68.戦いが終わって
「つっかれた~……」
セルフィは全身から力が抜けるように、深く息を吐き出した。
張り詰めていた緊張が切れ、その場へ崩れるように腰を下ろす。
その隣では、エルナや守護獣達も同じように地面へ座り込んでいた。
ヴァルガは荒い呼吸を繰り返しながら伏せ、ヴォルグも疲労したように耳を垂らしている。
アウレインでさえ静かに息を整えており、誰一人としてすぐに動き出せる余裕は残っていなかった。
「前回の死殻戦と同じくらい大変だったね……」
ぐったりとした様子でエルナが呟く。
それも無理はない。
相手は数万規模の殺人蜂の群れに加え、三頭の剛牙猪。
一瞬たりとも気を抜けば即死しかねない戦場で、エルナは最後まで最前線に立ち続けていたのだ。
特に終盤は、防御すら最低限に削り、双剣を振るい続けていた。
その代償として、彼女の体力消耗は他の誰よりも激しかった。
「セルフィの魔法で、殺人蜂の死体が残ってないのは助かったよ……。もし地面一面に死骸が転がってたらって思うと、正直うんざりしてた」
エルナは疲れ切った表情のまま肩を竦める。
確かに、あれだけの数の殺人蜂だ。
普通に倒していれば、周囲は死骸と体液で地獄のような光景になっていただろう。
「確かに……。でも、殺人蜂の巣は一部残ってるね」
セルフィは周囲を見渡しながら言った。
剛牙猪の突進と戦闘の余波によって、多くの巣は破壊されている。
しかし、全てが消し飛んだわけではない。
「これなら魔導樹と剛牙猪の素材だけじゃなくて、蜂蜜も採取できそうだ」
「おおっ! それは嬉しいね!」
疲れていたはずのエルナの表情が、一瞬で明るくなる。
「こんなに頑張ったんだから、ご褒美の甘味は必須だね」
そう言って笑うエルナに、セルフィも思わず苦笑を浮かべた。
つい先程まで命懸けの死闘を繰り広げていたとは思えないほど、穏やかな空気がその場に流れていく。
エルナが言った通り、セルフィの放った光球は、殺人蜂を死体ごと消滅させていた。
本来なら数万匹もの殺人蜂がひしめいていた戦場だ。
普通であれば、辺り一帯は死骸と体液、焼け焦げた羽で埋め尽くされ、凄惨な光景になっていただろう。
だが今、周囲は異様なほど綺麗だった。
戦いの痕跡として残されているのは、三頭の剛牙猪の死骸。
根元からへし折れた魔導樹。
そして、その巨大さ故に一部だけ崩壊を免れた殺人蜂の巣くらいである。
三頭の剛牙猪は、いずれも殺人蜂との戦闘によって肉体がズタズタになっていた。
全身には無数の裂傷や刺し傷が刻まれ、肉や毛皮としての価値はほとんど失われている。
だが、目的だった巨大な牙だけは無傷のまま残っていた。
魔導樹の方も問題はない。
太い幹はもちろん、周囲へ飛び散った枝や細かな破片に至るまで、内部へ濃密な魔力が宿っているのが感じられる。
杖の素材としては十分以上だ。
そして最後に――本来の目的にはなかった、副産物。
殺人蜂の蜂蜜である。
巨大な巣の内部には、琥珀色の蜂蜜が大量に残されていた。
濃厚な甘い香りが周囲へ漂い、疲労し切った身体へ直接誘惑をかけてくる。
この蜂蜜は強い魔力を含んでおり、ポーションなどの素材としても高値で取引される。
だが、それ以上に有名なのは、その味だった。
“数多の美食家を唸らせた幻の甘味”。
そう称されるほどの逸品であり、市場へ出回る量も極端に少ない。
「蜂蜜は村のみんなが喜ぶだろうね」
エルナが嬉しそうに巣を見上げる。
「一部しか残ってないとはいえ、元々の巣が大きかったから量はかなりありそうだし」
「よし。なら少し休んだら、回収して村まで運ぼうか。軽靭樹の方は、帰り道で寄って行こう」
こうして二人は、村への土産と、大量の貴重な素材を抱えて帰還することができた。
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「――と、いうことがあったんだ」
「なるほどな……」
村へ帰還した後、セルフィはルシウスの家を訪れ、今日の出来事と成果について報告していた。
ルシウス自身も素材採取のため外へ出ていたらしく、戻ってきたのはつい先程だったようだ。
「だから村が、特に女子供達があんなに騒がしいんだな」
ルシウスは苦笑混じりに窓の外へ視線を向ける。
外からは賑やかな声が絶え間なく聞こえてきていた。
普段は比較的静かな村だというのに、今日は祭り前のような騒がしさになっている。
「殺人蜂の蜂蜜とは……随分と大変だったみたいだな」
そう言いながら、ルシウスは手にしていた菓子を口へ運んだ。
サク、と軽い音が響く。
ほんのり黄金色をした焼き菓子からは、濃厚で甘い香りが漂っていた。
もちろん使われているのは、セルフィ達が持ち帰った殺人蜂の蜂蜜だ。
帰還後、蜂蜜の存在を知った村の女性達が一斉に集まり、あっという間に菓子作りが始まったらしい。
最初は味見程度のつもりだったはずなのだが、今もなお量産が続いており、村のあちこちから甘い匂いが漂ってきている。
エルナも現在はそちらへ参加していた。
報告については「ルシウスへの説明はセルフィの方が得意だから!」と言い残し、早々に菓子作り側へ合流してしまっている。
「だが、魔導樹に剛牙猪の牙、それに軽靭樹と……目的のものは全て揃えられたな」
「ルシウスの方はどうだったの? ルート取りは上手くいった?」
「……まあな。こっちも相当大変だったが、なんとかやり切った」
セルフィの問いに、ルシウスはため息を吐きながら答える。
その口調は普段通り落ち着いている。
だが、声の奥には隠し切れない疲れが混じっていた。
どうやら、こちらもかなり危険な目に遭っていたらしい。
「やはり大森林の上空は危険だな。予想していた以上に魔物の数が多かった。特に空域を縄張りにしている魔物は厄介だ。地上と違って遮蔽物が少ない分、一度見つかると振り切るのが難しい」
「確か、初めてアルファに騎乗した時も似たようなこと言ってたよね? そんなに危ないの?」
「ああ。今回は中級魔物の疾風鳥に群れで襲われた」
その言葉に、セルフィの表情がわずかに引き締まる。
「攻撃をいなしながら偵察を続けていたんだが……最終的には、不死領域へ突っ込んで撒く羽目になった」
「あぁ……結局、不死領域に入ったんだ」
セルフィが苦い顔を浮かべる。
「そうでもしないと、永遠に追ってきそうだったからな……」
ルシウスは肩を竦めながら苦笑した。
だが、その表情には疲労こそあれ、失敗した様子はない。
「まあ、それでも最低限の情報は確保できた。装備を整えて情報を整理すれば……いつでも遠征へ向かえるだろう」
「エルフ領への遠征、か……」
セルフィは静かに呟きながら、どこか遠くを見るように目を細めた。
セルフィにとって、エルフ領へ辿り着くことは長年追い続けてきた悲願だった。
ルシフェル達の遺灰を故郷へ届ける――それは、八十年以上もの間、胸に抱き続けてきた約束でもある。
「ルシフェル様達の遺灰をエルフ領へ届けたら……その時は、少しゆっくり休もうかな」
そう言って小さく笑うセルフィに対してルシウスは――
「(エルフ達との交流再開に、大規模不死領域の攻略……むしろそこからの方が忙しくなりそうだが)……まあ、そうだな」
遠征後にするだろう苦労を思い浮かべて――結局、軽く頷くだけに留める。
そんなルシウスの生暖かい視線にも気付かず、セルフィが静かに想いへ浸っていると、扉が叩かれた。
「やあ、二人とも! 追加のお菓子を持ってきたよ!」
明るい声と共に現れたのは、両手いっぱいに皿を抱えたエルナだった。
皿の上には、焼き立てらしい菓子が所狭しと並んでいる。
蜂蜜の甘い香りが、部屋の中へ一気に広がった。
エルナの登場に、セルフィとルシウスは自然と会話を止める。
「はい、これ!」
「ありがとう、エルナ」
セルフィが皿を受け取りながら礼を言う。
隣では、ルシウスが興味深そうに菓子を眺めていた。
「大森林で採れる果物に、殺人蜂の蜂蜜、さらに柔山羊の乳か……場所によっては、これだけで一財産になるな」
その後、菓子の追加を理由に村人達が次々と集まり始める。
今日の狩りの話や蜂蜜菓子の感想など、話題は尽きることなく、家の中は次第に笑い声で満たされていった。
激戦を終えた後とは思えないほど穏やかで、温かな夜。
遠征を前にした束の間の休息が、静かに更けていくのだった。




