69.遠征準備
装備更新のための素材採取から、一週間。
セルフィ達は持ち帰った素材を用い、それぞれ新たな武器や装備を整えていた。
「前より少し重くなったけど……その分、頑丈さも鋭さも全然違うね」
エルナは満足そうに頷きながら、新たに作られた双剣を軽く振るった。
巨大な剛牙猪の牙から削り出された双剣は、以前のものより一回り厚みがあり、刃には獣牙特有の鈍い光沢が浮かんでいる。
軽量さを重視していた以前の双剣と比べれば重量は増している。
だが、その代わり耐久力と切断力は大きく向上していた。
実際、軽く振っただけでも空気を裂く鋭い音が響く。
以前使っていた双剣は、旧フィリナ領解放戦で酷使されていた。
大量の不死族との連戦。
さらに、上級個体である死殻との激戦。
幾度も骨や外殻を斬り裂いた結果、刃には細かな欠けや歪みが蓄積していたのだ。
その点、今回手に入れた剛牙猪の牙は、以前の素材よりも遥かに質が高い。
魔力伝導性、硬度、しなやかさ。
どれを取っても一級品であり、それによって完成した双剣もまた、以前とは比較にならない出来栄えとなっていた。
「これなら、多少無茶しても簡単には壊れなさそうだね」
エルナは機嫌良さそうに笑うと、そのまま素振りを始める。
ヒュンッ――と鋭い風切り音が連続して響く。
エルナは双剣を軽快に振り回し、まるで手足の延長のように扱っていた。
その様子からは、新しい武器を手に入れた嬉しさが隠し切れていなかった。
エルナの傍らでは、ルシウスもまた新たに作られた杖の性能を確かめていた。
「以前よりも魔力が通りやすいな。魔法の発動もかなり滑らかになっている」
杖は三十センチほどの長さで、片手でも扱いやすい短杖型。
無駄な装飾は少なく、実用性を重視した造りになっている。
その持ち手部分には、翠色の核の宝石が嵌め込まれていた。
淡く輝く宝石は、まるで杖そのものと一体化しているようにも見える。
ルシウスは軽く杖を振り、試すように魔法を発動させる。
次の瞬間、核の宝石から引き出された魔力が杖内部を滑るように流れていった。
その感覚は、以前とは明確に違う。
まるで水路を流れる水のように淀みがなく、魔力の伝達が極めて滑らかだった。
今回の杖には、素材として魔導樹が使用されている。
魔導樹は高い魔力親和性を持つ特殊な木材であり、術者の魔力を効率よく伝達する特性を持っていた。
その恩恵によって、魔法発動時の負担や魔力損失が大幅に減少している。
さらに、発動までの僅かな遅延すら短縮されていた。
ルシウス自身も手応えを感じているのか、手に持った杖を満足そうに眺めた。
「いやぁ……これは想像以上に使いやすいな」
セルフィもまた、新しく作られた弓の使い心地を試していた。
感心したように呟きながら、手の中にある弓へ視線を落とす。
新たな弓には、“軽靭樹”が使用されていた。
軽さと高い柔軟性、そして優れた耐久性を併せ持つ希少素材。
弓の素材としては極めて優秀であり、まさに理想的な木材だった。
実際、手にした瞬間から以前との違いは明確だった。
まず、圧倒的に軽い。
それでいて脆さはなく、弦を引いた時にはしなやかな反発力が返ってくる。
力を逃がさず、それでいて扱いづらさもない。
まるで弓そのものが、セルフィの動きへ自然に追従してくるような感覚だった。
セルフィはそのまま矢を番える。
引き絞り、放つ。
――ヒュンッ!
鋭い風切り音と共に放たれた矢が、一瞬で的の中心へ突き刺さった。
だが、そこで終わらない。
セルフィは流れるような動作で次々と矢を番え、連射していく。
放ち、番え、放つ。
その一連の動作に無駄はなく、以前よりも明らかに速い。
そして――
突き刺さった数本の矢は、全て寸分違わず的の中心へ集中していた。
「うわ……前より全然速いね」
エルナが思わず感心した声を漏らす。
「弓自体が軽いから、切り返しがかなりやりやすいんだ」
セルフィは弓を軽く回しながら答えた。
「それに、矢を放った時のブレも少ない。かなり扱いやすくなってる」
以前の弓も決して悪いものではなかった。
だが、軽靭樹を使った今回の弓は、その性能をさらに一段階引き上げている。
特にセルフィのように、高速連射と精密射撃を重視する戦い方とは相性が抜群だった。
セルフィは満足そうに新しい弓を見つめる。
セルフィたちの遠征へ向けた準備は、着実に整いつつあった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
<ラフィリア視点>
世界樹を中心に広がる、エルフ達の里――エルフ領。
巨大な世界樹の恩恵を受けたその土地の一室で、エルフ王族の娘であるラフィリア=ユグドラシルは、一通の手紙へ視線を落としていた。
静かな部屋の中で紙をめくる音だけが響く。
だが、その横顔は決して穏やかではない。
整った眉は僅かに寄せられ、蒼い瞳には深い思案の色が浮かんでいた。
どうやら、書かれている内容は芳しいものではないらしい。
その様子を傍で見守っていた侍女エレンは、主の険しい表情に密かに不安を覚えていた。
そして、ラフィリアが最後まで読み終え、小さく息を吐いたタイミングで、ようやく声を掛ける。
「姫様……何か問題でもございましたか?」
「はぁ……。人魚領へ派遣していた使者が戻って来たのだけれど……これをどう判断するべきか悩んでいるのよ」
ラフィリアは疲れたようにこめかみへ指を当てながら答える。
「顔色が優れませんが……人魚族は協力を断ったのでしょうか?」
エレンが慎重に問い掛ける。
現在、エルフ領では不死領域への対応が急務となっており、人魚族へ協力を求める使者を送っていたのだ。
「いいえ。むしろ、人魚族はかなり積極的に協力してくれるそうよ」
「それは……朗報ではありませんか。でしたら、何故そのようなお顔を?」
「問題は、その“条件”よ」
ラフィリアはそう言って、手元の手紙を軽く持ち上げた。
「てっきり世界樹の素材や、大森林の資源を要求してくると思っていたのだけれど……予想外過ぎたわ」
そう言ってラフィリアは、手にしていた手紙をエレンへ差し出す。
エレンはそれを受け取り、書かれている内容へ目を通した。
「これは……エルフ族と人魚族による防衛協定の提案、ですか?」
手紙を読み進めていたエレンが、困惑したように顔を上げる。
「そういうことみたいね」
ラフィリアは椅子へ深く腰掛けながら、小さく息を吐いた。
「どうやら人魚族は人魚族で、いくつか厄介な問題を抱えているらしいわ。不死領域攻略へ協力する代わりに、防衛協定を結び、その問題解決に私達の協力を求めているみたい」
「世界樹の素材を要求されなかっただけ、まだ僥倖と言うべきでしょうか……」
エレンが複雑そうに呟き、ラフィリアもそれに頷く。
世界樹はエルフ領の象徴であり、一歩間違えれば無用な争いを誘発してしまう。
その素材を要求される可能性は、ラフィリア達もある程度覚悟していた。
それが無かっただけ、条件としてはまだ穏当とも言える。
「問題はいくつもあるけれど……何より致命的なのは距離ね」
そう言いながら、机の上へ広げられた地図へ視線を落とした。
エルフ領は大森林の内部。
一方、人魚領は離れた海沿いの巨大な入江に存在している。
互いに交流するだけなら不可能ではない。
しかし、防衛協定となれば話は別だ。
有事の際には互いへ援軍を送り、戦力を提供し合う必要がある。
だが、物理的距離が遠過ぎれば、それは机上の空論にしかならない。
「かと言って、中継拠点を築くにしても厳しいわ」
ラフィリアは疲れたように、こめかみへ指を当てた。
「八十年前の件で、人手も資源も未だ十分とは言えない状態なのよ。そんな中で、新たな拠点維持へ割ける余力なんて残っていないわ」
エルフ達は、八十年前に不死領域が発生したことによって里の精鋭をほとんど失っていた。
もちろん、復興自体は進んでいる。
若い世代も育ち始めている。
だが、それでも“不安が消えた”とは到底言えない。
通常であれば、防衛協定など距離的な問題から断るしかない条件だった。
だが――。
「……それでも、人魚族の歌声による支援魔法は魅力的過ぎるのよね。大規模不死領域を攻略するなら、間違いなく役に立つわ。……だから、どうにかしたいのだけれど」
ラフィリアはそう言って再び長く息を吐いた。
利益は大きい。
だが、問題もまた大きい。
理想と現実の狭間で、エルフの姫は静かに頭を悩ませていた。
そうしてしばらく思案を巡らせていたラフィリアだったが、結局これといった打開策は浮かばなかったらしい。
小さくため息を吐くと、諦めたように首を横へ振り、そのまま席を立つ。
「……だめね。今考えても、いい案は浮かびそうにないわ」
ラフィリアは机の上に広げられた地図や手紙へ視線を落としながら続ける。
「この件は、お父様とも相談しながら進めましょう……それよりエレン。次の“間引き”はいつだったかしら?」
“間引き”。
それは、不死領域内部で発生し続ける不死族を定期的に討伐し、領域の飽和を防ぐための危険な任務である。
当然ながら、極めて危険な役目だ。
だがラフィリアは、不死領域攻略へ自ら参加すると決めて以降、この“間引き”にも加わるようになっていた。
「浄化ポーションの在庫が心許ないそうですので、まずは浄化草の採取を優先するとのことです。その後に間引き部隊を編成する予定ですので、次回は三週間後となっております」
「そう。分かったわ」
ラフィリアは静かに頷いた。
不死領域の攻略。
人魚族との防衛協定。
不足し続ける人員と資源。
エルフ領が抱える問題は、どれも簡単に解決できるものではない。
それでも――。
王族として。
そして、世界樹を信仰する一人のエルフとして。
ラフィリアは、自らの責務を果たすため前へ進み続けるのだった。




