5.英雄との出会い
ひと昔前まで、フィリナ族というのは、非常に立場が低かった。
今でこそ、その清廉さが広く知られるようになったが、当時は心視石の力が「相手の心を読む能力」であるという誤解が広まっていた。
そのため、心を読まれるという嫌悪感から迫害されるか、あるいは野心を満たすための道具として権力者たちに狙われた。戦闘能力がないことも相まって、そうした動きに拍車がかかるのに時間はかからなかった。
戦えない以上、逃げることしかできなかったフィリナ族は、一族で身を寄せ合いながら大陸中を転々とした。
見つかっては捕らえられ、逃げては追われ――最後に辿り着いたのが大森林だった。過酷な環境が天然の要塞となっていたその地は、しかし同時に、その過酷さ故にフィリナ族も長くはもたなかった。
そんな折、彼らはエルフ族と出会う。
当時、フィリナ狩りに加担していなかったエルフ族の王はフィリナ族の境遇に心を痛めた。
そして、極限の中でも決して誰一人裏切る事なく生き続けたその清廉さに感服し、保護を決断したのである。
一時の安寧を得た後、エルフ王はフィリナ族が自らの力で立場を確立できるよう、心視石の力を活かす道を考えた。
それこそが――“扱いの難しい魔物と共存し、上質な素材を供給する”という方法だった。この試みは見事に成功し、希少な素材が安定して得られるようになったことで、フィリナ族は他種族に対して確かな地位を築いた。
以来、エルフ族とフィリナ族は深い友好関係を保ち続けることとなる。
特産品の取引をはじめ、外敵からの護衛として一部のエルフがフィリナ領に常駐するなど、両者の絆は強く結ばれていた。
ある時、フィリナ領で祭りが催され、交流の一環としてエルフの王族が招かれることになった。その中には、王族でありながら“英雄”とまで称えられるほどの実力と功績を持つエルフもいた。
僕がその英雄――ルフェイル様と初めて出会ったのも、この日のことだった。
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「うーん……。
全然うまくいかないな」
僕はその日、一人で弓の練習をしていた。
二十メートルほど先に置かれた的を見据え、弦を引き絞って矢を放つ。
矢は風を切って飛び、見事に的には命中した。
だが、その位置は中心から大きく外れている。
弓を手に取るようになってから、もう数年になる。
それでも思うように上達せず、胸の奥に小さな苛立ちが積もっていくのを感じていた。
「……ん?」
ふと背中に突き刺さるような視線を感じ、そちらへ振り向く。
そこには、一人のエルフの男性が、物音ひとつ立てずに立っていた。
今日の祭りには、エルフ領からも多くの客が訪れている。
その中の一人だろうと思いかけたが――彼の瞳が、王族の証とされる蒼い色を宿していることに気づき、僕は息を呑んだ。
「ああ、ごめんね。邪魔をしてしまった」
「いえ、こちらこそ挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません。
ルフェイル様でいらっしゃいますでしょうか。
本日はこの村までお越しいただき、誠に光栄です」
そう言って、僕は迷いなくその場に膝をついた。
フィリナ族とエルフ族は、数百年にわたり友好関係を保ってきた。それでもなお、僕らにとって彼らが恩人であるという事実は揺るがない。
まして目の前にいるのは王族――しかも英雄と称えられる人物だ。
無礼を働く選択肢など、最初から存在しなかった。
「いやいや、こちらが勝手に見ていただけだからね。
顔を上げてくれよ。誇り高く生きる君たちに、頭を下げられるのは、どうにも居心地が悪い」
「……寛大なお言葉、痛み入ります」
「ところで、今していたのは弓の練習だよね?
なんだか悩んでいたようだけど、どうしたんだい?」
「あ、いえ。私事ですので……お気になさらず」
「いいからいいから。これでも弓は得意でね、きっと良い助言ができると思うよ?」
「え……と、実は、狙いに対して――」
「ああ、それはね――」
そうして、気がつけば英雄ルフェイルから弓の指導を受ける流れになっていた。
押し切られた、というのが正直なところだが、心視石を通して伝わってくる感情は、妙に弾んでいる。
「と、もうこんな時間か。
名残惜しいけど、今日はここまでだね」
「続きはまた明日」と軽やかに言い残し、去っていく背中を見送りながら、僕は首を傾げた。
指導そのものを楽しんでいるようにも見えない。かといって、祭りが好きというわけでもなさそうだ。
英雄の機嫌――その理由が分からないまま、翌日を迎えた。
そしてこの日もまた、彼は当然のように弓の指導に現れた。
ルフェイル様の指導は驚くほど分かりやすく、伸び悩んでいた日々が嘘のように、弓の腕は目に見えて上達していった。
一日中行動を共にするうちに、過剰な緊張も消え、今では雑談を交わせるほどには慣れている。
「では、世界樹の素材というのは、魔力を活性化させ、魔法の威力を高める効果があるのですね」
「そう。正確には、世界樹から発生する“聖気”の作用だけどね」
「聖気というのは、私たちが当たり前に使っている魔力とは別の力だ。
魔力を活性化させたり、生命を回復させたりする性質を持っている。
聖気で強化された魔力で放つ魔法は、段違いの威力になるし、怪我人に用いれば致命傷であっても回復させられる」
「そして聖気は、この世界でただ一つ――世界樹だけが生み出せる力なんだ」
「だからこそ、世界樹の素材は非常に価値が高い。
枝から作った杖は強力な魔法の媒体となり、葉を煎じればあらゆる病を癒す万能薬に。雫を飲めば寿命を延ばすことすら可能だ」
ルフェイル様はそこで一度言葉を切ると、手にしていた身の丈ほどの杖を、まるで貸し出す道具のような気軽さでこちらに差し出してきた。
「ちなみに、それが世界樹の杖だよ」
一瞬、何を渡されたのか理解できなかった。
だが、目の前に超貴重品が差し出されていると気づき、思わず体が硬直した。
「ああ、それと先端の宝石は世界樹の琥珀なんだ。
数十万年に一度しか採取できないもので、世界にこれ一つしかない」
息が止まる、という表現は誇張ではなかった。
「琥珀にはね、他の素材にはない特徴がある」
僕の混乱など気にも留めず、ルフェイル様は淡々と説明を続ける。
「自身の魔力を馴染ませることで、聖気そのものを操れるようになるんだ。
魔法の威力を高めるのも、怪我を回復させるのも、身体能力を強化させることも自由自在。さらに、聖気を収束させて相手にぶつければ、攻撃として使うことさえできる」
楽しそうに説明しているルフェイル様の言葉は、どこか遠くで響いているようにしか聞こえなかった。
僕はただ、手の中にある――世界で最も価値のある杖を、うっかり取り落とさないよう、全神経を指先に集中させることしかできなかった。
こうして、ある意味で心臓に悪い日々を終えて、あっという間に祭りの最終日となった。この日は弓の指導はなく、ルフェイル様に挨拶だけをする予定であった。
ちょうどいい機会だったので、ずっと気になっていた疑問を聞いてみることにした。
「セルフィを気にかけた理由?」
「はい。一村人である僕に対して、どうしてそこまで気にかけてくださるのか、疑問に思い……よろしければ教えていただけませんか?」
「なるほどね。
まぁ、最初は特に理由はなかったよ。散歩している時に、熱心に弓の練習をしているから声をかけただけだし。
途中からは、教えたことをポンポン吸収して、自分の力にしていくから、教えるのが楽しくなった」
「まぁ、でも一番の理由は――君が変わり者だからかな」
「変わり者…ですか?」
「うん。私はフィリナ族が大好きでね、誠実な人柄とそれを貫く高潔な生き方は本当に尊敬している。ここ十数年は忙しかったけど、こういった祭りには必ず参加していた」
「だから、多くのフィリナ族を見てきた中で、君の特異さがよく分かった。
なんというか……君は、良い意味で“我儘”なんだよね」
「わ、我儘……?」
「良い意味で、ね」
ルフェイル様はそう前置きしてから、穏やかな目でこちらを見る。
「フィリナ族はね、他人の感情が読める分、どうしても自分の想いより、相手の想いを優先してしまうんだ。
だから助け合いが当たり前で――それ自体は、とても美しい」
「でも…その反面、前に出ることを躊躇ってしまう。
積極的な行動を起こせず、いつも半歩だけ下がってしまうんだ」
「その点、君は誠実さを失わずに、自分の想いを貫ける。
それができる人間は、案外少ないんだよ」
「……」
「結構大事なんだ。こういう“最初の一歩”を踏み出せる資質っていうのは。
君は、人の上に立つ器を持っているかもしれないね」
心底楽しそうにそう言って、ルフェイル様はエルフ領へと帰っていった。
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祭りが終わり、穏やかな日常が戻ってきた。
それでも、あの日を境に変わったものがある。
ルフェイル様とは手紙を交わす関係となり、こちらへ足を運ぶ際には、ついでに弓の稽古に付き合ってくれていた。
そんな日々が、何事もなく数年続いた。
そして――
何の前触れもなく、“その日”は訪れた。




