66.装備の更新⑥
「ブモォォォォォッッッ――!!!」
「くッ――!」
一頭の剛牙猪が、咆哮と共に巨大な頭を大きく振り抜いた。
振るわれた牙が地面を深々と抉り、前方一帯の地面が爆発したように割れ砕ける。
轟音と共に土砂が舞い上がり、砕かれた岩片が無数の石礫となって周囲へ撒き散らされた。
セルフィは咄嗟に飛び退こうとするが、突き上げるようにめくれ上がった地面へ足を取られ、体勢を崩す。
「しまッ――!」
次の瞬間、飛来した石礫が容赦なく襲い掛かった。
顔面への直撃だけは避けようと、セルフィは反射的に腕を掲げる。
――ゴッ! ガガッ! ドゴッ!
鈍い殴打音が立て続けに響き、硬い石片が腕や肩、脇腹へ叩き付けられる。
皮膚が裂け、鮮血が飛び散った。
アウレインの聖気によって傷は即座に塞がっていく。
しかし、回復できることと、無傷でいられることは全く別だ。
痛みと衝撃によって、一瞬でも動きが止まれば致命的な隙になる。
そして、その隙を殺人蜂達が見逃すはずもなかった。
耳障りな羽音が一気に接近し、数十匹の殺人蜂が毒針を突き出しながらセルフィへ飛び掛かる。
その瞬間――。
「ガァルルッ!!」
「ヴァルガ!」
炎を纏った赤い影が、セルフィの前へ割り込んだ。
ポーションによって傷を塞いだヴァルガが、低い唸り声と共に鋭い爪を振るう。
灼熱を帯びた斬撃が空中を薙ぎ払い、セルフィへ迫っていた殺人蜂の群れをまとめて切り裂いた。
斬り裂かれた個体は炎へ包まれながら地面へ墜落し、焼け焦げた羽の臭いが周囲へ広がる。
まだ完全に回復し切ってはいない。
それでもヴァルガは仲間を守るため、再び戦場へ立ち上がっていた。
「ありが――ッ!」
礼を言おうとしたセルフィだが、その言葉を最後まで口にする暇はなかった。
ほんの一瞬。
ヴァルガに意識を向けた、その刹那――。
もう一頭の剛牙猪が、いつの間にかセルフィ達の目前へ迫っていた。
巨体に似合わぬ速度で踏み込みながら、剛牙猪は頭を大きく振り抜く。
唸りを上げる巨大な牙が、真正面からセルフィへ襲い掛かった。
「――ッ!!」
回避は間に合わない。
そう判断した瞬間、横合いから二本の刃が割り込んだ。
――ガギィィィィンッッ!!!
金属同士が激突したような硬質な衝突音が周囲へ炸裂する。
エルナの双剣が、剛牙猪の巨大な牙を正面から受け止めていた。
常識で考えれば、止められるはずがない。
人間と巨獣では質量差が違い過ぎる。
しかし、身体強化魔法によって極限まで強化されたエルナは、その圧倒的な重量を真正面から押し返していた。
地面へ靴底がめり込み、衝撃で周囲の土が弾け飛ぶ。
それでもエルナは退かない。
「エルナッ!」
そして、剛牙猪の一撃を受け止めたことで、エルナの動きは一瞬止まってしまった。
その隙を狙い、周囲を旋回していた殺人蜂達が一斉に襲い掛かる。
セルフィは即座に弓を振るった。
高速で迫る殺人蜂を、まるで棒術のような動きで次々と弾き飛ばしていく。
硬い外殻が砕け、毒針が宙を舞った。
剛牙猪。
殺人蜂。
そして、互いを庇い合いながら戦うセルフィ達。
剛牙猪が魔法を使い始めて以降、戦況はさらに激化していた。
一瞬前の安全が、次の瞬間には消え去る。
呼吸を整える暇すらなく、状況が目まぐるしく変化し続けていた。
「はぁぁッッ!!!」
エルナが鋭く気合を放つ。
直後、双剣へ込めた力を一気に解放し、受け止めていた剛牙猪の牙を強引に弾き返した。
巨体がわずかによろめき、その隙にエルナは後方へ跳んで距離を取る。
だが、その肩は大きく上下していた。
額には汗が滲み、荒くなった呼吸が激戦の消耗を物語っている。
身体強化魔法によって無理やり引き上げた身体能力は、それだけ体力の消費も激しかった。
それでもエルナは双剣を下ろさない。
息を乱しながらなお、鋭い視線で剛牙猪を睨み据えていた。
「セルフィッ!! このままだとジリ貧だッ! 剛牙猪が私達まで標的にし始めてから、剛牙猪に張り付いてた殺人蜂までこっちへ流れてきてるッ!!」
「分かってるッ! こうなったら魔法で一気に殺人蜂を叩くッ! だから三十秒ッ! 時間を稼いでくれッ!!」
「了解ッ!!」
怒鳴り合うように言葉を交わしながらも、二人の判断は速かった。
状況を整理し終えた瞬間、セルフィはその場へ深く身を沈める。
両手で弓を握り締め、嵌め込まれた核の宝石へ意識を集中させた。
呼吸を整え、外界への意識を削ぎ落としていく。
今から放つのは、中途半端では意味がない。
群れ全体を一撃で呑み込むほどの広範囲魔法でなければ、逆に殺人蜂達の敵意を一斉に向けられるだけだ。
だからこそ、集中を乱すわけにはいかなかった。
だが当然、敵がそれを見逃すはずもない。
「ブモォォォォォッッッ――!!」
一頭の剛牙猪が雄叫びを上げる。
直後、地面が激しく隆起し、土塊が圧縮されるようにして巨大な岩塊へと変貌した。
それも一つではない。
人間を軽々と押し潰せるほどの巨大な岩塊が複数生成され、唸りを上げながらセルフィ目掛けて撃ち放たれる。
空気を震わせながら迫る岩塊は、まるで巨大な投石器による砲撃だった。
「クォンッ!!」
その瞬間、アウレインがセルフィの前へ飛び出す。
角が輝き、半透明の結界が瞬時に展開された。
直後――。
――ドゴォォォォンッッ!!!
凄まじい轟音と共に岩塊が結界へ激突する。
衝突の衝撃で周囲の地面が抉れ、暴風のような衝撃波が吹き荒れた。
しかし、アウレインの結界は岩塊の直撃を真正面から受け止めていた。
むしろ岩塊の方が砕け散り、大量の破片となって周囲へ飛び散る。
その背後で、セルフィは一切視線を動かさない。
迫る轟音も、飛び散る岩片も意識の外へ追いやりながら、ただ静かに聖気を練り上げ続けていた。
「「――っ!!」」」
次の瞬間、畳み掛けるように大量の殺人蜂が一斉に襲い掛かってきた。
耳を劈く羽音が膨れ上がり、黒い濁流のような群れが空を埋め尽くす。
あまりの数に、視界そのものが塗り潰されていくようだった。
二頭の剛牙猪が殺人蜂によって徐々に削られ始めたことで、群れの中でセルフィ達の脅威度が上昇したのか。
あるいは、セルフィが魔法を発動しようとしている気配を察知したのか。
理由は分からない。
だが確かなのは――数千匹の殺人蜂が、明確な殺意を持ってセルフィ達へ標的を切り替え始めているということだった。
「「ガァルルッッ!!」」
それに即座に反応したのは、ヴァルガとヴォルグだった。
二体の守護獣がセルフィの前へ飛び出し、迫り来る殺人蜂の群れへ真正面から突っ込んでいく。
鋭い牙が外殻を噛み砕き、振るわれた爪が空中を薙ぎ払う。
その度に殺人蜂の身体がバラバラに引き裂かれ、羽や体液を撒き散らしながら次々と墜落していった。
特に、この状況で猛威を振るっていたのがヴァルガの炎である。
群れの密度が高まり過ぎたことで、逆に炎が連鎖的に燃え広がっていったのだ。
一匹の羽へ燃え移った火が、接触した別個体へ瞬時に延焼する。
さらに燃え上がった個体が群れの中へ飛び込むことで、炎は次々と周囲へ伝播していった。
空中へ赤い火花が散り、焼け落ちた羽が吹雪のように舞う。
炎上した殺人蜂達は断末魔の羽音を響かせながら墜落し、その勢いのまま地面へ叩き付けられていった。
ヴァルガは燃え盛る炎を纏ったまま咆哮し、まるで業火そのものとなって群れを焼き払っていく。
その隣ではヴォルグが水の鎧を纏い、突破してきた個体を確実に噛み砕いていた。
二体の守護獣は、それぞれ異なる力を振るいながら、セルフィが魔法を完成させるための時間を命懸けで稼いでいた。
だが――それ以上に凄まじかったのは、エルナの動きだった。
迫り来る殺人蜂の大群に対し、彼女の戦法は驚くほど単純だ。
ただひたすらに、双剣を振るう。
防御陣形もなければ、小細工もない。
あるのは純粋な技量と速度だけだった。
「はぁぁぁぁッッ――!!!!」
裂帛の気合と共に踏み込み、次の瞬間には双剣が閃く。
銀光が交差した瞬間、何匹もの殺人蜂がまとめて両断された。
切断された胴体が空中へ飛び散り、緑色の体液が霧のように舞う。
先程までのような舞うような回避主体の戦い方ではない。
今のエルナは、敵の攻撃をある程度、水の鎧へ任せていた。
毒針が水膜へ突き刺さり、水飛沫が散る。
それでも止まらない。
防御に割く動きを最低限まで削り、その全てを攻撃へ回しているのだ。
「「――ッ!!」」
エルナが双剣を振るう度に、周囲の殺人蜂が次々と切り裂かれていく。
迫り、群がり、喰らい付こうとする殺人蜂達を、それ以上の速度で斬り捨てていた。
閃刃により空中へ伸びる双剣の軌跡は幾重もの斬撃網となり、まるで不可視の結界でも展開されているかのようだった。
その間合いへ踏み込んだ瞬間、殺人蜂は文字通り細切れにされていた。
驚異的なのは、エルナの力がヴァルガのように“相性勝ち”によるものではないという点だ。
炎で羽を焼き払うヴァルガと違い、エルナが振るっているのは純粋な剣技のみ。
それにも関わらず、その殲滅速度は明らかにヴァルガを上回っていた。
セルフィ目掛けて押し寄せる殺人蜂達は、数に任せて突破しようとする。
だが、その悉くがエルナの双剣によって切り落とされる。
群れによる猛攻の中、未だセルフィは傷一つ負うことはなかった。




