67.装備の更新⑦
耳を劈く羽音。
剛牙猪の咆哮。
地面を揺らす衝撃。
本来なら集中を乱されて当然の戦場だったが、セルフィはそれら全てを意識の外へ押しやっていた。
「ふぅぅ――」
エルナ達へ、自身の命を預ける。
だからこそ、自分は自分の役割を果たすだけ。
そう決めたセルフィは、外界を断ち切るように静かに目を閉じる。
呼吸を整え、両手で握った弓へ意識を集中させた。
弓へ嵌め込まれた核の宝石が淡く脈動し、そこから溢れ出す聖気がセルフィへ流れ込んでくる。
セルフィは、その膨大な聖気を一本一本糸を編むように繊細に操り、魔法を構築していった。
丁寧に。
だが、一瞬たりとも無駄なく。
すると、彼の眼前へ小さな光球が生まれる。
淡く揺らめいていた光は、聖気が注ぎ込まれる度に徐々に輝きを増していった。
白銀の光は密度を高め、やがて直視できないほどの輝きを帯び始める。
セルフィは歯を食いしばりながら、限界寸前まで聖気を注ぎ込む。
制御を誤れば暴発する。
だが、威力が不足すれば群れを殲滅し切れない。
必要なのは、ただ強いだけの魔法ではない。
「(威力は、殺人蜂を倒せる最低限でいい……! その代わり、攻撃範囲は周囲一帯全てを包み込むほど広く……! 発動後もしばらく場に残り続けるように――!!)」
焦れば制御が乱れる。
慎重になり過ぎれば間に合わない。
今この瞬間の戦場で必要となる条件を、頭の中で高速に組み替え、最適化していった。
「――っ」
そして次の瞬間。
セルフィの眼前で脈動していた光球が、まるで心臓のように大きく鼓動する。
膨大な聖気を圧縮した光が、静かに、しかし圧倒的な存在感を放ちながらセルフィの前へ浮かび上がると、するすると上空へ昇っていく。
そして――。
「光球」
セルフィが静かに魔法名を告げた瞬間だった。
上空へ到達した光球が、一気に膨張する。
眩い白光が爆発的に広がり、夜を塗り潰す太陽のように周囲一帯を飲み込んだ。
エルナたち、二頭の剛牙猪、そして、空を埋め尽くしていた殺人蜂の群れまでも。
敵味方の区別なく、巨大な光の球体が全てを包み込んでいく。
「「「「「「「――――ッッッ!!!!」」」」」」
光球の内部では、無数の殺人蜂が次々と消滅していた。
――ジュゥゥゥッ!!
肌を焼くような音が至る所で連続し、光へ触れた殺人蜂の外殻が白煙を上げながら崩れ落ちる。
羽が焼け、肉が裂け、断末魔すら残せぬまま光へ呑み込まれていった。
殺人蜂は数こそ脅威だったが、一体一体の耐久力は高くない。
だからこそ、重要なのは威力ではなかった。
広範囲へ拡散し、さらに一定時間その場へ留まり続けること。
逃げ場を与えず、群れ全体を確実に呑み込むことこそが、この魔法の本質だった。
しばらくその場へ留まり続けていた巨大な光球が、ゆっくりと薄れていく。
膨大な光が霧散し、白く染まっていた景色が徐々に元の色を取り戻していった。
そして――戦場から、殺人蜂の姿は完全に消え去っていた。
「「ブモォォォォォッッ――!!!!」」
殺人蜂の羽音が消え去った戦場に、一瞬だけ静寂が訪れる。
だが、その沈黙を破ったのは二頭の剛牙猪だった。
光球は、あくまで殺人蜂を殲滅するために威力を最低限まで抑えた魔法。
巨躯と強靭な耐久力を誇る剛牙猪には、致命傷どころか大したダメージにすらなっていない。
一頭の剛牙猪が怒りの咆哮を上げながら、セルフィ目掛けて突進する。
巨体が地面を踏み砕き、一直線に迫る。
あの質量が直撃すれば、人間など原形すら残らない。
だが――。
剛牙猪が加速し切る、その前だった。
「――ッッ!!!」
「はぁッ!!」
エルナが、自ら剛牙猪の懐へ飛び込んでいた。
突如として眼前へ現れたエルナに、剛牙猪の動きがわずかに止まった。
その隙を、エルナは逃さない。
踏み込みと同時に身体を低く滑り込ませ、双剣が銀光を描く。
――ズバァッッ!!!
すれ違い様に放たれた剣閃が、剛牙猪の太く頑丈な首筋を深々と斬り裂いた。
一瞬遅れて、大量の鮮血が噴き上がる。
巨体が数歩よろめき、地面を削りながら前進する。
しかし、その足は途中で止まった。
剛牙猪の首がゆっくりと傾き――次の瞬間、巨体が轟音と共に地面へ崩れ落ちる。
地響きが森を揺らし、土煙が舞い上がった。
「「ガァルルルルッッ!!!」」
エルナが一頭の剛牙猪を仕留めた、その直後。
ヴァルガとヴォルグもまた、残された最後の剛牙猪へ同時に襲い掛かっていた。
「ブモォォォッッ!!」
迫り来る二体の守護獣を迎え撃つように、剛牙猪が巨大な牙を大きく振るう。
空気を裂く轟音と共に振り抜かれた牙は、まるで巨大な刃そのものだった。
まともに受ければ致命傷は避けられない。
だが――当たらなければ意味はない。
「「ガァルルッ!!」」
目前まで迫った巨大な牙を前にしても、ヴァルガとヴォルグは一切怯まなかった。
二体は剛牙猪の動きを冷静に見極め、紙一重のタイミングで身を捻る。
唸りを上げる牙が毛先を掠めながら通過していく。
最低限の動きだけで攻撃を躱した二体は、その勢いを殺さぬまま一気に剛牙猪の懐へ飛び込む。
「ガァァァァッッ!!!」
次の瞬間。
二体の守護獣の牙が、左右から同時に剛牙猪の喉笛へ食らい付いた。
――ブチィッ!!
肉が引き裂かれる生々しい音が響き、大量の鮮血が噴き上がる。
二体の守護獣は、そのまま強引に喉を食い千切った。
剛牙猪の巨体が大きくよろめく。
怒りの咆哮を上げようとするが、既に喉は潰れていた。
漏れ出るのは血混じりの濁った呻き声だけ。
やがて支えを失った巨体が、轟音と共に地面へ崩れ落ちる。
地面を震わせながら倒れた剛牙猪は、しばらくの間、痙攣するように四肢を震わせていた。
だが、その動きも徐々に弱まり――ついには完全に停止する。
森へ静寂が戻る。
激戦の末、最後の剛牙猪も絶命したのだった。




