51.上級③
「くっ!」
全身から悲鳴のように訴えかける痛みを押し殺し、セルフィは歯を食いしばって立ち上がる。爆風に叩きつけられながらも手放さなかった弓を握り直すと、そのまま死殻へ向かって駆け出した。
死殻はすでに倒れ伏すエルナのもとへ到達している。ゆっくりと脚を振り上げ、その一撃で確実に仕留めようとするかのように狙いを定めた――その瞬間、セルフィが射程圏内へと踏み込む。
「光縛帯!!」
弓に矢を番えたまま、セルフィは拘束の光魔法を発動する。
矢の先端から眩い光が迸り、瞬く間に帯状へと形を変えたそれがセルフィの左腕へと巻き付き、強固な結びとなって固定される。
そのまま弦を引き絞り、解き放つ。
放たれた矢は一直線に死殻へと飛翔し、それに繋がる光の帯もまた尾を引くように伸びていく。光はしなやかな鞭のように空間を裂きながら、狙い違わず振り上げられた脚へと突き刺さった。
「よしっ!」
命中と同時に、セルフィは左腕に巻き付く帯へ力を込める。応じるように光の帯は一気に収縮し、強引に距離を引き寄せた。
次の瞬間、セルフィの身体は地面を離れ、宙へと引き上げられる。光に導かれるまま、そのまま死殻へと一直線に飛び込んでいった。
「ぐっ!」
縛り付けられた左腕が、軋むような音を立てて悲鳴を上げる。骨がきしむ感覚に顔を歪めながらも、セルフィはその痛みを意識の外へ押しやった。
死殻との距離が十分に詰まった瞬間、迷いなく魔法を解除する。左腕に巻き付いていた光の帯が霧散し、支えを失った身体はそのまま空中へと投げ出された。
だが、それこそが狙いだった。
引き寄せられた勢いのまま、セルフィの身体は死殻の目前――ほとんど触れられる距離にまで肉薄している。
そして――
「光球!」
至近距離から解き放たれた光の魔法。
矢は眩い尾を引きながら閃光と化し、逃げ場のない距離で死殻へと突き刺さる。
「ギィィッ!!」
迫る気配に気づいた死殻が、直前で身を捩って回避を試みる。だが、至近距離から放たれた一撃を完全に避け切ることは叶わない。
閃光と化した矢は頭部を掠めるようにして突き刺さり、甲殻を抉りながらそのまま片目へと直撃した。
威力を上げた光球であっても、その分厚い肉体を消滅させるには至らなかったが、脆弱な視覚器官には十分すぎる威力だった。
光が弾けると同時に、片目が内部から焼き潰される。
「ギイイィィィ――!!!!!」
視界の半分を一瞬で奪われた死殻は、混乱に身を震わせる。巨体がぐらりと揺れ、まるで足元を失ったかのように大きく体勢を崩した。
「う……くっ!」
飛んできた勢いのまま、セルフィの身体は慣性に引かれて死殻の脇をすり抜け、そのまま落下へと移る。空中で歯を食いしばりながら即座に身体強化の魔法を発動し、全身の耐久力を底上げすると、姿勢を強引に立て直した。
次の瞬間、両足から地面へと叩きつけるように着地する。
しかし、落下の勢いは殺しきれず、靴底が地面を抉り、土と砂を巻き上げながら前方へと滑走する。膝を折り、上体を低く保ちながら必死に重心を制御し、転倒だけは免れる。
――そのとき。
「――アウレイン!!」
呼応するように、相棒の守護獣が疾風のごとく駆け込んできた。セルフィの進行線を横切るように滑り込み、その背を差し出す。
セルフィは一瞬の好機を逃さず、滑走の勢いを利用して跳び上がり、そのままアウレインの背へと飛び移った。体勢を崩すことなく、見事に騎乗を立て直す。
直後――
「うわっ!!」
背後から迫った死殻の脚が、つい先ほどまでセルフィがいた地面を凄まじい勢いで打ち砕いた。土塊が爆ぜ、破片が雨のように飛び散る。
あと一瞬遅れていれば、串刺しは免れなかっただろう。
「ふぅ……ありがとう、アウレイン」
「クルルルゥ」
礼を告げるセルフィに応えるように、アウレインは喉を鳴らし、どこか誇らしげに声を返した。
「ギイイィィィ――!!!」
背後から死殻が咆哮とともに襲い掛かる。巨体を揺らしながら距離を詰め、何度も脚を振り下ろした。鋭い脚先が地面を穿ち、土砂と破片を激しく跳ね上げるたび、重い衝撃が周囲を揺らす。
串刺しにせんと繰り出される猛攻――だが、その軌道は明らかに乱れていた。片目を潰されたことで距離感を見失っているのか、振り下ろされる脚はセルフィたちの位置から大きく逸れ、空を切るばかりで決定打には至らない。
アウレインはそれを見逃さず、しなやかな脚捌きで無駄なく軌道を外し続ける。踏み込みと同時に方向を変え、最小限の動きで攻撃圏から離脱していく。
そして――
「旋風刃!!」
突如として巻き起こった巨大な竜巻が、死殻の巨体を丸ごと呑み込み、視界から覆い隠した。
唸りを上げる風の奔流の内側では、無数に生成された風刃が絶え間なく甲殻へと叩きつけられ、硬質な外殻を削るような甲高い衝突音が連続して響く。
「ルシウス!!」
それを放ったのは、戦線へと復帰したルシウスだった。
だが、その姿は決して無事とは言い難い。瘴気の侵蝕により、露出した肌の一部は黒く変色し、口元からは血が伝っている。顔色は青白く、生気は薄く、今にも崩れ落ちそうな危うさがあった。
ルシウスを背に乗せるアルファもまた同様に消耗しており、荒い呼吸を繰り返しながら、大きく翼を羽ばたかせて辛うじてその身を空中に留めていた。
それでも――
ルシウスとアルファ、両者の瞳には確かな光が宿っていた。揺らぐことのない強い意志が、竜巻の向こうにいる死殻を真っ直ぐに射抜いている。
≪セルフィ、こいつは俺が引き受ける! 今のうちにエルナを治療しろ!≫
≪――っ、了解!≫
ルシウスの指示に、セルフィは一瞬だけ言葉を失う。胸の奥に焦りと躊躇がせめぎ合うが、それでも即座に判断を下した。
ルシウスの身も案じずにはいられない。だが、未だ戦線に復帰できないエルナの容態は、それ以上に深刻だ。治療を施せるのはアウレインのみ――であれば、死殻を引きつける役を担う者が必要になる。
その役を、ルシウスが引き受けたのだ。
セルフィは歯を食いしばると、迷いを振り切るようにアウレインへ指示を送り、即座に駆け出させる。白き守護獣は地を蹴り、一直線にエルナのもとへと疾走した。
「エルナ!!」
「ぐっ……ごほっ!」
エルナのもとへと駆けつけたセルフィだったが、その容態はルシウス以上に深刻だった。
死殻の一撃を至近距離で受けた影響は大きく、瘴気による侵蝕だけでなく、衝撃波による外傷も重なっている。
肌の各所は黒く変色し、呼吸は浅く乱れ、口元からは血が滲んでいた。さらに、頭部を強く打ったのか、額からは止めどなく血が流れ落ち、焦点の定まらない瞳がわずかに揺れている。
意識はほとんど保たれておらず、今にも途切れかねない危うさだった。
「――っ、アウレイン!」
セルフィは迷うことなく声を張り上げ、即座に治癒を指示する。アウレインは静かにエルナの傍へと歩み寄り、その身体へと顔を寄せた。
次の瞬間、淡い光の粒子が周囲に浮かび上がり、ゆっくりと収束していく。柔らかな光はやがて層となり、エルナの全身を優しく包み込んだ。荒れた呼吸を鎮めるように、温もりを帯びた光が静かに脈打つ。
一方、死殻を足止めしようと戦線に残ったルシウスの側でも、状況に変化が生じていた。
ゴウゴウと唸りを上げていた竜巻の内側から、突如として二本の細長い脚が突き出る。風刃の渦をものともせず、それらは竜巻を押し裂くように動くと、次の瞬間――死殻の巨体そのものが姿を現した。
死殻もまた無傷ではない。
竜巻内部で無数の刃に刻まれたのか、その身体の至るところに鋭い裂傷が走り、硬質な甲殻にも幾重もの傷が刻まれていた。
だが――それらはあくまで表層を削ったに過ぎない。致命には程遠く、巨体は揺らぐことなく地を踏みしめ、確実な足取りでルシウスへと距離を詰めてくる。
「さぁ、来てみろ……化け物め」
「ギイイィィィ――!!!!」
挑発とも受け取れるその言葉に応じるかのように、死殻は咆哮を轟かせた。瘴気を孕んだ声が大気を震わせ、次なる衝突を予感させる。




