35.新たな戦術(セルフィ)
喰裂猿との戦闘を終えてから、十日ほどが過ぎた。
セルフィはアウレインを連れ、再びあの戦闘が行われた場所まで足を運んでいた。あの時と同じ森のはずなのに、妙に静かに感じるのは喰裂猿が居なくなったからだろうか。
「さて、上位種は出てくるかな?」
「クルル」
今回この場所を訪れた目的は、大きく分けて二つある。
一つ目は、前回の戦いで確認できなかった、喰裂猿たちの上位種を調べることだ。
あの時、喰裂猿は百体以上の群れで襲い掛かってきた。これほどの規模の群れである以上、それを統率する個体が存在する筈だ。
喰裂猿の上位種は中級の魔物に分類される。単純な膂力だけでなく、群れを統率するだけの知性も備えている存在。
おそらく、自身と同格の守護獣が四体もいたため、正面からは出てこず、配下を嗾けて戦力を測っていたのだろう。
縄張りに踏み込まれた挙句、配下を殺され、撤退を余儀なくされたのだ。
ならば、今頃相当怒っているはずだ。
その状態で、今度は少数でこの場所に姿を見せれば――
「クォン」
「うん、こっちでも確認したよ」
――何かに反応するように、アウレインが顔を上げる。
遅れて、セルフィの心視石にも反応が走った。
次の瞬間。
「ゴォアアアアアア!!!!」
空気そのものを揺るがすような咆哮が、森を震わる。
葉がざわめき、枝が揺れ、鼓膜を打つ衝撃が肌を刺す。
視線を上げた先。
枝を軋ませながら掴み、幹に爪を食い込ませた巨大な大猿――喰裂猿の上位種、群裂主が、こちらを鋭く睨みつけていた。
群裂主が姿を現したのと同時に、周囲の木々の上から気配が増える。気づけば、いつの間にか喰裂猿の群れがセルフィたちを取り囲んでいた。
どうやら、群裂主の威嚇でこちらの意識を引きつけ、その間に配下を展開させたらしい。
「よっぽど僕らを殺したいようだね。奇襲するよりも、周囲を囲んで逃がさないことを優先している」
こうなっては逃げる事はできないだろう。だが、それはセルフィにとっても好都合だ。
村の近くに、これほどの魔物が縄張りを作っているのは危険と判断していた。
なにより、ここに来た目的の一つ。
それは、先日の戦いで明らかになった、魔法を使う際に生じる致命的な隙――それを克服することだ。
この十日間、セルフィは何度も試した。失敗もした。だが、形にはなった。
その成果を、ここで試す。
セルフィは静かに息を整え、背負っていた弓を構えた。
「ゴガァアアアアア!!!!」
群裂主が咆哮を上げた瞬間、配下の喰裂猿たちが一斉に腕を振り上げる。
次の瞬間、無数の石礫が唸りを上げてセルフィとアウレインへと降り注ぐ。
同時にセルフィはアウレインへ飛びついた。
背に跨った瞬間、彼は地を蹴る。爆ぜるような加速で、その場を駆け抜ける。
一瞬前までセルフィらが立っていた空間を、石が叩き潰した。
それを横目に、セルフィはアウレインの背から周囲を見渡す。
一定の距離を保ったまま、包囲を崩さない陣形。どうやら逃走経路を限定し、追い詰めるつもりのようだ。
――と、セルフィが分析を巡らせた、その瞬間。
――ゴウッ!!
「――アウレイン!!」
「クルゥ!!」
それまでの石礫とは比べものにならない巨石が、空気を裂いて迫る。
唸りを上げるその質量は、直撃すればひとたまりもない。
セルフィは咄嗟に指示を飛ばす。
アウレインは即座に地を蹴り、体を大きく傾けて軌道を外す。
背後で巨石が地面を抉り、土と木片が爆ぜた。
その衝撃を背に受けながら、巨石が飛来した方向へ視線を向ける。
やはり――群裂主だ。
腕を振り下ろした姿勢のまま、こちらを見下ろし、口元を歪めている。
「ゴォア!!」
一声吼えたかと思うと、群裂主は近くの大木へと跳んだ。
――速い。
巨体が宙を裂き、枝を軋ませながら一瞬で位置を変える。
喰裂猿の三倍近い体躯にもかかわらず、その速度は通常個体と遜色ない。
いや、それ以上かもしれない。
どうやら配下の投石でセルフィたちを追い込み、動きを制限したところで、自らの剛腕で仕留める算段のようだ。
「ふぅー……」
肺の奥に溜まった空気を、ゆっくりと吐き出す。
揺れる視界の中で、意識だけを静める。
アウレインの背に揺られながら、弓を構えた。
群裂主は大木の幹を盾にし、枝を足場に位置を変え続けている。
通常の矢では、あの皮膚は貫けない。
慣れない魔法では、動きを捉えることすら難しいだろう。
――だが、問題ない。
狙いを定めると、番えた矢の先が眩く輝き始める。
そして――
「シッ!!」
鋭く息を吐くと同時に、矢を放った。
矢は残光を引きながら一直線に森の奥へと駆ける。
針の穴に糸を通すように、幾重もの大木の幹と枝の隙間を縫い、素早く移動する群裂主へと迫り――
「――ッ!! ゴォアアアア!!!!」
その肩に矢が突き立った瞬間、光が弾ける。
爆ぜるように膨れ上がったそれは、巨大な光へと変じた。
それは、紛れもなく光魔法の基本技――光球だった。
「ガァ……アッ!!」
群裂主は顔を苦しげに歪め、肩を押さえた。
毛皮は焦げ、裂けた肉が露出している。傷口からは白煙が立ちのぼり、血がぽたりと滴り落ちた。
「よしっ、上手くいった!」
一方のセルフィは、思わず声を上げる。
そう――この弓と魔法の組み合わせこそ。
未熟な魔法しか扱えないセルフィが、戦闘に魔法を織り込むための答えだった。
魔法を戦闘で扱えない原因は、単純に制御能力の不足だ。
一刻も早く制御能力を高め、実戦で使えるようにするしかない――セルフィはそう思っていた。
しかし、いくら気合を入れようと、地力というものは一日二日で伸びるものではない。
制御能力を高めるには、日々鍛え、積み重ねていくしかなかった。
――だからこそ、逆転の発想だった。
制御能力が足りない。
鍛える時間もない。
ならば能力を伸ばすのではなく――
今の制御能力で扱える形に、魔法のほうを削ればいい。
そこでセルフィは、杖に埋め込まれていた核の宝石を、弓の持ち手へと移した。
こうすることで、弓を構えたまま聖気を引き出せる。
本来、光魔法の工程はこうだ。
光球を生み出す。
圧縮を維持する。
目標を定める。
そして、発射。
だが弓を組み合わせれば――
矢の先の鏃、そこに聖気を圧縮する、それだけでいい。
無から光球を生み出すよりも、鏃という“器”を使うほうが遥かに容易い。
狙いも、弓に慣れたセルフィなら感覚的に合わせられる。
結果、制御に割く負担は大幅に減った。
杖で光球を生成するには数秒かかるが、鏃に光を宿すだけなら、一秒もかからない。
――そして今。
光魔法を弓の精度で撃てることが、この戦場で証明された。
「喰裂猿に光球を当てたときは、その部分が消滅した。でも今は、体表を削るだけ……」
群裂主の肩を見る。
「弓を使ったことで、魔法の威力が落ちたわけじゃない。単に――中級の皮膚が硬いってことか」
「それでも、十分通るから問題ない」
そう言って口角を上げるセルフィに、群裂主は忌々しげに睨み返す。
怒りに任せて突っ込んでくる――そう思ったが。
「――ん?」
どうやら冷静さは失っていないらしい。
ボスが手傷を負ったことで混乱していた配下を一喝で鎮めると、再び包囲を固め始めた。
やがて投石が再開される。
だが――
「――おっと!」
今回は、それだけではない。
石礫に紛れ、少なくない数の喰裂猿が一斉に飛びかかってきた。
アウレインが軽やかに地を蹴る。
危なげなく躱すと同時に弓を引き――連続で光球を放つ。
閃光が走り、飛びかかった喰裂猿たちを次々と撃ち落としていく。
「これは……なるほど、厄介だな。矢が尽きるまで待つつもりか」
おそらく、矢が有限であることに気づいたのだ。
配下に攻めさせ、こちらに撃たせ続ける。
矢が尽きた瞬間を狙って仕留めるつもりだろう。
「さっきの一撃で警戒させたか」
群裂主は深く大木の陰に身を隠し、こちらを窺っている。これでは直接狙えない。
魔物の中でも群裂主は知恵が回ると聞いていたが――どうやら本当らしい。
「アウレインっ!」
「クォン!」
声をかけると同時に、アウレインが加速する。
投石と喰裂猿を躱しながら、森の中を疾走する。
焦らずに、飛びかかってくる喰裂猿の動きを見極める。
そして――数体の身体が一直線に重なった、その瞬間。
「――ここっ!」
――貫光球。
放たれた矢は一体目を撃ち抜き、勢いを殺すことなく貫通。
さらに背後の喰裂猿を、次々と串刺しにしていく。
六体。
一直線に並んだ猿たちは、そのまま地に崩れ落ちた。
「キィィ!!」
「ホワッ!!」
一度に仲間を失い、喰裂猿たちが動揺する。
その隙をセルフィは逃さない。
さらに一射。
そして、矢を放つと同時に手綱を引き、反転。
アウレインが地を蹴り加速――今度はセルフィから群裂主へと迫る。
「ッ!! ゴァアアア!!」
自身へ迫る影に、群裂主の目がわずかに揺らぐ。
だが次の瞬間、咆哮を上げ――迎え撃つように飛びかかった。
その刹那。
――ドスッ!!
「――ガッ!?」
突然、横から飛んできた矢が、群裂主の脇腹に突き刺さる。
何が起きたのか、それを群裂主が理解するより早く――
――ドォンッ!!!!
「グガアアアアアァッ!!」
炸裂した光球が、空中で爆ぜた。
大きく弾き飛ばされた群裂主を追って、アウレインが駆ける。
――先程の矢は、反転する直前にセルフィが撃ったものだ。
光を宿した矢は、魔法と同じように軌道を変えることができる。
光球のように折れ曲がるような急激な変更はできないが、曲線を描くような軌道でなら操ることが可能だ。
魔法と組み合わせることで、弓の戦術が一気に広がった。
そしてもう一つ――そこにアウレインの機動力を加えることができる。
――タタン。
鹿の特徴の一つに、悪路への強さが挙げられる。
驚異的な脚力と優れたバランス感覚、さらに天然のクライミングシューズのような蹄の構造により、彼らは地面を選ばない。
――タッタッ
足場の悪い森を駆けるのはもちろん、ほぼ垂直に近い斜面でさえ踏破できる。
それは単なる走破性に留まらない――三次元的な機動力だ。
――タンッ!
軽快な足音とともに、アウレインが大木を駆け上がる。
幹を蹴り、空へと跳ねた。
吹き飛ばされた群裂主へ追いつき――その頭上を取る。
「ゴ……ガァ!」
目を見開き、驚愕を露わにする群裂主。
咄嗟に身をよじるが、空中では身動きがとれない。
そして――
「――貫光球!」
放たれた矢は、迷いなく群裂主の胸を穿つ。
拳大の風穴が開き、血飛沫とともに光が背後へ抜けた。
――ドスンッ
巨体が地面に叩きつけられる。
遅れて、アウレインも着地した。
「「キキィーー!!!!」」
群れの主を失い、喰裂猿たちは統制を失ったように散り散りに逃げていく。
統率者を欠いた群れは脆い。これで、少なくともこの一帯は安全になるだろう。
「ふぅーっ」
肩の力を抜き、深く息を吐く。
すると、アウレインが傍へ寄ってきて、セルフィへ頭を押しつけてきた。
「クルルゥ」
「おっと、ははっ。お疲れ様、アウレイン」
戦闘中とは打って変わって、甘えるような仕草だ。
その首筋を撫でながら、今しがたの戦いを振り返る。
魔法を弓に組み込み、機動力と掛け合わせる。
その戦術は、十分に実用に耐えると証明できた。
――こうして、新たな戦術は、確かな成果を得たのだった。




