65.装備の更新⑤
「ブモォォォォォッッ――!!!!」
一頭の剛牙猪が、咆哮と共に巨体を大きく持ち上げた。
丸太のように太い前脚がゆっくりと宙へ浮かび上がり、その動作によって無防備な胴体が晒される。
当然、その隙を殺人蜂達は見逃さない。
群れが一斉に飛び掛かり、鋭い毒針と強靭な顎で剛牙猪へ襲い掛かった。
外殻を削り、肉へ喰らいつき、羽音が狂乱したように鳴り響く。
しかし――剛牙猪は意にも介さなかった。
毒針が突き刺さろうと、顎で肉を抉られようと、その赤黒い瞳はただ前方だけを睨み据えている。
そして次の瞬間。
持ち上げられていた前脚が、全体重を乗せたまま地面へと叩きつけられた。
――ドォォォンッッッ!!!!
腹の底を揺さぶるような重低音が森へ轟く。
衝撃は地震のように周囲へ広がり、セルフィ達の足元までも激しく揺れた。
さらに、剛牙猪を中心として地面そのものが爆発したかのようにめくれ上がる。
隆起した土塊は鋭く尖り、巨大な石槍となって次々と地面から突き出した。
同時に、砕け散った岩盤の破片が散弾のように四方八方へ撒き散らされる。
「魔法ッ!?」
セルフィが目を見開く。
剛牙猪が放ったのは、純粋な膂力ではない。
大地そのものを操る土魔法だった。
地面から撃ち出された無数の石片が、空を埋める殺人蜂の群れを次々と撃ち抜いていく。
羽を砕かれた個体が雨のように墜落し、さらに地面から突き上げた石槍が直撃した個体は、そのまま胴体ごと串刺しにされ、バラバラに引き裂かれていた。
凄まじい土煙が巻き上がり、戦場の景色が一瞬で塗り替わる。
さきほどまで空を支配していた殺人蜂の群れが、剛牙猪の一撃によって強引に押し潰されていった。
「くッ――!」
「まずいッ!」
そして剛牙猪の土魔法は、殺人蜂だけを狙ったものではなかった。
戦場そのものを巻き込む広範囲攻撃は、当然セルフィ達にも牙を剥く。
最初の衝撃によって地面が大きく揺れ、足場が崩れる。
体勢を立て直す暇もないまま、今度は散弾のように撒き散らされた無数の石片と、地面から突き上げる石槍が襲い掛かってきた。
鋭い破砕音が連続し、周囲の木々が次々と砕け散る。
セルフィは咄嗟に弓を盾代わりに構え、飛来する石弾を弾く。
しかし、全てを防ぎ切れるはずもない。
石片が肩や脇腹を抉り、掠めた破片が皮膚を裂いて鮮血を撒き散らす。
アウレインもまた、石槍を回避しながら飛来する岩片を受け、白銀の体毛を赤く染めていた。
それでも、一人と一頭は止まらない。
アウレインが循環させる聖気が即座に傷口へ流れ込み、裂けた皮膚を無理やり塞いでいく。
完全に治癒し切る前に次の傷が増える有様だったが、それでも戦闘継続が不可能になるほどではなかった。
一方、エルナとヴォルグは、水の鎧によって致命傷を防いでいた。
大量の石弾が水膜へ直撃する度に、圧縮された水が激しく波打ち、衝撃を吸収していく。
やがて耐久限界を迎えた水の鎧が爆ぜるように弾け飛んだが、その代わりに石弾の威力も大きく削がれていた。
水飛沫を撒き散らしながら、二人は辛うじて直撃を免れる。
だがら――最も深刻な被害を受けたのはヴァルガだった。
炎の鎧は、生物相手には絶大な効果を発揮する。
しかし、飛来する大量の石弾との相性は最悪だった。
炎では物理的な衝撃を防ぎ切れず、石片のほとんどがそのままヴァルガへ直撃してしまったのだ。
鈍い衝突音と共に巨体が吹き飛び、地面へ叩き付けられる。
全身の毛並みは血で濡れ、裂けた傷口から大量の鮮血が溢れ出していた。
「ヴァルガッ!!」
エルナが叫び、即座に駆け寄る。
「エルナ! 殺人蜂が混乱している内にポーションをッ!!」
セルフィの叫びを受け、エルナは腰に下げていたポーション瓶を掴み取る。
急いで栓を抜き、その中身をヴァルガの全身へ一気に振りかけた。
淡い光を帯びた薬液が傷口へ染み込み、裂けた皮膚がゆっくりと閉じ始める。
噴き出していた血も徐々に止まり、荒れていた呼吸がわずかに落ち着いていった。
それを確認したエルナは、ようやく短く息を吐く。
――だが、その安堵を許すほど、この戦場は甘くなかった。
「ブモォォォォォッ!!!」
「くっ――!」
先程、土魔法を放った個体とは別の剛牙猪が、一直線にエルナ達へ突進してきた。
大地を踏み締める度に地面が震え、その巨体が迫るだけで空気そのものが圧迫される。
狙われているのは、傷付いて倒れているヴァルガだ。
まだ治療の途中でまともに動けないヴァルガを庇うように、エルナは即座に前へ飛び出した。
双剣を構え、足を踏み込み、迫り来る巨体を真正面から迎え撃とうとする。
だが――。
「アウレイン!!」
セルフィの叫びと同時に、アウレインがエルナの前へ躍り出た。
角が淡く輝き、その瞬間、半透明の光の壁が展開される。
直後、剛牙猪の突進が結界へ激突した。
――ガァァァンッッッ!!!!
爆発にも似た衝突音が森中へ轟く。
凄まじい衝撃によって周囲の土が吹き飛び、木々が激しく揺さぶられた。
しかし、それでも結界は砕けない。
表面へ激しいヒビを走らせながらも、アウレインの結界は巨獣の突進を真正面から受け止め切っていた。
「ありがとう! 助かったよ!」
「クォン」
エルナが短く礼を告げると、アウレインは低く鳴いて応じる。
その間にも、結界越しに剛牙猪が唸り声を上げ、なおも力任せに押し込もうとしていた。
セルフィはその様子を横目で確認しながら、素早く周囲へ視線を巡らせる。
先程の土魔法による大混乱によって、一時的に殺人蜂の群れは統率を乱していた。
飛び交う羽音も散発的になり、辛うじて息をつける状況が生まれていたのだ。
だが、その混乱も既に収まり始めている。
空中を旋回していた殺人蜂達が、再び獲物を定めるように動きを揃え始めていた。
怒気を孕んだ羽音が徐々に重なり合い、戦場へ再び死の気配が満ちていく。
剛牙猪の攻撃は凄まじく、その矛先がセルフィ達へ向けば致命的だ。
実際、先程の土魔法だけでも一歩間違えば全滅していてもおかしくなかった。
だが同時に――剛牙猪の存在こそが、今のセルフィ達を辛うじて生かしている要因でもあった。
殺人蜂の群れは、縄張りを荒らし回る巨大な侵入者である剛牙猪へ強く敵意を向けている。
そのおかげで、群れ全体の攻撃意識がセルフィ達へ完全には集中していないのだ。
もし二頭の剛牙猪が存在しなければ、今頃は数万にも及ぶ殺人蜂の群れが、一斉にセルフィ達へ襲い掛かっていただろう。
飛び交う殺人蜂を迎撃しながら、セルフィは必死に思考を巡らせる。
視線は絶えず戦場を観察し、状況の変化を追い続けていた。
「(僕達にとって、厄介なのは剛牙猪じゃない……! 個として強い相手より、群として襲って来る殺人蜂の方が遥かに危険だ!)」
剛牙猪は強力だ。
一撃一撃が致命傷になり得る。
しかし、それでも攻撃の軌道は読めるし、意識を向ければ回避や防御も可能だ。
だが、殺人蜂は違う。
数の暴力によって四方八方から同時に襲い掛かり、わずかな隙へ毒針を突き立ててくる。
一匹一匹は脆くとも、群れとしての脅威度が桁違いだった。
「(だからこそ、殺人蜂が剛牙猪へ意識を向けている今の内に、群れを全滅させる……! その後で剛牙猪を倒せれば、それが理想だッ!)」
だが、現実はそう簡単ではない。
殺人蜂のように個体耐久の低い敵には、広範囲魔法による殲滅が最も効果的だ――しかし、広範囲魔法には致命的な欠点がある。
発動までに大きな隙が生まれるのだ。
この密度の戦場で、その隙を晒すのは自殺行為に等しい。
そして何より――。
「(中途半端に魔法を使えば、殺人蜂にとって僕達の脅威度が剛牙猪を上回るッ! そうなれば、一斉にこっちへ標的を変えて来る……! やるなら、群れをまとめて消し飛ばすしかないッ!!)」
セルフィが歯を食いしばった、その直後だった。
統率を取り戻した殺人蜂の群れが、再び一斉に襲い掛かってくる。
空気を震わせる羽音が膨れ上がり、黒い濁流のような群れが押し寄せた。
同時に、二頭の剛牙猪もまた咆哮を上げながら動き出す。
巨獣の咆哮。
殺人蜂の羽音。
砕ける木々。
飛び散る鮮血。
あらゆる暴力が渦巻く混沌の戦場は、さらに激しさを増していくのだった。




