閑話8.王女の決意
エルフたちの住まう森――その中心に、世界樹はそびえ立っている。
光の粒子を纏い、静かに輝きを放つその神木を、ひとりの女性が見上げていた。
エルフの王女、ラフィリア=ユグドラシル。
本来であれば、信仰の象徴を仰ぐその眼差しは、敬虔さと安らぎに満ちているはずだった。
だが――
彼女の表情は、険しく強張っていた。
「姫様、いかがなされましたか」
「……エレン。あれが見える?」
「……?」
傍付きの侍女に問われ、ラフィリアは視線を逸らすことなく答えた。
エレンは怪訝に思いながらも、主の視線の先を追う。
最初は何も変わらぬように見えた――が、よく目を凝らした、そのとき。
異変に気づき、彼女は思わず息を呑む。
「まさか……枯れている?」
「ええ。ほんの一部だけれど――世界樹が、衰弱している」
エレンは、主人の言葉に息を失った。
世界樹が枯れる――それは、エルフにとって到底受け入れられない事態だった。
その起源は星の誕生とともにあると言っても過言ではなく、悠久の時の中で、一度たりとも枯れたことなどない。
だからこそ、目の前の光景が、夢か幻ではないかと疑ってしまう。
何度も瞬きを繰り返し、否定しようとする。
だが、それでも。
視界に映る世界樹は、何ひとつ変わらなかった。
「不死領域の影響が……これほどまでに?」
「八十年前から、年々、世界樹から採取される雫の量が落ちていっていたけれど……ついに、ここまで来てしまったのね」
ラフィリアは、痛ましさを滲ませた表情でそう語る。
それは他人事ではない。信仰の対象である世界樹の衰弱は、そのまま彼女自身の痛みでもあった。
「もう限界ね。あの不死領域は、一刻も早く攻略しなければならないわ。エレン、里の戦士たちの様子は?」
「……八十年前より攻略に向けて鍛錬を積んできております。士気も高く、かつての精鋭たちと比べても遜色ない者もおります」
そこでエレンは言葉を区切り、わずかに視線を伏せて続けた。
「ですが……やはり数が不足しております。最上級個体への対抗という点を除いても、不死領域内に存在する無数の不死族を相手取るには、不安が残るかと」
「……焦って動けば、八十年前の二の舞になるだけ。――でも、このまま待つには、時間がない」
そこでラフィリアは、自身の考えを整理するかのように、わずかに沈黙した。
やがて静かに顔を上げる。
「……人魚族に協力を要請しましょう」
「――っ!」
その言葉に、エレンは息を呑んだ。
まさか、他種族の力を借りるという決断が下されるとは、思いもしていなかったのだ。
「姫様! それは――」
「落ち着きなさい。あなたの言いたいことは分かるわ。他種族に助力を求めれば、見返りとして世界樹の素材を要求される可能性が高い――という事でしょう?」
エレンを制しながら、ラフィリアは淡々と続ける。
「歴史を振り返っても、他種族に世界樹の素材が渡った例は、数えるほどしかない。だからこそ、彼らにとって世界樹は“伝説”に過ぎないの」
「そこに実物の素材が流れれば――それを巡って無用な争いが起きるでしょう。一度でも外へ渡れば、伝説は現実となり、この地へと侵攻を試みる者も現れる」
ラフィリアは、自らの提案が招きうる未来を、感情を抑えた声音で語る。
「それでも、すでに世界樹が枯れ始めている以上、これは未曽有の危機よ。私たちは、選ばなければならない。そして――」
そこで一度言葉を切り、ラフィリアはまっすぐに前を見据えた。
「――不死領域の攻略には、私も参加する」
「――なっ! お待ちください、それはなりません! 姫様の身にもしものことがあれば……っ!」
「世界樹の一大事に、王族がのんきに座していては、戦士たちも安心できないでしょう。それに――最近、弟も生まれた。ならば、今この場において最も軽いのは、私の命よ」
ラフィリアは淡々と言い切り、そしてふと微笑んだ。
「それに……私の強さは知っているでしょう? 英雄の妹として、不足はないわ」
そう告げる瞳は鋭く、揺るぎない覚悟を宿している。
その眼差しに射抜かれ、エレンは思わず息を呑み、静かに頭を垂れた。
「……承知いたしました。その際は、わたくしもお供いたします」
「……分かったわ。あなたの忠義、ありがたく受け取るわ」
エレンの言葉に、ラフィリアはわずかに苦笑を浮かべて応じる。
そして再び、世界樹を見上げた。
「必ず――やり遂げてみせる」




