32.実践練習
ルシウスから魔法の講義を受けてから、数日が経った。
それぞれが自主練習を重ね、魔法の扱いにも少しずつ慣れ始めた頃、セルフィは再びルシウスの家を訪れていた。
今朝、自宅でアウレインと戯れていると、不意にルシウスから念話が届いた。昼頃に家へ集まるように、という簡潔な連絡だった。
そうして招かれてやって来た先では、すでにエルナが椅子に腰掛け、湯気の立つ茶器を手にくつろいでいた。
どうやら彼女も、セルフィと同じようにルシウスに呼ばれたらしい。
室内には落ち着いた茶の香りが漂い、窓から差し込む昼の光が静かに床を照らしている。
セルフィが椅子に腰を下ろし、差し出されたお茶に口をつける。温かさが喉を通り過ぎるのを感じながら、向かいに立つルシウスへと視線を向けた。
「それで、今日は何の集まり?」
「ああ、よく来てくれたな。実は、お前たちに提案があってな」
「提案?」
「うむ。だが、その前に――お前たちは、どの程度魔法に慣れた?」
ルシウスの問いかけに、セルフィとエルナは思わず顔を見合わせた。
互いに「どう答えるべきか」と探るような、短い沈黙が落ちる。
「まぁ、多少慣れた程度かな。工夫の仕方も、少しずつコツを掴んできたし」
セルフィは自分でもまだ手探りだという自覚があり、言葉の最後は少しだけ曖昧になる。
「そうだね。私も同じようなものだよ」
エルナも小さく頷きながら答えた。
「ふむ……そうか」
セルフィたちの答えを聞き、ルシウスは顎に手を当てて、しばし考え込むような仕草を見せた。だが、すぐに顔を上げると、そのまま話を続ける。
「提案というのは、魔法の実践練習をしてみないか?――というものだ」
「「っ!!」」
ルシウスの言葉に、セルフィとエルナは同時に目を見開いた。
ようやく扱いに慣れてきたばかりだというのに、もう実践の話が出るとは思っていなかったからだ。
なにせ、セルフィの魔法行使にはいくつか重大な欠点がある。そのことを本人が最もよく理解しているがゆえに、今の状態で実践に臨むことには気が進まなかった。
エルナも同じなのだろう。普段の落ち着いた様子とは異なり、わずかに気配が揺れているのが、心視石を通して伝わってきていた。
「えー……と、正直、実践はまだ早いと思っているんだけど」
「そうだね。まだ魔法に触れてから数日しか経っていない。実践で通用するとは思えないな」
セルフィとエルナの否定的な言葉に、ルシウスは予想していたと言わんばかりに、ゆっくりと頷いた。
「うむ。なにも魔法だけで戦うというわけではない。というより、魔法の実践練習はついでだ」
「ついで?」
セルフィは思わず聞き返した。実践が“ついで”と言われるとは思っていなかったのだ。
「ああ。今回の主目的は、守護獣の戦闘だ」
「ああ……」
その言葉に、セルフィは思わず納得の声を漏らした。
もともと守護獣たちは、魔力体という脆弱な姿では危険だという理由で、実戦経験を積ませていなかった。
そして三か月の時を経て、ようやく受肉体を得たかと思えば、今度は核の宝石が誕生し、その対応に追われる日々が続いていた。
そう考えると、守護獣たちが本格的な戦闘を経験する機会は、これまで一度もなかったことになる。
言われてみれば――たしかに、守護獣の実戦はやっておきたいところだった。
「なるほど。守護獣たちが戦っている横で、ついでに僕らの魔法も試してみよう……ということだね」
「そういうことだ」
「うーん。でも、魔法のことはあと回しでもいいんじゃないかい? まずは守護獣たちに実戦経験を積ませることに集中して、私たちの魔法は、もう少し慣れてきてからでもいいと思うけど……」
エルナの言うことはもっともだった。
守護獣の戦闘と魔法の実践を同時に行う必要はない。むしろ、それぞれを切り分けて行ったほうが、危険は少なくなるはずだった。
「まぁ、普通ならそうなんだが……」
エルナの言葉に、ルシウスは少し言いづらそうに口を開いた。
「正直、魔法を実戦レベルまで鍛えるには、数年はかかる。本来なら、それでも問題はない。だが、旧フィリナ領の不死領域が飽和状態になっていることを考えると、そこまで待つ時間がないのだ」
「あー……」
セルフィは思わず声を漏らした。
すでに飽和状態が三か月以上も続いている。今この瞬間も、不死族が森の奥からあふれ出しているのだと考えると、確かに悠長に構えている余裕はなかった。
「でも、それならもう魔法の戦闘は一旦諦めるしかないんじゃ……。結局、魔法の習得が間に合わないって話だよね?」
「いや。不死領域の攻略に魔法は必須だ。守護獣たちの等級はそれぞれ中級――強力な戦力ではあるが、これだけで攻略するのは、さすがに難しいだろう」
「なるほど。魔法の習得には時間がかかる。だが、不死領域の攻略には魔法が必須……だからこそ、少しでも多く実戦を経験して習得を早めようということかい?」
「まぁ、そうだ。正直、それでも間に合わんと思っている。だからこそ、純粋な魔法使いを目指すのではなく、何らかの工夫が必要だと考えているが……それを見極めるにも実戦は必要だろう」
「工夫……かぁ」
純粋な魔法使いを目指すのではなく、戦闘の中に魔法を組み込む形にする――セルフィにはいくつか思い当たることがあったが、それが本当に通用するのかを確かめるには、やはり実戦が必要だった。
「そうだね。確かに早いうちに実戦は必要かも」
そう言いながらセルフィがエルナの方へ視線を向けると、彼女も静かに頷いた。
多少慣れた程度の魔法で実戦を行う理由には納得できたが、それでも胸の奥に残る不安までは消えなかった。
「まぁ、そんなに不安に思うこともないだろう。今の状況は、決して悪いことばかりではない」
「? どういうことだい?」
ルシウスの言葉に、エルナは首を傾げた。
「実は近頃、村の近くで魔物たちの妙な動きがあってな。その対応を守護獣たちとともに行うつもりなんだが……セルフィ、お前なら聞いているだろう?」
「ああ、うん。本来ならもう少し森の奥地に生息している魔物が、近頃は周辺でも姿を見せるようになったんだよ」
「そうなのかい?」
セルフィの言葉に、エルナは驚いたように目を見開いた。
セルフィはそれに一つ頷き、続きを話す。
「最近見かけるようになったのは、喰裂猿だね。この魔物は単体なら下級に位置するんだけど、群れの規模によって脅威度が大きく変わるんだ。百体を超える規模になると、中級の魔物を狩ることもある」
「なるほど。結構怖そうな相手に聞こえるけど、百匹の群れでも中級相当なら、守護獣が四体そろっていれば問題ないのか」
「そうだね。まぁ、こいつらの群れのボスとして上位種がいるかもしれないけど、それでも中級相当だから、よほど状況が悪くならない限りは大丈夫かな」
「そうだ。だからこそ、魔法の実戦練習もできると言える」
「確かに。多少失敗しても戦力が覆るほどの差じゃないから、今の状態でも試せるのか」
基本的に、戦場での失敗はそのまま死に繋がる。
だからこそ、魔法という慣れない武器を抱えたまま戦闘に臨むことには抵抗があった。だが、相手の強さとこちらの戦力を冷静に比べてみれば、ある程度の余裕があるのも事実だった。
もちろん油断はできない。それでも、失敗を許される戦場など滅多に存在しない。
ならば、この貴重な機会に少しでも経験を積み、成長の糧にするのは悪くなかった。
「分かった。喰裂猿の調査と討伐、やってみよう」
「そうだね。話を聞く限り、本当に悪くなさそうだ。それなら私も問題ないよ」
セルフィとエルナの肯定に、ルシウスは満足そうに頷いた。
「よし。なら今日は準備に専念して、明日の朝、村の入り口で集合だ」
こうして、セルフィたちの魔法による実戦デビューが決まった。
胸の奥に残るわずかな不安と、それ以上の高揚を抱えながら、セルフィは静かに拳を握りしめた。




