61.装備の更新①
≪あれが魔導樹……で、間違いない?≫
≪うん、間違いないよ≫
装備更新に必要な素材を集めるため、セルフィとエルナは大森林の奥地へ足を踏み入れていた。
目的は、杖の素材となる魔導樹の採取。
だが、目的地へ辿り着いた瞬間、エルナは思わず声を潜め――正確には、相手に気取られないよう念話で――セルフィへ確認を取った。
≪えっと……あれ、どうなってるの?≫
≪あれは、“殺人鉢”の巣だね≫
二人の視線の先には、確かに魔導樹が存在していた。
周囲の巨木にも引けを取らないほど立派な樹木。特徴的な赤みを帯びた樹皮を持つそれは、本来なら遠目にもすぐ判別できる存在だったのだろう。
だが今、その姿の大半は巨大な巣によって覆い尽くされていた。
幾重にも重なった巣は樹木そのものを飲み込むように張り付き、わずかな隙間から赤い樹皮が覗いているだけだ。
さらに周囲を見渡せば、同じように巣に覆われた魔導樹が数本点在していた。
そして、その巣の周囲では――人の頭ほどもある巨大な蜂が、不気味な羽音を響かせながら飛び回っていた。
≪殺人蜂は、魔力を豊富に含んだ樹液を求めて、魔導樹に好んで巣を作る習性があるんだ。だけど……ここまで巨大な巣は、僕も初めて見る。しかも、それが複数だ≫
≪どんな魔物なの? その殺人蜂って。特に戦闘面が知りたいかな≫
≪そうだね。一匹一匹は、下級魔物の中でもかなり弱い部類だよ。耐久力も低いから、フィリナ族でも素の身体能力だけで十分倒せるくらい≫
そう説明しながらも、遠目に殺人蜂の群れを観察するセルフィの表情は、わずかに強張っていた。
≪ただ、厄介なのは攻撃力と数だ≫
≪攻撃力?≫
≪まず注意すべきは、尾針の麻痺毒。あれは即効性が凄く高い。刺された瞬間、その場に崩れ落ちると思った方がいい。それに加えて、顎の力も異常なんだ。中級魔物の外皮ですら、平然と噛み千切る≫
セルフィが説明している最中だった。
森の奥から数匹の殺人蜂が姿を現し、低い羽音を響かせながら巣へ戻っていく。
その脚には、赤黒い肉塊が抱え込まれていた。
かろうじて獣だった名残が見えるそれは、すでに原形を失っている。
≪ほら……ああやって、麻痺させた獲物を噛み砕いて、巣へ運ぶんだ≫
≪うわぁ……≫
あまりにも凄惨な光景に、エルナは思わず顔をしかめた。
≪今のが、一匹の殺人蜂に対する注意点だね。とはいえ、彼らは基本的に集団行動を取る魔物なんだ≫
セルフィは視線を巣から逸らさぬまま、淡々と続ける。
≪さっき戻ってきた数匹みたいに、狩りへ出る時は小規模な群れだから、その脅威はまだ下級魔物の範疇に収まる。……けど≫
≪けど?≫
≪巣に危害を加えた相手に対しては、話が別だ。相手が何であろうと、その場にいる個体すべてが一斉に襲い掛かってくる。一つの巣につき、だいたい数百匹くらいは兵隊蜂がいるかな≫
≪刺された時点でほぼ終わりみたいな相手が、数百匹……。なるほど、確かに怖いね≫
エルナは冷や汗を浮かべながらも、どうにか平静を保つように頷いた。
だが、そんな彼女へ向けて、セルフィはさらに追い打ちをかけるように言葉を続ける。
≪ただ、今言ったのは“普通の巣”だった場合の話だよ≫
≪……うん?≫
≪あれだけ巨大な巣なら、十倍以上の数がいてもおかしくない。それに、ああして巣を複数に分けているのは、数が増えすぎた結果だと思う。つまり――≫
セルフィは巨大な巣群を見渡しながら、小さく息を吐いた。
≪全部の巣が、蜂で埋まっている可能性が高い。……全体なら、数万匹くらいはいるんじゃないかな≫
≪…………≫
想像を遥かに超える規模に、エルナの表情が引きつる。
もはや言葉すら出なかった。
あの巣群に近づくのは、あまりにも危険すぎる。
そう判断したセルフィとエルナは、一度その場から離れ、安全圏まで後退していた。
「それで、どうする? セルフィの言った通り、数万匹規模なら討伐は現実的じゃない。けど……あれって放置して大丈夫なのかい? 村への影響は?」
「うーん……今のところ、まだ村までは距離があるから問題ないと思う。でも、あの調子で群れが拡大していくなら、かなり危険だね」
セルフィは難しい顔で森の奥を見やる。
「殺人蜂って、幼虫の頃は樹液から作られる蜂蜜を食べるんだけど、成虫になると完全な肉食になるんだ。数が増えれば、それだけ獲物を求めて行動範囲も広がる」
「なら、やっぱり対処は必要だろうね……。でも、通常はあんな規模の群れにはならないんだろう? 何か原因に心当たりはないのかい?」
「うーん……」
エルナの問いに、セルフィは腕を組んで考え込む。
「実は、殺人蜂があそこまで数を増やせない理由って、天敵の存在なんだよね」
「天敵?」
「そう。“大魔熊”っていう中級魔物なんだけど、この魔物は殺人蜂の作る蜂蜜が大好物でね。定期的に巣を襲撃して、群れの数を減らしているんだ」
セルフィはそこで一度言葉を区切り、さらに続ける。
「しかも、大魔熊は殺人蜂の麻痺毒に完全耐性を持っている。それに、皮膚が異常に分厚いから、殺人蜂の顎でもまともに傷をつけられない」
「へぇ……そんな魔物もいるんだね。じゃあ、あそこまで群れが巨大化したのは、その大魔熊がいなくなったから?」
「多分ね。でも、大魔熊はかなり強力な魔物なんだ。中級の中でも上位に位置するくらいには強い。そんな魔物の数が減るなんて、普通じゃ考えにくいんだけど……」
そう言って首を傾げるセルフィ。
だが、その言葉を聞いたエルナには、一つだけ思い当たる原因があった。
「ねぇ、セルフィ。数か月前、この辺り一帯には不死族が溢れていたんだよね……? 原因って、それじゃないかな」
「あっ――」
エルナの言葉を聞いた瞬間、セルフィははっと目を見開いた。
旧フィリナ領を呑み込んでいた不死領域が飽和状態となり、不死族が周辺へ流出していることを確認してから、すでに一年近くが経っている。
実際に不死族が外へ溢れていた期間は三か月ほどだったが、その短期間だけでも周辺の生態系には深刻な影響が出ていた。
森では大量の魔物が殺され、縄張り争いの均衡は崩壊。村周辺の勢力図にまで変化が及ぶほどだったのだ。
「そうか……それで大魔熊の数が減ったのか」
セルフィは納得したように呟く。
「大魔熊なら、中級の不死族相手でも戦えただろう。でも、不死族を倒したとしても、瘴気までは防げない。戦闘で傷ついた状態で瘴気に晒されれば、その後に衰弱死していてもおかしくない」
そしてセルフィは、再び遠くの巨大な巣群へ視線を向ける。
「その一方で、殺人蜂は群れの魔物だ。数百匹単位で犠牲を出しても、群れ全体から見れば致命傷にはならない。結果として――」
「両者の均衡が崩れて、群れだけが一気に拡大した……ってことだね」
セルフィの言葉を引き継ぐように、エルナが静かに言った。
「……私たちが今の段階で気づけたのは、むしろ幸運だったのかもしれないね」
「まぁ、不死領域はもう攻略したんだ。大魔熊も全滅したわけじゃないだろうし、時間が経てば最終的には元の均衡に戻ると思う」
そう言いつつも、セルフィの表情には油断はなかった。
「ただ、それまでに群れがさらに拡大する可能性はある。だから、せめて今のうちに巣を半壊くらいまでは持っていきたいんだ」
「うん? 全滅させるんじゃなくて、半壊でいいのかい?」
「うん。殺人蜂には、巣が襲撃されて半壊以上の被害を受けた場合、別の場所へ巣を移す習性があるんだ」
「別の場所に?」
「そう。まぁ、襲撃者の大半は大魔熊なんだけどね。大魔熊も蜂蜜を定期的に確保したいから、巣を完全には壊さず、半壊くらいで済ませることが多いんだ」
セルフィはそう説明しながら、巨大な巣群へ視線を向ける。
「でも、殺人蜂からすれば、何度も襲撃され続けるのは危険だからね。だから、一定以上の被害を受けると、その場所を捨てて別の魔導樹へ移動するんだよ」
「何というか……。引っ越した殺人蜂を追って、大魔熊のほうも移動していきそうだね」
「実際そうだよ。魔導樹そのものは広範囲に生えているからね。殺人蜂も大魔熊も、特定の縄張りを持たず、餌場を追って移動しながら生活しているんだ。そして、この辺り以外に魔導樹が生息しているのは、森の奥地だけになるから、村からは離れる」
「……なるほど。殺人蜂については理解したよ」
エルナはそう言って、改めて遠方の巨大な巣を見据える。
「問題は、私たちがどうやって、あの巣を半壊まで持ち込むか……だね」
数万匹規模の殺人蜂。
真正面から挑めば、とてもではないが無事では済まない。
だからこそ、真正面から戦う以外の方法が必要だった。
そうして二人で頭を悩ませていた時、不意にセルフィが何かを思いついたように顔を上げた。
「――なら、こんなのはどう?」




