52.上級④
先に動いたのは死殻だった。
口元から伸びる複数の触手が、上空を飛行するルシウスたちの方向へと向けられる。
次の瞬間、それぞれの先端へ周囲の瘴気が引き寄せられるように収束し始めた。
凝縮は一瞬で完了し、圧縮された瘴気は間を置くことなく、一直線にルシウスとアルファへ向けて放たれる。
「――っ、アルファ!」
「クゥアア!!」
ルシウスの呼びかけに応じ、アルファが鋭く鳴き声を上げる。
迫り来る瘴気弾に対し、アルファはその卓越した機動力を発揮した。翼を大きく打ち振るいながら高度を急変させ、上昇、急降下、旋回、さらには身体を捻るようなロールを織り交ぜて空域を駆ける。
連続して放たれる瘴気弾は、その軌道をかすめるばかりで、決定的な一撃を捉えるには至らない。
だが――
――ドドドドドドドッ!!!!!
「――っ!」
攻撃は止まらない。途切れることなく撃ち出される瘴気弾は、むしろその密度を増し、間断なく空域を埋め尽くしていく。狙いは一貫してルシウスとアルファの位置へと収束し、回避の余地を削り取るように圧し掛かった。
単なる連射ではない。触手は休止することなく次弾を形成し続け、機構的に供給される瘴気弾が連続的に射出されている。まるで命中するまで終わらないと言うように、その猛攻は延々と続いた。
それでも――ルシウスは動じない。
迫り来る弾幕を正面から見据え、怯むことなく杖を死殻へと向ける。呼吸を整え、意識を一点に収束させると、次の一手として魔力を練り上げ、魔法の発動へと移行した。
「引風球 (シル・ム・レイ)!」
ルシウスの放った魔法は、圧縮された風の球体となって空中に静止する。
死殻はそれを意に介さず、変わらずにルシウスとアルファの位置へ向けて瘴気弾を連続射出した――が、その瞬間、瘴気弾の挙動に異変が生じる。
ルシウスたちへと収束していた瘴気弾の軌道が、突如として歪んだ。次の瞬間、それらは引き寄せられるように一斉に風球へと向きを変え、殺到する。
――ガガガガガガガガ!!!!!
風球は周囲の空気を吸引し、強力な流入を生み出していた。瘴気弾はその流れに捕捉され、次々と引き込まれていく。密集した瘴気弾同士は内部で激しく衝突し、互いに削り合いながら相殺されていった。
連続する衝突音と衝撃が空間を震わせ、瘴気弾は風球の内部で次々と消失していく。
「アルファ!!」
「クゥアア!!」
瘴気弾の弾幕が風球によって処理されたことで、空域にわずかな空白が生まれる。その一瞬の間隙を逃さず、ルシウスはアルファへ鋭く呼びかけた。
呼応したアルファは、翼を大きく打ち下ろすと同時に身体を反転させ、急降下へ移行する。落下の勢いをそのまま推進力へ転換し、地面すれすれで起こすと、今度は地表と平行に、矢のような速度で死殻へと突進した。
「ギィィィィィ――!!!」
挙動の変化に対し、死殻は一瞬反応が遅れる。触手の射出動作から近接迎撃への切り替えが追いつかず、それでも反射的に脚を振り上げ、一直線に接近するアルファへと叩きつける。
「クゥアア――ッ!!」
振り下ろされる脚に対し、アルファは咆哮とともに翼を強く羽ばたかせる。さらに風属性の魔法を重ね、気流を強制的に加速させることで瞬間的に推進力を引き上げた。
加速したことにより、迫りくる脚を掻い潜り、鋭く内側へと潜り込む。
風を切り裂きながら、アルファはそのまま死殻の懐へと肉薄していく。
そして――
「クゥアア!!」
「ギィィィ!!」
死殻の懐へと潜り込んだ直後、アルファは翼を大きく打ち下ろし、その反動を利用して一気に上昇へ転じる。
急激な軌道変化により、死殻の死角へと滑り込み、そのまま頭部――残された片眼へ向けて、鋭い鉤爪を備えた脚を突き出した。
だが、接触の直前、死殻が頭部をわずかに傾け、直撃を避ける。アルファの鉤爪は狙った目を捉えきれず、硬質な甲殻の表面を激しく引き裂くにとどまる。甲殻を削る耳障りな音が響き、破片が散った。
「避けられたか……先程のセルフィの一撃で警戒されたか?」
「クゥアア」
攻撃が逸れた事実を受け、ルシウスは状況を冷静に分析する。残された片眼を破壊できていれば戦況は大きく傾いていたはずだが、すでに頭部への攻撃に対して警戒が強まっている以上、同様の手段が通用する可能性は低い。
とはいえ――死殻の意識は完全に上空へと集中していた。
エルナの治療が完了するまでの時間を稼ぐという目的においては、それで十分だった。
「風球」
ルシウスが魔法を発動すると、上空に無数の風球が浮かび上がる。ひとつひとつが渦を巻きながら風を圧縮し、周囲の気流を乱しつつ、死殻の視線を上空に引き寄せた。
「悪いが……まだまだ付き合ってもらうぞ」
「ギィィィィィ――!!!」
ルシウスの声に応じるかのように、死殻が咆哮を轟かせる。直後、風球の群れが一斉に軌道を変え、死殻へと殺到するように放たれた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ルシウスたちが死殻を引き付けている間、セルフィたちはエルナの治療に全力を注いでいた。
治療は、聖気を扱うことのできるアウレインとセルフィが分担して行っている。
とはいえ、魔法による治癒は極めて繊細な作業であり、わずかな制御の乱れがかえって患者を傷つけかねない。
とりわけ瘴気の除去は難度が高く、誤れば余計に身体への負担が増しかねないため、その処理はアウレインが担っていた。一方、セルフィは外傷――とくに頭部からの出血を抑えるため、止血と組織修復に意識を集中させている。
その周囲では、ヴァルガとヴォルグがエルナたちを庇うように位置取り、常に死殻の動向を警戒していた。視線は戦場の中心から一瞬たりとも逸らされず、いつでも迎撃へ移れる体勢を維持している。
仮に死殻が標的をルシウスからこちらへと切り替えた場合、両者は即座に介入し、囮として敵の注意を引き剥がす手筈となっていた。
「――よし、これで治療はおおよそ完了だね」
「クルルルゥ」
左手で弓を握り、そこに嵌め込まれた核の宝石から聖気を引き出し、右手を患部へと当てて治療を続けていたセルフィは、ひとつ深く息を吐いた。それに呼応するように、右手から溢れていた淡い光も静かに収束していく。
「エルナ、無事かい? 僕の声は聞こえてる?」
「……大丈夫。ちゃんと聞こえているよ」
呼びかけに応じて、エルナはかすかに目を開きながら言葉を返した。先ほどまでの朦朧とした様子は薄れ、視線には徐々に焦点が戻りつつある。
どうやら、意識は安定してきているようだった。
「よかった。結構危ないところだったよ」
「ふふっ、心配をかけてしまったね。治療してくれてありがとう、二人とも。ヴァルガとヴォルグも、心配かけたね」
エルナが目を覚ましたことで、周囲を警戒していた二体の守護獣も安堵するように頭を寄せた。
「……それで、状況は?」
「今はルシウスが死殻を引き付けている。でも、彼も重傷だ。あまり時間はない」
「そうか……。撤退するにも、相手の機動力を削げていない以上、背を向けるのは危険だろう。それに――」
遠方で交戦を続ける死殻とルシウスたちへ視線を向けながら、エルナは一瞬言葉を切る。次の瞬間、その口元に浮かんだのは、戦意を隠そうともしない鋭い笑みだった。
「やられっぱなしは、趣味じゃない」




