62.装備の更新②
魔導樹が群生する地帯の一角。
巨大な巣の周囲では、数匹の殺人蜂が警戒するように飛び回っていた。
巣の内部では女王蜂が眠っている。
だからこそ、彼らは一瞬たりとも警戒を緩めない。複眼を絶えず動かし、周囲の気配へ神経を尖らせながら、侵入者の有無を確認し続けていた。
――その瞬間だった。
――ヒュッ!!
鋭く風を裂く音。
一筋の矢が森の奥から飛来し、一直線に巨大な巣へと突き進む。
そして次の瞬間、勢いそのままに巣へ深々と突き刺さった。
――ブブブブブブブブブブッ!!
直後、巣全体が震える。
巣穴という巣穴から、おびただしい数の殺人蜂が一斉に飛び出した。
その数は異常だった。
黒い群れは空を覆い尽くし、羽音は重低音のように森を震わせる。
遠目に見れば、それはもはや巨大な黒霧だった。
怒り狂った殺人蜂たちは、巣を攻撃した存在を探すため、周囲へ一斉に散開する。
だが、その最中――数匹の殺人蜂が遠方に異変を捉えた。
森の奥。
木々の隙間から、何かが動いている。
何事かと、殺人蜂たちの意識が一斉にそちらへ向けられる。
「――ッ!?」
その瞬間、群れの動きがわずかに鈍った。
遠方。
木々の合間を突き破るようにして、“何か”がこちらへ向かっていた。
しかも、それは遠距離にもかかわらず、はっきりと視認できるほど巨大だった。
地面を揺らし、木々を揺らしながら、一直線に巣へ迫ってくる。
――ドドドドドドドドドッ!!!
凄まじい轟音。
土煙を巻き上げながら迫るその存在は、まるで暴走する災害そのものだった。
殺人蜂たちは即座に反応する。
女王を守るため、数千匹単位の群れが一斉に飛び上がり、巨大な襲撃者へ殺到した。
黒い濁流のような群れが、その巨体を覆い隠していく。
だが――
「――ッ!」
「――ッッ!!」
止まらない。
数千匹もの殺人蜂が塊となったそれは、本来ならばその質量だけで外敵を押し返し、巣を守る盾となる。
だが――そんなものは関係ないとでも言うように、“それ”は群れごと真正面から踏み砕いていく。
無数の羽音が悲鳴のように響き、大量の殺人蜂が次々と地面へ叩き落とされた。
それも当然だった。
彼らの巣へ突撃している存在は、突進能力に特化した魔物として知られる鋼牙猪――そのさらに上位種。
中級魔物、“剛牙猪”だったのだから。
「ブモォォォォォォォォォッ!!!!」
咆哮が森を震わせる。
興奮状態に陥った剛牙猪は、もはや周囲など見えていない。
身体へ群がる殺人蜂を、装甲のように分厚い皮膚と鋼のごとき剛毛で押し潰しながら、一直線に突き進む。
「――ッ!」
「――ッッ!!」
殺人蜂たちは必死に迎撃を試みる。
だが、止まらない。
そして巨体は暴走する岩塊のような勢いのまま――
――ドオオォォォォォンッ!!!
地面を揺らすほどの轟音とともに、剛牙猪は巨大な巣へ真正面から激突した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
剛牙猪が殺人蜂の巣へ突っ込む、数分前。
セルフィとエルナは、巣から離れた森の一角で息を潜めていた。
二人の目的は、もともと装備更新用の素材として狙っていた剛牙猪。
だが今は、“狩る対象”ではない。
数万匹の殺人蜂に対抗するための、巨大な攻城兵器として利用するつもりだった。
≪――来た≫
セルフィが小さく念話を飛ばす。
現在、二人は低木の陰へ身を伏せ、気配を殺していた。
その視線の先。
森の奥から、巨大な影がゆっくりと姿を現す。
影の正体は剛牙猪だ。
体高だけでも五メートル近い巨体。
全身は黒褐色の剛毛に覆われ、盛り上がった筋肉が歩くたびにうねる。
そして何より目を引くのは、口元から突き出した四本の巨大な牙。
まるで攻城槍のように鋭く研ぎ上げられたそれは、一撃で大木すら貫けそうな迫力を放っていた。
剛牙猪は周囲を警戒するように鼻を鳴らしながら、ゆっくりと歩みを進める。
≪よし……餌に気づいたね≫
≪さすがセルフィ。まずは順調ってところかな≫
二人が事前に用意していた餌は、一部を地面へ埋める形で設置されていた。
剛牙猪は鼻先を動かして匂いを探り、警戒しながらも徐々に近づいていく。
そしてついに、その巨大な牙を揺らしながら、餌へとかぶりついた。
≪あの餌の中に、さっき言っていた木の実を仕込んだんだろう?≫
≪そうだよ。興奮作用の強い木の実でね。一度効果が回ると、見境なく周囲を襲うくらい理性を失うんだ≫
セルフィは、剛牙猪の様子を観察しながら説明を続ける。
≪匂いを嗅がせるだけでも多少の効果はあるんだけど、やっぱり直接食べさせたほうが効きがいいからね。すり潰して餌に混ぜておいたんだ≫
≪なるほど。それも狩人としての知識かい?≫
≪まぁね。本来は、興奮状態になった魔物に近づかないための知識なんだけど≫
そう話している間にも、剛牙猪の様子に徐々に変化が現れ始めていた。
餌を食べながら、落ち着きなく何度も首を振る。
さらに、前脚で地面を荒々しく掻き始め、鼻息も次第に荒くなっていく。
≪効いてきたね……≫
セルフィが小さく呟く。
剛牙猪はなおも餌を貪り続ける。
だが、時間が経つにつれ、その動きは明らかに荒々しさを増していった。
何度も鼻を鳴らし、低く唸る。
時折、何もない空間へ向かって威嚇するように牙を振り上げ、周囲へ苛立ちを撒き散らしていた。
そして――
「ブモォォォォォォッ……!!」
剛牙猪は興奮したように咆哮を上げ、地面を激しく踏み鳴らした。
≪よし……完全に興奮状態に入った!≫
≪行くよ!≫
セルフィがそう念話で告げると、近くに伏せていたアウレインへ素早く騎乗する。
同時に、エルナもヴァルガとヴォルグを連れて移動を開始し、その場から距離を取った。
そして――
セルフィは一本の矢を掲げたまま、剛牙猪の前へと躍り出る。
矢の先には、小さな布切れが固く結び付けられていた。
そこには、先ほど剛牙猪に食べさせた興奮作用のある木の実をすり潰した汁が、たっぷりと染み込ませてある。
セルフィは、剛牙猪へ見せつけるように大きく矢を振った。
次の瞬間――
「ブモォォォォォ――ッ!!」
剛牙猪が激昂した咆哮を上げる。
この木の実を摂取して興奮状態となった獲物は、同種の匂いに対して異常なほど敏感になる。
一度その匂いを認識すれば、理性を失ったまま本能的に追い続けるのだ。
まして、剛牙猪は嗅覚に優れた魔物。
匂いを捉えた瞬間、その巨体が爆発したように地面を蹴った。
――ドォォォンッ!!
轟音とともに土を巻き上げ、剛牙猪が一直線にセルフィへ襲い掛かる。
≪速っ……!≫
セルフィは思わず目を見開きながらも、すぐさまアウレインに合図を送る。
白銀の牡鹿は森の中を駆け抜けるように疾走し、その後方を剛牙猪が凄まじい勢いで追走した。
セルフィに誘導された剛牙猪は、そのまま木の実の匂いが染みついた布――それが結び付けられた矢を目指す。
こうして、セルフィたちは上手く剛牙猪と殺人蜂の群れをぶつけ合わせることに成功する。




