54.旧フィリナ領の解放
「ルシウス!」
崩れ落ちていく死殻を横目に、セルフィはルシウスのもとへと駆け寄る。
その姿を目にした瞬間、状況の深刻さが一目で伝わった。
全身は瘴気に侵され、皮膚のあちこちが裂け、血が滲み出ている。
呼吸も荒く、立っていること自体が辛うじてといった様子だった。
相棒であるアルファも同様に傷を負い、翼を落としかけながら苦しげに唸っている。
セルフィはすぐさま膝をつき、治癒のための聖気を引き出す。
淡い光が掌に灯り、傷口へと流し込まれていった。
アウレインも同様にアルファの治療を開始する。
「ふぅ……助かる。さすがにきつかったからな」
「クゥアア」
「いや、その傷でよく動けたね」
セルフィが半ば呆れたように言うと、遅れてエルナが戦場の向こうから合流する。
「エルナもお疲れ様。最後の一撃、見事だったね」
「ふふっ、私だけの力じゃないさ。誰か一人でも欠けていたら、勝てなかったよ」
「……そうか。僕ら、勝ったんだね」
思わず、言葉が零れる。
死殻はあまりにも強大で――セルフィは未だに、勝利の実感が伴っていなかった。
「実感が湧かないかい? 私も同じだよ。本当なら叫んで勝鬨を上げたいところだけど……ルシウスの治療が終わり次第、すぐに廃坑へ戻ろう。そろそろ耐瘴薬の効果が切れる」
「そうだね。ここは瘴気が濃すぎる」
エルナの言葉に、セルフィは静かに頷いた。
ここは不死領域の中心部――領域内でも、最も瘴気の濃い場所だ。
今は耐瘴薬の効果と死闘の余韻による高揚で意識の外に追いやられているが、空気そのものが侵食してくるような不快感は確かに存在している。
瘴気を浄化できるアウレインがいるとはいえ、この環境に長く留まるのは危険だった。
「もう大丈夫だよ」
「助かった。ありがとう、セルフィ、アウレイン」
「クゥアア」
「……よし、さっそくだけど移動しよう」
治療を終えたルシウスがゆっくりと立ち上がる。
まだ万全とは言えないものの、その足取りには確かな力が戻っていた。
それを確認すると、セルフィたちはすぐに廃坑へ向けて移動を開始する。
不死領域内には、もはや不死族は存在せず、彼らの邪魔をするものはいない。
「そういえば、不死領域が消えるまで、どのくらいかかるんだい?」
「ああ、この規模だと……およそ二~三週間といったところだろうな」
「……今さらだけど、どうして不死領域内の不死族を殲滅すると、不死領域が消滅するの?」
道すがら、エルナとルシウスの会話に割って入るように、セルフィが問いを投げかけた。
「ああ、そういえば説明していなかったな」
軽く息をつき、ルシウスが口を開く。
「そもそも、不死領域は魔境とは成り立ちが違う。魔境が地脈から噴き出す魔力によって維持されるのに対し、不死領域は、ただ大量の瘴気が滞留しているだけの現象だ。本来なら、地表に留まり続けることはできない」
「……そうなの?」
「ああ。放っておけば、周囲へ拡散していき、そのまま自然に薄れて消える」
ルシウスは前方へ視線を向けたまま、淡々と続ける。
「だが、それを留めている要因が不死族だ。あいつらは瘴気と強く結びついた存在でありながら、同時に“質量を持つ肉体”を有している。そのため、いわば錘のように働き、周囲の瘴気を地表へ縫い止めているのさ」
「なるほど……だから不死族を殲滅すれば――」
「錘が失われ、瘴気は拡散に転じる。不死領域は維持できず、やがて消滅するというわけだ」
セルフィの言葉を引き取り、ルシウスが簡潔に結論をまとめる。
「ただし、完全に消えるまでの間は油断できない。残留した瘴気から新たな個体が発生する可能性があるからな。定期的に見回って、その都度討伐する必要がある」
「……なるほど」
理解を深めたセルフィが小さく頷いた、そのとき――
「……お、見えてきたよ」
エルナが前方を指差す。
視界の先、岩肌に口を開けた暗い坑道が姿を現していた。
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セルフィたちは拠点としている廃坑へと帰還し、三人は作戦会議にも使っていた大きな天幕の中で、ようやく腰を落ち着けていた。
「なんだか、ここに戻ってくるとすごくほっとするね」
「僕も。数日ここで暮らしているせいか、もはや自宅みたいな安心感があるよ」
「お前らな……」
テーブルに突っ伏して気を抜くセルフィとエルナを見て、ルシウスは呆れたように息を吐いた。
「はぁ……気持ちは分かるが、少しだけ聞いてくれ」
いつになく改まった声音に、二人は顔を上げ、姿勢を正して向き直る。
「今回の任務は、不死領域内に存在するすべての不死族の殲滅、そして主であった上級個体の討伐――いずれも極めて困難なものだった。失敗すれば、死人が出ても何ら不思議ではない」
そこで一度言葉を切り、ルシウスは静かに二人を見据える。
「だが、誰一人欠けることなく、俺たちはそれを成し遂げた」
短く、しかし確かな実感を込めて続ける。
「これは紛れもなく、偉業と呼ぶに値する功績だ」
そこでルシウスは言葉を切ると、セルフィとエルナへとしっかり顔を向けた。
そして――滅多に見せることのない、柔らかな微笑みを浮かべる。
「二人とも、本当によく頑張ったな。――これで、俺たちの故郷は解放された」
その言葉を耳にした瞬間、セルフィの胸の奥から、何かが込み上げてきた。
静かに、だが確かに、ルシウスの言葉が心の深い場所へと染み込んでいく。
――そして、ようやく実感する。
自分たちは、勝ったのだと。
――八十年間、後悔だけを抱えてきた。
同胞を置いて逃げることしかできなかった悔しさ。
友の最期を看取ることすら叶わなかった悲しみ。
どれほど鍛錬を重ね、技を磨こうとも、届かない現実に打ちのめされ続けた日々。
だが――
故郷は、解放された。
何もできなかった自分が、守護獣という相棒を得て、
本来なら歯が立たないはずの不死族と戦い、
そしてついには、あの見上げるほど巨大な上級個体すら討ち果たした。
後悔を抱えながらも、それでも諦めず、必死に足掻き続けてきた時間は――
決して、無駄ではなかったのだ。
その事実をようやく受け止めたとき、セルフィの視界が滲んだ。
気づけば、頬を伝って涙が零れ落ちている。
「ああ……良かった」
「本当に、あきらめ……なくて、よかった……っ」
「……セルフィ」
声を詰まらせるセルフィを、エルナがそっと抱き寄せる。
包み込むように腕を回し、その身体を優しく支えた。
その表情はどこまでも穏やかで、深い慈しみに満ちている。
「お疲れ様、セルフィ。……本当によく頑張ったね」




