閑話1.族長の決断
<三人称視点>
「……邪魔するぞ」
「おお! 待っていたぞ!」
ある夜のこと。
フィリナ族の族長ソレインは、幼馴染である狩人ヨルシカを家に招いていた。
ヨルシカが手土産に持ってきた魚の干物を火で軽く炙り、それを肴に酒を酌み交わす。
香ばしい匂いが部屋に広がり、二人の酒席はあっという間に始まった。
しばらくは取り留めのない話で盛り上がっていたが、やがてヨルシカが今夜招かれた理由を尋ねる。
「……それで、今日は何の用だったのだ?」
「おお! いや実はだな、昨夜セルフィから相談を受けたのだ!」
「……相談?」
「うむ!」
そこで彼はセルフィに相談された内容を、ヨルシカに話して聞かせた。
話を聞いていたヨルシカは酒杯を置き、難しい顔になる。
「……世界樹の琥珀を守護獣に、か」
「面白い話だろう! 相談された時は思わず笑ってしまったぞ!」
「……ふむ。お前のことだから許可を出したのだろう?」
「当然だ! 若者が無茶を承知で願っていることだ! ならば族長の私が背中を押さねばなるまい!」
「……止めるのも族長の役目だと思うが……まぁ、お前らしい話か」
「わはははは!」
豪快に笑う親友の姿に呆れながら、ヨルシカは小さく息を吐いた。
「……しかし、世界樹の琥珀はエルフ族にとって重要な意味を持つ。
仲間の遺灰を届ける恩を加味しても、絶対に揉めるぞ」
「分かっているさ! 私にも考えがある!」
「……考え?」
「うむ! 世界樹の琥珀がエルフ族にとって、それも王家にとって重要な物ならば――当然、こちらからも相応の物を差し出す必要があるだろう!」
「……まさか」
ソレインの言おうとしていることに気づき、ヨルシカは思わず声を漏らした。
何故なら、世界樹の琥珀に釣り合う物など、一つしかないからだ。
「そうだ! 我らが代々受け継いできた一族の秘宝を差し出そう!」
「――っ!?」
ソレインの宣言に、ヨルシカは思わず絶句した。
しかしそんな彼をよそに、ソレインは自室へと入る。
やがて床下に隠してあった厳重な箱を抱えて戻ってきた。
そして丁寧な手つきで箱の封を解く。
次の瞬間、箱の中に収められていたそれが姿を現した。
――それは、真紅に輝く巨大な宝石だった。
拳ほどもある結晶は、深い赤色を湛えながら内部で炎のような光を揺らしている。
磨き上げられた面は酒席の灯りを受けて鋭く煌めき、卓や壁に淡い赤い光を散らしていた。
「これが、フィリナ族の秘宝――レッド・ダイヤモンドだ」
「……これが」
秘宝と呼ばれるだけあって、この宝石の存在を知る者はほとんどいない。
代々、族長となった者が先代から受け継いできた一族の宝である。
かつてのフィリナ狩りの過酷な旅路の中でも、そして八十年前の襲撃の際にも、この秘宝は守り抜かれてきた。
ヨルシカも話だけは聞いていたが、実物を見るのはこれが初めてだった。
宝石に詳しいわけでもなく、興味を持っている訳でもない彼だったが、それでもその輝きの価値は否応なく理解できた。
一目見た瞬間、視線を奪われる。
知識も興味も関係なく、ただそれだけで人の心を掴んでしまう――そんな美しさがそこにはあった。
「このレッド・ダイヤモンドは、世界で最も希少な宝石と呼ばれていてな。
歴史を振り返っても、発見例はほんの僅かしかない」
いつになく静かなソレインの言葉に、ヨルシカも黙って聞き入っていた。
「特に、手のひらほどもある大きさのものとなれば、過去に見つかったどのレッド・ダイヤモンドとも比べ物にならん」
「存在そのものが奇跡とされ、もはや伝説の域にある宝石だ。その価値は計り知れない」
「――だからこそ、この秘宝ならば世界樹の琥珀の代わりになり得る」
「……なるほど」
ヨルシカはようやく言葉を返した。
だが、その胸の内はまだ整理がついていない。
レッド・ダイヤモンドの美しさと、その秘宝を手放すという決断の重さに、心が追いついていなかった。
「……確かに、これならエルフ王も納得するかもしれん……だが、いいのか? 代々受け継いできた秘宝を手放すことになるぞ」
ヨルシカの疑問に、ソレインはにんまりと笑った。
「かまわんさ! 秘宝というのは、この宝石を指すのではない!」
そう言って、卓の上の赤い宝石を指で軽く叩く。
「子供たちが笑って暮らせる未来こそが――我らが守るべき真の秘宝だ!」
「ご先祖様たちも、この使い方に文句など言うまいさ!」
まるで彼の言葉に応えるかのように、
卓の上のレッド・ダイヤモンドが、酒の灯りを受けて静かに赤く輝いていた。




