23.遭遇戦④
「ふぅー…」
骨刃人の動きに注意を払いながら、油断なく弓を構える。
その最中、背中の痛みがじくじくと自己主張を始めてきた。
傷自体は、そこまで深くはない。
だが、骨刃人の爪でつけられた傷には、瘴気が入り込む。
耐瘴薬は事前に服用しているが、あれはあくまで耐性を得るためのものだ。
瘴気の影響を無効化できるわけではない。これ以上の攻撃を受ければ、耐性を超える危険がある。
――あまり時間はかけられないな。
そう判断した、その瞬間。
目の前の骨刃人が、低く唸るような声を漏らし、地を蹴った。
「ガアアア!!!」
「ふっ!」
先程から変わらない、大振りの突撃。
一撃でも食らえば終わる攻撃に対して、僕は落ち着いて矢を放つ。
矢は、こちらに向かって突進してくる骨刃人の肩へと正確に突き立った。
身長差もあり、下から突き上げるような角度になったことで、骨刃人の身体が一瞬宙に浮く。
突撃の勢いが削がれたその隙を逃さず、相手から視線を切らないまま、余裕をもって回避した。
横を通り抜けざま、無防備にこちらへ向けた背中へと、間を置かずに次の矢を放つ。
ひび割れていた甲殻を砕き、矢はそのまま貫通した。
――やはり、甲殻さえ砕ければ、その下の皮膚は問題なく貫ける。
おそらく、普段は硬い甲殻に守られているため、鋼牙猪の皮膚よりは柔らかいのだろう。
問題は、急所となる頭と心臓――それらを覆う甲殻に、未だひび一つ入っていないことだ。
この状態では、いくら狙っても矢は通らない。
「ガアアア!!」
咆哮とともに、骨刃人が再び突進してくる。
僕は先程と同じ動きでそれをかわし、すれ違いざまに追撃に移った。
放った矢は二本。
一本は脚の関節を狙い、もう一本は腕を貫いて、脇腹へと縫い留めるように命中する。
どちらも動きを封じるための一撃だった。
だが、骨刃人は意にも介さず、力任せに身体を動かす。
きしむ音とともに、突き立っていた矢は耐えきれずに折れた。
簡単にはいかないことは、もう十分に分かっている。
だからこそ、今度はこちらから仕掛けた。
「シッ!」
一射目。
こちらを正面から捉えた骨刃人の鳩尾へと、矢を叩き込む。
突き立った衝撃で、甲殻に走っていた僅かなひび割れが、一気に裂けて大きな亀裂へと変わった。
続く二射目。
狙いは、骨刃人の左脇腹だ。
そこに刻まれていた小さな傷をなぞるように、亀裂はさらに広がっていく。
次の矢を放つ前に、突進してくる骨刃人へ、こちらから駆け出した。
距離が一気に詰まり、互いの間隔がゼロになる瞬間、振り下ろされる爪を紙一重でかわす。
そのまま相手の股下へ滑り込みながら、矢を放った。
三射目。
狙いは、心臓部の真下――甲殻の縁に走るひび割れだ。
矢は、その裂け目に噛み合うように突き立ち、下から強い力を叩き込む。
一射目、二射目で広がっていた亀裂が、悲鳴を上げるようにさらに裂けた。
そして――
「ガァア!!」
バキンッ、という乾いた音とともに、胸の甲殻が耐えきれずに割れ、剥ぎ取られるように弾け飛んだ。
これで、骨刃人の急所は完全に晒され――
「ハッ!」
――渾身の一射が、振り向きざまの骨刃人の胸を貫き、その心臓を正確に射抜いた。
「ガ…ァ…」
骨刃人は力を失ったように膝から崩れ、抵抗することもなく、そのままうつ伏せに倒れた。
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「……はぁ」
僕は倒れた骨刃人から視線を切らさぬまま、胸の奥に溜まっていた息を吐き出す。
作戦を開始してから――特に受肉体が現れた瞬間から、ずっと気が張り詰めていた。
どれか一手でも誤っていれば、この場に立っているのは僕ではなかっただろう。
そう思った途端、今更ながら肝が冷え、背中に遅れて寒気が走る。
とにかく、これからのことを考えないといけない。
背中の傷は浅いとはいえ、血はまだ止まっていなかった。
迅脚鳥も失ってしまった以上、この状況での移動には大きな危険が伴う。
急いでエルナと合流し、手当と移動をしないと。
――そこまで思考を巡らせた、その時だった。
視線の先で、倒れ伏していたはずの骨刃人の腕が、微かにピクリと動く。
次の瞬間――
「ガアアアアアアア!!!!!」
口から血と咆哮を撒き散らしながら、骨刃人は無理やり身体を起こし、こちらへと迫ってきた。
心臓を射抜かれてなお、その執着は終わらない。
目の前にいる生者を殺すまで、決して止まらない。
ここまでくると、もはや生物と呼べるのかも怪しい。
その歪な在り方に、本来なら身がすくむはずだった。
だが――骨刃人が再び動き出した瞬間に、僕の身体もすでに反応していた。
急所を貫かれても立ち上がると分かっていたわけではない。
それでも、最悪の事態を想定して、戦闘の組み立てだけは頭の中で終えていた。
念のために残しておいた最後の矢。
それを限界まで引き絞り、骨刃人へ――ではなく、視線の先にある崖の上方へと放つ。
今、骨刃人が立っているのは、まさに僕らが落ちてきた地点。
落下の衝撃で脆くなり、いまだ崩れかけている崖の真下だった。
放たれた矢は、その崖を辛うじて支えていた岩を正確に射抜く。
そして――
「~~~~~ッ!!!!!!」
骨刃人の悲鳴は、崩れ落ちる岩の衝撃と轟音に飲み込まれた。
大地が揺さぶられ、僕は耐えきれずに膝をつく。
視界を覆うほどの土煙が巻き上がり、弾け飛んだ岩の破片が近くの地面に突き刺さる。
「ぐぁっ!!」
次の瞬間、左足に叩きつけられるような激痛が走った。
思わず声が漏れ、慌てて視線を落とす。
そこには、拳ほどの大きさの石が転がっていた。
落石の一部が、直撃したのだろう。
幸いにも鋭利な形ではなく、突き刺さってはいない。
だが、足に力を入れようとした瞬間、骨の奥に響く痛みが走り、立ち上がることすらできなかった。
どうやら、左足は骨折している。
直撃したのが頭でなかったことだけが、せめてもの幸運だった。
「痛ぅっ……傷薬や布は、迅脚鳥に持たせていたはずだけど……」
落石が収まったのを確認して、左足をかばいながら、迅脚鳥の遺体がある方へと視線を向ける。
幸いにも、先程の落石の影響は受けていないようだった。
荷物が無事だったこともあるが、それ以上に、迅脚鳥をきちんと弔ってやれると分かったことで、胸の奥に溜まっていた息を吐き出す。
弓を杖代わりにして、どうにか身体を起こす。
一歩、また一歩と、痛みを噛み殺しながら、荷物を回収するために歩き始めた。
――ゴトッ
「っ!!」
反射的に足を止め、音のした方へと意識を集中させる。
耳鳴りのように心臓の鼓動が頭の内側で響き、呼吸が浅くなる。
ゆっくりと視線を向けた、その先で――
「ガアア……」
「嘘……だろう…!?」
岩の隙間から、血と泥にまみれた腕が現れた。
そして、地面を引きずるように、這いつくばって姿を現したのは――骨刃人だった。
骨刃人は、二度にわたる落石によって、もはや原形をとどめないほどの姿へと変わり果てていた。
上半身には、僕が放った矢と岩の破片が幾本も突き刺さり、左腕は肩口から引き千切られて失われている。
頭部の甲殻も半分以上が砕け、そこから溢れ出した血が、地面を黒く濡らしていた。
そして――腰から下は、跡形もなく失われ、上半身のみとなっていた。
それでもなお、骨刃人は地面を掻き、こちらに向かって這い寄ってきている。
身体が半分になってもなお、こちらを殺そうとする。
その姿に、恐怖を覚えると同時に、胸の奥で不死族という存在に対して何かが腑に落ちるのを感じていた。
――不死領域は、「戦場跡地や災害跡地でしか発生しない」。
道中、ルシウスから聞いたその言葉を、僕は深く考えもせずに受け流していた。
だが、今ならはっきりと分かる。
戦場や災害の現場に渦巻く負の感情。
それは、生者が「死」を目前にした時に抱く、根源的な恐怖だ。
自らの命が奪われようとしたとき、人の心は抗えない恐怖に襲われる。
逃れようと、生き残ろうともがいても、恐怖からは決して逃れることができない。
そして、その恐怖はやがて、人の心の中で得体の知れない化け物のような存在へと変わる。
だから、こいつらの行動原理には、生者を殺すこと以外が存在しない。
だから、そこから発生する瘴気は、生者の肉体だけでなく、精神すらも蝕む。
――始原体は、周囲に満ちた感情を糧として、進化する存在なのだから。
すぐそこまで、骨刃人が迫ってきている。
ナイフは失くし、矢も尽きた。
もはや、抵抗する術は何も残っていない。
動けないのは、折れた左足のせいなのか。
それとも、逃げ場のない恐怖に、身がすくんでいるだけなのか。
骨刃人は、目の前の岩に腕を叩きつけ、その反動で上半身を投げ出すようにこちらへと迫る。
血に濡れた口を開き、今まさに――僕の喉笛へと噛みつこうとしていた。
その瞬間。
視線の先に、ふと――何かが映り込んだ。
降り注ぐ陽光をまとい、金色の髪が眩く輝いた。
風を裂き、一直線にこちらへと突っ込んでくるその姿を認識した瞬間、止まっていた意識が一気に現実へと引き戻された。
考えるよりも先に、身体が動く。
折れた足の痛みも無視して、無理矢理に地面を蹴り、身を投げ出す。
骨刃人の牙が、すぐ傍をかすめていった。
そして――エルナの攻撃が、空気を切り裂き、骨刃人の頭部を正確に打ち抜いた。
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それは、スラングショットと呼ばれる打撃武器だ。
布の先端に石を包み込み、振り回して叩きつける――極めて原始的な即席武器。
だが、振り回すことで先端の石には凄まじい遠心力が乗る。
そこに、迅脚鳥が生み出す速度が武器に加わればどうなるか。
答えは、考えるまでもなかった。
「ガ……ッ」
次の瞬間、骨刃人の頭部は粉砕され、身体ごと弾き飛ばされる。
地面に叩きつけられたそれは、もう二度と動くことはなかった。
骨刃人を仕留めた彼女へ視線を向けた、その時だった。
ふと視線が重なり、彼女は張り詰めていたものがほどけたように、ほっとした笑みを浮かべる。
「エルナ…」
「本当に、無事で良かったよ。セルフィ」




