64.装備の更新④
――ブブブブブブブブブブブブブブッッッ!!!!
空気そのものが震えるような羽音。
増援として飛び出した殺人蜂たちは、もはや群れという規模を超えていた。
黒い濁流。
あるいは、生きた嵐。
それほどまでの数が二頭の剛牙猪へと一斉に襲い掛かる。
「「ブモォォォォォッ!!」」
だが、興奮状態に陥った剛牙猪たちは止まらない。
全身に殺人蜂がまとわりつこうが関係ないとばかりに突進し、巨木へと体当たりを叩き込む。
――ドゴォォォン!!
轟音。
その衝撃で、半壊状態だった巣が耐え切れず崩落した。
「「――――っ!!?」」
さらに、根元からへし折れた魔導樹が、周囲の枝葉や蔦を巻き込みながら轟音と共に倒れ込み、その巨体が別の巣へと激突した。
衝撃に耐えきれなかった巣の外殻が鈍い破砕音を響かせて砕け散り、中に蓄えられていた大量の蜜と、蠢く幼虫たちが地面へと滝のようにぶちまけられる。
甘ったるい蜜の匂いが一気に周囲へ広がり、その匂いに混じって羽音が怒気を孕んで膨れ上がった。
当然、その混乱の余波はセルフィ達にも及ぶ。
「やばいっ! こっちに来た!」
二頭の剛牙猪が暴れ回ったことで、殺人蜂達は周囲一帯を完全に敵と認識したのだろう。
縄張りへの侵入者を排除するため、警戒範囲を一気に広げた群れの一部が、同じ方向にいたセルフィ達へと襲い掛かって来た。
耳を劈くような羽音と共に、黒い影の群れが一直線に迫る。
一匹一匹が短剣のような毒針を突き出し、殺意を剥き出しにして突進してくる様は、まるで空を飛ぶ凶器の群れそのものだった。
「セルフィ! 撤退するかいッ!?」
「だめだッ! 殺人蜂の方が速いッ! しかも、巣を攻撃した相手には異常なまでに執着するッ! このまま逃げれば、村まで追ってくるッ! ここで倒しきるしかない!!」
飛来する殺人蜂を撃ち落としながら、二人は念話を使う余裕すらなく、反撃の合間に声を張り上げる。
幸いだったのは、群れの大半が暴れ狂う二頭の剛牙猪へと集中していたことだろう。
セルフィ達へ向かって来ているのはあくまで一部に過ぎない。
それでもなお、数十匹規模で迫り来る殺人蜂の群れは、一瞬たりとも油断できない脅威だった。
高速で飛び回る羽音が四方八方から響き、視界の至る所を黒と黄の影が埋め尽くしていく。
わずかに反応が遅れれば、その瞬間に毒針が肉へ突き立てられる。
セルフィ達は絶え間なく襲い掛かってくる殺人蜂を迎撃しながら、辛うじて包囲されるのを防いでいた。
そんな中、セルフィの戦い方を目にしたエルナが、驚いたように叫ぶ。
「てゆーかッ! セルフィ! 矢、撃たないのッ!?」
エルナの言葉通り、セルフィは一本たりとも矢を放っていなかった。
普段のように光魔法を併用した射撃ではなく、身体強化魔法によって底上げした膂力と反応速度だけで戦っている。
握り締めた弓をまるで棍棒のように振り回し、迫り来る殺人蜂を次々と叩き落としていた。
硬い外殻が砕け、潰された胴体が宙に飛び散る。
「この数が相手だとッ! すぐに矢が尽きるッ! 何より、矢を撃つ隙がない!!」
セルフィの言う通りだった。
視界を埋め尽くすほどの殺人蜂が絶え間なく突撃してくる状況では、弓を構え、狙いを定め、矢を放つという一連の動作そのものが致命的な隙になる。
たとえ一匹を正確に射抜けたとしても、その間に別方向から毒針を突き立てられれば終わりだ。
しかし、幸いにも殺人蜂自体の耐久力はそこまで高くない。
身体強化魔法によって強引に底上げされたセルフィの腕力なら、弓で殴りつけるだけでも十分な威力となる。
実際、振るわれた弓が命中する度に、殺人蜂の身体は外殻ごと引き裂かれ、地面へと叩き落とされていた。
殺人蜂の群れと戦う上で、最も警戒しなければならないのは麻痺毒だ。
一度でも毒針を受け、身体の自由を奪われれば終わる。
動けなくなった獲物へ群れが一斉に群がり、肉も骨も見分けがつかないほど喰い荒らされる。
この状況では、ほんの一瞬の硬直すら死に直結していた。
だが、この状況下でも守護獣達は混乱することなく、それぞれが主と共に生き残るための役割を果たしていた。
まず、アウレインは自身の体内で循環させた聖気を、核となる宝石を通してセルフィへと常時流し込み続けていた。
淡い光を帯びた聖気は薄い膜のようにセルフィの全身を覆い、傷を負った瞬間に即座に治癒を行う。
これは殺人蜂の最大の脅威である麻痺毒も例外ではない。
毒が身体へ回るよりも早く聖気が侵食を打ち消し、麻痺そのものを発症前に無効化していた。
もし、この支援がなければ、セルフィはとっくに動きを止められていただろう。
セルフィは身体強化した弓を振るい、アウレインは鋭く伸びた角で迎撃する。
一人と一頭は互いの死角を埋めるように動き、飛び込んで来る殺人蜂を次々と叩き落としていった。
一方、ヴォルグもまたアウレインとは別方向から主であるエルナを支援していた。
ヴォルグは自身と主人であるエルナの全身へ水を纏わせ、それを鎧のように展開している。
高速で流動する水膜は表面を絶えず循環し、薄いながらも確かな防御力を生み出していた。
この技は前回、炎や熱を遮断するために用いられていたものだ。
しかし今回は用途が異なる。
相手は鋭い毒針を持つ殺人蜂。
そのため、ヴォルグは水の層を通常よりも厚く展開し、物理的な防御性能を重視していた。
結果として、強力な顎による噛み付きまでは防げないものの、最も危険な毒針の攻撃は水膜によって弾かれ、容易には肉体へ届かなくなっていた。
針が水膜へ突き刺さる度に、水面が波打つように揺れ、鋭い衝撃音が連続して響く。
それでも毒針は皮膚まで届かず、エルナは辛うじて致命傷を防ぎ続けていた。
ヴァルガの場合、ヴォルグのように防御を重視するのではなく、全身へ炎の鎧を纏うことで殺人蜂へ対抗していた。
燃え盛る炎は鎧というよりも、獲物を拒絶する灼熱の障壁そのものだった。
揺らめく火炎がヴァルガの毛並みに沿って渦を巻き、その熱だけで周囲の空気を歪ませている。
当然ながら、物理的な防御力はほとんど存在しない。
強引に突破されれば、毒針も牙も普通に通ってしまう。
しかし、殺人蜂を相手にするならば、この戦法は極めて効果的だった。
なぜなら、殺人蜂達は攻撃するために接近した瞬間、自らの薄い羽へ炎を燃え移らせてしまうからだ。
わずかに火が触れただけで羽は瞬時に燃え上がり、飛行能力を失った殺人蜂が次々と地面へ墜落していく。
空中で火達磨となった個体すら存在し、羽音は断末魔のような甲高い音へ変わっていた。
結果として、ヴァルガへ接近した殺人蜂の多くは、攻撃を仕掛ける前に迎撃されていたのである。
二体の狼の守護獣は、それぞれ異なる方法で戦場を駆けていた。
ヴォルグは水の鎧で毒針を防ぎ、ヴァルガは炎で敵そのものを寄せ付けない。
対照的な防御を展開しながらも、二体は鋭い牙と爪を振るい、群がる殺人蜂を次々と切り裂き、叩き落としていった。
焼け焦げた羽の臭いと、潰れた外殻の破砕音が周囲へ広がる中、守護獣達はなおも一歩も退かずに戦い続ける。
そして、この場で最も多くの殺人蜂を倒していたのは――他でもないエルナだった。
迫り来る無数の殺人蜂を前にしてなお、彼女の表情に焦りはない。
耳障りな羽音が四方から押し寄せる中、エルナは冷静に、しかし一切の躊躇なく両手の双剣を振るっていた。
右から迫る一匹を斬り捨てた直後、身を捻って背後から飛び込んできた個体を回避し、その勢いのまま逆手の刃で別の一匹を切り裂く。
彼女は決してその場へ留まらない。
滑るような足運びで木々の間を駆け、回転するように身体を翻しながら斬撃を連続させる姿は、激しい戦闘の最中でありながら、どこか舞を踊っているかのような美しさすら感じさせた。
しかも、その動きは決して見栄えだけのものではない。
一つ一つの動作に無駄がなく、全てが「躱す」「斬る」「次へ移動する」という行為へ直結している。
殺人蜂の毒針は空を切り、牙は届かない。
逆に、エルナの間合いへ入り込んだ個体は、一瞬後には胴体を両断され、地面へ墜ちていた。
双剣が閃く度に、黒い外殻が断ち切られ、緑色の体液が宙へ飛び散る。
それでも殺人蜂は次々と押し寄せて来るが――エルナはそれを上回る速度で群れを斬り伏せていく。
殺人蜂の群れ。
暴走する二頭の剛牙猪。
そして、その狭間で戦い続けるセルフィ達。
怒号、羽音、木々の破砕音が入り乱れる混沌の戦場で、均衡していた状況が動き始める。




