頼と誇り、そして送り出す者としての願いが込められていた。




